ジョージ・フロイド氏の殺害事件を発端に、全米、そして世界へと波及した「ブラック・ライブズ・マター運動」。「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切だ)」の言葉は2010年代前半から叫ばれ始めたもので、警官による黒人への暴力や殺害事件は今回の事件のみならずこれまでも多発している。今回の抗議運動が激化してから、トランプ米大統領は違法な略奪行為などを引き合いに出して武力による取り締まりも辞さない姿勢を示した一方、平和的なデモは現在も各地で続いている。
本稿では、ニューヨーク在住の翻訳家・映像作家の空音央氏の協力によりアメリカの調査報道メディア「The Intercept」の許可を得て、同メディアのポッドキャスト「Intercepted with Jeremy Scahill」で今回の抗議運動勃発直後の6月3日に公開された歴史家キーシャ・ブレイン氏のインタビューを訳出して紹介する。警察の暴力に抗ってきた黒人の歴史や1919年に起きた人種暴動事件「赤い夏」について、ジャーナリストのアイダ・B・ウェルズのこと、抗議運動の戦略にまつわるさまざまな文脈などについて解説されている。当初メディアでも特にセンセーショナルに取り上げられがちであった一部の略奪行為などをどう捉えるかといった点も議論されており、アメリカにおける黒人に対する長い人種差別の歴史に連なるものとして、今回の事件を考えるための視点が示されている。
キーシャ・ブレイン氏は、アフリカ系アメリカ人の歴史や現代アフリカ人ディアスポラ、女性学やジェンダー学を専門とした歴史家で、現在はピッツバーグ大学で歴史学の准教授、ハーバード大学でW・E・B・デュボイス特別研究員として多岐にわたって活動している。African American Intellectual History Societyの代表も務め、20世紀初頭から半ばにかけて市民権・人権闘争において日本の活動家との協力関係を築いてきた多様な黒人女性グループの思想とアクティビズムに焦点を当てた著作を執筆中だという。インタビュアーはジャーナリストのジェレミー・スケイヒルが務めている。またインタビューの最後に、翻訳を担当した空氏により、事件から2か月経った現在のアメリカの状況やこの2か月の間に起きた変化について綴ってもらった。映像作家である氏の視点から、「ブラック・ライブズ・マター運動」の背景を知るのに役立つ映画作品も紹介されている。なぜこのような人種差別が存在し続け、現在の事態に発展しているのか? どうすれば差別に加担せず、その撤廃に向けた力となれるのか? その答えに近づくには、歴史を遡り、学び続け、さまざまな視点や当事者の声に触れることが必要不可欠だと思う。本稿もその一助となれば幸いだ。
(メイン画像:Justin Berken / Shutterstock.com)
公民権運動の時代を思い起こす。今回の運動との相似点
※以下は2020年6月3日にポッドキャスト「Intercepted with Jeremy Scahill」で配信されたインタビューの訳出
Originally published on June 3, 2020. Translated from English and republished with permission from The Intercept, an award-winning nonprofit news organization dedicated to holding the powerful accountable through fearless,adversarial journalism. Sign up for The Intercept 's Newsletter.
ジェレミー・スケイヒル:まず、アメリカで現在進行中の幅広い反乱が起きている理由について説明していただけますか?
キーシャ・ブレイン:いくつかの要因があると思います。まず、一つはコロナウイルス。このパンデミックは、他の人種と比べ黒人のコミュニティに対する影響がひどく、そんななか、ジョージ・フロイドが殺害された動画が出回った時、私たちが長い間感じてきたフラストレーションを再燃させたのではないかと私は感じています。世界的なパンデミックが続くなか、誰もこのような政情不安が起こることを予想しなかった。むしろ逆に、パンデミック中は、警察の暴力や残虐性の連鎖から一時的にでも脱却することができるかもしれないと思った人が多かったのではないかと思います。
しかし、すぐにこれがいかに楽観的な考え方かということがわかりました。コロナ禍においても、またもや黒人がターゲットにされ、マスクをしないからという理由でバスから強制的に排除されたり逮捕されたりしています。同時に、社会保障や物資が行き届いていないのも黒人のコミュニティが多いというのが現状です。(訳注:コロナ禍のロックダウンが緩くなると同時に立夏の暖かい気温が訪れたニューヨークでは、多くの人々が公園やビーチに群がった。それを受け、1000人ものニューヨーク市警察の警察官がソーシャルディスタンスを規制するために動員されたが、白人が多く住む高所得地域と黒人などの有色人種が多く住む他の地域とで対応があからさまに違うことが指摘され物議を醸した。特に、ソーシャルディスタンシングを守っていないにもかかわらず、白人には丁寧にマスクを配っている警官の写真と、距離を保っていないことで警官に殴られた黒人の写真が比較され、ニューヨーク市警が批判の対象となった)
そのうえ、今年は大統領選挙がある年。これからこの国の最高権力者になる人に対して、これらの問題と取り組むように強く訴えるため、諸問題を表面化させる必要があると多くの人が思っています。明らかに今の大統領はこれらの問題に取り組む姿勢を見せていません。ですが、これらの議題の重要性を主張することによって、少なくとも民主党候補者には警察の残虐性や暴力、今まさに起こっている警察による殺害事件など緊急を要する課題の問題対処のための取り組みを考えてもらうことができます。
スケイヒル:歴史の研究者として、国や州など、政府による対応をどのようにお考えですか?
ブレイン:公民権運動とブラックパワーの時代を思い起こします。今の状況を見てキング牧師やローザ・パークスを引用する人が多いことにいささか皮肉を感じてしまいます。というのも、ほとんどの人の印象として、公民権運動の時代は人々が一丸となって白人至上主義に対抗し、黒人の政治的権利を推進した意気揚々とした時代として語られることが多いからです。確かに、それは事実で、公民権運動によって具体的に様々な権利を勝ち取ることができました。ですが、同時に公民権運動も、現在進行中の一連の抗議活動と同じように、運動に反対する対抗勢力がいたということはあまり語られていません。運動家が集まって何かを成し遂げようと邁進すれば——例えば、ミシシッピ州のフリーダム・サマー運動で運動家が黒人の投票権登録を支援・推進した時のように——メディアは「外部による扇動者だ。北から来た人々が扇動している。この地域にそぐわない視点を無理やりミシシッピに持ってきてコミュニティを分断している」などという論調で書き立てます。
そして今、まさに抗議活動や反乱が至る所で起きており、人々は警察の暴力や残虐行為に注意を向け、これらの事件に終止符を打つよう呼びかけていますが、州や国は「これは地域的な問題でも我々の問題でもない。外部の人々がコミュニティに入り込んできて外からの要求を押し付けている」と問題をすり替えます。歴史的な成功例としてみる公民権運動でも、当時は人々に軽蔑されていたという点においても、公民権運動の時代は今回のデモと相似します。現在も似たようにデモに対するフラストレーションが蓄積し、批判的な立場をとっている人が多いものの、20~30年後はもしかしたら公民権運動の時と似たような歴史的認識になっているかもしれません。もちろん、最終的に今の運動が抑圧の構造を覆すことにつながれば、ですが。私はできると期待しています。
今では敬愛される人物として語られるキング牧師もまた、様々な抵抗に直面していた
スケイヒル:この国の白人、特にトランプ政権の報道官などが白人の視点から修正され縮小されたキング牧師の思想を武器化しようとしていますね。特定の抗議者の世論的支持を下げるためにキング牧師の偉業が使われていることに関してどうお考えですか?(訳注:現ホワイトハウス報道官であるケイリー・マクナニーは、キング牧師の言葉を文脈を無視した形で引用し、警官を受け入れる者こそが真っ当な抗議者の姿だと主張した)
ブレイン:こういうことはしょっちゅう起こります。今ではキング牧師は敬愛される人物として語られますが、彼が活動し運動を引っ張っていった時代は違いました。現在のメディアがデモ活動を批判するように、当時の主流メディアもキング牧師の活動を批判していました。2020年の今、多くの人がキング牧師を誰からも愛され受け入れられた非暴力的な社会運動の先駆者であり、尊敬すべき人物だという印象を持っていることはとても興味深いことです。しかし、実際には彼もまた様々な抵抗に直面していたのです。同時に、ほとんどの人が認めたがらないですが、キング牧師の実際の政治的思想は想像以上に幅広く、その中に、警察の暴力や残虐性に対する批判も含まれています。前述したように、キング牧師の言葉を引用し、「キング牧師をモデルに、町へ出ずあまり事を荒立てないようにしよう」と事態の鎮静化を促していますが、彼はこのような問題に関して妥協しませんでした。キング牧師は、現在でも我々が取り組んでいるような問題に対し声を上げることを躊躇しませんでした。
スケイヒル:主流メディアの注目の的となっている、反乱やデモ抗議の際に起こる器物破損や店舗の破壊に関してどう思われますか? これらに対する大げさなリアクションは歴史から目を背けていると私は思います。1960年代の歴史的文脈からロドニー・キング事件が引き金となった1990年代のロサンゼルス暴動にかけて、反乱と器物破損はどのように議論されてきましたか? 国や州の暴力、それから黒人指導者の暗殺などが起こる際、なぜそのようなことが起こるのか、歴史的な背景を説明してください。
ブレイン:自由を勝ち取るための戦いにおいて、人々は使える手段は使わざるを得ない、という事を理解しなければならないと思います。どういうことか? 自由を勝ち取る戦いでは、様々な選択肢や戦略があり、法律改変にフォーカスする人たちもいます。歴史的に全米黒人地位向上協会(NAACP)などが良い例です。他にも、学生非暴力調整委員会(SNCC)など、実際にコミュニティに入り、投票を促す草の根的な運動にフォーカスする人たちもいます。そして、ブラックパンサー党のように、武装自衛を推す過激なアプローチをとる活動家もいます。そういった活動家は黒人のコミュニティが自衛することが重要だという認識で、アメリカ合衆国憲法修正第一条と修正第二条が黒人にも適応されることを主張しました。(訳注:アメリカ合衆国憲法修正第一条とは表現の自由、報道の自由、平和的に集会する権利などを担保するもの。修正第二条は武器を保有し携帯する権利のこと)
「『ブラック・ライブズ・マター』と叫ばなければいけない以上、それを主張する私たちに対する抵抗が存在する以上、まだまだ戦う必要がある」
ブレイン:では、どのようなアプローチが一番効果的なのか? という疑問がよく聞かれます。私は必ずしも一つのアプローチだけが効果的だとは思わず、実際は全て組み合わさって初めて効果が生まれるのだと思います。では、どうやってこの構造を打破できるか? どうすれば抑圧的な構造を解体することができるか? それは、百通りの手段を持ってやるのです。
もちろん、どの時代でも器物破損や略奪行為を批判する人は出てきます。これらの行為に対し、不快感を抱く人はもちろんいます。ただ、そういう人に対し私はこう言います──あなたはこの国で黒人が殺害されるよりも器物破損の方が不快ですか? 幾度となく命を落としている黒人たちのために正義を求めることよりも、お店が略奪されることの方が大事なのですか? 一つのアプローチや手段にとらわれ過ぎて、全体像を見失うことは危険です。どのように正義を求めるのか? 建物が破壊されることにフォーカスするのではなく、この国の黒人や褐色人種を抑圧する構造をどう変えていくのか? 物は直すことができますが、ジョージ・フロイドさんを生き返らせることはできません。放火されたお店を立て直すことはできます。そのためには資源や資金は必要になりますが、少なくとも集めることは可能です。この場合、命と所有物は比較すべきではないと思います。
ブレイン:これほど多くの反乱が起こっているという事実、そして、人々が完全な権利と自由を求め、幾度となく同じ闘争が繰り返されているという事実は、我々が黒人としてまだ対等ではなく、二級市民と見なされているということに他なりません。もちろん、私たちの先祖にはなかった権利を持っていますし、投票もできます。しかし、だからと言って対等な市民として見なされているわけではありません。特に、今みたいに「我々を殺さないで」と言っている以上は対等ではありません。「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切だ)」と叫ばなければいけない以上、そしてそれを主張する私たちに対する抵抗が存在する以上、まだまだ戦う必要があるということです。
本当に目標とすべきなのは「平和と正義」の両方
スケイヒル:ドナルド・トランプ氏がデモや反乱を鎮静化するために米軍を放つと脅したり、教会での写真撮影のために平和的にデモをしている人々を容赦無く実力行使するにあたって、どのような歴史的文脈があると見られますか?
ブレイン:彼は、自らの支持層を維持することに専念しています。彼はデモ参加者を排除する必要性を説き、「法と秩序」を取り戻す必要があると言い続けているなか、そもそも人々が抗議しなければいけない理由、警察による暴力や殺害事件などの諸問題を無視しています。さらに、彼が対策を見誤ったコロナ禍の中で起こっている状況です。彼は指導者として我々を平和に導くようなことを何一つしていません。よく我々は「平和」を社会の目標として掲げますが、本当に目標とすべきなのは「平和と正義」の両方なのです。
これら全てを見過ごし、彼がいつもやるように利己的に話題をすり替えたことは見るに堪えませんでした。そして、この国の黒人が常に無視され、押しのけられてきた歴史が脳内をよぎりました。しかし、このように黒人や褐色人種を軽視する思想はトランプに限ったことではありません。これを踏まえて、今回の事件は歴史の転換期だと思います。この国の人々がこれらの現状を黙認せず、問題を自覚し、11月の大統領選で投票権を行使し、トランプをホワイトハウスから追い出すような転換期になってくれれば嬉しいです。
スケイヒル:ブレインさんは最近、ワシントンポスト紙に『ミネアポリスでの暴力はアメリカにおける人種差別的な警察の歴史が根幹にある(Violence in Minneapolis is rooted in the history of racist policing in America)』という題名の記事を寄稿しました。その中であなたが書かれている歴史的な事件で、特に印象に残ったのが1919年に起こった「赤い夏」です。この事件についてお話いただけますか?
ブレイン:第一次世界大戦の直後に起こったこの事件ですが、強調すべき点は多くの黒人が何世紀にもわたってアメリカの軍隊に従軍してきたことです。黒人として完全な市民権を有していないにも関わらず、第一次世界大戦の際にはアメリカのために戦うことを厭わなかった。しかし、アメリカの人々を守るためにどんなに戦地で犠牲を払ったとしても、帰還後、自国での生活は改善されず、二級市民のままだったのです。
これらの黒人と白人コミュニティの緊張が一気に暴発したのが1919年の夏でした。この出来事をもっとも端的に説明したのは歴史家キャロル・アンダーソンが言った言葉「白人の怒り」です。私が記事で書いたように、シカゴの場合ではアフリカン・アメリカンの青年がミシガン湖の白人地区で泳いだことで白人の若い衆のリンチに遭い殺されてしまいました。黒人の青年のほんの些細な行為が一線を超えてしまったのです。この件で、警察は犯人逮捕を拒否しました。なぜなら、殺されてしまった若い黒人の青年は公的な人種分離政策に抗って死んだのであって、警察はその件に加担しています。これが引き金となって数日間にわたる暴動が起き、白人が黒人のコミュニティを攻撃しました。そこで、黒人は迫り来る暴力に対する自衛の手段を考えます。
結果、15人の白人と23人の黒人が死亡し、何百人が負傷、何千人が住まいをなくしました。これが国内様々な都市で同時多発的に起きたのです。引き金となった事件は各都市違えど、はっきりしているのは、1919年の夏は白人が黒人に対し、「あなたが従軍しアメリカのために戦ったからといって関係ない、私たちとは対等ではない。ここでは白人至上主義が支配する」と断言したということです。このような暴力性が出たのが1919年の夏でした。
死後、今年になって『ピュリツァー賞』を受賞したジャーナリスト、アイダ・B・ウェルズの功績
スケイヒル:ドナルド・トランプ大統領は、公然と白人至上主義者、白人民族主義者、ネオナチを支援する姿勢をみせており、民主党派のミシガン州で、武装して州議会へ押し寄せ、マスクをせずに警察に叫んでいた白人の暴徒たち(訳注:武装化して反ロックダウンを訴えた市民たちのこと)などを賞賛しています。もちろんこれらの抗議者は逮捕されるどころか、大統領にエールが送られる有様。トランプを後ろ盾に、警察に加担して暴力をエスカレートさせる人が出てきそうで心配です。ブレインさんはいかがでしょうか?
ブレイン:私も心配です。地域レベルでこういった暴力行為はすでに起こっています。ここ数年だけで、ただ普通に生活をしている黒人が襲われる事例がたくさん出てきました。19世紀後半、20世紀初頭にリンチ事件が多発した時代を思い起こします。なぜ黒人はリンチに遭うのか? 答えは白人の人種差別者が国や地元の警察官の後ろ盾があったからです。何をしてもお咎めがなかったからです。なので、白人至上主義者たちが自分たちの行為に対して何も処罰がないと知ったら何をするかが一番心配です。すでに、トランプに扇動され、デモ隊を攻撃しようと、白人男性の集団がバットを手に街を練り歩く動画もありました。今日はバットでも明日は銃かもしれない。とても不安です。「赤い夏」の二の舞にならなければいいですが、社会が変わらない限りまた似たような事が起こる可能性はぬぐえません。
スケイヒル:20世紀の間で記録されているリンチ事件によって殺害されたのと同じ人数の比率で黒人が現在、警察の手によって殺されています。歴史家としてこれらの事実が隣り合わせになった時、どう思われますか?
ブレイン:近年、この国が成し遂げてきた偉業を語ったり祝う傾向が強いです。バラク・オバマ大統領就任がまさにそうで、多くの人々がその瞬間をアメリカが積み上げてきた努力の象徴として賞賛しました。私はよく自分の生徒に、このような成功論的な語り口には用心するよう警告します。もちろん、私は前向きな人間だし、希望は戦いを続けるためには必要なものだとも思います。しかし、気をつけていないと悦に入ってしまい、現在進行中の問題を過去のものと見て、私たちの目の前の問題から目をそらしてしまう危険があります。
ここでリンチに話を戻しますが、リンチも人は過去のこととして語ります。もちろん、歴史家としてそれは理解できますが、本当に過去の遺物なのでしょうか? アイダ・B・ウェルズやNAACP(全米黒人地位向上協会)などがリンチ事件を無くすため様々な事を成し遂げてきたにもかかわらず、「リンチ」という言葉は使わずとも、現在でもリンチのようなことが起こっているという事実は受け入れなければなりません。姿形は違えど、これらのパターン化された警察による暴力事件や殺害事件を20世紀に起こったリンチと隣り合わせで見たら、「まだまだ乗り越えなければならない課題は山ほどある」と言わざるを得ません。もちろん、公民権運動は投票権法や公民権法などの制度改革を促し、これは祝うべき業績だと思います。しかし、警察の暴力によって20世紀のリンチ時代と同じくらいの黒人が殺されているという事実を目の当たりにしている今、この現状を変えようとする心意気がなければ、アイダ・B・ウェルズの功績も無駄に終わるでしょう。
スケイヒル:アイダ・B・ウェルズはジャーナリストとして死後、今年になって『ピュリツァー賞』を受賞しました。ウェルズはジャーナリズムの先駆者として様々な偉業を成し遂げてきたものの、彼女の仕事は歴史的文脈の中においてちゃんと認知されてきませんでした。彼女が歴史的に、そして現在においてもどれだけ重要か教えていただけますか?
ブレイン:彼女はとても勇敢でした。勇敢と言うと、恐れ知らずとよく言いますが、彼女の人生は恐れるものが多々ありました。ジャーナリストして仕事を始めた当初、アイダ・B・ウェルズはリンチについての記事を書き始め、人種的暴力についてダイレクトに言及し、特にアメリカ南部で起こっていたことを糾弾しました。最初は匿名で書いたり、ペンネームを使ったりしたのは、これらの事を公的に書くことによって殺される危険性があると言う事を理解していたからです。次第に、彼女の身元が明らかになると、常に白人の暴徒にリンチの標的にされ、メンフィスから逃亡を余儀なくされました。自身が論じ、糾弾していたリンチのターゲットにされてしまったのです。
もう一つ、大事なのは彼女の仕事は国内だけに収まらず、国境を超えていた、という点です。19世紀末、彼女はイギリスに渡って海外の人々にもアメリカの問題を知ってもらい、アメリカで横行している悪行を食いとめるべく様々な人と団結します。同じように現在、アメリカでのデモ活動を経て、ベルリンで運動家の集会や、東京で行われている行進など、世界中で似たような国境をまたぐ団結やネットワークが育まれているのを見て、私は勇気付けられます。
アイダ・B・ウェルズは生きている間に功績を讃えられませんでした。当時、彼女の仕事は受け入れられませんでした。『ピュリツァー賞』受賞は素晴らしいことですが、彼女が生きて仕事をしていた当時は賞賛されなかった。この事実が今これを聞いている人々の励みになればいいと思っています。人生をかけて尽力しても、誰にも認めてもらえないかもしれない。賞賛されず、もしかしたら逆に憤怒をぶつけられるかもしれない。でも、20年~30年後はどうなっているかわかりませんよ。
※Originally published on June 3, 2020. Translated from English and republished with permission from The Intercept, an award-winning nonprofit news organization dedicated to holding the powerful accountable through fearless,adversarial journalism. Sign up for The Intercept 's Newsletter.
いまなお各地で続く抗議デモ。今回の運動がもたらした「意識の変化」(テキスト:空音央)
2020年5月25日にジョージ・フロイド氏が白人の警官によって殺害されてから2か月以上経つが、依然、アメリカではデモや抗議活動が毎日続いている。アメリカの主流メディアもデモを報じる回数が減り、関心が下がってきているように見えるが、実際のところ分散的かつ自発的に自然発生する各地のデモの勢いは衰えをみせていない。僕が住むブルックリンでも「Black lives matter!(黒人の命は大切だ!)」「No Justice, No Peace! No racist police!(正義がなければ平和もない! 差別的な警察もいらない!)」といった力あるシュプレヒコールが聞こえてくる日は珍しくない。当事者である黒人もそうだが、このままではいけないと自負している白人や、その他の有色人種の人々も毎日のように町へ繰り出しており、その根気のよさには目を見張るものがある。
それもそのはずだ。「デモをしたって何も変わらない」というような悲観主義を吹き飛ばすほどの数々の成功談がその粘り強さの根源にある。デモが始まってからすぐにフロイド氏の殺害現場にいた警察官4人は殺人罪や幇助罪で起訴された。また各地の奴隷制度を象徴する銅像が破壊・撤去されたり、ミネアポリス市は市警察を解体する動きに出ると発表したりするなど、他にも具体的な改革は後を絶たない。
無論、全てがいい方向に向かっているわけではない。ポートランドでは、国から投入された武装連邦職員と抗議者の衝突が連日続き、州知事との協議の末トランプはやっと条件付きで撤退の方針を決めた。だが、撤退後に訪れた平和的なデモもつかの間、抗議者に対するポートランド州警察による暴力事件も起こっているとの報告もある。ニューヨークでも先日、抗議者がノーマークの警察車両に誘拐さながら押し込まれ走り去った事件や、ジャーナリストの車両が攻撃されるなど、まだまだ国や州による暴力は変わらず続いている。しかし、トランプの支持率低下が示唆するように、多くの人々の中で何かが変わってきている。今回のデモは根本的な意義深い変革「意識の変化」をもたらしてくれた気がする。
アメリカにおいて、今までは一部の運動家の見解としてしか見られていなかった「Abolish the police(警察の解体)」などの思想が広く認知されるようになり、真剣に考える人々が増えている。黒人が置かれている立場やそこから派生する諸問題は、孤立した事件の一連ではなく、アメリカ社会、強いては世界を取り巻く経済・政治など全てを包括する「structural(構造的)」な問題として認知されるようになった。奴隷制度の影響は、過去の遺物ではなく、現在にも触手をいたるところに伸ばすような現在進行中の現象として顕在していると、歴史の認識が変わってきている。個々が直面する様々な問題を俯瞰的に見つめ、根本的な問題解決を図ろうとしている人々が増えている証拠だ。それらの考え方や情報がネットを通じ海を渡り、世界中、そして日本にまで波及している。日本でも、国内に潜む人種差別、難民や外国人に対する非人道的行為を続ける入管の問題などが、どのような形で日本の歴史や、社会の構造に関連しているのかを考え始める人が増えてきた。予想を超える規模で波及したこのムーブメントだが、「ブラック・ライブズ・マター」を主導してきた運動家は口を揃えて「まだまだ序の口だ」と言うだろう。なぜなら、キング牧師が言うように「人を動かすだけの社会運動は単なる反乱だ。しかし、人と制度の両方を変える運動は革命である」から。
最後に、キーシャ・ブレイン氏のインタビューで語られている公民権運動やブラックパンサー党、ロドニー・キング事件など、アメリカにおける黒人の人々を取り巻く歴史的背景への造詣を深めることは、現在もなお続くブラック・ライブズ・マター運動の状況を把握する上でも欠かせない。それらの歴史を題材とした数々の映画作品の中から、現在日本でもNetflixやAmazon Prime Videoなどのストリーミングで視聴できる映画をいくつかピックアップして紹介したい。
・『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989年、監督:スパイク・リー)
実際に起こった警察による黒人の殺害事件などにインスピレーションを受けたフィクション映画。コミュニティ内での人種間の緊張とフラストレーションが克明に描かれている。残念ながら、近年、映画内で描写された警察による黒人男性の殺害が、同様の手法で黒人男性が殺されたエリック・ガーナー事件でまたしても現実となってしまった。そのほか同監督の『ブラック・クランズマン』(2018)も必見。
・『ブラックパワーミックステープ~アメリカの光と影~』(2011年、監督:ヨーラン・ヒューゴ・オルソン)
公民権運動の余波として広がった60年代~70年代にかけてのブラックパワー運動の模様を記録したフィルムをもとに、自由と平等を求めて権力と戦ったアフリカ系アメリカ人たちの歴史を紐解くドキュメンタリー。
・『LA 92』(2017年、監督:ダニエル・リンジー、T・J・マーティン)
ロドニー・キング事件を発端に起こったロサンゼルス暴動の様子を映した生々しい映像で一つの記録として編集されたドキュメンタリー。
・『13th ─憲法修正第13条─』(2016年、監督:エイヴァ・デュヴァーネイ)
奴隷制度廃止に抜け道を作ったアメリカ合衆国憲法修正第13条を主軸に、アメリカにおける黒人が今でも経験する構造的人種差別に焦点を当てたドキュメンタリー。
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