『ノマドランド』が映すアメリカの姿。過酷な状況とノマドの精神

ヴェネチアで最高賞受賞、『アカデミー賞』作品賞も有力視。『ノマドランド』は何を映しているのか

米『アカデミー賞』の各部門のなかでも、最も注目される「作品賞」。『第92回アカデミー賞』では、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が、アジア映画として初めて、その栄誉に輝いたことが話題となった。そして、2021年開催の第93回における作品賞ノミネート作品のなかで、最も受賞に近い存在と見られているのが、『ノマドランド』である。本作はすでに、『ヴェネチア国際映画祭』で最高賞を受賞している。

今年の『アカデミー賞』作品賞には、「史上最高の映画」との呼び声の高いクラシック作品『市民ケーン』の脚本執筆の裏側をデヴィッド・フィンチャー監督が描いた『Mank/マンク』、アメリカに移住してきた韓国系の一家の奮闘を追う感動作『ミナリ』、史実を基に差別・人権問題を映し出した裁判劇『シカゴ7裁判』など、強力な対抗馬がノミネートされるなか、『ノマドランド』は前哨戦といわれる『ゴールデングローブ賞』で作品賞、監督賞を獲得するなど、頭一つ抜けている状況だ。

なぜ『ノマドランド』が、そこまで評価されているのか。それは、いまのアメリカの切迫している状況を映し出しながら、さらに人間の奥深い部分に到達した内容にあった。ここでは、本作の背景や映し出されているものを追っていくことで、その秘密に迫っていきたい。

『ノマドランド』 © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

車上生活者の視点から経済大国アメリカを映し出す。ハードな肉体労働に従事し、仕事を求めて移動する高齢者たち

フランシス・マクドーマンド(『スリー・ビルボード』)が本作で演じるのは、働き口だった工場が潰れたことで、今は亡き夫と長年住んでいた家を手放し、改造したバンの中で一人暮らしをすることになった女性、ファーンだ。彼女は、クリスマス商戦の時期にAmazonの倉庫でハードな労働に従事したり、キャンプ場の管理をしたりするなど、バンを移動させては、一定の期間だけの臨時の募集を見つけて、保障のない仕事で糊口をしのぐ生活を送ることになる。

ファーンは厳しい生活を送りながら、同じようにバンやキャンピングカーで暮らす人たちと、束の間の交流をしながら、車上生活のノウハウを学んでいく。そして、狭い車に詰め込んだ思い出の品や、写真を眺めながら、一人で過去の幸せな思い出にひたるのだ。本作は、そんな車上生活者の視点から、経済大国アメリカの貧困の現場を映し出していく。

『ノマドランド』 © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

本作の基となっているのは、ジャーナリストのジェシカ・ブルーダーによるルポルタージュを書籍化した『ノマド:漂流する高齢労働者たち』。本作のファーンのように、もともと中産階級にあったが家を手放し、仕事を求めて移動する車上生活者となったシニア世代のアメリカ人たち数百人に取材を行ったものだ。取材で分かってきたのは、そんな人々の多くが生活に困窮し、ハードな肉体労働に従事しているということだ。さらに、貧困層の負担が重いといわれるアメリカの医療事情では、必要な治療を受けられない場合も少なくない。一度重い病気にかかってしまうと、それは即、命の危険となる。

このような困窮した車上生活者が出現したのは、近年さらに貧富の格差が拡大し、経済的に安定した暮らしをしていた中間層の人々が低所得者に転落するケースが増えたことが考えられる。その大きな要因に、多くの失業者を生むことになった、2008年の金融危機「リーマン・ショック」がある。とくに加工業を中心とした第二次産業の状況は深刻で、工場の廃業が相次ぎ、産業に依存した町がゴーストタウン化するなど、雇用の回復もなかなか進んでいない状況だ。さらには加熱した住宅ローンビジネスの破綻によって、家を失う者も多かった。

『ノマドランド』 © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

主人公ファーンの家があったネバダ州エンパイアもまた、実際に砂漠のなかに存在する小さな工場の町であり、2011年の工場閉鎖によってゴーストタウンとなっている。ファーンは、そこで教員の仕事をしていたという。しかし、長年工場で働いていたり、カンパニータウンの住人たちへのサービスをしていたりしたシニア世代が、そのキャリアを他で活かすことは難しい。高齢の労働者たちがハードな肉体労働を選ばざるを得ないのは、そのためなのである。

冬場の寒さや女性一人で行動することのリスク……実際のノマドたちを出演者に起用し、その生活を徹底したリアリティで描く

『ノマドランド』のタイトルにある「ノマド」とは、「遊牧民」や「放浪者」など、定住する場所を持たない人々を指すフランス語を基にした言葉である。近年、決まったオフィスでなく、様々な場所を仕事場とするフリーの「ノマドワーカー」なる存在が取り沙汰され、新しいポジティブなワークスタイルだと脚光を浴びたが、本作のようなケースが増えていることで、それは同時に、困窮者が仕事を得るために放浪せざるを得ない状況を指す言葉ともなっているのだ。

本作が徹底しているのは、ノマドの生活をリアリティを持って映し出すこと。主演のマクドーマンドは、演技のため実際に車上生活や肉体労働を経験し、車上生活者として仲間と交流していた。マクドーマンドと接していた本物の車上生活者たちは、映画の撮影が始まったことで初めて彼女がオスカー俳優だと知ったのだという。そして、そんな実際のノマドたちが、本作の出演者の多くを占めているのである。ゆえに本作は劇映画でありながら、ある意味ドキュメンタリーの要素も備えている。

フランシス・マクドーマンドとクロエ・ジャオ監督 © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

このような実地での生活を出演者たちが経験していることによって、あらゆる生活の描写の一つひとつが雄弁に状況を語っていく。観客はまるで自分が体験しているように、車上生活の様々な大変さを理解することができるのである。車を長時間停める場所を見つけることの苦労や、冬場の寒さが命を奪いかねないほど脅威となること、排泄問題や車両のメンテナンス、さらにファーンのような女性の場合、人の少ない場所を一人で行動するのに高いリスクを負うなど、車で暮らすことがここまで困難なことだということが、本作を観ることで実感できる。

『ノマドランド』 © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

一種のロマンだったアメリカン・ニューシネマの「放浪」との違い。本作が稀有な作品である理由

事実を基に国内の問題にメスを入れるアメリカ映画は、近年非常に多くなってきている。そんな多くの映画作品の中で、本作がより奥深く、際立ったものとなっているのには、さらなる理由がある。このような生活を送る人々を、涙を誘う「可哀想な存在」として描いたり、政府の酷薄さや怠慢を指摘するのに都合の良い存在として利用したりすることを、本作は周到に避けているのである。車上生活者として放浪するノマドたちは、自分たちが場所やしがらみに縛られないという意味で、自由な存在であるという誇りをそれぞれに持っているということを、本作はしっかりと映し出している。そして、ノマドとしての生き方は、ある意味で、西部開拓時代にアメリカに入植し、新天地を探して旅をした移民たちが持っていたスピリットに近いことを指摘する。

『ノマドランド』 © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

アメリカの車上生活者の周りに広がるのは、荒涼とした孤独な風景だ。しかし、それでも本作が映し出しているように、朝日や夕日が、景色をあたたかく染め上げるのを見たり、満点の星空が世界を包み込むのを感じたりなど、車で生活しているからこそ、この世界に生きている実感を覚え、自由な個人として自然の中に存在していることを愛おしむ機会が多いのは確かなのだ。それは、現代の都市生活者が失った生き方でもある。

現在のアメリカのシニア世代が青春時代に流行したのは、「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれる反体制的な放浪の映画だった。『俺たちに明日はない』(1967年)、『イージー・ライダー』(1969年)、『真夜中のカーボーイ』(1969年)、『断絶』(1971年)……。これらの作品群が支持された背景には、ベトナム戦争が泥沼化したことでの政府への不信や、ヒッピームーブメントがあった。ヒッピーのように、既存の価値や決まりきった暮らしを捨て去り、キャンピングカーでアメリカ各地を気ままに旅をするというのは、一種のロマンである。だからこそ、政府の支援に見放されたシニア世代が、旅の中に自分の居場所を見つけようとするのかもしれない。

『ノマドランド』 © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

とはいえ、アメリカン・ニューシネマで描かれる旅の多くが、若者が自分らしい生き方を探したいという衝動からきているのに対し、『ノマドランド』の旅は、やむにやまれず家を出なくてはならないという事情や、結局は大資本の労働力の末端として肉体労働に従事しなければならないのである。これでは、西部への命がけの旅を描いた『幌馬車』(1923年)や、旅の果てに日雇いの低賃金労働を強いられる『怒りの葡萄』(1940年)の世界である。アメリカの貧富の格差は、困窮者の生活水準を、想像よりも古い時代のものへと逆行していくように感じられる。だからこそ車上生活者は、ヒッピーよりも西部開拓時代の移民に例えられるのではないか。

このように、もはや困窮者が生死の境に追いやられているアメリカの緊急的な状況を映し出すことによって、本作は、人生を能動的に生きることの美しさを尊厳とともに描きながら、さらに社会の惨状を観客の目の前に突きつける稀有な作品となったのである。

中国生まれの監督クロエ・ジャオ。次回作はマーベルの大作

本作や、その前作の『ザ・ライダー』(2017年)を手がけ、すでに多くの賞を獲得し、いま最も注目されているのが、アメリカで活躍する中国出身のクロエ・ジャオ監督だ。以前、やはり中国系のルル・ワン監督(『フェアウェル』)に取材したことがあるが、ワン監督がアメリカの外と内という二つの視点を持ち、二国間の文化的な軋轢を経験したことが作品に投影されていると述べていたように、おそらくジャオ監督も、中国、イギリス、アメリカと、活動の場を変えていくことで、アメリカの両義性、人間の生き方の複雑さを鋭く描き得る感性をつかんだのではないだろうか。

フランシス・マクドーマンドとクロエ・ジャオ監督 © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

とはいえ、本作は中国での上映は中止となる見込みだ。本作が『ゴールデングローブ賞』でドラマ部門作品賞、監督賞を受賞した時点では、中国でもお祝いムードだったが、ジャオ監督が過去に中国政府に対する批判的な意見をメディアで述べていたことが分かり、一転して批判の声が挙がったのだ。こんな騒動が起こるのだから、『ムーラン』(2020年)の主演俳優リウ・イーフェイが、アメリカで批判にさらされることを分かっていながら、香港のデモについて公に中国政府を支持する発言をしたことも頷ける。だが、ジャオ監督の次作は、なんとマーベル・スタジオの新たなヒーロー大作『エターナルズ』なのである。本作の賞賛に続いて、ジャオ監督の映画界での快進撃は、批判などでは止まりそうにない。

映画『ノマドランド』予告編

作品情報
『ノマドランド』

2021年3月26日(金)から全国公開

監督:クロエ・ジャオ
原作:ジェシカ・ブルーダー『ノマド:漂流する高齢労働者たち』(春秋社)
出演:
フランシス・マクドーマンド
デヴィッド・ストラザーン
リンダ・メイ
ほか
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン



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