「音楽は魔法みたいだなって 思うことがたまにありますが、 今回色んな友の力を借りて 魔法を形にできたこと、嬉しく思います。」
9月12日に実施されたオンラインライブ『LIVEWIRE「中村佳穂」』のエンドロールで、中村佳穂は視聴者に手書きのメッセージをこう伝えた。この記事は同公演に関する3つのテキストから構成される。ひとつめは音楽ジャーナリスト・柴那典によるライブ評、ふたつめは『LIVEWIRE「中村佳穂」』が彼女の音楽活動においてどのような意味を持つのかを考えた編集部からのテキスト、そして最後は中村佳穂に実施したメールインタビュー。
この記事に、彼女の言うところの「魔法」を解き明かしてやろうなんて目的はない。しかし、あの配信ライブの舞台裏やコンセプトは中村自身の言葉で一部明かされている。本稿を通じて、一人でも多くの人の中村佳穂の音楽に対する理解を深めてくれたら、それ以上のことはない。
(メイン画像撮影:今木研志)
「中村佳穂が拡張させた、オンラインライブの可能性。マジックリアリズム的ライブの顛末」テキスト:柴那典
とても不思議な体験だった。音楽が持つ魔法のような力を体感する約55分。中村佳穂によるオンラインライブは、彼女にしか成し得ないような、とても越境的な映像作品だった。
椅子に腰かけ、すぅっと息を吸い「久しぶりだなあ」とつぶやく中村佳穂の声からライブは始まる。緊迫感ある暗闇の静寂から、まず映し出されたのは鍵盤をやさしくタッチする指。
「全てはここから始まる 久しぶりでドキドキする 頭の中にあるものはちゃんと 見せなきゃ誰も わからない なんて思ったから 一人でピアノを 弾いたっけな」
アドリブでピアノを奏でながら歌っていく。喋る言葉がそのまま歌になり音楽になっていく中村佳穂ならではのパフォーマンスだ。ピンと張り詰めた空気の中で、言葉が音符の上を跳ねていく。
「音楽は 音楽は 音楽は」――。そう歌い上げ、「……すべてか」と一瞬トーンを落とし「すべては魔法のようなもの」と歌い直す。この瞬間に鳥肌が立つような感覚がある。
そのまま途切れることなく“口うつしロマンス”へ。カメラはずっと中村佳穂の横顔を映し出す。ときに鍵盤を叩く指先にクローズアップし、ときに背後に回り込む。
「2020年、9月の12日」。そうつぶやき、鍵盤を叩きつけるようなダイナミックな演奏とスキャットと“GUM”の一節を経て“きっとね!”に入ったころに、気付く。これは単なるライブハウスからの配信じゃない。会場は京都のライブハウスUrBANGUILD(アバンギルド)だが、ステージの上のパフォーマンスを届けるオンラインライブの作り方とは全く違う発想で全てが組み立てられている。映像は手持ちカメラのワンショットだ。スイッチングはない。撮影はかねてから中村佳穂と交友のあった映像作家の林響太朗。彼の視点が、ピアノを弾き歌う中村佳穂の手の動きを、表情を、身振りを追う。演奏者と撮影者の一対一の関係がそこにある。いわば芸術性を持ったライブドキュメントだ。
演奏は“Rukakan Town”から“SHE'S GONE“へ。これまでソロ、デュオ、バンドなど様々な形態で演奏してきた中村佳穂だが、この日のライブは、基本、一人。そこにあるのは「没頭」の音楽表現だ。
これまで中村佳穂のライブの大きな魅力になっていたのは、いわば「呼応」としての音楽表現だった。集まったお客さんに語りかける言葉にメロディが宿ってそのまま歌になっていくようなパフォーマンスが大きな評判を呼んできた。その場で指定した数字の回数だけバンドがキメを連発する“アイアム主人公”を筆頭に、メンバーとの即応的なセッションも大きな見せ場を作ってきた。が、今回のオンラインライブではそういう場面はなかった。かと言って、型通りの歌と演奏になっているかと言えば、そういうわけでもまったくない。
“SHE'S GONE”から“シャロン”へは長いスキャットを挟み、息を呑むような演奏が繰り広げられる。即興に、自分自身との対話のような響きがある。内面ににじり寄るようなカメラワークがそれを切り取る。“忘れっぽい天使”の終盤からは椅子の上で膝を抱えてピアノを弾き語る中村佳穂を捉えながら少しずつカメラが引いていき、目で合図をすると、再びクローズアップに寄っていく。目が離せないスリリングな瞬間が続く。照明も演出もミニマムだが、固唾を飲んで見守るような時間が続く。
そして、驚きは最後に訪れた。
“You may they”を終えて破顔一笑した中村佳穂は、「疲れた!」と一声発して、水を飲む。
「音楽というものは 自分から寄っていかなければ 届かないもの」
そう歌い、イヤモニを耳にはめてピアノを奏で始めると、そこに音が重なる。オーケストラの調弦の音が響く。中村佳穂が手を叩くと、誰かの手拍子がそれに重なる。今年3月にも披露していた新曲の“アイミル”だ。ピアノにストリングス、ドラム、パーカッション、ギターが重なっていく。ダイナミックなオーケストラ編成のサウンドが鳴り響くなか、カメラは中村佳穂を切り取り続ける。包容力と多幸感に満ちた歌声が響く。
そして歌の途中で中村佳穂はピアノを離れ、マイクを握って裸足で歩き始める。フロアを自由奔放にうろついたり、絨毯の上に座ったりしながら、歌う。画面には回るコマやCG処理された光が映り込む。あたりには誰もいないが、「ドラムス!」と告げるとビートが鳴り出し、ハーモニーが追いかける。「え? え? 何が起こってるの?」と混乱する展開だ。しかし、徐々に気付く。現実と空想が折り重なっているのだ。
「君の頭の中が大事」
中村佳穂はそうつぶやく。そして、爪弾かれるアコースティックギターの演奏に乗せて、絵本を読みながら、さらなる新曲を歌い始める。石若駿による生々しいドラムのビートに、ストリングスの演奏が重なる。映像にはギタリストの西田修大の姿が映し出されるが、フロアにそれ以外のメンバーはいない。中村佳穂はペンを握り、紙を床に置いて歌いながら何かを描きつける。その背後でコマが不自然な動きで回り続ける。かなり奇妙な空間だ。
バーカウンターの壁によりかかって座り、「大事なのは そう イメージ」と歌い、「あなたのイメージも、ぜひまた聴かせてね。また会えることを本当に楽しみにしています」とカメラ目線で話しかけ、ライブは終了した。
前半は音楽の魔法への没頭のドキュメント。そして後半は現実と非現実が交錯するマジックリアリズムの世界。オンラインライブというフォーマットを新しいアートに昇華させる表現が生まれた瞬間だった。
「『LIVEWIRE「中村佳穂」』は、彼女の音楽表現がこれまでと違う次元に達していることを形にしたライブドキュメンタリーだ」テキスト:山元翔一(CINRA.NET編集部)
『LIVEWIRE「中村佳穂」』について記事を書いてほしいと話をもらったときから、このオンラインライブは中村佳穂という音楽家にとってどんな意味を持つのか? そのキャリアにおいてどんな位置付けとなるのか? ということを考え続けている。このテキストでは、本人の言葉も交えつつ、ほぼその一点に思い巡らせて2020年9月現在の中村佳穂について言語化していく。
本来であれば、中村佳穂は6月にロームシアター京都・メインホールで『うたのげんざいち 2020』を開催し、「『AINOU』以降の中村佳穂」にひとつの区切りをつけて次のフェーズに移行する予定だった。昨年リリースされた配信シングル3曲やライブで披露されていた新曲群も含めて考えると、もしかすると年内にアルバムのリリースも視野に入れていたかもしれない。しかし、『うたのげんざいち 2020』は延期となり、『LIVEWIRE「中村佳穂」』が実施された。
まずは率直に、本公演の位置づけについて中村に尋ねると、このような回答が戻ってきた。
中村:今回の新型コロナウイルスの影響で、各公演が中止になったことはとても残念に思っていますが、もともと私は「なるべくしてなる」という考えが根底にありまして。「今は時期ではないんだな~」と、この春夏は切り替えて過ごしていました。
配信という行為に説明があまり要らなくなったこの現状において、「撮られる」が前提の今回の企画は、やってみたかったことがひとつできそうだぞ!!! とわくわくする感じでした。
エンドロールで綴られた本人の言葉を借りるなら、あの配信ライブは魔法のような音楽体験だった。だが、ここで魔法、魔法といっても仕方がないわけで、彼女のキャリアにおいてどう位置付けられるのかというところから『LIVEWIRE「中村佳穂」』がもたらした音楽体験について考えを巡らせていきたい。
僕がはじめて中村佳穂のライブを観たのは、2018年8月30日にTSUTAYA O-nestで開催した『exPoP!!!!!』のときだった(関連記事:中村佳穂、TAMTAMら出演。歌声と歓声で会話するような親密な夜)。その日のライブでは、本人同士のやりとりからCRCK/LCKSの小西遼がサックスで飛び入り参加している。
思えば、同年12月22日に開催された下北沢CLUB251での『AINOU』リリースパーティーでは同じくCRCK/LCKSより越智俊介がエレクトリックベースでゲスト参加し、2019年7月13日に開催された恵比寿LIQUIDROOMでのワンマン公演には、馬喰町バンドより武徹太郎(ギター六線、太鼓)と織田洋介(コントラバス)が、同年12月10日に新木場STUDIO COASTで開催された自主企画『うたのげんざいち 2019』には、CRCK/LCKSはじめ様々なプロジェクトでドラムを叩く石若駿がゲストで参加している。
中村佳穂という音楽家は、自らの音楽活動における重要なタイミングでのライブでゲストを招いている。そこについて中村自身はかなり自覚的なはずで、つまり中村佳穂は完成された音楽を披露するのではなく、その都度、不確定性の高い「他者」の視点や感性を取り入れてアップデートさせた表現を提示してきたのだと言える。そして、今回の配信における映像作家・林響太朗の立ち位置もおそらく同様の意味合いがあるのだと思う。
先に明かしておくと、あのライブドキュメンタリー映画のような質感の映像は、リアルタイムで撮影されたものではなかった。となると当然、あの「魔法」を形作る演出やカメラワークは綿密に作り込まれたものだ。その点を踏まえて、林響太朗とのコラボレーションについて聞くと中村はこう回答してくれた。
中村:今回はアーカイブが10日間残るということだったので、初見のときは腹9分目で終わりつつ、もう一度観たくなるような、何度観ても発見があるような、「観る側にも委ねられているヤバいもの」を目指していました。そういった観点で、会うたびに好奇心と野心を感じる響太朗さんがぴったりなのでは? と声をかけさせていただきました。
会場である京都UrBANGUILDのステージにはアップライトピアノの他に棚や花瓶に刺された花々、無数の植物が置かれており、ライブハウスのステージ上には見えないような、中村佳穂と音楽のためのプライベートな空間が作られていた。
その空間演出について考えを巡らせているうちに「あの映像は中村佳穂の歌そのもののようだった」と直感的に思い至った。
つまり、音楽のある場所(=ライブハウス)と生活のある場所、あるいは物理的なステージとフロア、もしくは視聴者の生活の場所と画面の向こうにある空間、そして現在と過去――それらの境界が曖昧に感じられるような配信ライブだったということなのだが……それがどういったことを意味するのかは正直わからない。
しかし、中村佳穂のライブや歌に対する「音楽や歌とそうでないものの境界が曖昧である」という評が、ある程度一般的なものになっていることは確かではあるし、『LIVEWIRE「中村佳穂」』がこれまで見てきた配信ライブを通じた音楽体験と大きく違った理由もここにあるような気がしている。
エンドクレジットに「idea」とあったように、これらの演出の出発地点は中村自身と考えてよいだろう。「自室のようなプライベートな空間のなかに植物と人と音楽、そして光(照明)が共存している空間演出が素晴らしいなと思いました」という感想とともに空間演出について尋ねたところ、このような回答があった。
中村:光や色の演出に関しては林監督の私の演奏に対するアンサーのように感じています。素晴らしかったですね。(中略)メインはフレッド・アステアやジーン・ケリーの『雨に唄えば』で感じられる「音楽が身体の中に巡っていて、それがうっかり外の人に見えちゃってる人」みたいなミュージカルのようなことがしたくて。
映像の後半、私の弾き語りが終わりピアノから離れて、無音の中で私が適当に身振り手振りをしたり、「ドラムス!」とかアドリブして撮影しました。そして撮影後日、「こんな感じの音が頭の中で鳴っていたので再現してほしい」と演奏者に伝え、当て振りしてもらう……という順番で収録しています。
あの後半のパフォーマンスは当て振りだったとなると、実際にどのように作業が行われたのか、収録時はどのような状況だったのか……気になることはいくつもあるが、それらの疑問に対する明確な回答はここにはない。しかし中村佳穂と林響太朗らが形にしたこの配信ライブには、目に見えるもの、そうでないものに限らず、様々な創意工夫が張り巡らされているということだけは確かだろう。
『LIVEWIRE「中村佳穂」』は「なるべくしてなる」の結果だとしても、客観的に見て、中村佳穂の表現の最新形を提示した配信ライブだったことは間違いない。そしてこれから先、彼女が自身の音楽表現を探求するために必要な何かしらの収穫を得ることができた機会でもあったはずだ。
最後に、中村佳穂にとって『AINOU』リリース前後という期間は、遠く、ステージ後方にいる観客にまで音楽に没入させるための「音」を模索して、バンドメンバーとともに体得した時間だった(関連記事:中村佳穂という「歌」の探求者。魂の震えに従う音楽家の半生)。その『AINOU』から約1年10か月が経ち、彼女は最も生身に近く原点とも言えるピアノの弾き語りという形態で、距離も、時間も超えて、見る者が息を呑む凄まじい表現を形にしてしまった。自己との対峙の先で研ぎ澄まされた彼女の感性と想像力は、時と場所を超えてディスプレイ越しに自身のことを見つめる私たちのことを捉えていたことだろうし、何より私たちもまた画面の向こうにいる彼女とその音楽の存在を確かに感じていた。
この表現は、コロナ禍によって人と人が集まって音楽を感じることが困難な状況が形にさせたもので、不測の事態によって成し遂げられた音楽の独自進化の形だ。「君の頭の中が大事」とも彼女は語ったが、その鍵となったのは中村自身の、どんなところでも、どんな状況でも音に耳を澄まし、音楽を感じ取ろうとする心のあり方、そしてその感じ取ったものをそのまま伝えようとする歌のあり方なのだろうと僕は考えている。
今、中村佳穂の表現はこれまでとは確実に違う次元にある。そしてその表現の感覚を作品に落とし込むことができたなら、彼女の音楽は歴史に残るはずだ。なぜなら、そんな音楽は聴いたこともなければ存在すら知らないし、想像もできないから。こんなことをも思わせられる強烈な配信ライブだった。
「私が最近気になっているサウンドはテクスチャと、異質感。身体性と、ロジカル性のバランスの良さを感じる曲です」ーー2020年9月現在の中村佳穂を記録する、7つのQ&A
―率直に、中村佳穂というアーティストにとって『LIVEWIRE「中村佳穂」』はどのような位置付けなのでしょうか?
中村:今回の新型コロナウイルスの影響で、各公演が中止になったことはとても残念に思っていますが、もともと私は「なるべくしてなる」という考えが根底にありまして。「今は時期ではないんだな~」とこの春夏は切り替えて過ごしていました。
アイデアというのは無理やり実現するより、波がきた時に乗せてあげるほうがいいなと思っています。YouTubeで様々な世界の動画を見て勇気付けられてきた私にとって、配信という行為に説明があまり要らなくなったこの現状において、「撮られる」が前提の今回の企画は、やってみたかったことがひとつできそうだぞ!!! とわくわくする感じでした。じっくり取り組めてとても勉強になりましたし、「我ながらよくやった!」と手ごたえがあったので、ここからまたよりよくトライしたいなと思っています。
―今回、なぜピアノ弾き語りをメインとするライブだったのでしょうか? また、京都のUrBANGUILDを会場とした理由と併せてお聞かせください。
中村:今は音楽に携わる人誰もが「模索」している時期だと思います。20歳の頃から「なんだかわからないけど歌いたい」と模索していた私を快く受け入れてくれた京都という街、そして大学在学中からやんちゃな自主企画を快くやらせてくれていたUrBANGUILDで、改めて今ひとりでフラッとまた模索しに歌いに行こう、ということは自然に思っていました。ぜひみなさんにも遊びに行ってほしいライブハウスです。love
―『LIVEWIRE「中村佳穂」』を拝見して、手持ちカメラのワンカットという、ライブドキュメンタリー映画のような質感の非常に作家性の高い映像作品だと感じました。本公演は収録映像とのことですが、そもそも生配信ではなくなぜ収録だったのか、そして林響太朗という作家と組んで実施した理由について教えてください。
中村:言葉というのはとても力があり、「収録映像」「映像とコラボ」と最初に聞いてしまうと「何か演出があるのだろうか」と無意識に考えさせてしまうものです。今回の配信はあくまで演奏がメインなので、事前に演出ばかりを意識させないようにあえて収録であることを伏せてもらっていました。
今回はアーカイブが10日間残るということだったので、初見のときは腹9分目で終わりつつ、もう一度観たくなるような、何度観ても発見があるような、「観る側にも委ねられているヤバいもの」を目指していました。そういった観点で、会うたびに好奇心と野心を感じる響太朗さんがぴったりなのでは? と声をかけさせていただきました。
―中村さんのライブは、“アイアム主人公”の中盤に盛り込まれるブレイクのパートがひとつの盛り上がりを作っていて、その時、その場限りの身体性という意味でのライブ感を象徴しているように思ってこれまで見てきました。今回のライブではそのパートはないわけですが、配信ライブと人を前にしたライブの違いは中村さんのなかではどんなものなのでしょうか?
中村:演奏というのは卓球のようなもので、有人か無人かの違いは、対する相手が観客なのか、自分なのかの違いだと思います(無人の中で無理に人を意識するのは、暗闇の中からボールが飛んでくるのを打ち返さないといけない行為だと思うので大変そうだなと、個人的には思っています)。
今回は自分が自分と向き合い、それを心許されたひとりの人がじっと見つめているという親密さがある感じになったので、演奏中はひとりきりで弾いている時とは少し違いを感じつつも、集中して演奏でき、「1対1000」ではなく「1対1×1000パターン」という今の時勢に近い形になったなと思います。
―エンドクレジットを拝見して中村さんに「idea」という項目がありましたが、この公演は自室のようなプライベートな空間のなかに植物と人と音楽、そして光(照明)が共存している空間演出が素晴らしいなと思いました。Twitterでも「私の中で6年間温めてたアイディアも形になる」とおっしゃっていて、中村さんがどういったことを考えられていたのか、今回の空間演出の意図も含めて教えていただきたいです。
中村:ありがとうございます! 光や色の演出に関しては林監督の私の演奏に対するアンサーのように感じています。素晴らしかったですね。
アイデアは全部書くと長くなってしまうので、今度自身のSNSにもまとめて掲載しようかなと思っていますが、メインはフレッド・アステアやジーン・ケリーの『雨に唄えば』で感じられる「音楽が身体の中に巡っていて、それがうっかり外の人に見えちゃってる人」みたいなミュージカルのようなことがしたくて。
中村:映像の後半、私の弾き語りが終わりピアノから離れて、無音の中で私が適当に身振り手振りをしたり、「ドラムス!」とかアドリブして撮影しました。そして撮影後日、「こんな感じの音が頭の中で鳴っていたので再現してほしい」と演奏者に伝え、当て振りしてもらう……という順番で収録しています。
快く演奏してくれた駿くん(石若駿、ドラム&ピアノ)、べちこさん(磯部舞子、バイオリン)、じゅんぺいさん(林田順平、チェロ)、角銅さん(角銅真実、声)、そして夢を加えてくれた持田くん(持田寛太、3DCG)には感謝です……! すごく楽しいRECでした。
―新曲“アイミル”について聞かせてください。突如他の音が重なってくるという演出もあって、この曲が一番映えるような構成になっているなとも思ったのですが、演奏やアレンジもこれまでにないものでかなり印象的でした。たとえば、最初のヴァースのバッキングはオクターブの2音だけでここまでのピアノプレイとは明らかに異なりますし、間奏で歪んだギターが入ってくるところのコード感や全体のムードもかなりロック的なサウンドになっているように感じました。この曲はどんなところから生まれて、どんな形を目指して制作されたのでしょうか?
中村:私はコンセプトを伝えて、人をセッティングするところまでが好きで、あとは「なんか違う」とか「いいね! 適当に歌ってみるね」「イエーイ!」とか言うだけなので、ここのアレンジの頑張りは前作のアルバム『AINOU』でも尽力してくれた西田修大くんと、荒木正比呂さんの力だと思います。特に西田くんは最近「才能爆発プラン」という、アホかつ最高なプランを実施し、本当に才能が爆発してきているのですごいなと思います。今回の配信の後半のサウンド面の鍵を握っているのも彼です。
―最後に中村さんの現在のモードについてお聞かせください。昨年7月のLIQUIDROOM公演でMoog Grandmotherをライブに持ち込んで“GUM”の導入部で凄まじい手弾きを披露したり、また今年5月22日にTwitterにアップされた“そのいのち”の弾き語り動画や本公演のCM動画に写っているのはProphet-5とのことですが、それらのサウンドは中村さんの新しいモードの土台になっていくのではないかと勝手に感じておりました。Moogをはじめとするアナログシンセサイザーのサウンドに中村さんが何を見出しているのか、そして意識的にそのサウンドに手を伸ばしている理由を教えていただけますでしょうか?
中村:私が最近気になっているサウンドはテクスチャと、異質感。身体性と、ロジカル性のバランスの良さを感じる曲です。
例えばとても素晴らしいバレエダンサーがいて、その人のクラシックバレエのダンスを30分鑑賞するのもいいのですが、例えば、トゥーシューズを片方しか履いていない、とか、若干縛られているとか(笑)。意図しているけど、意図した結果になりきらないコントロールを加えることによって、観る側が今までに感じたことのない感情になる。そういうことにトライしている音楽家が世界に今たくさん増えている印象があります。
そしてそれに感動してる今の私がいて、結果知らないうちにMoogが好きになっている気がします。「なるべくしてなる」と思っているので、私の今後の感情が私も楽しみです。
- 番組情報
-
- 『LIVEWIRE「中村佳穂」』
-
2020年9月12日(土)20:00~LIVEWIREで配信
料金:3,300円
※視聴用チケットは9月22日(火)21:00まで販売中
- プロフィール
-
- 中村佳穂 (なかむら かほ)
-
「手は生き物、声は祈り。」1992年生まれ、京都出身のミュージシャン。20歳から本格的に音楽活動をスタートし、音楽その物の様な存在がウワサを呼ぶ。ソロ、デュオ、バンド、様々な形態で、その音楽性を拡張させ続けている。ひとつとして同じ演奏はない。見るたびに新しい発見があるその姿は、今後も国内外問わず、共鳴の輪を広げていく。2018年11月アルバム『AINOU』を発表。2019年7・8・9月に配信シングルを発表、3曲を収録したCD(特製紙ジャケット仕様)をライブ会場・公式HP通販で販売中。
- フィードバック 2
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-