13歳の少年が世界に対峙する。非常にパーソナルだが多くの人が共感し得るストーリー
今振り返ってみると、あの時なぜあんなことをしたのだろうとよく思う。というか、そんなことばかりかもしれない。あるいは、当時はなにも思っていなかったけど、考えてみればあの時のあれが今の人生に繋がっているなんてこともあるだろう。虫眼鏡を近づけて覗き込むとそのものがよく見えるが、遠く離すと、像は逆立ちをして浮かび上がる。過去は、虫眼鏡の倒立像のように、あの時とはどこか違って見える。
「スケートボーディングは私に友人を与えてくれました。美学、倫理、そしてものの見方も。パンクやヒップホップが好きになったし、人生を導いてくれました」
監督のジョナ・ヒルが映画の公開にあわせてInstagramにポストしたメッセージが示すとおり、『mid90s ミッドナインティーズ』で描かれるのは、13歳の主人公スティーヴィーが家を抜け出し、世界と対峙し、成長していくさまだ。行き場のない日々を送っていたスティーヴィーはある日、街で見かけたスケーターたちのいるショップに足を踏み入れ、彼の人生は文字通り変わっていく。毎日のようにスケートショップに入り浸っていたというジョナ・ヒルの10代が反映されたストーリーは非常にパーソナルだが、あるカルチャー、ある人、ある場所と出会うことで世界が開けていく感覚は、多くの人が共感できるはず。とはいえ、『mid90s ミッドナインティーズ』は共感ポイントをレトロ趣味で包み上げた、ただのインスタントな青春映画ではない。そこにはスケートカルチャーへの深い愛、そして「自らのスタイルでストーリーを編む」ことに向き合うジョナ・ヒルの意思がある。
数々のスケートブランドやスニーカー、「はみ出しもの」を受け入れる違法のスケートパーク……スケートカルチャーへの愛とリスペクト
まるで実在するスケーターのVHSを観ている気分になるほどに「溶け込んだ」サウンドトラックもさることながら、まず目を見張るのは彼らが身に纏うファッションだ。今ハリウッドで最も注目すべきデザイナーのひとり、ハイディ・ビヴェンスが衣装デザインを手掛け、Blind、Girl、Droors Clothing、Toy Machine……たくさんのスケートブランドのアイテムが映画を彩る。それぞれのキャラクターのファッションからも物語が汲み取れるのは、多くの人がリアルタイムで、もしくはリバイバルで共有した「90年代」という特別な時代を舞台にする作品の特権である。『ストII』(格闘ゲーム『ストリートファイターII』)のグラフィックTを着て幼く見えていたスティーヴィーが、「タートルズ」(アメコミ原作のアニメシリーズ『ミュータント・タートルズ』)のポスターを壁から外し、やがてShorty'sのロゴTを着るように──もはやそれだけで十分なドラマだ。
特にリアルなのは、急にそれらしい服を着るようになるスティーヴィーの、足元だけは最初に履いていたスニーカーのままなこと。スニーカーは、マインドとスタイルが合致したときはじめて「自分のものだ」と胸を張れる。そんな理想のスニーカーにはそう簡単に出会えないし、なによりスニーカーは高い。アディダスのサンバを「ユニフォームである」と語るジョナ・ヒルの、スニーカーへの深い理解が反映されたリアルな描写である(そのアディダスを劇中で履くのはもちろん、アディダスのスケートボーディングチームの一員でもあるナケル・スミス演じるレイ)。
スケートカルチャーへのリスペクトが最も感じられるのが、「ウエストLAコートハウス」(裁判所)敷地内でのシークエンス。もともと違法なストリートスケートボーディングのスポットとして数々の伝説的なビデオに登場してきた聖地で、のちにNIKEが買収し正式にスケートパークとして運営されたが、映画で描かれていたとおり、1990年代にはスケーターとホームレス、そして怪しげな人々が入り乱れていたという。もちろん貧困や様々な社会問題と隣合わせの深刻なイシューであり、決してポジティブに言える/消費していい話ではないが、「パーク」と呼ばれる土地が世間から「はみ出してしまった」ものたちを一時的に受容する最後の空間として機能し、その中でお互いを気にかけるさまが描かれるこのシークエンスは、スケートボーディングやストリートカルチャーの美学が感じられるパートとなっている。そしてそんな「はみ出しもの」たちを1990年代から見つめ続けてきたハーモニー・コリンが、劇中ほんの一瞬姿を見せるのもまた象徴的だ。
自分を解放してくれるようなカルチャーに魅せられたときの高揚感を映し出す、演出やストーリーテリング
『mid90s ミッドナインティーズ』の見どころは、そうしたディテールだけではない。「スケボー映画」「半自伝的な青春映画」というやり尽くされたジャンルにおいて、ジョナ・ヒルは監督デビューにして挑戦的な方法を選び、映画としての新鮮な魅力を提示する。
まず注目すべきは、前述のハイディ・ビヴェンスや編集のニック・ホウイ(『レディ・バード』『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』)をはじめとしたスタッフ陣。なかでも撮影は現代アメリカ映画を代表する作家、ケリー・ライヒャルト監督を長年支えてきたクリストファー・ブローヴェルトが担当し、まるでロバート・アダムス、ウィリアム・エグルストンやアレック・ソス、つまり、ニューカラー/ニュートポグラフィックス以降アメリカにおいて先鋭化した「ある種の」写真群を思わせるような美しいショットが紡がれていく。特に「人の手によって変容した風景」を被写体に選ぶニュートポグラフィックスの手法は、既存の建築物や街自体をフィールドととらえるストリートスケートボーディングと、コンクリートの速度を共有するはずだ。その感傷的で無機質な速度は、疲れ切ったレイとスティーヴィーがコンクリートのベンチで眠る朝焼けのあの穏やかさを映し出す瞬間、やわらかな最高速を記録する。
スタッフ陣の芸術的な仕事ぶりもさることながら、脚本を書いたジョナ・ヒルのストーリーテリングも力強い。大きな事件ではなく些細な会話、繊細な心の動きを中心に据え、何が起きたかではなく、そこで流れた時間を焼き付ける。あえてほとんどスティーヴィーの視点のみにフォーカスすることで物語への没入感を生む。その語り口からは青春の喜び、文字通りの痛み、不安、友人に囲まれた車のバックシートの揺れから感じる、自分はここにいてもいいと許されるような気持ち、夜風が与えてくれる自由、そしてなにより自分を解放してくれるようなカルチャーに魅せられたときの高揚がこれ以上無く感じられる。明確にスケート映画であると同時に、本作は普遍的なドラマとしての強度を獲得している。4人をはじめとしたキャストたちの持つ輝きを引き出すことに注力したアプローチの結果だろう。
加害的な表現やボーイズクラブ的なコミュニティの性質も描いたジョナ・ヒルの目線
一方で、舞台が1990年代、それも虚勢を張るティーンネイジャーの登場人物が発する言葉だとわかってはいても、あまりノれない、今や古びたように見えてしまう加害的な表現やエピソードも本作には存在する。軽口での罵り合い、あまりにも威圧的な兄の態度、ホモフォビックな言説など、ボーイズクラブ的なコミュニティの性質がストレートに描かれており、アレクサ・デミー演じる年上のエスティーが13歳のスティーヴィーをリードして性的な行為におよび、さらに彼がその体験を武勇伝のように仲間に誇るシークエンスまである。
もっとも、そのシークエンスでは不穏な曲調のスコアがあてられ、スティーヴィーの家族に対する振る舞いが変わってしまう描写へと繋げられる。あるいは人種の話題では彼ら自身が問題意識を持っていることを示す「目線」の演出がなされるなど、目を凝らせばそうした描写には注釈があり、また物語の帰着からしてそれらのエピソードを称える意図はないとわかる。しかし、男性性の強調や規範に乗っかることが集団内での地位向上に繋がるというある種のコミュニティの性質は、本作でポジティブにも描かれる大きなテーマでもあり、現実に今もなお根強く残る風潮だろう。
ジョナ・ヒルはそうしたコミュニティに属し、あるいはそうしたコミュニティを描く映画に数多く出演し、人生が変わる体験をした。一方で、その性質がしばしば毒を孕みうることも今は認識している。セス・ローゲンが自らの名前「セス」を主演のジョナ・ヒルに与えた、同じ「半自伝的作品」の『スーパーバッド 童貞ウォーズ』は多くの人に愛される作品だが、一部のジョークや作品に横たわる考え方が不必要に加害的なことも今は認識している。そのアンビバレンスを、ジョナ・ヒルは「なかったことに」するでも、ノスタルジーとして擁護するでもなく、ありのまま見せる。誤解されうるざらつきを残す選択には、監督としてのはっきりとしたアティチュードが見て取れる。
「自分は(今思えば)捨て去るべきこともたくさんあると学んでいる最中で、たとえば『スーパーバッド 童貞ウォーズ』のファンの中にもそんな自分についてきてくれる人がいるのではないか」とジョナ・ヒルは期待する。『スケート・キッチン』『行き止まりの世界に生まれて』、あるいは『レディ・バード』『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』『ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれから』など、それぞれの語り口で「新しさ」を感じさせる素晴らしいスケート映画や青春映画が誕生するなか、『mid90s ミッドナインティーズ』は、自らが通過した過去を倒立像として見つめつつ、前を向くことを選ぶ。それはまるで、カメラを通して自分たちの滑りをムービーに記録し、その記録を振り返りながら、次のアクションに還元していくスケートボーディングのあり方にとことん共鳴しているように思える。単なる懐古ではなく後ろを振り返ること、後ろを振り返りながら同時に前を、そして自分を見つめること。幾多の相反する要素を抱えるその足は、ときに歩みを止めながらも地面を蹴り続ける。
- 作品情報
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- 『mid90s ミッドナインティーズ』
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2020年9月4日(金)から新宿ピカデリー、WHITE CINE QUINTOほか全国で公開
監督・脚本:ジョナ・ヒル
音楽:トレント・レズナー、アッティカス・ロス
出演:
サニー・スリッチ
キャサリン・ウォーターストン
ルーカス・ヘッジズ
ナケル・スミス
上映時間:85分
配給:トランスフォーマー
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