テクノロジーの革新とともに、そのサウンドを変容させてきた音楽、ヒップホップ。使用される機材によって、どれほどサウンドに影響を及ぼすのだろうか。ミュージシャンや楽器メーカーの開発担当らに取材しながら、機材とヒップホップの関係を記した『MPC IMPACT!-テクノロジーから読み解くヒップホップ』を今年1月に上梓した大島純。今回彼が、本書で記述した一部をさらに掘り下げ、「SP-1200」が支えた1990年代のヒップホップについて綴る。
テクノロジーと音楽の1980年代。SP-1200が生まれるまで
私は2019年の5月のある日曜日の午後9時、勤務先であるNYマンハッタンのニュースクール大学のスタジオでピート・ロックを待っていた。このインタビューセッションのために何度か電話連絡はしたものの、前回は直前で「用事が入った」とキャンセルになったので、今回は本当に現れるのかが不安だった。そんな土砂降りの中、ピートは真っ白のメルセデスのSUVでチェルシーのビルに現れた。ここはロバート・グラスパー、ホセ・ジェイムズ、黒田卓也を排出したジャズ学部のビルだ。ジャズのサンプルで世界を虜にしたピートがこの場所に現れることに、私はなにか特別なものを感じた。
「俺はMPC2000XLが出てくるまで全てのキャリアを通じてSP1200と結婚していたと言ってもいいだろう。俺の曲で君が聴いたことがあるもののすべては1999年までSP-1200で作られていて、1998年に出した『Soul Survivor』のアルバムには俺がSPを手で持っている写真が載っているよ」
1990年代を代表する最高のヒップホップ・プロデューサーの1人であるピート・ロックは私にこう言った。
Pete Rock & C.L. Smooth『The Main Ingredient』を聴く(Apple Musicはこちら)
ヒップホップ初のレコード“Rapper’s Delight”がリリースされたのと同じ1979年に、世界初のデジタルサンプラーが発売された。それは米「シンクラヴィア・シンセサイザー」、そしてオーストラリアの「フェアライトCMI」の2台で、本格的デジタルワークステーションとして発売された。フェアライトは4万ドル、シンクラヴィアは家が買えるくらいの値段がしたため、一般のミュージシャンには手が届くものではなかった。1982年にリリースされたAfrika Bambaataaの“Planet Rock”ではRoland「TR-808」のビートに乗せて早速フェアライトが使われていた。坂本龍一の“Riot in Lagos”(1980年)に触発されたエレクトロ・ヒップホップの元祖といわれる革新的なビートパターンの曲である。ちなみにデジタルサンプラーが誕生した1979年は、ソニーの「ウォークマン」が発売された年でもある。新しいテクノロジーで音楽の作り方、聴き方が大きく変わってしまった1980年代の到来を予見するような年だったといえよう。
The Sugarhill Gang“Rappers Delight”を聴く(Apple Musicはこちら)Afrika Bambaataa“Planet Rock”を聴く(Apple Musicはこちら)
坂本龍一“Riot in Lagos”を聴く(Apple Musicはこちら)
1980年、カリフォルニアの弱冠24歳だったミュージシャン、起業家のロジャー・リンは、緻密なプログラミングが可能で、ドラマーが叩いた本物の単音を内蔵する、史上最も洗練されたプログラマブル・ドラムマシン「LM-1」を発表した。リアルな高音質で人が叩いたようなドラムをプログラムできるLM-1は瞬く間に人気となり、1982年に発売された2号機「Linn Drum」と共に1980年代のポップミュージック界を席巻した。マイケル・ジャクソンのアルバム『Thriller』(1982年)で全編に使われた、洗練されたタイムレスなドラムのサウンドといえば想像しやすいだろう。
マイケル・ジャクソン『Thriller』を聴く(Apple Musicはこちら)若きロジャー・リンが作曲したエリック・クラプトン“Promises”を聴く(Apple Musicはこちら)
後にSP-1200を生み出すことになる「E-MU Systems」は、カリフォルニアの大学生たちが1972年にシリコンバレー近郊で起業した。南カリフォルニア大の学生であったデイヴ・ロッサムと、カリフォルニア工科大学のスティーブ・ガブリエル、そしてジム・ケッチャムによって設立されたこの会社は、もともとモジュラー・シンセを開発していたが、後にフェアライトやロジャー・リンに触発されてサンプラーの開発へと移行する。そして1981年に鍵盤付きサンプラー「Emulator」を生み出した。彼らが行ったのはフェライトCMIやシンクラヴァイアといった最高級デジタルワークステーションから、サンプラー機能だけを取り出したことだった。8,000ドルという価格設定もあり、発売されると瞬く間に人気のマシンとなった。
1984年には、この後継機となる「Emulator2」が前機種と同価格で販売される。「Emulator 2」はフェーダーやパネルデザインの外観がよりSP-1200に近くなり、サンプルの編集機能やローパスフィルターも追加された。VCF、LFOといったシンセサイザー的な機能の他にフロッピードライブだけではなく、内蔵の20MBのハードドライブを取り付けることができた。その当時は特にヒップホップに特化したマシンはなかったが、OBERHEIMのDMXやRolandのTR-808は初期のヒップホップで重宝された。
そして1984年にE-MUからはドラムに特化した「Drumulator」が発売される。これは内蔵音源を鳴らすドラムマシンだったが、翌年に発売された後継機種「SP-12」は24個の内蔵ドラム音の他になんと192KBの内蔵メモリーに1.2秒の外部音源のサンプリングが可能だった。「AKAI MPC60II」の使い手DJ PremierはGang Starr加入前のデモ作りからSP-12を使い始め、Gang Starrデビューアルバム『No More Mr. Nice Guy』(1989年)でも実際に使用していた。またリック・ルービンによるBeastie Boysの作品群や、De La Soul、Large Professorなどが好んで使用した。これはSP-1200に繋がる画期的なマシンで、Emulator2譲りのサンプル編集機能に、SP-12すなわち「サンプリング・パーカッション12」が意味する12ビットの26.040kHzのローファイサウンドが特徴だった。
ダーティーな音で受け入れられた名機SP-1200
そして1987年にはE-MUから「SP-1200」が発表され、ヒップホップのビートメイキングはある到達点に達することになる。この機材は、SP12からのシンプルで直感的な操作性と、無骨な「ブーンバップ」と形容されるヒップホップにはなくてはならない低音のキックやアタックの強いスネアが織りなすパンチの効いた音質を引き継いでいた。その一方で、これまで1.2秒だったサンプリングタイムを、10.5秒へと大幅に向上させ、それを安価な3.5インチ・フロッピードライブに保存できるという大きな変更があった。
これはAKAIのMPCにも共通して言えることなのだが、開発者たちには10.2秒といえば、SP1200はあくまで楽曲のドラム部分のみを作るためのものというコンセプトだったようだ。しかしながらヒップホップのアーティストたちはドラム以外の多彩なサンプルを組み合わせてどうにか1台で全ての製作プロセスを完結させようとした。10.2秒だとバラバラのドラム素材をサンプリングすると、あとは1、2小節ほどしかその他の楽器をサンプリングすることができない。彼らはそれを解消するために、33回転のレコードを45回転で早回してサンプリングし、それをSP-1200のピッチシフターで低いピッチに落としてサンプルを遅く戻して秒数を稼いだ。
ピッチシフトで発声を遅くするとサンプルの劣化が起こる。こうすることによって、特に1990年代のニューヨークのヒップホップ特有のダーティーさが定着した。私がブルックリンの自宅スタジオでインタビューしたBlack MoonとDa Beatminerzのメンバーで、プロデューサーのDJ Evil Deeは、彼の音作りの真髄は「音をできるだけ汚すことだ」と私に語った。それはヒップホップがニューヨークという猥雑な場所で産まれたストリートミュージックだからだという持論に基づいていると熱弁してくれた。
Black Moon『Enta Da Stage』を聴く(Apple Musicはこちら)
それでも秒数が足りない場合は同じ12ビットのAKAIのラック型サンプラー「S950」と合わせて使われていたようだ。この組み合わせは1994年にサンプリングの秒数が大幅に向上した「MPC3000」が発売するまでたいへん人気のあったセットアップで、Easy Mo BeeやLarge Professor、ロード・フィネス、DJ Evil Deeもこのような組み合わせで1990年代のニューヨークヒップホップのルネッサンス期とも言える時代にたくさんの名曲を送り出している。
ロード・フィネス“Hip 2 Da Game”を聴く(Apple Musicはこちら)
私は、ヒップホップにはサンプリングネタのレコードノイズやそれが録音されたスタジオの空気感、サンプラーに取り込んだ後のローファイな歪みやノイズといった、譜面には記すことができないような大量の情報のレイヤーが組み込まれていると思う。そして、それこそが1990年代のサンプリング全盛期のヒップホップの魅力だと考える。
A Tribe Called QuestのSP-1200で作られた『The Low End Theory』(1991年)と、J Dillaが天才的なMPC3000捌きで手掛けたクリーンな質感の『Beats, Rhymes and Life』(1996年)を聴き比べればその違いは一目瞭然だ。『The Low End Theory』は「ヒップホップの『サージェント・ペッパー』」と言える歴史的名盤だが、その次のアルバム『Midnight Marauders』(1993年)はさらにノイズを複雑に組み合わせて、廃材や錆びた鉄を組み合わせて作ったようなビンテージ家具のような美しいテクスチャーを生み出している。
A Tribe Called Quest『The Low End Theory』を聴く(Apple Musicはこちら)A Tribe Called Quest『Beats, Rhymes and Life』を聴く(Apple Musicはこちら)
SP-1200の音質を堪能するための音楽として、『Soul Survivor』までのピート・ロックのアルバム、そして彼が“World Is Yours”で参加したNasのデビューアルバム『Illmatic』(1994年)が最初に頭に浮かぶ。当時のニューヨークの最高のプロデューサーたちが集まって作ったストリートの宝石が散りばめられた「史上最高のヒップホップアルバム」とも称される1枚だ。「MPC60II」を使用したDJ Premier以外は皆、SP-1200でプロデュースしたとされている。
Nas『Illmatic』を聴く(Apple Musicはこちら)
ピート・ロックは16ビットになった「MPC2000XL」でようやくSP-1200から移行したのだが、彼は音質の違いをこう表す。
「音はクリアーになったのではなくて細くなった。SPをMPCと比べてということだ。MPCの音はややSPの音よりは細い。だからEQでMPCの音をできるだけ太くして、SPを使っていたときと同じような効果を与えるんだ」
実際にSP-1200で作り上げたアルバム『Soul Survivor』(1999年)と、MPC2000XLで作られた『Petestrumentals』(2001年)を聴けば、明らかにテクスチャーの違いがわかるはずだ。
ピート・ロック『Soul Survivor』を聴く(Apple Musicはこちら)ピート・ロック『Petestrumentals』を聴く(Apple Musicはこちら)
30年以上経ってもなお愛される。現在のSP-1200事情
ロジャー・リンが赤井電機と共同で作り上げたMPCは、操作性で他のあらゆるサンプリングドラムマシンの性能や機能を凌ぎ、16ビットのMPC3000が出た1994年には多くのプロデューサーたちがSP-1200からMPCへと鞍替えした。ただピート・ロックやEasy Mo Beeのように、それでもSP-1200に固執したプロデューサーたちもいたようだ。私は1994年頃までのニューヨーク・ヒップホップが最も好きなのだが、それはSP-1200の最盛期と重なる。SP-1200は1987年の発売から1998年までモデルチェンジなく生産されたのだが、それだけで本機がどれほど特別なマシンだったかがわかるだろう。
現在は中古市場で5,000~8,000ドルで取引されるという高騰ぶりで、2020年にはSP-1200の35周年限定モデルが発売される。そして今年は偶然にもSP-1200リバイバルの年となり、フロリダのIsla Instruments社というインディペンデント系の電子楽器メーカーが「S2400」というリバイバルマシンを発売予定だ。ちなみにSP-1200のクローンで言えば、waveTracingからリリースされたVST/AUプラグインの「SP950」は、私が試したものの中で最も忠実にデジタルサウンドをSP-1200のような音に変化させることが可能だ。
さらにフランス、リヨンのビートメイカーで、ソフトウェア・エンジニアでもあるLow Hissは「eSPi1200」という、最もオリジナルに忠実なソフトウェアを発表した。これは20ドルと安価だがとてもよくできていて、現在中古市場でさえ手の届きにくいSP-1200の全ての機能を堪能できる。12ビットをエミュレートした荒々しい音や、フィルターの作り出すノスタルジックなベース音、そしてピッチフェーダーを下げることで生じるノイズや歪みなどが再現できるので、このソフトを使うことでピート・ロックのような本物の天才たちがどうしてSP-1200を愛して止まなかったのかを知る手がかりになるだろう。
ここ数年の間にMPCを使ったサンプリングドラムマシンの生演奏や、Rolandの「SP-404」や「SP-404SX」を用いてローファイ・ヒップホップをビートメイクすることが若い世代を中心にトレンドとなっている。コンピュータで作って、ストリーミングで聴くような2010年代以降のヒップホップのビートに関して、私は正直熱心なリスナーにはなれていないのだが、このハードウェアを使った制作やパフォーマンスへの回帰はとても嬉しく思える。テクノロジーと蜜月に進化した、ヒップホップという音楽ジャンルの本質を理解する上でSP-1200、MPC、S950等の果たした大きな役割を知ることはとても大切だと思う。特にSP-1200を意識した上で1990年代の巨匠たちが遺した文化遺産をぜひ皆さんにもあらためて堪能して頂きたい。
ピート・ロック『Return of the SP1200』を聴く(Apple Musicはこちら)- 書籍情報
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- 『MPC IMPACT!-テクノロジーから読み解くヒップホップ』
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2020年1月23日(木)発売
著者:大島純
価格:1,980円(税込)
出版:リットーミュージック
- プロフィール
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- 大島純 (おおしま じゅん)
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映像作家・教育者。東京アドバタイジング、JWTでの6年間の広告代理店勤務を経て渡米。NEW SCHOOL大学院修士課程で映画制作を学ぶ。現在NYと東京に半々在住。撮影監督として参加した短編Surfaceが2010米アカデミー賞(学生部門)金賞を受賞。Google、Facebook、LVMH、Sony、NHKなどのプロジェクトを手がける。2016年NHK長編ドキュメンタリー「秋吉敏子:スウィングする日本の魂」にディレクター兼カメラマンとして携わる。その他音楽関係ではキース・リチャーズ、坂本龍一、マンデー満ちるを撮影する。2013年よりNEW SCHOOL大学院およびPARSONS美術大学教員として映像・メディアの制作を教える。2019年よりデジタルハリウッド大学特任准教授。2020年、大学院からの10年の研究をまとめた「MPC IMPACT!-テクロノジーより読み解くヒップホップ」をリットーミュージックより刊行。
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