※本記事は『ミセス・ノイズィ』のネタバレを含む内容となっております。あらかじめご了承下さい。
布団を叩く音への苦情が発端。隣人トラブルが、2つの家族とネットユーザーやメディアを巻き込んだ大騒動に
かつて週刊誌やワイドショーなどで連日取り上げられていた「騒音おばさん」。布団を叩き、ラジカセで音楽を鳴らすなど、大きな音を出して隣人に聴かせることで騒動となった「ご近所トラブル」は、当時訴訟に発展し、さらには刑事事件にまでなった。この実際の出来事に着想を得て、オリジナルストーリーで描いた映画が、『ミセス・ノイズィ』である。
『共喰い』(2013年)の篠原ゆき子が演じる、36歳の小説家・吉岡真紀が本作の主人公だ。真紀は最初の作品が大きく評価されて華々しく作家デビューを果たし、いくつかの小説を発表していた著名な存在だが、近頃はあまり作品の評判が芳しくない。夫と幼い一人娘とともに心機一転、集合住宅へと引っ越してきた真紀は、執筆に専念しようとするも、子育てに追われて仕事に集中できなかったり、担当編集者にもダメを出され続け、焦りとイライラがつのっている。そんな日々のなかで、真紀は隣の部屋の住人で、夫と二人で暮らしている52歳の女性・若田美和子の行動に不信感を抱き始める。美和子を演じているのは、舞台俳優で2013年から映画やテレビドラマに進出している大高洋子だ。
美和子は断りもなしに真紀の娘を連れ出して遊ばせたり、早朝に布団をばたばたと叩くような、奇妙な行動を繰り返しているのだ。ストレスがたまっていた真紀は、「いい加減にやめてもらえませんか」と、注意してしまう。その言い方にカチンときた美和子は、生活音がうるさいのならと、ラジカセを持ってきて大音量で音楽を流しながら、また布団を叩き始める。布団を叩く音を音楽で打ち消したんだからいいだろうという主張だ。売り言葉に買い言葉で、隣り合った部屋の女性二人による、ベランダの仕切りを挟んだ罵り合いはヒートアップしていく。
これが、本作『ミセス・ノイズィ』で起きる一連の騒動の発端だ。ここでの二人のバトルは、滑稽で面白おかしいものに感じられる。それを裏付けるように、このご近所トラブルを面白がって撮影した映像が動画サイトで話題となり、大勢のネットユーザーを楽しませることになる。また同時に、真紀は美和子への反撃としてこの出来事を新作小説のネタとして利用し、「あくまでフィクション」だと断りながらも、隣人を作品のなかで悪し様に描いていく。
その小説に登場する隣人のキャラクターが美和子をモデルにしていることは、動画サイトの映像とあわせて楽しまれることで公然の事実とされ、そのスキャンダルな内容も含め小説は大人気に。かくして真紀は、ふたたび売れっ子作家に舞い戻ることができたのだ。
だが、これで一件落着なのだろうか……。この騒動によって大勢の人間が楽しみ、小説の掲載誌は売れ、メディアは注目のネタが手に入って大満足である。しかし、美和子はこの騒動の中心にありながら、何の報酬も得ていないばかりか、頭のおかしな人物として笑い者にされ、映像や小説のなかで中傷され続けるのである。果たして、彼女はそこまでの目に遭う筋合いがあったのだろうか。本人や夫の身になって考えると、あまりにも酷な仕打ちではないか。
一般の市民が「笑ってもいい存在」にされ、世間から一方的な攻撃にさらされる
これは、基となった事件でも生じていた問題だ。メディアに「騒音おばさん」と名付けられた女性は、ワイドショーや週刊誌を中心に、面白おかしく扱われ、お笑い番組では彼女を真似た芸人が笑いをとっていた。誰かが一人の人物を「笑ってもいい存在」だとすることで、国じゅうのみんなが、まるでいじめのように攻撃する。だが彼女は政治家でもエンターテイナーでもなく、あくまで一般の市民である。
最近も、日本のテレビ局が制作していたリアリティショーの出演者が自殺してしまうという痛ましい出来事があった。番組のなかでの行動が問題だとしてSNS上で誹謗中傷が相次いだことがきっかけだとされている。ヒートアップしてタガが外れたネットユーザーたちの言動にも問題があるが、制作側にも大きな責任がある疑いがある。その人物をショーのなかで悪者として扱い、SNSのなかで炎上を煽るかのような演出をした部分があったのではないかと言われているからだ。本作でもいわれる通り、それは「炎上マーケティング」とも呼ばれ、人々の負の感情を呼び起こすことで熱気を発生させ注目を集める手法である。それはときに、差別心や敵がい心を呼び起こす場合があり、個人や社会にとって危険なものになりかねない。
「騒音おばさん」とされた女性側の視点から見ることで浮かび上がる、別の「事実」
さて、本作の物語は、ここから新たな展開を迎える。視点が美和子のものに入れ替わり、一連の騒動を美和子の側からふたたび描いていくのである。そこでは、彼女がなぜ真紀の娘を連れ出したのか、なぜ早朝に大きな音を立てて布団を干していたのか、その驚きの理由が明らかとなる。
本作の監督・脚本は、天野千尋。映画制作を開始してから約10年のキャリアのなかで、国内外の様々な映画賞に入選、入賞してきた。本作では、物語の途中で「もう一方から見た事実」を描くという、実験的な構成に挑戦している。そして何より、下手をすれば自分自身が特定の人物を中傷したり、事件を面白おかしく扱っていると指摘されかねないような危うい題材を、軽妙な演出と絶妙なバランス感覚によって、一つの映画作品として真摯なものに感じられるようにまとめ上げている。
フェイクニュースが流布する「ポスト・トゥルース」時代の社会状況とも接続する
それだけでなく、本作はいまの社会の状況とさらに接続することで、この題材を選んだことへの強い意義を生み出した。それは、日本でも近年大きな問題となっている「フェイクニュース」の危険性についてである。
劇中では、美和子が激怒して奇異な行動をする映像が撮られる様子が描かれたように、カメラで撮る映像は真実を映すようでいて、撮影者や編集者が自分の望むかたちに切り取ることが可能だ。実際、真紀が美和子に対して言ったことや、やってしまったことは、真紀がカメラで撮る場合、カットできることになってしまう。そうすれば美和子のことを、何もしていないのに怒り出して嫌がらせをするような、異常な人物に仕立てあげることも可能なのだ。
そうでなくとも、真紀は小説家という肩書きがあり、とくに後ろ盾のない美和子と比較したときに社会的信用度が高いといえる存在だ。近年大きな社会問題になっているのは、このように、社会的地位や立場を利用することで、その人物が主張する一方的な情報を、メディアリテラシーに欠ける人々が鵜呑みにするような事例が目立っていることである。事実よりも感情を優先させ、自分たちが納得できる話を真実だということにしてしまう。このような異常な状況は、近年「ポスト・トゥルース」と呼ばれている。
そこでは事実が歪められ、ならず者が英雄として扱われたり、正しいはずの人間が悪者にされる場合がある。そして、いわれのない理由で危険にさらされる人々が生まれてしまう可能性もある。このようなデマに騙された者は、ある意味被害者なのかもしれないが、その情報を拡散したり偏見を広めてしまえば、その時点で加害者にもなり得るのだ。
様々な情報にさらされているわれわれが、偏った情報やデマに踊らされて、人を追い詰めて傷つける加害者にならないためには、しっかりとした情報の検証が必要だ。本作は、一つのご近所トラブルを、双方の視点から表現することによって、観客にそのプロセスを体験させるものとなっている。
一つの出来事から、ここまでの論点を掘り起こした監督の手腕はもちろんだが、社会問題を取り上げるだけではなく、何が原因なのか、どうすればよいのかを含めて考えられた内容になっているところが、本作を高く評価できる部分である。そして、シリアスな社会問題や批判を受けそうな題材を避ける場合も少なくない現在の日本映画において、『ミセス・ノイズィ』は覚悟を持った一作になっているといえるだろう。
- 作品情報
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- 『ミセス・ノイズィ』
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2020年12月4日(金)からTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開中
監督・脚本:天野千尋
音楽:田中庸介&熊谷太輔
主題歌:植田真梨恵“WHAT's”
出演:
篠原ゆき子
大高洋子
長尾卓磨
新津ちせ
宮崎太一
米本来輝
洞口依子
和田雅成
縄田かのん
田中要次
風祭ゆき
上映時間:106分
配給:アークエンタテインメント
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