高畑勲、さくらももこ、スタン・リー…2018年に逝去したカルチャー界の50人

「平成最後の」というフレーズが乱舞した2018年。日本国内では北海道胆振東部地震、大阪府北部地震、島根県西部地震、西日本豪雨、台風や猛暑といった自然災害が猛威をふるいました。国外では死者2千人超となったインドネシアの大地震や、タイの洞窟で少年たちが救出された事件も。史上初となる米朝首脳会談の実現もありました。スポーツ界では平昌冬季五輪やサッカーのFIFAワールドカップ ロシア大会の開催、大谷翔平選手や大坂なおみ選手らの活躍がありました。

CINRA.NETでは2016年、2017年に引き続き、今年亡くなった人の中から後世に大きな影響を与え、カルチャーの発展に貢献した50人を紹介します。高畑勲、さくらももこ、樹木希林、アレサ・フランクリン、スタン・リー、Avicii、ECD……彼らの功績を次の時代に伝え、生かし続けていくこと。この記事がそのきっかけになればさいわいです。

藤岡幹大(ミュージシャン、36歳)

1981年、兵庫出身。音楽学校「MI JAPAN」の講師を務める傍ら、アーティストやセッションギタリストとして活動。BABYMETALのバックバンドである神バンドに参加し、世界各地を巡りました。神バンドでの愛称は「小神」。バンド・仮BANDを結成し、2017年にデビューミニアルバム『仮音源 -Demo-』を発表していました。1月5日逝去。

仮BAND(中央が藤岡幹大)

フランス・ギャル(ミュージシャン、70歳)

1947年、フランス・パリ生まれ。1963年にデビューし、1965年に『ユーロビジョン・ソング・コンテスト』でセルジュ・ゲンスブール作詞作曲による“夢見るシャンソン人形”を歌って優勝。同曲は日本を含む世界各地でヒットし、一世を風靡した。フレンチポップを代表する歌手の1人。本名はイザベル・ジュヌヴィエーヴ・マリ・アンヌ・ギャル。死因は乳がん。1月7日逝去。

エディ・クラーク(ミュージシャン、67歳)

1950年、イギリス・トゥイッケナム生まれ。1976年にMotörheadに加入し、1982年に脱退するまで同バンドの黄金期を支えました。「ファスト」の愛称で知られ、1983年にはFastwayを結成。中心人物として長期にわたって活躍しました。1月10日逝去。肺炎で入院中でのことでした。

ドロレス・オリオーダン(ミュージシャン、46歳)

1971年、アイルランド生まれ。1990年にボーカリストとしてThe Cranberriesに加入。“Linger”“Zombie”といった楽曲をヒットさせ、映画『ユー・ガット・メール』に“Dreams”が起用されました。バンドは2003年に活動休止した後、2009年に活動再開。死因は急性アルコール中毒で泥酔したことによる溺死とのこと。1月15日逝去。

ECD(ミュージシャン、57歳)

1960年、東京生まれ。1987年にラッパーとして音楽活動を開始し、1996年には東京・日比谷野外音楽堂で行なわれたヒップホップイベント『さんピンCAMP』のプロデュースを手掛けました。2016年に進行性のがんであることを公表した後も、闘病生活を送りながら音楽活動を続けていました。執筆活動も行なっており、著書に『失点イン・ザ・パーク』『いるべき場所』などがあります。妻は写真家の植本一子。1月24日逝去。

マーク・E・スミス(ミュージシャン、60歳)

1957年、イギリス・ブロートン生まれ。ワーキングクラスの両親のもとで育ち、1976年にThe Fallを結成。バンド名の由来はアルベール・カミュの小説『転落』。ポストパンクの代表的なバンドのフロントマンとして40年以上にわたって活動し、欧米をはじめとする数多くのミュージシャンに影響を与えました。1月24日逝去。

ヨハン・ヨハンソン(作曲家、48歳)

1969年、アイスランド・レイキャビク生まれ。電子音楽からクラシックまでを横断する多彩な作風で、ソロミュージシャンとして活動したほか、映画『博士と彼女のセオリー』『ボーダーライン』『メッセージ』などの音楽を手掛け、世界的な評価を得ていました。2月9日、ドイツ・ベルリンで逝去。

石牟礼道子(詩人・作家、90歳)

1927年、熊本・天草生まれ。主婦を経て、1958年頃から詩作を開始。熊本・水俣を襲った公害病である水俣病を題材とした『苦海浄土 わが水俣病』を1969年に発表し、『第1回大宅壮一ノンフィクション賞』を与えられましたが、これを固辞。その後も九州の土地に根ざしながら、公害を引き起こした近代文明を告発するだけでなく、人間や生命のあり方を洞察した小説や詩を発表しました。死因はパーキンソン病による急性増悪。2月10日逝去。

石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』表紙

Febb As Young Mason(ミュージシャン、24歳)

1994年生まれ。MCでトラックメイカー、DJとしてJJJ、KID FRESINOと共にFla$hBackSのメンバーとして活動。PERBとのユニットCRACKS BROTHERS、A-THUG、KNZZらとのDAWG MAFIA FAMILYや、ソロ名義でも活動していました。死因は不慮の事故と発表。2月15日逝去。

GRADIS NICE & YOUNG MAS(Febb)

大杉漣(俳優、67歳)

1951年、徳島生まれ。1973年に別役実作『門』で舞台デビューを果たし、ピンク映画や日活ロマンポルノ、Vシネマなどに出演していましたが、北野武監督『ソナチネ』での演技で注目されました。その後は『キッズ・リターン』『HANA-BI』といった北野作品のほか、SABU監督作、黒沢清監督作といった映画に加えて、ドラマにも数多く出演し、名脇役として活躍しました。死因は急性心不全。2月21日逝去。

大杉漣

ラッセル・ソロモン(タワーレコード創業者、92歳)

1925年、アメリカ・カリフォルニア州サクラメント生まれ。地元サクラメントの映画館「タワーシアター」内で父が営んでいたドラッグストアで、レコード販売コーナーを担当。レコード売り場拡大時に「タワーレコード・マート」と名付け、これがタワーレコードの原型となりました。スーパーマーケットのようなレコード店を作るという構想のもと、世界各地に出店し、音楽文化の普及に寄与しました。3月4日逝去。

ユベール・ド・ジバンシィ(ファッションデザイナー、91歳)

1927年、フランス・ボーヴェ生まれ。貴族の家系に生まれ、17歳の時に故郷を離れてパリのクチュールメゾンに見習いとして入社。国立高等美術学校であるエコール・デ・ボザールでデザインを学び、複数のメゾンでの勤務を経て1952年に自身の名を冠した「Givenchy」を設立しました。ジャクリーン・ケネディやグレース・ケリー、オードリー・ヘプバーンといった女性たちの衣装も手掛け、特にヘプバーンとは映画『麗しのサブリナ』でGivenchyの服を多数着用して以降、深い親交を結び、『ティファニーで朝食を』の衣装でも知られています。3月10日逝去。

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スティーヴン・ホーキング(理論物理学者、76歳)

1942年、イギリス・オックスフォード生まれ。1963年に筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、余命2年を宣告されますが、その後も病と戦いながら「車椅子の科学者」として精力的に活動。世界中でベストセラーとなった『ホーキング、宇宙を語る』などの著作でも知られ、研究の傍らで科学の啓蒙活動も行ないました。2014年にはホーキングの半生を題材とした伝記映画『博士と彼女のセオリー』がヒットしました。3月14日逝去。

スティーヴン・ホーキング

青木裕(ミュージシャン、48歳)

1970年生まれ。2000年にdownyを結成し、その後はVOLA & THE ORIENTAL MACHINE、unkieに参加したほか、Syrup16gなどのサポートメンバーを務めていました。昨年には初のソロアルバム『Lost in Forest』を発表していました。死因は急性骨髄肉腫白血病。2017年末から体調不良を訴えており、2018年1月に骨髄肉腫を患っていることを公表していました。3月19日逝去。

高畑勲(映画監督、82歳)

1935年、三重・伊勢生まれ。岡山で育ち、1959年に東京大学仏文科を卒業後、東映動画に入社。テレビシリーズ『狼少年ケン』で初演出を手掛け、1968年の劇場用映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』で初監督を務めました。同社を退社後は『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』『じゃりン子チエ』などを演出・監督し、1985年にスタジオジブリの設立に参加。以降、『火垂るの墓』『かぐや姫の物語』といった作品を手掛けました。『かぐや姫の物語』は『アカデミー賞』長編アニメーション映画部門にもノミネート。宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』ではプロデューサーも務めました。1998年に紫綬褒章を受章。死因は肺がん。4月5日逝去。

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Avicii(ミュージシャン、28歳)

1989年、スウェーデン・ストックホルム生まれ。10代から音楽活動を開始し、早くからDJ、トラックメイカーとして注目を集めました。EDMの代表的なアーティストとして世界的な人気を誇りましたが、一方で、長期にわたって体調不良だったことが以前から報じられていました。3度のキャンセルを経て、2016年に初来日公演を開催。2016年からはライブやツアー活動を休止していました。4月20日逝去。

森田童子(ミュージシャン、65歳)

1953年生まれ。高校中退後、友人の死をきっかけに歌い始めたという森田童子。1975年にシングル『さよなら ぼくの ともだち』でデビューし、1983年に音楽活動を休止。1993年のドラマ『高校教師』で楽曲“ぼくたちの失敗”が主題歌として使用されたことによって大ヒット曲となりましたが、自身は沈黙を守りました。2003年に最後の新録音源を発表してからも表舞台に姿を表すことはありませんでした。死因は心不全。4月24日逝去。

エルマンノ・オルミ(映画監督、86歳)

1931年、イタリア・ベルガモ生まれ。1953年に映画監督としてデビュー。『カンヌ国際映画祭』パルムドールなどを受賞した1978年の『木靴の樹』や、『ヴェネチア国際映画祭』で金獅子賞に輝いた1987年の『聖なる酔っぱらいの伝説』、市川純を主演に起用した2003年の『屏風の陰で歌いながら』といった作品で知られました。遺作は昨年発表したドキュメンタリー『Vedete, sono uno di voi』。最後の劇映画は2014年の『緑はよみがえる』で、同作は日本でも2016年に公開されました。死地は『緑はよみがえる』の撮影地・イタリアのアジアーゴ高原。5月7日逝去。

グレン・ブランカ(ミュージシャン、69歳)

1948年、アメリカ・ペンシルバニア州ハリスバーグ生まれ。15歳からギター演奏を始め、テープによるサウンドコラージュ作品を制作していたブランカは、1976年にニューヨークへ移住。ギターアンサンブルによる前衛音楽を発表し、「ノー・ウェーブ」を代表する作曲家となりました。自ら主宰したギターによるオーケストラは、Sonic Youthのサーストン・ムーアとリー・ラナルドやSt. Vincentらを輩出しています。死因は咽頭がん。5月13日逝去。

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西城秀樹(ミュージシャン・俳優、63歳)

1955年、広島生まれ。1972年にデビューし、郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と称されました。代表曲は“YOUNG MAN(Y.M.C.A.)”“傷だらけのローラ”“激しい恋”など。1974年の主演映画『愛と誠』をはじめ、俳優やタレントしても活躍しました。2003年と2011年に脳梗塞を発症し、後遺症が残っていたが、精力的に活動を続けていました。死因は急性心不全。5月16日逝去。

フィリップ・ロス(作家、85歳)

1933年、アメリカ・ニュージャージー州ニューアーク生まれ。1959年に発表したデビュー作『さようならコロンバス』で1960年に『全米図書賞』を受賞。その後、『素晴らしいアメリカ野球』『プロット・アゲンスト・アメリカ』『ヒューマン・ステイン』などを発表し、アメリカを代表する作家となりました。『ピュリッツァー賞』『フランツ・カフカ賞』『アストゥリアス皇太子賞』文学部門など多数受賞。5月22日逝去。

たむらまさき(映画監督・撮影監督、79歳)

1939年、青森生まれ。1968年に小川紳介監督によるドキュメンタリー映画『日本解放戦線 三里塚の夏』を撮影。小川プロダクションに所属し、青山真治や柳町光男ら数多くの監督による映画作品を撮影したほか、諏訪敦彦、河瀨直美、鈴木卓爾といった監督の初期作品を手掛けるなど、日本映画界を支え続けたカメラマンでした。2014年には映画監督としてのデビュー作『ドライブイン蒲生』を公開。75歳でのデビュー作でした。5月23日逝去。

丸山晴茂(ミュージシャン、47歳)

1970年、東京出身。1995年にサニーデイ・サービスに加入し、ドラムを担当。サニーデイ・サービス再結成後は体調不良に陥り、2016年2月から体調不良のため、バンドの活動を休止していました。死因は食道静脈瘤破裂。5月逝去。7月15日に所属事務所のスタジオ・ローズからその死が明かされました。

ケイト・スペード(ファッションデザイナー、55歳)

1962年、アメリカ・ミズーリ州のカンザスシティ生まれ。雑誌編集者を経て、1993年に夫のアンディ・スペードと共に「ケイト・スペード・ハンドバッグ」を設立。1996年にニューヨークのソーホーに1号店を開店し、ハンドバッグから、洋服、靴、アクセサリーなどを扱って人気を獲得しました。自身は10年以上前から会社を離れ、2016年に新しいブランド「Frances Valentine」を立ち上げていました。6月5日逝去。

寺尾次郎(翻訳家・ミュージシャン、62歳)

1955年、東京生まれ。学生時代からベーシストとして活動し、1975年に山下達郎率いるシュガー・ベイブに加入。バンドが解散した1976年まで音楽活動を行ないました。1980年代からフランス映画の日本語字幕を多数手がけ、ジャン=リュック・ゴダール、エリック・ロメール、ダルデンヌ兄弟などの字幕版を世に送り出しました。2016年にはゴダール監督作『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』の新訳も担当。娘はミュージシャンで文筆家の寺尾紗穂。6月6日逝去。

XXXTentacion(ミュージシャン、20歳)

1998年、アメリカ・フロリダ生まれ。2016年にデビューシングル“Look At Me”を発表し、翌年に1stアルバム『17』をリリース。全米アルバムチャートで2位を記録しました。2018年3月には2ndアルバム『?』を発表し、全米1位に輝きました。若者を中心にカルト的な人気を誇る一方、私生活ではたびたびトラブルを起こし、2016年には妊娠していた元恋人への暴行容疑で逮捕されており、裁判を控えていました。6月18日、モータースポーツショップを出たところを2人組の男に銃撃を受けて死亡しました。

ハーラン・エリスン(小説家、84歳)

1934年、アメリカ・オハイオ州クリーブランド生まれ。SF小説集『世界の中心で愛を叫んだけもの』などの著書で知られました。オハイオ州立大学中退後、1955年にニューヨークへ拠点を移して執筆活動を本格化させ、その後ドラマ『宇宙大作戦』『ルート66』『ヒッチコック劇場』などの脚本を担当。『世界の中心で、愛をさけぶ』や『新世紀エヴァンゲリオン』最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」など、邦訳タイトルを引用した作品も多くあります。生涯で1000を超える作品を残したといわれる多作ぶりでも知られました。6月27日逝去。

サム・メーラン(ミュージシャン、31歳)

1986年、アメリカ・フロリダ州マイアミ生まれ。2004年にロンドンで3人組バンドTest Iciclesを結成し、2005年にDominoからデビュー。2006年に解散。バンドにはのちにBlood Orangeとして活動するデヴ・ハインズも在籍していました。その後はOuter Limits Recordings、Wingdingsなどの名義でアルバムを発表しました。6月29日、ハリウッドの自宅で死亡しているのが発見されました。

桂歌丸(落語家、81歳)

1936年、神奈川・横浜生まれ。小学生時代に落語家を志し、1951年に5代目古今亭今輔に入門。古今亭今児と名乗るが、のちに兄弟子の4代目桂米丸門下へ移籍し、桂米坊へ改名。1964年から桂歌丸に再び改名しました。1968年に真打昇進。落語番組『笑点』放送開始時からの大喜利メンバーとして、長期にわたって活躍。2006年から2016年まで司会も務めました。2004年から落語芸術協会会長。7月2日逝去。

浅利慶太(演出家、85歳)

1933年、東京生まれ。1953年、慶應義塾大学在学中に10人のメンバーで劇団四季を設立。ほぼ全作品のプロデュースや演出を手掛け、代表を務めました。2014年に劇団四季の代表を退任し、2015年に浅利演出事務所を設立。演劇活動を再開していました。死因は悪性リンパ腫。7月13日逝去。

橋本忍(脚本家、100歳)

1918年、兵庫・神崎郡生まれ。結核の療養所で映画脚本に興味を持ち、その後に会社員として働きながら伊丹十三の父でもある伊丹万作に師事しました。1950年、黒澤明監督の『羅生門』でデビューし、『七人の侍』『生きる』など黒澤作品の脚本を共同で手掛けたほか、『私は貝になりたい』『八甲田山』『八つ墓村』といったヒット作品を生み出しました。『私は貝になりたい』の映画版では自ら監督も務めました。7月19日逝去。

リック・ジェネスト(ファッションモデル・俳優、32歳)

1985年、カナダ・ケベック州生まれ。通称ゾンビボーイ。全身にタトゥーを入れた強烈な個性を持った容姿で知られました。15歳で脳腫瘍を患い、翌年に初めてタトゥーを入れたとのこと。2011年、Lady Gaga“Born This Way”のPVに起用されたことで世界的な注目を集めました。世界で最も多くの骨のタトゥーを入れた人、最も多くの昆虫のタトゥーを入れた人間としてギネス世界記録を持っていました。死因は転落死。8月1日逝去。

石塚運昇(声優、67歳)

1951年、福井・勝山生まれ。舞台俳優出身で、声優として活動。アニメ『カウボーイビバップ』のジェット役、『ポケットモンスター』シリーズのオーキド博士、ナレーション、『ドラゴンボール改』のミスター・サタン、『ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース』のジョセフ・ジョースター役などで知られたほか、映画の吹き替えやCMのナレーションなど、幅広く活動していました。死因は食道がん。8月13日逝去。

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アレサ・フランクリン(ミュージシャン、76歳)

1942年、アメリカ・テネシー州メンフィス生まれ。「ソウルの女王」と呼ばれたアレサ・フランクリンは、デトロイトで育ち、父が牧師をしていた教会でゴスペルを歌って少女時代を過ごしました。1961年にデビューし、“Do Right Woman, Do Right Man”“(You Make Me Feel Like) A Natural Woman”などのヒット曲を発表。『グラミー賞』を18回受賞しました。これまでに100曲以上のシングルがビルボードチャートにランクインし、1987年には女性として初めて「ロックの殿堂」入りしました。死因は膵臓がん。8月16日逝去。

さくらももこ(漫画家、53歳)

1965年、静岡生まれ。1984年に漫画家としてデビューし、1986年に『ちびまる子ちゃん』の連載を『りぼん』でスタートしました。『ちびまる子ちゃん』は1990年にアニメ化されて大きな人気を博し、作詞を手掛けたエンディングテーマ“おどるポンポコリン”は同年の『日本レコード大賞』にも輝きました。『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』『神のちからっ子新聞』といった代表作のほか、『もものかんづめ』などのエッセイも発表しました。死因は乳がん。8月15日逝去。

マック・ミラー(ミュージシャン、26歳)

1992年、アメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれ。10代からラッパーとして活動を始め、2010年にミックステープ『K.I.D.S.』を発表して注目を集めました。翌年にリリースした1stアルバム『Blue Slide Park』でアメリカのビルボード200チャート1位を獲得し、今年8月には5枚目となるアルバム『Swimming』を発表したばかりでした。アリアナ・グランデの元恋人としても知られていました。死因は薬物の過剰摂取と言われています。9月7日逝去。

ポール・ヴィリリオ(思想家、86歳)

1932年、フランス・パリ生まれ。ステンドグラス作家や建築、都市計画などを手掛けたのち、1970年代から執筆活動を開始。1977年刊行の『速度と政治――地政学から時政学へ』をはじめとする著作で、フランス現代思想を代表する人物の1人として活躍しました。パリ建築大学(ESA)の学長を務めたことも。9月10日逝去。

樹木希林(女優、75歳)

1943年、東京生まれ。1961年から「悠木千帆」の芸名で文学座研究員として女優活動を開始し、ドラマや映画、CMなどで活躍。1977年にはオークション番組で自らの芸名「悠木千帆」を売却し、その後に芸名を「樹木希林」としました。1973年に内田裕也と結婚し、約1年半の同居生活を経て40年以上にわたって別居していました。『カンヌ国際映画祭』パルムドールを受賞した『万引き家族』をはじめとする数々の映画作品に出演。日本を代表する個性派女優でした。2008年に紫綬褒章を受章。9月15日逝去。

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渚ようこ(ミュージシャン、年齢非公表)

山形・西置賜郡白鷹町生まれ。1996年にデビューし、2002年に横山剣(クレイジーケンバンド)プロデュースによる『Yoko Elegance 渚ようこの華麗なる世界』をリリース。その後、阿久悠作品を歌唱した作品などを発表しました。森山大道撮影による写真集『NAGISA』や映画、舞台への出演など、独自の歌謡世界をもとに活動の幅を広げていました。死因は心不全。9月28日逝去。

渚ようこ 撮影:森山大道

小杉武久(ミュージシャン、80歳)

1938年、東京生まれ。東京藝術大学在学中に水野修孝とグループ・音楽を結成し、芸術集団フルクサスにも参加。武満徹、一柳慧らともグループを結成しました。1960年代半ばからアメリカ、ヨーロッパでフルクサスをはじめとする前衛芸術を吸収し、1969年にタージ・マハル旅行団を結成。アメリカ移住後はマース・カニングハム舞踊団の音楽監督を務めました。ジョン・ケージやデビット・チュードアらとの交流でも知られた、日本の前衛音楽の第一人者でした。死因は食道がん。10月12日逝去。

入沢康夫(詩人・フランス文学者、86歳)

1931年、島根・松江生まれ。東京大学仏文科在学中に初の詩集を発表。現代詩の第一人者として多くの詩を創作しただけでなく、詩論も多く発表し、宮沢賢治研究で大きな功績を残しました。明治大学文学部で長く教鞭をとるなど、後進の育成にも励みました。1998年に紫綬褒章を受章。10月15日逝去。

角替和枝(女優、64歳)

1954年、静岡・庵原郡富士川町生まれ。つかこうへい事務所を経て、劇団東京乾電池に所属。ドラマや映画などで名脇役として活躍しました。1981年に座長の柄本明と結婚。長男は柄本、次男は柄本時生。佑の妻・安藤サクラは義娘にあたります。死因は原発不明がん。10月27日逝去。

レイモンド・チョウ(映画プロデューサー、91歳)

1927年、香港生まれ。新聞記者を経て、1950年に香港の映画会社ショウ・ブラザーズに転職。製作本部長を務めたのち、1970年に独立してゴールデン・ハーベストを設立しました。ブルース・リーと契約して『ドラゴン危機一発』を皮切りに数々のヒット作を生み出した。ゴールデン・ハーベストはジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウ、チョウ・ユンファらの作品を世に送り出します。長く同社を率いたチョウは「香港映画の父」と呼ばれました。11月2日逝去。

フランシス・レイ(作曲家、86歳)

1932年、フランス・ニース生まれ。ピアノやアコーディオン奏者として各地を巡り、1953年からパリで演奏活動を展開していたところ、映画監督のクロード・ルルーシュと出会い、映画音楽の世界へ。1966年の『男と女』を皮切りに『パリのめぐり逢い』『ある愛の詩』『ビリティス』などの音楽を手掛けました。11月7日にその死が報じられました。

スタン・リー(漫画原作者、95歳)

1922年、アメリカ・ニューヨーク生まれ。1939年からコミックの分野で仕事を始め、1960年代からマーベルコミックで数多くのスーパーヒーローコミックを生み出し、コミック業界に変革をもたらしました。『スパイダーマン』『アイアンマン』『ハルク』『X-MEN』『マイティ・ソー』『アベンジャーズ』といったコミックの原作に携わったほか、テレビシリーズや実写映画の製作総指揮も務めました。本名はスタンリー・マーティン・リーバー。死因は肺炎。11月12日逝去。

ウィリアム・ゴールドマン(脚本家・劇作家・小説家、87歳)

1931年、アメリカ・イリノイ州シカゴ生まれ。兵役後にコンロビア大学を経て小説家、劇作家として活動。映画脚本の分野では『明日に向って撃て!』『華麗なるヒコーキ野郎』『大統領の陰謀』『ミザリー』などを手掛けました。映画『マジック』『プリンセス・ブライド・ストーリー』の原作小説は自ら執筆。11月15日逝去。

ベルナルド・ベルトルッチ(映画監督、77歳)

1941年、イタリア・パルマ生まれ。10代から文学作品の執筆活動を開始し、1962年にピエル・パオロ・パゾリーニ監督の原案をもとにした『殺し』で映画監督デビュー。1987年に『ラストエンペラー』で『第60回アカデミー賞』作品賞、監督賞などを受賞。同作で音楽を担当した坂本龍一は作曲賞を受賞しました。代表作は『暗殺の森』『シェルタリング・スカイ』など。1972年公開の『ラストタンゴ・イン・パリ』での性暴力描写については撮影方法なども含めて、自身の晩年まで激しい議論を呼びました。11月26日逝去。

ロバート・モリス(現代美術家、87歳)

1931年、アメリカ・ミズーリ州カンザスシティ生まれ。工業素材を用いた作品を発表し、ミニマリズムやランドアート、プロセスアートなどの分野で先駆的な役割を果たしたモリス。1960年代以降のサイトスペシフィックインスタレーションの中心的存在でした。一方で、ダンスの振付や演出を手掛けるなどパフォーマンスの領域や、批評家としても活動しました。死因は肺炎。11月28日逝去。

勝谷誠彦(コラムニスト、57歳)

1960年、兵庫・尼崎出身。早稲田大学在学中からライターとして活動を開始し、大学卒業後には電通を経て文藝春秋に入社。様々な雑誌で記者として活動したのち、1996年に退社してフリーランスになりました。その後はコラムニストとして執筆活動を行なうかたわら、テレビやラジオなどに出演。コメンテーターとしても人気を博しました。死因は肝不全。11月28日逝去。

ピート・シェリー(ミュージシャン、63歳)

1955年、イギリス生まれ。Buzzcocksの創設者として知られました。Sex Pistolsのライブを見たシェリーは、1976年にマンチェスターでBuzzcocksを結成。バンドの中心人物として活躍しました。BuzzcocksはSex Pistolsを自分たちでマンチェスターに呼び寄せて公演を実施するなど、同地の音楽普及にも貢献しました。12月6日逝去。



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