※本記事は『ミナリ』の内容に関する記述が含まれています。あらかじめご了承下さい。
「外国語映画賞」にノミネートされたアメリカ映画
1980年代のアメリカ・アーカンソー州に移住してきた韓国人一家を描く映画『ミナリ』(原題『Minari』)が公開される。
アメリカのプロダクションスタジオA24とプランBによって製作・配給され、アメリカで全編撮影されたこの作品は、昨年末行われた『第78回ゴールデングローブ賞』のノミネーション発表において外国語映画賞の候補とされたことが大きな議論を呼んだ。同賞では、主要賞とされるドラマ部門作品賞の選定基準として「台詞の50%以上が英語による作品」であることが求められているために、台詞の半分以上が韓国語で占められる本作のノミネーションが叶わなかったのだ。
アメリカ全土で発生するアジア系移民を狙ったヘイトクライムは新型コロナウイルスの流行が拡大した時期から、以前にも増して増加の一途を辿っており、抗議集会も盛んに開催されている。その渦中、韓国系アメリカ人のリー・アイザック・チョン監督により、アメリカに暮らす韓国系移民一家が描かれた『ミナリ』がアメリカの映画賞において「外国語映画賞」にノミネートされたことは、現在のアメリカに暮らす移民の多くが「アメリカ人として見なされていない」と感じるような、被差別的な立場を表しているように見受けられる。しかし、むしろそのような社会的背景があるからこそ、「미나리(ミナリ、植物のセリを意味する)」という韓国語を作品タイトルに掲げた本作は、「アメリカ映画」と見なされるべき必然性をますます帯びるように感じる。
ハリウッド映画におけるアジア系キャラクターのレプリゼンテーション。差別的なステレオタイプとも戦ってきた
2016年、インド系アメリカ人デフ(アジズ・アンサリ)を主人公に据えたNetflix製作のテレビシリーズ『マスター・オブ・ゼロ』が『エミー賞』を獲得した際、脚本を手がけた台湾系アメリカ人のアラン・ヤンが壇上で口にしたスピーチは、これまでのアメリカ映画におけるアジア系の人々の描かれ方を端的に表すものだった。
「(同作の舞台であるアメリカには)1700万人のアジア系アメリカ人がいて、イタリア系アメリカ人も1700万人いる」「イタリア系の人々には、『ゴッドファーザー』や『グッドフェローズ』、『ロッキー』や『ザ・ソプラノズ』があり、私たち(アジア系)にあるのはロン・ダク・ドンだ。まだ先は長い。でも私たちもそこにたどり着けると信じている」
ロン・ダク・ドンとは、1984年に公開されたジョン・ヒューズ監督作品『すてきな片想い』に登場した中国人留学生のキャラクターのこと。たどたどしい英語で下ネタばかりを口にする彼は、白人の登場人物たちが恋愛模様を繰り広げる背景に配置された「間抜けなアジア人」として描かれている。ロマコメの名作として愛された『すてきな片想い』だが、少なくともアジア系の観客たちは「ハリウッド史上最も差別的なアジア人のステレオタイプ」とも評されている彼に、自身を重ねて楽しみたいとは思えなかったのではないだろうか。
ロン・ダク・ドンに象徴されるような、アメリカ映画において物語を円滑に進行させるためステレオタイプ化されたアジア系の登場人物は、いわば人間らしさを奪われた「プロップ(小道具)」的な存在だ。映画のキャラクターたちに共感し、ロールモデルを見いだし、没入する白人の観客と、それらを諦めざるを得なかったアジア系の観客との間には、映画体験の非対照性が長らく横たわっていた。
『クレイジー・リッチ!』や『フェアウェル』。アジア系アメリカ人フィルムメーカーによって語られる物語
映画の中におけるアジア系移民の表象に大きな変化をもたらしたのは、2018年に公開された、台湾と中国にルーツを持つジョン・M・チュウの監督作品『クレイジー・リッチ!』(原題『Crazy Rich Asians』)だ。「一般的な家庭に育ったヒロインが大金持ちの男性に見初められる」という王道ロマコメのストーリーラインを辿りながら、アメリカで製作されるメジャー作として25年ぶりにアジア系俳優をメインキャストに迎えた同作は、アジア系の人々にとってようやく心から自身を重ねたくなるような映画体験を与えるアメリカ映画となった。
さらに2019年に公開された『フェアウェル』では、アラン・ヤンがスピーチで言及した『ゴッドファーザー』とはまた異なる、世代と世代を繋ぐ移民の物語が中国系移民2世の視点から描かれた。
北京に生まれ6歳でアメリカに渡ったルル・ワン監督本人とその家族の実体験が大きく反映された同作は、中国に暮らす祖母、中国で育ったのち渡米した両親、そしてアメリカで育った移民2世である主人公の3世代間における文化的価値観の差異が、作品の核となっている。
「答えのない多くの疑問についてアメリカの友人たちに話すと、アメリカ人の答えが帰ってくるし、私の家族に話すと中国人の答えが返ってくる。引き裂かれたような思いになりました。だから私はこの映画を作ろうと決めたのです」(2020年1月、『ゴールデングローブ賞』シンポジウムより)。そう語るルル・ワン監督自身の想いが込められた『フェアウェル』は作中で細やかに表される主人公の葛藤を通じ、それまでのアメリカ映画や中国映画にも描かれてこなかった、アメリカに暮らす中国系移民の人々の心象風景を見事に映し出した。
移民2世から見た、親世代にとっての「アメリカン・ドリーム」の姿
こうして、かつては誰かから語られる存在だったアメリカ映画の中のアジア系移民は、近年活躍するアジア系アメリカ人フィルムメーカーに語られることにより、その表象に変化が現れている。また韓国映画ではあるが、韓国文化に深く根差す表現が多用された『パラサイト』の国際的評価なども踏まえると、『ミナリ』はそれらの潮流を受け継ぎながら更なる変革をもたらす作品だと言えるだろう。
映画は、父ジェイコブが一家を連れてアーカンソーの農村地域に引っ越してくるところから始まる。韓国からアメリカに移住し、農場経営の成功を目指す彼が抱く大志は、これまで映画に限らず数多のアメリカの文化作品において主題とされてきた「アメリカン・ドリーム」を移民の視点から再文脈化する。
物語途中、一家はアーカンソーへ移る以前に一度カリフォルニアに居住していたことが明らかにされる。劇中でジェイコブが幼い息子に「カリフォルニアは何もなかった」と語るシーン、またジェイコブと妻モニカの職場に勤める韓国系移民の同僚が「ここにいる韓国人は皆、韓国教会が嫌で大都市から移住してきた」と打ち明けるシーンは、彼らの抱くアメリカン・ドリームが経済的な成功のみを目指すものでなく、どんなコミュニティに身をおき、どのように生きたいかを追い求める思いによるものであることを表している。
重要なのは監督のリー・アイザック・チョンが1978年生まれの移民2世であり、また冒頭シーンが新居へ向かう車のバックシートに乗った息子・デビットの目線から映し出されていることからも示唆されているように、『ミナリ』が描くアメリカン・ドリームとは、移民2世から見た親世代にとってのアメリカン・ドリームであるということだ。本作を手がける上で重視したことについて、リー監督は『NPR』のインタビューでこのように語っている。
「私は、彼ら(親世代)が生身の人間にすぎないというアイデアを信じるところから始めました。そしてこの映画に私自身の個人的な経験、不安や考えを多く入れ込んで、自分自身を探求することで、彼らがどんな人たちなのかということに向き合いました。ある意味では、私たちは皆同じですから」
これまで描かれてこなかった、しかしずっとそこに存在してきたアメリカの光景
「ある意味では、私たちは皆同じ」という考えは、中盤で韓国から一家の元へ移り住んでくる祖母・スンジャと両親、そして子どもたちの3世代間に見られる、文化的価値観の差異と継承にも示されている。中国系移民の主人公とその一家の物語である『フェアウェル』にも描かれていたこの要素が、『ミナリ』では世代間でグラデーションのように移ろぎ交わりゆくものとして描写されているあたりが印象的だ。
アメリカで生まれ育ち韓国の地を踏んだことのないデビットは、韓国から渡ってきた祖母・スンジャを警戒し距離を保とうとしている。そんな彼に、ある日両親の居ぬ間、スンジャは花札の遊び方を教える。それまで聞いたことがなかったであろう罵倒語を吐き、花札に興じるスンジャの楽しげな姿を見たデビットはその後、アメリカで出来た友人と共に花札で遊ぶ。もちろん祖母から学んだ、韓国の罵倒語を吐きながら。
また反対に、デビットと姉のアンが好んで飲んでいる「マウンテンデュー」をスンジャが気に入って飲むようになるような光景も見られる。名優ユン・ヨジョンによって演じられるスンジャの、テレビの前で立て膝をつき美味しそうにマウンテンデューを啜るそのあまりに愛らしい姿は、リー監督の記憶の中を覗いているような感覚にさえ陥らせるものだ。
この映画で描かれる、祖母と孫が文化の差異を通じてゆっくりと心を交わせていく様、また親たちの「生身の人間にすぎない」からこそ複雑な形をしたアメリカン・ドリームは、ともすれば忘れ去られてしまうかもしれないパーソナルな人生の機微だ。しかし移民2世の視点から描かれるこの小さな家族の物語では、そんな人生の機微こそが主旋律となり、これまで描かれてこなかった、しかしずっとそこに存在してきたアメリカの光景をスクリーンの中へ鮮やかに映し出している。
移民やマイノリティ、女性たち……社会の狭間で「見えざる者」とされてきた人々
そして本作『ミナリ』が投げかけるまなざしは、彼ら一家と同じくアメリカに暮らすアジア系移民以外の人々にも向けられている。
韓国系アメリカ人であり、ジェイコブ役を演じたスティーヴン・ユァンは、A24のウェブサイトに掲載された本作にまつわるインタビューで次のように語っている。
「私たちが直面しているこのパンデミックで、社会を支えているのは誰でしょうか? それは狭間にいる人々、狭間に立たされた人々、移民やマイノリティ、女性たちです。彼らこそが社会構造を支えている人々なのに、いつも無視されている。おかしなことです。それは今に始まったことでなく、移民やマイノリティは、ずっとそうやって生きてきたんですよ」「昨年、私の両親は初めて投票に行きました。なぜならそれまで彼らにとってみれば、投票は意味を見いだせるものではなかったから。彼らは結局『見えざる者』で、社会は何もしてくれません。彼らはずっとこの狭間の存在として他者化され、よそ者扱いされながら、私の場所を守ってくれていたのです」
これまで描かれてこなかった、しかしずっとそこに存在してきたこの移民家族の小さな物語は、社会に「見えざる者」とされている全ての人々の物語でもあるのだ。
『第93回アカデミー賞』で6部門の候補入り。スティーヴン・ユアン、ユン・ヨジョンが演技部門にノミネート
『ゴールデングローブ賞』で外国語作品賞にノミネートされた『ミナリ』は、『第93回アカデミー賞』においては作品賞、監督賞を含む6部門の候補入りが決定しており、なかでも韓国人俳優として初めてアカデミー演技賞候補に名を連ねたユン・ヨジョン、そしてアジア系アメリカ人俳優として初めて主演男優賞にノミネートされたスティーヴン・ユアンの快挙に大きな注目が集まっている。
今回の『アカデミー賞』では、本作の他にも『ノマドランド』のクロエ・ジャオ監督、そして『プロミシング・ヤング・ウーマン』のエメラルド・フェネル監督と、史上初めて2人の女性が監督賞に候補入りし、演技部門ではノミネートされた20人のうち非白人の候補者が過去最多の9人となった。また同賞では、2024年度以降からは作品賞候補の選考に一定のダイバーシティとインクルージョンを反映させた新基準が設けられることがアナウンスされている。
こうしたノミネーションにおける不均衡の見直しは、長らく「オスカー・ソー・ホワイト(白すぎるオスカー)」と称されてきた『アカデミー賞』、そして映画業界全体によって「見えざる者」とされてきたフィルムメーカーたちの活躍を推し進めるとともに、本作『ミナリ』が映し出すような「これまで描かれてこなかった、しかしずっとそこに存在してきた光景」をスクリーンの中に拓くきっかけにもなるだろう。
この映画のタイトルに掲げられる「ミナリ」は、東アジアのいたるところに自生し、韓国の食卓にも日常的に並ぶ香味野菜だ。
劇中、祖母・スンジャが種を蒔き、アーカンソーの地に根を生やして大きく育つ「ミナリ」とは、いったい何を表しているのだろう。それは、生きたいと思える場所を求めるジェイコブたちのような移民であり、また自分たちによる自分たちの物語を求めるフィルムメーカーたちであり、そして「見えざる者」を「見える者」とする本作のような文化を指すのではないだろうか――。スンジャはデビッドにこう語りかける。「ミナリは最高の食べ物だよ。雑草みたいにどこでも育つから、誰でも食べられる。お金持ちも貧しい人も。食べて元気になるんだ」「ミナリは本当にワンダフルだよ」
- 作品情報
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- 『ミナリ』
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2021年3月19日(金)東京・TOHOシネマズシャンテほか全国で公開
脚本・監督:リー・アイザック・チョン
出演:
スティーヴン・ユァン
ハン・イェリ
アラン・キム
ネイル・ケイト・チョー
ユン・ヨジョン
ウィル・パットン
ほか
配給:ギャガ
上映時間:116分
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