いつの時代もアーティストを魅了してきた水と先駆者北斎
横尾忠則は『滝狂―横尾忠則Collection中毒』(1996年刊、新潮社)という本を出版し、自身が収集した滝のポストカード13000枚を披露した。金沢21世紀美術館の常設作品でも名前が知られる、現代美術作家オラファー・エリアソンは約17億円という莫大なお金をかけてニューヨークに人工的な滝の作品を作り上げた。なぜ滝はここまで人を魅了することができるのだろう。そもそも滝に限らず、水そのものが魅力の根源なのだろうか。
そんな謎を解くキーパーソンが日本を代表するアーティスト、葛飾北斎(1760-1849年)だ。北斎と聞いたときに多くの人がまず思い浮かべるであろう、あの大きな波の作品。
葛飾北斎『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』すみだ北斎美術館蔵(後期は掲載とは異なる同タイトル作品を展示)
これはグレートウェーブの愛称で海外からも多くの支持を集める、有名な『冨嶽三十六景』シリーズのうちの1つだが、北斎の代表的な作品の多くにはあらゆる形態の水が登場する。波、滝、そして川や海。まさに、北斎は水のすべてに魅了されたアーティストの先駆者なのだ。
葛飾北斎『冨嶽三十六景 東海道金谷ノ不二』すみだ北斎美術館蔵(後期展示)
そんな北斎と水の関係にフォーカスを当てたのが、すみだ北斎美術館で開催中の『変幻自在! 北斎のウォーターワールド』展である。北斎が水を多く描いた背景について、展示企画を担当した学芸員の山際真穂に話を聞いた。
山際:北斎はその生涯のほとんどを、すみだの地で過ごしており、作品の中でも隅田川が多く登場しています。北斎が水をテーマにした優れた作品をたくさん残した背景には、常に水を眺めて、その表情を観察していた日常の暮らしがあったのではと想像できます。
山際真穂(すみだ北斎美術館学芸員) / 衣装提供:UNITED TOKYO
ジャポニスムの象徴、北斎も西洋絵画からの影響を受けていた
文化年間(1804–18年)に入ると、北斎は読本挿絵の制作を精力的に始める。画面が小さく絵師の力量が問われる難しい世界であったが、北斎はめきめきと頭角を現し一躍有名になる。
山際:当時から、北斎の絵は尋常じゃないほど細密ということで一目置かれていました。ですので、読本挿絵はむしろ得意分野だったのかもしれません。挿絵の中でも多くの波の絵を描いており、理想の表現を追い求めて試行錯誤を繰り返していたことがわかります。
葛飾北斎『椿説弓張月』続編 一 すみだ北斎美術館蔵 / 波を描いた読み本の挿絵
挿絵制作の仕事の一方で、北斎は表現技法について解説する絵手本の制作もしていた。そこからは、意外な事実が読み取れる。
山際:『略画早指南』(1812年)という絵手本の中で、北斎はコンパスと定規を使った絵の描き方を丁寧に解説しています。
興味深いのは、これはもともと日本で考えられた描き方ではなくて、西洋絵画の技法からの影響であると考えられているところです。
葛飾北斎『略画早指南』初編 すみだ北斎美術館蔵 / 様々なモチーフについて、幾何学的に描く技法を解説している。右ページでは、波の描き方について
ジャポニスムの象徴として、ゴッホやセザンヌなど錚々たる画家たちに影響を与えた北斎も、逆に西洋からの影響を受けていたというから面白い。あの『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』(グレートウェーブ)の印象的な波も、『略画早指南』を見るとわかるように、実はたくさんの円弧から構成されているのである。
北斎の真骨頂の表現が詰まった『諸国瀧廻り』シリーズ
貪欲に西洋の技法も取り入れた『冨嶽三十六景』のヒットは、次の版画シリーズ『諸国瀧廻り』を生み出すことになる。注目すべきは、同じ版元である西村屋与八から出版されている点。『冨嶽三十六景』のヒットを受けて「これは売れるぞ!」的な魂胆が垣間見える。でも、なぜ「瀧廻り」なのか?
葛飾北斎『諸国瀧廻り 下野黒髪山きりふりの滝』すみだ北斎美術館蔵(後期展示) / 『冨嶽三十六景』の次のシリーズは滝を題材とした
山際:北斎の絵では藍色がとても印象的で、『冨嶽三十六景』が人気になった理由ともいわれています。特に水というモチーフは藍色を使用するのにぴったりですし、よく見ると波の輪郭線まで藍色が使用されています。『諸国瀧廻り』では、その藍色をより特徴的に使って自然を描いています。
北斎の真骨頂である藍色にフォーカスするという点で、滝は格好の題材であったわけだ。また、もう1つの背景として、18世紀の後半から19世紀にかけて起きた旅行ブームが挙げられる。江戸時代も後期となり、実際に歩く道などが整備され、都市に住む人たちの暮らしにも余裕がでてきたことによって、各地の名所を訪れる人々が増えていったのだ。
葛飾北斎『諸国瀧廻り 美濃ノ国養老の滝』すみだ北斎美術館蔵(後期展示)
現在と同じように、滝も観光スポットとして親しまれていたことは、『諸国瀧廻り』を見れば一目瞭然。よく見ると実際に滝を見つめている人、ピクニックをしている人までが絵に描かれている。名所の滝の絶景が浮世絵として広まるなんて、今の時代であれば、景勝地の写真をInstagramにアップして拡散するような感じだろうか。
現代人が見ても斬新すぎる「自由な視線」の表現
ところで、北斎の波(『冨嶽三十六景』)と滝(『諸国瀧廻り』)を見比べてみると、同じ水を描いたものでも異なった印象をうける。2つの水の動きは全く違うため、異なった表現をしているのだ。
山際:もともと日本人の絵というのは、遠近法も使っていなかったですし、世界的に見ても自由度の高い絵でした。ですので、北斎の滝の絵もよく見ると、突然何にもないところから滝が溢れているように見えて、少し不自然だったりするんですよね。キュビズム(ピカソ、ブラックらによる20世紀初頭のモダンアートのムーブメント。複数の視点から見た対象を1つの画面に描いた)にも共通するような「視線の自由な移動」というところも、とっても面白いと思います。
葛飾北斎『諸国瀧廻り 木曽路ノ奥阿弥陀ヶ滝』すみだ北斎美術館蔵(前期展示) / 滝の姿は正面からの視点で描いているのに対し、滝口は上部からの視点で水の波紋を描いている。左にはピクニックをする人の様子も
確かに「視線の自由さ」というのは北斎のどの絵にも共通している。『諸国瀧廻り』の1つ『木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧』もよくよく目を凝らして見てみると、全てを現実に忠実に描いているわけではないことに気がつく。滝の姿は正面からの視点、滝口は上部からの視点から描かれており、写実的に描くということを完全に無視しているのだ。
葛飾北斎『諸国瀧廻り 木曽海道小野ノ瀑布』すみだ北斎美術館蔵(前期展示)
『木曽海道小野ノ瀑布』では、滝口がある崖の根元は描かず、滝はまるで空から溢れでる塔のように描かれ、霧が自然を遮り、なんとも不思議な魅力を醸し出している。また、遠目から全体像を捉えようとすると、その構図の自由さにも驚かされる。絵手本にも通じるグラフィカルで幾何学的な配置は、どこか具象でありながらも抽象的な要素を多く含んでいるのだ。
葛飾北斎『諸国瀧廻り 東海道坂ノ下清滝くわんおん』すみだ北斎美術館蔵(前期展示)
この北斎の表現力を確かめるのに絶好のポイントがある。栃木県にある霧降の滝は『下野黒髪山きりふりの滝』、岐阜県の阿弥陀ヶ瀧は『木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧』と、北斎が描いたいくつかの滝は現在もまだ残っていて、実際に訪れることができるのだ。『瀧廻り』現代版とまでとはいかないが、巷では滝が密かなブーム(まさにインスタ映え!)になっていると聞くと、アーティストだけではなく、誰にとっても水は神秘的な魅力を漂わせるのだろう。
西洋文化や自由な視点を取り入れて描かれた北斎の水は、写実的というより、その迫力、大きさ、そして美しさの本質をどう表現しよう、というところに一層力が入れられていた。そう考えると、もし、北斎がスマートフォン片手に画像を投稿するとしたら……フィルターを駆使し、すごい加工を加えた画像になるのかも。でも、きっとどの時代でも「いいね!」は多そうだ。
- イベント情報
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- 『変幻自在! 北斎のウォーターワールド』
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2018年4月24日(火)~6月10日(日)
前期:2018年4月24日(火)~5月20日(日)
後期:2018年5月22日(火)~6月10日(日)
会場:東京都 両国 すみだ北斎美術館
時間:9:30~17:30(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜
料金:一般1,000円 高校生・大学生700円 65歳以上700円 中学生300円 障がい者300円
※小学生以下無料
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