韓国で大衆的な知名度と人気を誇るスターであるIU。1993年生まれの彼女は、15歳でデビューし、すでに10年以上のキャリアを持つ。韓国ドラマファンの間では、『ホテルデルーナ~月明かりの恋人~』『麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~』『マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~』といった作品への出演でその名を記憶している人も多いかもしれない。是枝裕和監督が韓国で手がける新作映画にも、ソン・ガンホ、カン・ドンウォン、ペ・ドゥナと並んでキャストに名を連ねている。
G-DRAGON(BIGBANG)、SUGA(BTS)、ジョンヒョン(SHINee)など他のアーティストのコラボも多く、日本のK-POPファンの間でも広く愛されている彼女だが、マルチな活動もあってかそのアーティスト像の輪郭を掴むことは容易ではない。本国で高い人気のある同年代のK-POPアーティストと比べて、日本で詳細に紹介される機会が少ないのも事実だろう。今回はIUが20代の集大成とも言える新アルバム『LILAC』をリリースしたことを機に、「年齢シリーズ」と呼ばれる過去作と最新作に光を当てながら、IUのアーティスト像に菅原史稀が迫る。
(メイン画像:IU公式Instagramより)
俳優としても活動し、同業者からの支持も高いマルチエンターテイナー、IU
2008年のデビュー以来、本国で老若男女から絶大な支持を受けながらK-POPシーンの第一線を10年以上にわたって走り続けているアーティスト、IU。同業者からの支持も厚く、若手アイドルからベテラン俳優まで活躍分野や性別・キャリアを問わずIUのファンであることを公言しリスペクトを寄せる芸能人が後を絶たない。
その一方で目を引かれるのは、「国民的歌手」として高い大衆的な人気を集めるIUの、とらえどころのない複雑な側面だ。
多様な音楽ジャンルを行き来しながら絶えず作品性を変移させてきたシンガーソングライターであり、また音楽活動のほか演技の分野でも活躍するマルチエンターテイナーである彼女に対し、筆者を含む多くの人は強く惹き付けられながらも、いざその魅力を簡潔に語れと言われると深く考え込んでしまう――IUとはそんな歌手であると思う。
またIUの抱える複雑性というのは、わざわざ受け手を混乱へと導くような難解さに起因するものではない。単純化したわかりやすいラベルに収斂されることを拒むような、繊細で多面的な表現が、多様なファンに訴えかけるような魅力を形作っている。そしてその魅力こそ、「私とあなたが音楽で1つになる」という意味が込められた名を持つIU(I&YOU)のアーティスト像へと結実しているのではないだろうか。
そんなIUが(韓国で用いられている数え年で)29歳を迎える今年、リリースしたのは『LILAC』という彼女らしいタイトルが冠されたフルアルバムだ。春、紫に咲きほこるライラックの花は、5月生まれで紫色を愛するIU自身の姿を表しているのもさることながら、「青春の思い出」という花言葉を持つことが重要なポイントとなっている。
彼女はこれまで「年齢シリーズ」と呼ばれる一連の楽曲群を通じ、その時々の自分自身の姿を作品に刻んできた。『LILAC』というタイトルからは、29歳のIUが、自らの20代における集大成を本アルバムを通じて表したのだということが伝わる。
本稿では、過去の「年齢シリーズ」の歌詞に表された「私」と最新作『LILAC』に示された彼女の「青春の思い出」を紐解くことで、繊細な変化を続けながら大衆の心を掴んで離さないIUの不思議な魅力に迫りたい。
大衆のイメージを映す『二十歳の春』、「私というナゾナゾ」に翻弄される“Twenty-three”
23歳で「年齢シリーズ」がスタートする前の2012年に、IUは『二十歳の春』をリリースしている。同作は全3曲が収録されるシングル集で、そのなかでも最もよく知られる“一日の終わり”では<あなたの心が聞こえるように私に言って / 手を差し出せば良いのに / 迷う理由が私と同じなら / もう近づいてきてちょうだい>と、愛の告白を待つ幼い恋心が率直に語られ、また別の収録曲“あの子、大嫌い”では<その子のどこがそんなに好きだったの / あなたって本当にどうしてそうなの? / 忘れたって言ってたじゃない>と、「あなた」の隣にかつていた「あの子」へ向けられる「私」の苛立ちが臆面もなく歌われる。
浮き足立つような瑞々しい感性がシンプルでストレートに表される本作には、一般的に人々が共通して抱く「20歳の春」のイメージが詰め込まれており、そこから立ち上がるIU像も世間に向けられたいわゆる「20歳の少女」らしい姿である。
IU『二十歳の春』(2012年)を聴く(Apple Musicはこちら)
その3年後、IUが23歳で発表した楽曲──「年齢シリーズ」1作目となるその名も“Twenty-three” ──では、こんなことが歌われている。
<私というナゾナゾ Question / 答えはなあに当ててみて><私はね恋がしてみたい / なんてね お金をたくさん稼ぎたい><私、死んだみたいに生きるの / やっぱり全部やめた / 当ててみて、どっちでしょう?>
『二十歳の春』に感じられた「20歳の少女」という記号を振り払うかのごとく「私」を煙に巻いてみせ、聴く者を混乱へと導くような“Twenty-three”のIU像。この曲を収録したミニアルバム『CHAT-SHIRE』は彼女にとって初めてのセルフプロデュース作であり、アーティストとしての前進と、IUによる変革の意志が垣間見える作品だ。
いっぽうで<そう私は今が気に入ってる / ううん 本当は投げ出したい><どっちだ? / 実は私も分からないの>という歌詞もあることから、“Twenty-three”に表れる「私」は、「私というナゾナゾ」によって、聴く者だけでなく自分自身をも混乱へと誘っているようだ。
IU『CHAT-SHIRE』(2015年)を聴く(Apple Musicはこちら)
絵の具のように自由に混ざり合う「私」を見つける、25歳の“Palette”
そして2017年、25歳でリリースした“Palette(feat. G-DRAGON)”。繊細かつ多面的でありながら、幅広い人に訴えかけるIUの魅力が堪能できる楽曲だ。
<不思議だけど最近はただ楽なものが好き / まぁそれでもまだコリンの音楽は好き><I like it. I'm twenty five / 私を好きなことを知ってる / I got this. I'm truly fine / 今はちょっと分かるような気がする、私を>
自分でも不思議(意外)なことに「楽なもの」が好きになったという思わぬ変化を自覚しながら、かねてより敬愛する「コリン」(シンガーソングライターのコリーヌ・ベイリー・レイ)への変わらぬ想いを見いだすことで、過去と現在の連続性によって形成される「私」を発見する25歳のIU。
それは大衆に求められる記号としての「私」や、大衆に求められる私を振り払おうと呈示するナゾナゾとしての「私」ではなく、まるでパレットの上で絵の具が混ざり合ったように形成される自由な「私」の姿だ。
そして自由なままの「私」であることに感じる心地よさが「I got this. I'm truly fine」といったフレーズや、ナチュラルでスムースなサウンドに投影されている。
同曲を収録した『Palette』というアルバムタイトルの由来について、IUは発売当時のV LIVE配信でこのように解説した。
「私は美術の時間、描いている絵よりもパレットのほうが綺麗であるように感じていた。パレットの上で、様々な色の絵の具がそれぞれの形で自由にいる姿は、私が描いていた絵よりももっと綺麗だった」
IUがパレットの上に並んだ絵の具に感じた魅力は、一言では言い表せない多面的な姿を見せるからこそ、その本質に迫りたくなるという、IU自身が持つ魅力と重なるようである。
また“Palette”では、IUの希望で実現したというG-DRAGONとのコラボレーションにより、25歳の「私」を表すうえで他者の視点がもたらされていることも重要なポイントとなっている。
<ジウン、オッパはね / 今30なんだけど / 自分では全くそうじゃない><子供でも大人でもない年齢の時 / ただ「自分」である時 / 一番キラキラと輝くんだ><あまりに美しくて花がぱっと咲いて / いつも愛される子 YOU>
G-DRAGONによるラップのリリックからは、5つ上の「オッパ(「歳上のお兄さん」を意味する韓国語)としての立場からIUの本名である「ジウン」という個人へ向けた手紙に綴られる言葉のようなあたたかみが感じられる。これにより25歳のIU像がパレットで混ざり合う絵の具のような複雑性を帯びながらも、リスナーにとって「Question」のままで終わらない、客観的な主体としての「私」も表れているように思う。
IU『Palette』(2017年)を聴く(Apple Musicはこちら)
喪失の痛みを「あなた」と分かち合う、28歳の“eight”
さてここまで「私」をまなざし続けた「年齢シリーズ」だが、2020年に28歳のIUが発表した“eight(Prod. & Feat. SUGA of BTS)”の歌い出しで真っ先に登場するのは「あなた」だ。
<So are you happy now?(それで、あなたは今幸せ?)Finally happy now?(やっと今、幸せなの?) / そのままだよ、私は / 全部失ってしまったような気がする><すべてが勝手にやってきて、挨拶もなしに去っていく / このままでは何も愛したくない>
ここで語りかけられる「あなた」とは誰のことか。挨拶もなしに去っていった大切な「あなた」の正体について、絶対的な答えはない。しかし彼女を知る者、またK-POPに親しむ者は、この曲に登場する「あなた」に、彼女の友人であり多くの人々から愛され、そしてこの世を去った同僚のアーティストたちを思い浮かべるのではないだろうか。
それまでもIUは、大切な友人たちとの別れについて自らの胸の内を語り、「私だけでなく多くの人が悲しんでいらっしゃると思います」と、その痛みを公の場で分かち合ってきた。 そして“eight”には、「私」が感じた唯一無二の痛みを他の誰でもない「あなた」に分かち合うことで「私たち」の痛みとするIUの、「あなたと私が音楽で1つに」なろうとする音楽家としての姿勢が呈示されているのではないか、と思う。
同曲をプロデュースし、フィーチャリングアーティストとしても参加しているBTSのSUGAがラップパートで口にするフレーズは、そんな「私たち」の痛みをより普遍的なものとする。
<永遠という言葉は砂の城 / 別れはまるで災害メッセージみたいだ>
先述の<すべてが勝手にやってきて、挨拶もなしに去っていく>とも呼応しているようにも感じるこのフレーズ。筆者はここから2018年公開の韓国映画『はちどり』を連想した。
作中では、1994年のソウルに暮らす14歳の少女・ウニの小さな暮らしに、聖水大橋の崩壊事故という「災害」が大きな爪痕を残す様子が映し出される。また、同作では橋の崩壊事故という社会全体が共有する痛みだけでなく、家庭内暴力などといったパーソナルな痛みも、ウニの世界を揺るがす「災害」として描かれている。そんなウニに、恩師ヨンジはこんな言葉で希望を与える。「つまづいたら、両手を眺めて指を動かしてみて。自分にも動かせるものがあるんだと思えるから」
“eight”には、まさにそんな「自分にも動かせるものがある」と信じるIUの気持ちが、音楽の力として発揮されているように思う。
<私たちはオレンジの太陽の下 / 影なしで一緒に踊る / 決められた別れなんてない / 美しかった記憶の中で会おう / Forever young><私たちはお互いを枕にして / 悲しくない物語を交わす/憂鬱な結末なんてない / 私は永遠にあなたとこの記憶の中で会う / Forever young><こんな悪夢なら永遠に覚めないでいるよ>
「永遠という言葉は砂の城」であり、「災害メッセージ」を恐れながら生きるしかない私たちは、あまりに非力な存在ではないか。しかしIUは、曲中に自らの意志で永遠を築くことにより、「決められた別れなんてない」「憂鬱な結末なんてない」と、この世界の残酷な真理に背を向け、音楽によって抗ってみせるのだ。
トンネルを抜け、光が見える──20代に喜んで別れを告げ、旅を進める最新作『LILAC』
大衆が定義する「私」を拒否し、複雑な様相を呈した「私」を発見し、「私」と「あなた」を永遠にする――そんな、彼女の青春のすべてが映し出される最新作『LILAC』の表題曲は、「10年間熱烈に愛しながら喜んで別れを告げる、ある恋人の話」(同曲の公式紹介コメントより)が歌われている。
しかしその別れは、“eight”のように「災害メッセージ」として勝手にやってきて、憂鬱な結末をもたらす存在ではない。華やかでファンキーなディスコサウンドへ、軽快に身を揺らせながらIUが歌う“LILAC”の別れは、心地よい春風がライラック(=青春の思い出)の花を散らす美しい風景のなか<約束のようなさよなら>を交わすことができる、歓喜のクライマックスである。
MV冒頭では、トランクケースを持ったIUが、これまでのアルバムタイトルが表示された掲示板のある駅のプラットフォームに佇んでいる。
彼女は自身のV LIVEチャンネルの番組内で「(このMVで)私の20代を、1つの電車旅行として集約したんです。パーティーのようなときもあったし、とても熾烈で戦闘のような時もあったし、戸惑った時、トンネルのなかにいるようだったとき、そしてまた光が見えてきて……こういう20代のすべての状態を、電車旅行として表してみました」と語っている。この“LILAC”でIUが喜んで別れを告げるのは、彼女のかけがえない20代そのものなのだろう。
『LILAC』というタイトルに込めた想いについて、IUはこう明かしている。
「このアルバムのテーマはこれまでより明確に、『挨拶』というものになっています。それは20代へのお別れの挨拶であり、また私の20代を見守ってくれた全ての人に対するお礼の挨拶です」
「20代へ『さよなら』を言うことで、これから踏み出す自分の人生の次なるステージである30代へ『こんにちは』を言うのです」(雑誌『W Korea』インタビューより)
その20代を一人きりで締め括るのではなく、大衆から愛される「国民的歌手」として、また「あなたと私が音楽で1つになる」という意味の名を持つ一歌手として、「私の20代を見守ってくれたすべての人」へお礼の挨拶をすることにより、この10年間を「あなたと私」で駆け抜けてきた時間として共有したこと。
そして時の流れにより、本来ならば勝手に訪れる人生の新たな局面に対して、「さよなら」と「こんにちは」を言うことにより、自ら踏み出す姿勢を表したこと。
そのすべてが、「『私』の過ごしてきた青春=同じ時代を生きた『あなた』の時間」をも丸ごと祝福し、新たな一歩を踏み出すエネルギーへと変換されていくのを感じる。
「国民的歌手」として大衆からの無数の視線を引き受けてきたIU。この10年の間、彼女の作品に描かれてきた「私」は、変化していく儚い姿を成しており、そんな「私」が抱える人間らしい弱さと強さこそが、性別や年齢、立場を問わず痛みを背負う人々の心を慰め、希望となってきたのだろう。
「砂の城」のようにすべてが不確かな世界のなかで、音楽の力を信じ、その力をもって描く「私」という複雑な主体が「あなた」へと届くことを信じる彼女の姿は、疑いようもないほど確かで、力強い。
そんなIUの、音楽家としての「私」が「あなた」へ向けて歌う『LILAC』のラストナンバー、“Epilogue”の歌詞を紹介して本稿を締め括ろうと思う。
<私を知ることができて嬉しかっただろうか / 私を愛することが良かったのだろうか / 私たちのために歌った過去の歌たちが / 今でも癒しになっているのか / あなたがこの全ての質問に「そうだ」と答えてくれたら / それだけで納得してしまう私の人生というのは / ああ、十分に意味があるでしょう>
IU『LILAC』(2021年)を聴く(Apple Musicはこちら)
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