これがダンスなのか?——フランス人振付家ジェローム・ベルの作品はデビュー以来、多くの論争を巻き起こしてきた。通常、我々はプロのダンスに、高度なテクニックに裏打ちされたダンサーの優美な動きやオリジナリティー、美的なイメージを期待しがちである。しかし、ベルが行ってきたのは、その真逆である。
全裸の出演者たちが自分の身長や体重、電話番号、貯金残高までも晒し、一見無目的な身振りを続ける『ジェローム・ベル』や、ドイツ表現主義舞踊の大家、スザンネ・リンケの振付を執拗にコピーし、反復する『最後のスペクタクル』、冒頭10分間舞台に誰も出てこない『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』など、ベルの作品には「ダンス」を期待してやってきた観客の予想を裏切る場面が数多く登場する。
舞台芸術としてのダンスの慣習をことごとく破ってきたベルは、デビュー以来、賞賛と批判を集め、コンテンポラリーダンス界のトリックスターとして名を馳せてきた。かつては、観客に「これはダンスではない」と司法に訴えられたことさえあるベルだが、年々、国際的に評価が高まっており、これまでに様々な名誉ある賞を受賞している。
近年では、『ヴェネチア・ビエンナーレ』やロンドンのテート・モダン、ニューヨークのMoMAでも作品が発表されるなど、現代美術の分野からも注目されている。そして、2018年1月には『Gala』(2015年)が待望の日本公演を果たす。この作品は初演以来、すでに世界50を超える都市で上演され、反響を呼んでいる。
失敗を肯定し偶然性を持ち込む、誰も予想のつかない『Gala—ガラ』
『Gala』の出演者は、公演される世界各国の都市ごとに一般から集められた20人の人々であり、幼児から老人まで年齢は様々である。また背格好やからだつきもばらばらで、車椅子に乗った者もいる。中にはプロのダンサーも混じっているが、出演者達のほとんどはアマチュアである。
『Gala』場面写真 © Photographer Josefina Tommasi, Museo de Arte Moderno de Buenos Aires (Argentina, August 2015)
『Gala』場面写真 © Photographer Josefina Tommasi, Museo de Arte Moderno de Buenos Aires (Argentina, August 2015)
彼らは素人であるために、必ずしも美しいダンスを見せてくれるとは限らない。ダンサーはそつなくそれをこなすが、バランスを崩して倒れそうになる者、勢い余って回転しすぎる者など、上手くこなせない者たちがここでは目立つ。
『Gala』場面写真 © Photographer Veronique Ellena, La Commune, Aubervilliers (France, April 2015)
常に完璧なパフォーマンスが期待される舞台芸術の世界において、「失敗」が提示されることそのものが新鮮な驚きをもたらすが、ベルが狙うのはまさにこの「失敗」やそれに伴う「偶然性」を舞台に持ち込むことである。それゆえ、この作品では、ベル自身予想のつかないことも多々起こるという。ベルは次のように言う。
ベル:この作品の出演者達は、プロフェッショナリズムの観点からみれば、全く想像を絶する存在です。ある時には、舞台で上演が進行中にもかかわらず、トイレに抜けていく出演者たちがいました。一瞬の間、彼らは舞台から離れ、用を足し終わった後に戻ってきたのです。これは私にとって想像を絶することでしたが、考えてみれば、なぜそれがいけないと言うことができるでしょうか。
上演中、全く予期しないことや失敗が起こりますが、それはとても喜ばしいことです。なぜなら、この作品の演者たちは、一種の自由の中に、絶え間ないインプロビゼーションの中に存在しているからです。彼、彼女らは、極めて生き生きとしています。サミュエル・ベケットがかつて「またやって、また失敗すればいい。前より上手に失敗すればいい」と言ったように。
不測の事態をも許容し、「失敗」を肯定するベルの作品の中で、出演者達の動きや身体がいかに個性的で、魅力的なものであるか気づくだろう。そして、見る者はいつの間にか出演者たちを応援したいような心持ちになっているのである。通常はプロの舞台から排除される「アマチュア」や「失敗」を取り入れるリスキーな賭けに挑み、普段では得られないスリルや感覚、出演者への共感を生じさせるベルのコンセプトと演出は見事というほかない。
異なる他者同士が共存する、ある種のユートピア
『Gala』の舞台上では、出演者たちが互いにそれぞれが考案したダンスを優劣なく教えあい、共に踊る場面がある。当然ながら動きもバラバラで動きを揃えるべきユニゾンとしてはこれもやはり「失敗」ではある。
だがその不均質さこそがここでも魅力として際立つ。振付によって出演者の身体をコントロールするのではなく、一人ひとりがそれぞれの持ち味や存在感を放ちながら、ダンスによってゆるやかにつながる共同体を立ち上げていくのである。普段はジャンルや世代、性別、趣味嗜好などに応じて、棲み分けられているダンスの愛好者たちが、共に作り出す共存の時空間がこの作品の最大の見所と言えるかもしれない。『Gala—ガラ』が世界各国の都市で受け入れられているのは、異なる他者同士が共存する、ある種ユートピア的なビジョンを出現させているからなのではないだろうか。ベルは次のように言う。
ベル:私の仕事は共同体と個人という手強い組み合わせを扱っています。私にとって重要なのは、共同体が個人を疎外しないこと、また反対に個人が自身の属している共同体を妨害すべきではないということなのです。
『Gala』が何か意味を持つとすれば、普段舞台に上がることが決してない人も、それを仕事にしている人も分け隔てられることなく、誰であれ何人も排除されることのなく集まる場を成立させることにあるでしょう。
「分断の時代」に、芸術と大衆文化、プロとアマ、成功と失敗、などの境界を揺らがせる
「分断の時代」といわれる現代。経済格差や、世代、人種、宗教、価値観の差異などによって人々は分断され、社会のいたるところに「万人の万人に対する闘争」が見出される。対立や闘争に人間の本性を見たホッブスの直観は正しいのかもしれない。しかし、その一方で、芸術と大衆文化、プロとアマ、成功と失敗、健常者と障害者などの境界を揺らがせる『Gala』は、分断を乗り越え、他者とつながろうとする力も人間の本性なのだと感じさせてくれるのである。
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- ジェローム・ベル
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パリ在住の国際的に活躍する振付家。ダンスという表現ジャンルに社会的、批評的な眼差しを投げかける独自の作品で知られる。1994年に最初の振付作品を発表、1995年『ジェローム・ベル』でそれまでのダンスの概念を覆した。2006年のタイ伝統舞踊家ピチェ・クランチェンとの『ピチェ・クランチェンと私』では、その文化的多様性に対しルート・マルグリット・プリンセス賞が贈られている。その他にも、パリ・オペラ座から委嘱された『ヴェロニク・ドワノー』(2004)、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルとの共作『3Abschiedドライアップシート(3つの別れ)』(2010)、知的障害を持つ俳優たちが出演する『Disabled Theater』(2012)など表現者との出会いから生まれる作品を次々と発表し、その作品がもたらす挑発的な問いかけは、ダンス界に衝撃をもたらしている。彩の国さいたま芸術劇場にて2011年に上演した『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』(2001年初演)は2005年ニューヨーク公演においてベッシー賞を受賞。2017年パリ最大の国際演劇フェスティバル『ドートンヌ』ではジェローム・ベルの初期作品から最新作に至るまでの8作品が一挙上演されており、現在世界で最も注目されている振付家の一人。
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