コンプレックス文化論
第二回「下戸」
バーはバーでもバーミヤン。バーミヤン側で音楽を作って欲しいんです。
―酒を止めればみんないろんな行動を起こすようになると思うんです。みんな嫌なこととか溜め込んでいるものを一斉に酒に流し込んじゃうわけですが、それを止めれば、「うおーオレ、何かしなきゃヤバい」となる。そうすれば、なにかしらの表現活動をするんじゃないか。
澤部:でも、自分には、自分がマイノリティだっていう自覚があるし、その自覚を持ち続けたいこともあって、みんな酒を飲まなくなればいいとは思えないんですよ。つまり、酒を飲んでワーキャーって騒いでいる世界があって、そうではない自分がある。
―つまりそれって、コンプレックスを嗜んでいるわけですよね。下戸がマイノリティである状況は変わらないでしょうし、そう考えると下戸ってコンプレックスの鉄板かもしれないですね。
澤部:マイノリティ同士の結束っていいじゃないですか。この間、旧友に久しぶりに会って、こちらが気を利かせたつもりで「今度、飲みに行こうよ」って言ったら、あっちが申し訳無さそうに「……オレ、飲めないんだよね」と言ってきた。思わず握手しましたね。そのままジョナサンに行きましたもん。
―バンドマンだと、例えば打ち上げの飲み屋にファンが来てチヤホヤされたりするでしょう。でも、ジョナサンだとチヤホヤされないと思う。飲んでチヤホヤされたい、みたいな気持ちはないんですか?
澤部:ないです!
―そこに一点の曇りもないですか? 実はちょっとくらいチヤホヤされたい、というような。
澤部:考えたことないですね。「モテたい」みたいな気持ちも最初はありましたけど、それもポーズだったんですよ。バンドやること自体に心苦しさがあって、モテたいって言っておけば気持ちが整理された。高校生くらいだとパンクしかやる音楽がなかった。みんな、パンクが好きでしたから。どうすりゃいいかと思っていたら、モテたいってことにすれば、できるかなって。
―ところで、澤部さんのバンドを観に来るライブハウスのお客さんってのも、基本的にはみんなお酒飲みますよね。それについては…
澤部:あっ、質問の答えじゃなくなっちゃいますけど、ライブハウスのドリンクチケット問題ってありますよね! ドリンクは300円で売っている、お酒は500円。でもドリンクチケットは500円ですよね、大抵。おい、この200円をどうしてくれるのだと。だからね、秋葉原のCLUB GOODMANは最高! あそこは、ソフトドリンクだともう1枚ドリンクチケットをくれるんですよ。ソフトドリンクとお菓子、っていうチョイスも出来る。
―それは素晴らしいですね。
澤部:酒が飲めない人にとっても優しい。音も最高、こんなに素晴らしいライブハウスはない!
―ライブハウスのカウンターで、ドリンクチケットを出して「コーラで」と頼むと、一瞬、「えっ、コーラかよ」みたいな顔されるじゃないですか。
澤部:分かります。屈強なパンクスの兄ちゃんがそういう顔をするんです。
―だから、ドリンクチケットを分けて欲しいですね。ドリンクチケットとアルコールチケットに。
澤部:「コーラかよ」「甘い酒かよ」みたいな突っ込みはいらない。酒が飲める・飲めないに、人生や人格を絡めないで欲しい。もっと別の物差しで見てくれって思いますよ。
―下戸って言葉も、「下」って書くじゃないですか。なんか卑下している言葉なんですよ。
澤部:見下されていますよ。酒飲まないだけで見下されるなんて…
―だから、「オレ、飲めないんだ……」を「オレ、飲まないんだ!」に変えていかないといけません。まあ、たまになら飲んでもいいけどね、って。この主張、誰に向かって訴えればいいんだ…。
澤部:広告代理店辺りですかね。
―あっ、そうですね。結局、「イエーイ」とかやってる極みは、広告代理店ですよ。超・体育会系社会の中で大きい仕事をまとめる時に、「イエーイ、ヨロシクー」とやっている。これがいけない。電通や博報堂の人が、「ふー、仕事終わった。じゃあ今日もみんなでバーミヤンに行こう」ってなれば、世の中変わりますよ。
澤部:そう、大事なところで酒を使うのをやめてもらいたい。話すなら、ルノアールで3時間くらい話し込みたい。
―そうですよ、ルノアールです。飲み終わったころに緑茶も出てきますからね。澤部さんにお願いがあります。80年代のMTV、そして以降のヒップホップのビデオって、高級車に乗って金ジャラのネックレスでオンナはべらせてバーに入るっていうPVが多いですよね。澤部さんには、あの逆をやって欲しいんです。外車に乗らない、ネックレス付けない、バーには入らずバーミヤン。同じバーでもバーじゃない、バーミヤンです。バーミヤン側で音楽を作って欲しいんです。
澤部:分かりました(笑)。ひがみなんですけど、お酒を飲んでいる人たちはどうやらいっつも楽しそうにしている。こっちはたまにしか楽しくないぞ、っていう。普段、寂しいじゃないですか。寂しいなら寂しい。そうでもない人はそうでもない。このことを歌わないといけない。
―でも、それを考えちゃうと、とにかく悶々としますよね。家で体育座りすることになる。
澤部:分かります。家の部屋のカドを見つめてたら4時か、って。
―その後で、天井の模様を見つめてたら6時かって(笑)。でも、スカートの音楽が、部屋のカドを4時まで見つめている人に、ちょっとの明かりを灯せるものであったら、それは晴れ渡る青空を共有するよりも、もっともっと豊かなことですよね。
澤部:そうですね。だから、どっちが上下じゃなくて、微妙なコントラストの中で生まれてくるものを大切にしたいんです。
―誰かに向けてではなくて、自分の音楽を投げ出したら、ふうっと思わぬ人の体の中に入っていった、っていうのは素晴らしいですよね。酔って記憶を無くすのではなくて、そうやって人の心に入り込んでいく、下戸なりの音楽を期待しています。
澤部:はい。人生って、そんなに楽しくないぞ、でもいいこともあるぞ、ってことを正直に歌っていければと思っています。
下戸は、上戸に比べて、悩む時間が多い。記憶を無くしている時間がないからだ。忘れてしまっていいことも覚えているし、育てる必要の無い悩みの種にも水をやってしまう。不器用だが、誠実だ。澤部氏と話していて、そのことを強く思った。次回は、男女の性差から下戸を問い直してみたい。そしてその性差と下戸を「文化」はいかに表してきたのか、小説を中心に考えていく。
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