厳しい戒律を遵守するユダヤ教超正統派。そのコミュニティで育ち、抜け出した女性の自伝をドラマ化
「母親は慎み深さの指針を完璧に順守すること」「自宅でインターネットを接続してはならない」「子どもは世俗的な図書館に立ち入り禁止」──米国ニューヨーク市ブルックリン区ウィリアムズバーグのハシディック(サトマール派)の離脱者に取材したドキュメンタリー『ワン・オブ・アス』は、同派にはこうした規則が敷かれていることを詳らかにしている。
ハシディズムとは、敬虔ゆえに閉鎖的なユダヤ教の超正統派(ウルトラオーソドックス)を指す。ハンガリーの町シャトマールを起源に持つサトマール派はその一派であり、第二次世界大戦後のホロコーストの迫害を生き延びた人々が、ニューヨークの一画に共同体を再建したのだ。独自の禁欲的な衣服を身にまとい、イディッシュ語で話す彼らは、ユダヤ教の教典とされるトーラー(律法)を遵守し、その戒律が信者たちの生活全般を厳格に支配しているのである。
しかし1986年に同じ地域で生まれたデボラ・フェルドマンは、幼い頃から規則をこっそり破っていた。ジェーン・オースティンやルイーザ・メイ・オルコットなどの本を隠れて読んでいたのだ。Netflix初のイディッシュ語で製作されたリミテッドシリーズ『アンオーソドックス』は、彼女の実体験に基づいている。今年3月末に配信されると高い支持を集め、バリー・ジェンキンス、ジェシカ・チャステイン、フィービー・ウォーラー=ブリッジ、ビーニー・フェルドスタインらが称賛を寄せるドラマである。
フェルドマンは、ホロコーストの生存者である祖父母によって敬虔に育てられた。レズビアンだった母親はコミュニティを早くに離脱し、父親は精神を病んでいたためだ。そこでは取り決め結婚が一般的で、彼女はそれまで30分しか会ったことのない男と17歳で結婚をした。心理療法や抗不安薬の助けを得ながら、およそ3年が経過した2006年に息子を出産すると、母になった彼女は、息子も同様に抑圧された人生を歩むことになる将来を案じた。それを機に、新聞社のコピーライターとして収入を得て家計を助けるためにビジネスを学びたいと夫に嘘をついてウィリアムズバーグから家族で引越し、サラ・ローレンス大学に通って文学とフェミニズムを学んだ。
2009年頃、大学の友人や教授の支援を得た彼女は、3歳の息子とゴミ袋に入れた服だけを持って、夫の元から出て行った。その体験を2012年に回顧録にして出版したのは、共同体は世俗的な法律を有利に活用する方法を心得ている中で、世間の注目を集めることが息子の親権を法的に維持する方法と考えたからだった。2014年に曾祖父が与えてくれたドイツ市民権を利用してベルリンに移住すると、息子が入学した地元の学校のつながりで本作の製作総指揮であるアンナ・ヴィンガーと出会った。
フェルドマンとヴィンガーは、ドイツでユダヤ人であることの経験を探究すること、実際のユダヤ人が忠実にイディッシュ語で演じることなどを本プロクジェクトの軸とし、ヴァンガーが製作したドラマ『ドイツ1983年』(2015)の主演女優マリア・シュラーダーを全4話の監督に任命した。彼女が監督した前作『Stefan Zweig: Farewell to Europe』(2016)に惹かれたヴィンガーは、多くの女性スタッフから成るその映画のチームをほぼそのまま登用したのだ。
従順な妻としての役割を強いられた閉鎖的なNYの生活を逃れ、ベルリンへ。多様性に富む若者たちと出会い、音楽に希望を見出す
『アンオーソドックス』は、あたかも脱出劇のようにして始まる。エスティ(シラ・ハース)は周囲にバレぬようわずかな荷物を服の中にしたため、故郷のブルックリン・ウィリアムズバーグから離脱した母親を頼りにベルリンへと向かうのである。そこで偶然知り合った音楽学校に通う多様性に富んだ若者たちは、娯楽やインターネットにすら触れたことがないエスティに別の自由な生き方を見せる(米ソ冷戦期に東独から西独へと送り込まれるスパイの青年を描いた『ドイツ1983年』では、青年が西独で初めてウォークマンに触れる場面があるが、本作でもエスティが故郷では毒だと警告されてきたクラブに連れられて感動を覚える場面がある)。彼女は、夫ヤンキー(アミット・ラハヴ)との結婚を境に秘密のレッスンを受けていたピアノを諦めたものの、彼らの演奏に心を動かされ、再び胸の内にある情熱を追い求めるようになっていく。ドラマ化に際して、主人公の関心が文学から音楽へと視覚的な改変が施されているのだ。本作は、現代の生活から大きく遮蔽され、厳しく管理された閉鎖的な社会から抜け出す若い女性に焦点を当てる。
一方で、彼女の過去の人生は影のようにしつこく付きまとう。何も言わずに妻が去ってしまったことで夫ヤンキーは、いとこのモイシェとともにエスティを追跡し始めるのだ。ドラマは、現在──ベルリンでの新生活──と過去──なぜウィリアムズバーグから脱走するに至ったかの出来事──を重ね合わせる構成を成すが、物語が進むにつれ、エスティがコミュニティ内で妻として期待される役割を果たすことが困難だったことが浮かび上がってくる。
北ロンドンの超正統派ユダヤ人コミュニティを舞台にした『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』(2017)でも描かれていたように、従順な妻たちは結婚後は夫以外に地毛を隠すためにカツラを被り、毎週金曜日に夫と性行為をするという宗教的な義務のもとで生きなければならない。しかしエスティは、原作者フェルドマンと同様に、膣痙攣に苦しみ、セックスのたびに強い苦痛を伴っているのだ。性機能不全に陥っているのに、戒律に従って夫の要求に応えようと無理につながろうとし続ける様子は不幸でしかない。
「私は出産マシンじゃない」。主人公エスティの切なる否定
フェルドマンは、11歳の頃、「子どもがいないという呪いほど大きな呪いはない」と言われたという(彼女の祖母は11人の子を産んだ)。コミュニティの最大の不幸は不妊症だと考えられ、それは離婚の理由になるのである。女性の価値は子どもの数で測られるのだ。また、フェルドマンは離脱した後、自分に対して最も偏見を持っていたのは皮肉にも他のユダヤ人だったとも明かしている。ドラマにはそれを反映した世俗的なイスラエル人留学生のヤエル(タマル・アミット=ヨセフ)が登場し、彼女はエスティとしばしば対立する。ヤエルはその世界を認識しているからこそ、「男はトーラーだけを学び、女は出産マシン」だと嗤う。その発言にショックを受けたエスティは、「私は出産マシンじゃない!」とおそらく初めて強い否定を発する。
このような女性の権利を剥奪する家父長的な地域における強制結婚の主題は、アフガニスタンから隣国イランへと逃れたラッパーを夢見る難民少女に密着したドキュメンタリー『ソニータ』(2016)やトルコの封建的な町の5人姉妹を描いた『裸足の季節』(2015)などと同時代的でもある。2019年の『カンヌ国際映画祭』で脚本賞とクィア・パルム賞に輝いた、18世紀のフランスを舞台にしたセリーヌ・シアマが監督した傑作『Portrait Of A Lady On Fire(原題)』(2019)ともまた強制結婚への抵抗や違和感の点で通じるだろう。これらのフェミニズムの視点を持ち込む女性作家の作品は、旧来的な規則や慣習に服従せず、それらが課す目に見えない女への鎖を断ち切ろうとしているかのようだ。
ドキュメンタリー出身で鬼才ウルリヒ・ザイドル作品の撮影監督でも知られるヴォルフガング・ターラーの撮影は、自然光を駆使し、エスティに密着する。顔のクローズアップを重視する中で、主演を務めるシラ・ハースが、10代にとって当たり前のことを初めて経験する感情や戸惑いを豊かな表情で微細に表している。設定こそ特殊ではあるかもしれないが、エスティを駆り立てる葛藤は普遍的なものだ。彼女は、自身の内面と理想との間に齟齬がある者の心情を代弁する。小柄で大きな目を持つハースは、実年齢より幼い風貌で、女は男よりも小さく劣っていると感じさせる家父長制の呪縛に囚われた女性を体現しているのだ。
しかし、『アンオーソッドクス』は、夫ヤンキーを家父長制的規範のアバターとして提示しているわけではないだろう。純粋で世間知らずな彼は、それまで学んできた唯一絶対の真理と矛盾する状況に触れ、自身の知識の不備に直面しているに過ぎない。アミット・ラハヴは一方的な敵対者ではなく、共同体の内と外で染み付いたしきたりに葛藤する夫に優しさと深みをもたらし、好感が持てるように演じている。あるいは本作は、封建的な掟が守られるよう加担している年長の女性たちが信仰とのつながりを維持するために生活する様も尊重して描いている。
ベルリンの快活な若者たちと、ホロコーストの記憶を受け継ぐ主人公
そして興味深いのは、エスティがホロコーストの記憶を受け継がれてきたトラウマとして見ている一方で、ベルリンの快活な若者たちはそれを過去の歴史として捉えていることだ。本作は、フラッシュバックを採用した時制を行き来する構成を通して、失われた600万人を取り戻すべく戒律を厳守するニューヨークの共同体とそのトラウマを内包した近代的な国際都市を並置することで、その関係性を再考している。
例えば、エスティが新しい友人たちに連れられて湖にやってきたとき、対岸にある別荘がナチスがホロコーストを計画した場所であると知る場面がある。彼女はそこで泳ぐことなど信じられないが、彼らは湖には何の罪もないと気にも留めていないことがわかる。ここで彼女が服を着たまま入水し、教義に背いて初めて人前でカツラを外す姿は印象に残る。おそらく重要なのは、この場面が超俗的な儀式と世俗的な行為との対比的な反復をなしていることだ。エスティは、結婚前に身を清めるためにミクヴェ(沐浴場)に入っているが、湖の中に身を浸す行為もまた新天地での呪縛からの浄化や再生を意味するだろう。解放的であると同時に神聖さを湛えているからこそ、この場面は一際美しい。
「女性は公の場で歌っていけない」という呪縛を破り、初めて響かせた歌声
また、特殊な事情を抱えた学生のための音楽学校の奨学金に応募したエスティは、女性が公の場で歌うことが禁じられていたかつての呪縛を破り、ピアノではなく歌唱を披露する。その際に選択されるヘブライ語の歌“Mi Bon Siach”は、彼女の結婚式で歌われたウェディングソングであり、エスティはそれを過去からの逃避と独立の意志を宿した重要な局面で歌うのだ。このようにして文脈の中での意味の反転によって、伝統への反抗と同時に、新しい意味を付与しているのである。
ところで、この音楽学校のアイデアは、政治的対立の続くイスラエルやパレスチナなどを含む中東出身の若者が学ぶベルリンの音楽学校「バレンボイム・サイード・アカデミー」に触発されたという。そこでは分断ではなく団結が達成されるのだ。『アンオーソッドクス』は、歴史の二重性を持つ場所としてだけでなく、現代のユダヤ人の過去と未来が混合した複層的な空間として、ベルリンを提示する。超正統派の儀式や言語への敬意、そして宗教的な信念と現代社会の狭間で居場所を求めて適応しようとしている者たちへの共感が込められている。
- 作品情報
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- 『アンオーソドックス』
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Netflixで配信中
出演:
シラ・ハース
アミット・ラハヴ
ジェフ・ウィルブッシュ
アレックス・リード
ロニット・アシェリ
デリア・マイヤー
ディナ・ドロン
ダヴィド・マンデルバウン
ユーセフ・スウェイド
デネネッシュ・ズーデ
イザベル・シュノスニッヒ
アーロン・アルタラス
タマル・アミット=ヨセフ
サフィナズ・サッタル
ラングストン・ウイベル
アジズ・ディア
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