メイン画像:Netflixで配信中の『HOMECOMING』 Photo Courtesy of Parkwood Entertainment
「ポップカルチャー史の転換点」と謳われる2018年の『コーチェラ』パフォーマンス
「あなたの質問は 私がそこまで執着する理由でしょ?
黒人らしさやブラック・パワーを大っぴらにしみんなを黒人文化と一体化させようとしてるのは何故かって」
これは、Netflix配信ドキュメンタリー映画『HOMECOMING』の冒頭で引用されるインタビューだ。言葉の主はニーナ・シモン、1933年アメリカに生まれた、偉大なるシンガーであり市民運動家でもあった黒人女性である。彼女の供述は映画の主人公にもピッタリ当てはまるだろう。説明不要のスーパースター、ビヨンセ・ノウルズ・カーターは、人種やジェンダーを強調する音楽表現で幾度となく物議を醸した人物なのだから。
彼女の一連のアートは「政治的」とも称されるが、言い換えれば──5thアルバム『Beyoncé』(2013年)のフェミニスト宣言にしても『スーパーボウル』におけるブラックパンサー党トリビュートにしても──彼女はずっと、黒人であること、そして女性であることを描きつづけてきたのである。本ドキュメンタリーでフォーカスされる2018年の『コーチェラ』公演、通称「ホームカミング・パフォーマンス」も、母親が一度は止めに入るほどリスクある内容だった(参考:ビヨンセがコーチェラで魅せた「Beychella」の歴史的意義。紋章を解読)。
「ホームカミング」のステージはライブアルバムとしても配信されている Photo Courtesy of Parkwood Entertainment(Apple Musicで聴く)
白人客ばかりの「楽しいお祭り」で強烈な黒人文化とフェミニズム精神を表出させ、黒人女性としての不満をも晒す……この驚きのステージには、急進的イメージで知られる公民権活動家マルコムXの演説まで挿入されている。 「アメリカで最も蔑まれているのは黒人女性だ! 最も危険に晒されているのは黒人女性だ! 最も無視されているのは黒人女性だ!!」
結果的に、「ホームカミング」は圧倒的評価のもと「ポップカルチャー史の転換点」と謳われることとなる。では、それを成し遂げた本人は何を思っていたのか? 何故、十分な地位を確立しながら、その安定を揺るがすような表現に出るのか? 表現者ビヨンセの信念が明かされるドキュメンタリー、それが『HOMECOMING』だ。
出産後の仕事復帰。「母親でありボスである女性像」の記録としての側面
『HOMECOMING』では、ビヨンセのキャリアの集大成である「ホームカミング・ステージ」とその製作過程が映されていく。大舞台までの道のりは想定を超えるほどハードだ。
予想外の妊娠をした彼女は当初予定されていた2017年の『コーチェラ』出演を延期させ、高血圧症に苦しむ。出産後はそれまでと大きく異なる心身と格闘しながら、プロデューサーとしてもその場を取り仕切ってゆく。その過酷さはビヨンセをして「二度とあんな無茶はしない」と言わしめるほどだが、その一方、これらの記録は、産後女性の労働、そして「母親でありボスである女性」像の発信として価値があるだろう。舞台の上のビヨンセも、こう叫んでいる。 「いっしょに歌って、ガールズ! 母なる地球を回しているのはこの私たちよ!」
「黒人/女性」の代弁者たる、「歴史」に重きを置いたステージ。目標は「自分の人生より長く残るものの創造」
『HOMECOMING』で重視される要素は「歴史」だ。第一に、ニーナ・シモンやマルコムXなど、今や伝説化した黒人アクティビストたちの言葉がたびたび引用される。第二に、ビヨンセ自身もステージ構想において文化と歴史を徹底的に学び、プロジェクト目標を「自分の人生より長く残るものの創造」としている。そうして完成したステージは、歴史的黒人大学「HBCU」にフォーカスするかたちで、壮大な「黒人/女性のレプリゼンテーション」を敢行した。
レプリゼンテーションとは「何者かを代表/代弁するアクション」を指す。「白人層が受け入れやすい表現」を求められがちなアメリカン・ポップカルチャーにおいて、黒人、とくに女性の「代弁」の欠如が問題視されてきたことは言うまでもない。ドキュメンタリーでは、HBCUの生徒を含む多くの関係者が「黒人/女性のグレイトネスを発信すること」の重要性を語っている。ゆえに『HOMECOMING』はレプリゼンテーション概念の良き教科書にもなっているのだが、ここでは、ビヨンセがクルーに語った言葉を紹介したい。
「これまで代弁者を持たなかった人たちが 舞台にいるかのように感じることが大事なの
黒人女性として 世界は私に小さな箱に閉じ込められていてほしいのだと感じてきた 黒人女性は過小評価されてるとも
ショーだけじゃなく 過程や苦難に誇りを持ってほしい
つらい歴史に伴う美に感謝し 痛みを喜んでほしい
祝福して 不完全であることを 数々の正しき過ちを
みんなに偉大さを感じてほしい 体の曲線や強気さ 正直さに
そして自由に感謝を
決まりはない 私たちは自由で安全な空間を創造することができる
私たちの誰も のけものにされない」
抑圧されてきた人々を「のけもの」にはさせない――偉大なる先駆者たちに連なる黒人文化の祝福とレプリゼンテーション
映画で発言を引用される偉人たちは「のけもの」のように扱われてきた人々をレプリゼントし、歴史を開拓してきた存在に他ならない。大袈裟に言ってしまえば、ビヨンセは、『コーチェラ』の舞台をもって、偉大なる者たちのあとに連なろうとしたのではないか。世界に対して、黒人文化のレガシーを目一杯祝福し、歴史すら動かしてしまう音楽表現。抑圧されてきた人々をもう「のけもの」にさせないためのパフォーマンス。それこそが「ホームカミング」だったのではないかと思わざるをえないのである。
ドキュメンタリー終盤に登場する偉大なる黒人女性詩人マヤ・アンジェロウの遺志と共振するかのように──舞台に立ったビヨンセは、今を生きる黒人女性として己のなかの真実を伝えていたし、彼女の人種やジェンダー、それどころか人間がどれだけ高潔で勇敢になれるのかをレプリゼントしていた。
チャンス・ザ・ラッパー「あなたたちにはビヨンセがいる」「我々には、先人たちを超える責任がある」
「歴史的創造物」が目標と公言し、自らを偉人の延長線に置くような映像作品『HOMECOMING』は、見ようによっては「大きく出た」と思われるかもしれない。しかしながら、ある一人の目撃者は、映画を見るまでもなくそのメッセージを汲み取っていた。
「ホームカミング」からひと月も経たぬ2018年5月、HBCUディラード大学の卒業式でスピーチしたチャンス・ザ・ラッパーは、「大きく出て」みせた。歴史上もっとも偉大なパフォーマーは、マイケル・ジャクソンではなくビヨンセだと言い切ったのだ。
「すべての文化が時代遅れとなる瞬間、それがあの『コーチェラ』でした」「気づいたんです。我々には、先人たちを超える責任があるのだと。私たちは恐怖に打ち勝ち、ロールモデルより偉大にならなくてはいけないのです。ビヨンセのパフォーマンスは、マイケル・ジャクソンのいかなるパフォーマンスもよりも優れていました。あの女性が! あの黒人女性こそが! マイケルより優れてるのです!」
「前へ進み、偉大なる人々を超えていきましょう、彼らの闘争に敬意を表するために。怖がらないで。ビヨンセにはマイケル・ジャクソンがいたんです。マイケルにマイケルはいませんでしたが、ジェームス・ブラウンがいました。そしてジェームスにはキャブ・キャロウェイが……こうやって連綿と続いてきたのです。そして今、これを聞いている皆さんの中に、史上最高のパフォーマーとなる者が居るかもしれません。なにせ、その人には、ビヨンセが持ち得なかったものがあるのですから──あなたたちにはビヨンセがいる。あの史上最高のパフォーマンスがある。見て、学んでください。模範だけでは駄目です。彼女を超えるのです」
「私ができるなら 彼らにだってできる」――「ホームカミング」のその後
『コーチェラ』終演後のビヨンセもチャンス・ザ・ラッパーのメッセージと近いことを言っていた。
「人々に大きな夢を抱かせて 限界など無いのだと見せることができた
なんだってできる
田舎者の私ができるなら 彼らにだってできる」
ビヨンセにそう言われるとつい謙遜したくなるが、あの歴史的パフォーマンスが示した重要なことは、目撃者に希望を与えること──自信を奪われてきた人々に「自分も何か成し遂げられる」と感じさせることだったはずだ。
「ホームカミング」という「事件」から一年。ポップカルチャーの地図は大きく変わった。そこには、すでに動いている人々がいる。
2019年の『コーチェラ』でサブ・ヘッドライナーを務めたジャネール・モネイは、クィアな黒人女性として境界を拡張する表現と祝福を披露した。
「今宵、私たちをユニークにするものを祝います。たとえ不快に思われても!」「ビヨンセに! あなたは、私のような女性にたくさんのドアを開いてくれた!」
効果を語るには時期尚早だが──ビヨンセが「夢」と語り、その文化的影響力に敬意を払ったHBCUは、アメリカのマーケットニュースメディアによれば彼女のパフォーマンスによって注目度を急上昇させ、2018年秋期、減少傾向にあった総入学者数を前年比2%増加させた。「ホームカミング後の歴史」は、もう始まっている。
- 番組情報
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- 『HOMECOMING: ビヨンセ・ライブ作品』
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2019年4月17日(水)からNetflixで配信
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