連載:K-POPから生まれる「物語」

K-POPは誰が踊ってもいい──カバーダンス文化の魅力とは

実は歴史が長い? 日本におけるK-POPカバーダンスのカルチャー

K-POPはもはや、韓国だけの文化ではなくなりつつある。日本国内でも、前回取り上げた『PRODUCE 101 JAPAN』をはじめ(参考:『日プ』で生まれた化学反応。ローカライズ化と、新鮮な男性像)、AbemaTVで配信されたサバイバルリアリティー番組『Popteenカバーガール戦争』や、TWICEらを擁するJYPエンターテイメントによるオーディション番組『Nizi Project』(参考:ITZYや虹プロに見る「私」へのまなざし。K-POP女子グループのいま)といった、K-POPのフォーマットをローカライズしたプログラムがいくつも現れている。もはや韓国の芸能事務所や芸能人が関わっていなくても成り立ちうるほどに、「K-POP」は自立したジャンルとして裾野を広げつつある。

それは企業によるオフィシャルなコンテンツだけでなく、ユーザー発信のカルチャーについても同様だ。K-POPをカバーするYouTuberやK-POPオンリーのクラブイベントなど、ファンカルチャーから始まり、独自の文化として発展し始めているものもある。

『PRODUCE 101 JAPAN』から誕生したグループ・JO1は今年3月にデビュー

今回取り上げたいのは、そんなK-POPカルチャーの裾野の広がりを象徴する「K-POPカバーダンス」の文化だ。K-POPアイドルのダンスをカバーし、イベントや動画で披露するこのファンカルチャーは、意外にも長い歴史を持っており、2010年前後のいわゆる「第2次韓流ブーム」で少女時代やKARAのダンスカバーが流行したことが発端となっているようだ。その時期にK-POP専門のダンススクールが登場し始め、同時に『DREAM ON!』や『KP SHOW!』といったカバーダンスを披露するイベントも誕生。義務教育でのダンス必修化や、その後のTWICE、BTS、BLACKPINKなどの「第3次韓流ブーム」、あるいは韓国の芸能事務所への所属を目指す練習生志望者の増加も影響してか、非常に熱気あるシーンが形成されている。

K-POPをただ聴く・観るだけでは飽き足らず、練習を重ねて憧れのアイドルと同じダンスを習得してしまうその熱量にまず驚かされるが、それ以上に興味深いのはイベント出演者の多様性だ。共通しているのはK-POPへのリスペクトと愛だけ、というぐらいに性別も年齢層もばらばらで、プロのK-POPアイドルが踊るのとは良い意味で異なるカオスな豊かさがそこにはある。

今回は、そんなカバーダンスイベントに観客として参加して味わった思わぬ感動と、そこから見出せるファンカルチャーの可能性について考えてみたい。

男女混合や小中学生グループも。「K-POPは誰が踊ってもいいのだ」という感動を味わう

薄暗いライブハウスに響く黄色い歓声。豪華な映像と照明をバックに、K-POPボーイズグループの楽曲でダイナミックに踊る集団。その力強いシルエットが、すべて女性によるものだと気づいたのは曲が終わってからだった。本物さながらの衣装をまとい、筋力の必要な難度の高いダンスを一糸乱れぬフォーメーションで踊ってみせる彼女たちはいったい何者なのか……?と考える間もなく、すぐに次のユニットが登場する。ガールズグループのカバーの後には、男女混合でボーイズグループをカバーするユニットが続く。衣装もメイクもがっつり本家に寄せている人たちがいたかと思えば、ラフに合わせている人たちもいる。小中学生だけのチームも、堂々と踊りきっていた。

昨年12月に開催された『K-POPダンスイベント ちぇご☆vol.12』は、日本でいくつか開催されている「K-POPカバーダンス」イベントのひとつで、すでに5年以上の歴史を持つ。イベントを主催するK-POPダンススクール「SCD DANCE COMPANY」のレッスン生と、一般公募で集まった有志ユニットが、K-POPのカバーダンスを1曲ずつ披露する。この日、ビデオ審査を経て出場が決まったグループは総勢68組。1曲ずつとはいえ、ほぼ1日がかりのイベントだ。

ボーイズグループの楽曲をダンスカバーする女性ユニット。AB-NOL.によるBTSの“DOPE“

正直、実際に足を運ぶまで「K-POPカバーダンス」がこんなに盛り上がっているシーンだとは思っていなかった。ダンスレッスンの成果を披露する「発表会」のようなものだと思いこんでいたのだ。だから驚いたのは、声援が飛び交い、人がそこここで交流し合う、お祭りのようなその雰囲気。出場ユニットごとに作成されたバック映像に本格的な照明、そして会場にはフードコーナーまで用意されている。出場者同士には交流の輪が生まれているようだが、イベントそのものは決して内輪に閉じていない。

たしかにカバーダンスカルチャーの「K-POP楽曲を自分でも踊ってみたい」という情熱は、一般的なファンからするとニッチなものに思えるかもしれない。しかし実際に観てみると、K-POPアイドルのライブに行くのとはまた違った感動が味わえる。それは一言で言えば「K-POPって誰が踊ってもいいものなんだ」という驚きだ。目の前で、自分と同じ一般人(というのも失礼だけれども)がK-POPの洗練されたダンスを踊っていることの迫力。「K-POPはプロのアイドルだけがパフォーマンスするもので、自分たちはそれを観る側でしかない」と無意識のうちに思い込んでいた自分に気付かされる。

ボーイズグループの楽曲をダンスカバーする男女混合ユニット。N_NazによるWANNA ONEの“ENERGETIC”

ガールズグループの楽曲をダンスカバーする女性ユニット。TWINCEによるTWICEの“FANCY“

中毒性のある楽曲・振付や参考になる練習動画の多さといったK-POPならではの魅力

「誰が踊ってもいい」とはいえ、細部までこだわり抜いたダンスや衣装はそうそう真似できるものではない。その裏にどんなきっかけやモチベーションがあるのか、『ちぇご』参加者のひとりに伺ってみた。

男女混合グループでボーイズグループの楽曲をカバーしているというその方によれば、カバーダンスを始めたのは少女時代がきっかけで、人前でそれを披露するようになったのはレッスンに通い始めてからだという。「グループみんなでアイドル本人たちの動画を細かく研究しながら完成度を高めていく練習の楽しさと、人前で踊る達成感」が現在のモチベーションになっていると語ってくれた。

少女時代の2010年の楽曲“Gee“の日本語バージョン。K-POPカバーダンスの流行はこの頃に端を発する

K-POPならでは良さは、中毒性のある楽曲・振付自体の魅力に加え、供給量の多さや多様さ、そしてカバーの参考になる練習動画がたくさん上がることだという。平日の仕事の合間をぬって、週に何度かユニットで振りを合わせて本番に臨む。K-POPのカバーダンスは、日本に限らず世界中に広まっている文化であり、動画をアップすれば世界中の人々に見てもらえる土壌がある。それがモチベーションの一つにもなっているのかもしれない。加えて、練習の成果がダイレクトな反響として得られる点で、イベントの存在は大きいのだろう。

K-POPへの愛とリスペクトに支えられたファンカルチャー。ダンスは二次創作の手段としてもポピュラーに

他の参加者たちも、同じように情熱を持っているに違いない。とはいえ、それだけ熱量があっても決して「上手さ」を競う雰囲気にならないのは、やはり「カバーダンス」があくまでもファンカルチャーであり、まず何よりもK-POPへの愛情とリスペクトが参加者に共有されているからだろう。本家のアイドルは「歌って踊る」のに対して、カバーダンスで披露するのはあくまでも「ダンス」のみ。本家とは別物であるからこそ、チャレンジしやすい間口の広さや、それぞれの仕方でカバーを表現する風土が根付いているのではないだろうか。

ちなみにK-POPのバラエティではおなじみの、ランダムに流れてきた楽曲をその場で踊る「ランダムダンスチャレンジ」の時間も『ちぇご』には用意されている。じつは、これはファンカルチャーとしても定着していて、YouTubeで検索すると世界中のK-POPファンがそれぞれの国でランダムダンスチャレンジをする動画を観ることができる。このゲームでリスペクトを集めるには、ダンスの上手さよりも何よりも、とにかくたくさんの曲を覚えていて、ステージで長く踊り続けられるかどうかという「K-POP愛」が重要になる。「ダンス」はもはや、ファンとして愛を表現する二次創作の手段としてポピュラーなものになりつつある。

台湾で行なわれたK-POPランダムダンスチャレンジイベントの様子

『ちぇご』で行なわれたK-POPランダムダンスチャレンジの様子

好きなアイドルのダンスを自分らしく踊ることで、アイドルの発するエンパワーメントのメッセージを身をもって体現している

カバーダンスカルチャーの「誰が踊ってもいい」というマインドに個人的に胸を打たれたのは、そんなファンカルチャーとしてのあり方が、K-POPに対する個人的な引っかかりを解消してくれたからだった。それは、多くのK-POPアーティストの歌詞に見られる自己肯定的なメッセージと、それを歌う彼ら彼女らのストイックさとの間にある(ように受け手として感じてしまう)矛盾だ。

「自分らしくあることに対し、他人からとやかく言われる筋合いはない」という力強いメッセージは、今や多くのグループが共通して発しているものだ。しかしそれを歌うアイドルたち自身は、実際にはファンの期待する姿を逸脱することが難しい状況に置かれているのではないか。容姿や技術をストイックに磨いている「アイドル」が、「自分らしくあれ」というメッセージを発する矛盾について、彼ら彼女らに非があるわけではないからこそ(またむしろMAMAMOOのように、その矛盾に積極的に切り込んでいく例もあるからこそ)、もどかしい気持ちになってしまっていた。

MAMAMOO“HIP -Japanese ver.-”

初めてカバーダンスを見た時の感動は、このもどかしさと深く関わっている。アイドルのダンスを自分らしく、好きなように踊ってみせること。それはまさに、ストイックであらざるを得ないアイドルたちに代わって、「自分らしくあれ」というメッセージの正しさを証明することなのではないか。

「K-POPは誰が(どんな風に)踊ってもいい」を体現するkemio『TWICE大先生のFeel Special完コピする試み2019』

K-POPアイドルを見ていると、自分もこんな風に生きられたら、あるいは生きなければ、という気持ちになる。とはいえ、実際に彼ら彼女らが置かれている状況を思うと、それ自体が身勝手な投影であることは間違いない。そんななかでファンカルチャーとしてのカバーダンスは、アイドルをきっかけや目標にして踊り始めた自分の姿を見せることで、アイドルという存在の持つ力や価値を身をもって示している。アイドルの置かれた状況の難しさとは別に、少なくともアイドルが発しているメッセージそのものは間違っていないのだと証明してみせること。それはファンカルチャーがなしうる、アイドルへの最大限の報いなのではないかと思えたのだ。



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