変わり者と呼ばれた異端の作曲家、エリック・サティを知る

どこか物憂げ美しく、つかみどころのない旋律。テレビや映画、街中で、エリック・サティの音楽を耳にしたことのない人は、いないといっても過言ではないのではないでしょうか。クラシック音楽の世界からは「異端児」とされ、一方で「現代音楽のルーツの1つ」と称されるエリック・サティ。1866年フランスに生まれ、59才でその生涯を閉じるまでに、後世へまで影響力を持つ数多くの音楽作品を残しました。

そして、そんなサティ自身を、サティと相互に影響を与えあった同時代の芸術家との関係性から紐解こうとする展覧会が、Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の『エリック・サティとその時代展』。今回は、著述家、ディレクターとして活躍、爆音でクラシック音楽を聴くイベント『爆クラ』を主催するなど、音楽全般にも深い造詣をもつ湯山玲子さんと展覧会を体験。音楽のみならず現代アート、さらには現代の日本社会が抱える問題まで、さまざまな視点から謎多き音楽家サティの深層に迫ります。

西洋音楽300年の伝統を跳躍させた異端の作曲家

「パリ音楽院で最も怠惰な生徒」。これが「音楽界の異端児」と呼ばれたエリック・サティの学生時代の評価でした。優等生とは程遠い生活を送っていたサティは、パリ音楽院を中退し、何を思ったのか軍隊へ志願入隊します。しかしその軍隊も1年で除隊となったサティ。1887年、22才で足を踏み入れたのが、当時パリの中でも画家や詩人、ダンサーなどの若い芸術家たちが集い、自由な雰囲気をたたえていた街・モンマルトルでした。

ジュール・グリュン『「外国人のためのモンマルトル案内」のポスター』 1900年 紙、リトグラフ モンマルトル美術館 Musée de Montmartre, Collection Société d’Histoire et d’Archéologie“Le Vieux Montmartre”
ジュール・グリュン『「外国人のためのモンマルトル案内」のポスター』 1900年 紙、リトグラフ モンマルトル美術館 Musée de Montmartre, Collection Société d’Histoire et d’Archéologie“Le Vieux Montmartre”

『エリック・サティとその時代展』展示風景
『エリック・サティとその時代展』展示風景

今展覧会では、モンマルトル時代のサティも交流していたと思われる、歓楽街のダンサーや舞踏会の様子を生き生きと描いたアーティストたちの作品展示から始まります。サティは、当時人気を博したキャバレー「シャ・ノワール」で影絵芝居のピアノ伴奏者として働き、その一方で作曲活動も並行。展示室では、当時のサティが手がけた代表曲の1つ“3つのジムノペディ(第1~3番)”を聴くことができます。

ここで湯山さんに質問。当時のクラシック音楽の世界では異端とされ、今では「現代音楽のルーツの1つ」と呼ばれるサティ。しかし、誰もが1度は耳にしたことがある“3つのジムノペディ(第1~3番)”や“JE TE VEUX(邦題:あなたが欲しい)”を聴いていても、とてもキャッチーな旋律で、いわゆる難解な「現代音楽」にはまったく聴こえません。どうして彼は「現代音楽のルーツ」と呼ばれているのでしょうか?

湯山:サティは、17世紀頃から300年近く続いていた西洋音楽の伝統「調性音楽(長調や短調など機能和声に基づいた音楽)」、いわゆる「ドレミファソラシド」のルールを壊した張本人と言われているんです。モーツァルトもベートーヴェンもワーグナーも「調性音楽」という枠の中で作曲していたけれど、サティはそれをぶっちぎって、グレゴリオ聖歌(9世紀頃に発祥したローマ・カトリックの宗教音楽)で使われていた音階「教会旋法」を、クラシック音楽に初めて持ち込み、「無調」といわれる音楽の先駆けになりました。そして、ドビュッシーやラヴェルが続き、シェーンベルクが「十二音技法」という無調音楽の作曲技法を確立し、そこから現代音楽が花開いていった。さらにそれはジャズや今のポッブスにもつながっている。つまり伝統的なクラシック音楽と今の音楽をつないでいるところにサティがいるんです。

Bunkamuraザ・ミュージアム『エリック・サティとその時代展』ポスター
Bunkamuraザ・ミュージアム『エリック・サティとその時代展』ポスター

作曲家・湯山昭を父に持つ湯山玲子さんは、自身の音楽的素養の源流にはサティがあったと言います。

湯山:父は“お菓子の世界”など、子どものためのピアノ曲を多く作曲しており、ジャズ的なもの、自由自在な転調などを子ども向けの曲にガンガン取り入れていました。だから家ではいつもサティ的な旋律が響いていたんです。あと、父と同世代の作曲家、宇野誠一郎さん、冨田勲さん、武満徹さんが作っていたCMや映画音楽も完全に「そっち系」。だから、サティが普通で、逆にシューベルトでびっくりするみたいな逆転現象があったと思う(笑)。

日本においてサティが一躍人気となったのは、人々の指向が消費に向かい、ライフスタイルが一気に多様化したバブル前夜の1980年代初期。音楽的には、パンク / ニューウェーブの影響があった時代。当時は、テレビのCMや劇中音楽、映画や舞台などでもさかんにサティの音楽が使用されたほか、意外な場所でも人気を博していたそうです。

湯山:1980年代、日本のニューウェーブシーンに、オペラの歌唱を取り入れ、イタリア歌曲集などの曲を現代的に蘇らせた「ショコラータ」っていうバンドがいたんですよ。もちろん「ピチカートファイヴ」も人気で、「古くて新しい音楽」というような、クラブ&ラウンジシーンにつながる音楽が世界で同時多発的に出てきた。そのムーブメントの、言わば副読本みたいな位置づけにサティがありました。特に人気だったのは“3つのジムノペディ”と“JE TE VEUX”。カフェや尖ったクラブでよく流れていましたね。

湯山玲子
湯山玲子

エリック・サティ『3つのジムノペディ第2番』
エリック・サティ『3つのジムノペディ第2番』

19世紀末のモンマルトルで、芸術家たちが交流するサロン的な役割を果たしていたキャバレー「シャ・ノワール」。そんなパリのシーンと日本の1980年代クラブカルチャーには、いろんな共通点が見えるようです。

湯山:当時のモンマルトルのキャバレーやカフェの雰囲気は、日本では完全に1980年代の夜遊びカルチャーにもあったと思う。原宿の「ピテカントロプス・エレクトス」、新宿の「ツバキハウス」。小さいクラブでは、レゲエ専門の「69」、渋谷にあったニューウェーブの本拠地「NYLON100%」、カフェバーでは「レッドシューズ」などなど。YMOのメンバーや立花ハジメさん、岡崎京子さんたちが遊びに来ていて、音楽、アート、ファッション雑誌や広告メディア系の人々、そして、そのジャンルに憧れる若者たちが入り乱れていましたからね。ジャンルの違う人たちが1つの場に集まって、化学変化が起こるというリアルは、まさにサティがいた頃のパリに近かったんですよ。

たった一人だけの秘教を創始。著作権、コンセプチュアルアート、B to C、あらゆることが早すぎた奇才

展覧会の第2章のテーマは、なんと「秘教」。変わり者のサティらしい唐突で怪しい展開ですが、19世紀末のヨーロッパでは、神秘主義的な思想とつながった「象徴主義」という芸術運動が、文学、音楽、美術などの分野で活発化し、それらと紐づいたさまざまな秘教活動が芸術家たちによって行われていました。サティも例外ではなく、友人のドビュッシーに誘われて通った「独立芸術書房」で、作家・思想家のジョゼファン・ペラダンと出会い、彼が率いる「薔薇十字会」に入会。展示では、サティが「薔薇十字会」のために作曲した“薔薇十字会のファンファーレ”を聴きながら、同会主催の展覧会告知ポスターや、象徴主義の作品を観ることができます。

『エリック・サティとその時代展』展示風景

『エリック・サティとその時代展』展示風景
『エリック・サティとその時代展』展示風景

湯山:初期キリスト教や、キリスト教以前のギリシャ時代、異端とされて地下に潜ったヨーロッパの諸派や思想に対する芸術家たちの憧憬や気持ちがひしひしと伝わってきます。あと印象的なのは、こういった芸術家たちの自由な好奇心や表現を支える新しい勢力として、それに価値をつけて販売する商人の存在が見える。サティが生きた時代は産業革命の後、芸術家たちの生活を支えるパトロンが、貴族から資本家、商人、そして大衆へと完全に移り変わった時代なんですね。あ、この肖像画に描かれたサティのポーズ、間違いなく秘教的な意味がありそうですね。

マルスラス・デブータン『エリック・サティの肖像「以前」』1892年(左)、マルスラス・デブータン『エリック・サティの肖像「以後」』1892年(右) フランス現代出版史資料館
左:マルスラス・デブータン『エリック・サティの肖像「以前」』1892年、右:マルスラス・デブータン『エリック・サティの肖像「以後」』1892年 共にフランス現代出版史資料館

マルスラス・デブータン『エリック・サティの肖像「以後」』1892年(部分)
マルスラス・デブータン『エリック・サティの肖像「以後」』1892年(部分)

たしかに手の組み方が明らかに特徴的です(笑)。「秘教」のイメージを一手に引き受けるかのごとく、立派なあご髭と特徴的な服装をまとって生活し、ゆえに「秘教的」とも呼ばれていたサティ。その外見に惹かれたのか「薔薇十字会」に所属する画家を筆頭に、非常に多くの画家がサティの肖像画を残しています。一方、サティは「薔薇十字会」も2年あまりで脱会。信者はサティ一人だけという秘教「導き手イエスの芸術大司教座教会」を設立します。この不可思議な秘教で行われたユニークな活動の1つが、「旋律を販売します」という旨を記した自宅の看板。古い書体によるフランス語で書かれたメッセージを解読できる人は当時少なかったと言われており、その無意味とも言える行為自体に、サティの批評精神を感じます。

エリック・サティ『「アン・スチュイ・ロジ」サティの家の扉に掲げられた旋律の販売を告知する看板』1892年頃 紙、インク フランス現代出版史資料館 Fonds Erik Satie ‒ Archives de France / Archives IMEC
エリック・サティ『「アン・スチュイ・ロジ」サティの家の扉に掲げられた旋律の販売を告知する看板』1892年頃 紙、インク フランス現代出版史資料館 Fonds Erik Satie ‒ Archives de France / Archives IMEC

湯山:旋律を売る、それを他者が所有するとは、どういうことかなのか? と考えさせられますね。今は音楽からファッションまで、すべてが著作権の時代ですけど、そんな現代にまで通じる問題意識を感じます。そして、行為自体が作品というのは、まさに20世紀以降のコンセプチュアルアーティストがやったこと。加えて、先ほどパトロンの話をしましたけど、商人や伯爵に養ってもらうのではなく、それらを飛び越えていきなりBtoC(個人営業)をしているのもすごい(笑)。本当にすべてが早すぎる人なんですよね。

その他にも、サティがサティ自身に宛てた手紙(?)などが展示されており、徹底して無意味で捉えどころのない行動を貫いていた秘教時代のサティの姿を垣間見ることができます。

ブライアン・イーノより50年以上も前に「アンビエントミュージック」を提唱

感度の高い芸術家たちからリスペクトを集めていたサティの名が、フランス全土に広まるきっかけとなった作品。それが、ロシア出身の芸術プロデューサー、セルジュ・ド・ディアギレフ率いる「バレエ・リュス(ロシアバレエ団)」の演目『パラード』でした。本作は音楽をサティ、美術をパブロ・ピカソ、筋書きを詩人ジャン・コクトーが行うという極めて豪華な顔ぶれで、展示では当時の写真、衣装のスケッチなどの資料とともに、2007年のフランス再演時の映像が上映されています。

『エリック・サティとその時代展』展示風景
『エリック・サティとその時代展』展示風景

湯山:これなんか、もうまったく1980年代ニューウェーブ風ですよね。デザインが遊戯的で素敵。ああ、ホント、この時代に生まれてみたかったですよ。「自然はイヤ、人工的なものが好き」という強い意志を感じる(笑)。

さらに展示では、抽象的な彫刻で世界的に評価の高いコンスタンティン・ブランクーシによる作品『眠れるミューズ』を観ることができます。当時、ブランクーシのアトリエは、パリの芸術家たちのたまり場になっており、サティを始め、マルセル・デュシャン、マン・レイ、トリスタン・ツァラなど、ダダイスム、シュルレアリスムといった次世代の芸術の中心となる若き芸術家たちが大勢集まっていたそうです。

フランシス・ピカビア『「本日休演」の楽譜の口絵』1926年 紙、リトグラフ フランス国立図書館 Bibliothèque nationale de France, Paris
フランシス・ピカビア『「本日休演」の楽譜の口絵』1926年 紙、リトグラフ フランス国立図書館 Bibliothèque nationale de France, Paris

湯山:芸術家に対してよく言われる「孤高の天才」というのは、少なくともこの時代においてはウソだと思うんです。みんなに共通する問題意識があって、同じようなことを語り、表現に結実させていたと思う。作品の雰囲気もどこかみんな似ていますよね。

湯山さんはその同時代的な傾向を、イタリアの芸術運動「未来派」にも重ねます。

湯山:未来派のアーティストたちは、近代文明が生んだ機能的な工業製品のエステティック(美学)を新たな価値観として表現します。サティ自身も「18世紀末からのロマン主義以降、芸術にされてしまったけど、音楽ってそもそも機能的なものだよね」という意味の意見を述べている。1920年に発表された“家具の音楽”がその最たる実践で、家具のようにそこにあっても日常生活を妨げない音楽、意識的に聴かれることのない音楽を目指している。ブライアン・イーノより50年以上も前に「アンビエントミュージック」を提唱していたんです(笑)。

その徹底して無意味な表現は、24歳年下の次世代アーティストたちからもリスペクトを集める

展覧会を観て行くと、独自の哲学によって創作活動を行っていたサティは、同世代だけでなく、次世代の若いアーティストたちをも惹き付け、愛されていたことがわかります。

20世紀前半に勃発したダダイスム、シュルレアリスムという芸術運動の中心人物であったマン・レイは、24歳年上のサティのことを「眼を持った唯一の音楽家」と評し、リスペクトしています。既成の価値観をひっくり返し、虚無や無意味、破壊をテーマに表現活動を行ったダダの芸術家たちにとって、伝統的な調性音楽をぶち壊し、無意味とも思える秘教活動を行うなどを繰り広げたサティには学ぶところがあったのでしょう。ダダが開催したイベント『ひげの生えた心臓の夕べ』で、サティは実際に招かれ、演奏も披露しています。

『エリック・サティとその時代展』展示風景
『エリック・サティとその時代展』展示風景

湯山:じつは、ダダのメンバーには音楽家がいなかったんですよね。当時、サティは50代で、ダダのメンバーは20代だから、世代を超えて影響を与え合っていたことがわかる。ダダの活動には「無意味さの徹底」みたいなことがあるけど、サティのエッセイ『卵のように軽やかに:サティによるサティ』(ちくま学芸文庫)にも、そんなダダを思わせる内容があります。「自分は白いものしか食べない」「片目しかつむって寝ない」とかね。あげく『日本風サラダ』という詩には、日本もサラダも一切登場しない(笑)。「無意味」に対する徹底した姿勢は、哲学者をも彷彿とさせますよね。

サティはそんな「無意味さ」を楽器のデザインにも見出します。「セファロフォン」とは、サティが空想した演奏できない楽器のこと。展示ではサティのノートに記されていた「セファロフォン」のアイデアが、1970年代より画家として活動するニック・カドワースによって描かれた作品を観ることができます。30オクターブもの音域があり、演奏後は爆発するので、誰も教えることはできないなど、その特徴はいずれも非現実的で、理不尽さは笑いを誘います。

展示の最後では、サティの才能に目をつけた出版プロデューサー、リュシアン・ヴォージェルによって1914年に計画された、サティの楽譜と挿絵家シャルル・マルタンのイラストによる楽譜集『スポーツと気晴らし』を、『サティ・ピアノ音楽全集』などにも関わったピアニスト、高橋アキによる演奏や詩の朗読とともに映像として楽しむことができます。

『エリック・サティとその時代展』展示風景

『エリック・サティとその時代展』展示風景
『エリック・サティとその時代展』展示風景

湯山:サティの楽譜には拍子記号や小節線が書かれていないので、演奏者は自由な解釈で楽曲を演奏して良いのでしょう。五線譜のあいだには、サティの詩が書き込まれていますね。

もちろんその内容はサティならではの支離滅裂なもの。サティが詩を書き込んだ真意は明らかにされておらず、演奏者が楽しむ、または曲の解釈を示すものなど、いかようにも解釈をすることができます。

「人間は『ドレミファソラシド』の中だけで生きられるわけない、もっと跳躍したほうが面白いって、サティは言っているような気もする」

展示を最後まで観た湯山さんに、あらためてサティの魅力についてうかがいました。この極めて特異で実験的な音楽家の生涯に、湯山さんはなにを感じ取ったのでしょうか。

湯山:サティの曲は「不可思議な音階感」と「転調」が印象的ですが、「転調」ってなにか重要なことを意味していると思うんです。ここじゃない世界に軽やかに逃げて、どんどん拡散していく、次に向かって跳躍していく意志のような。じつは最近のJ-POPには、この「転調」があまり見られないんですよ。1980年代は浅田彰さんの『逃走論』が人気だったけど、今はもうそんな軽やかな、ある意味の「無責任さ」が持ち得ない時代であり、どこへも行きたくない、安定したい、そもそも跳躍する気力も体力もないという雰囲気がある。ナショナリズムで保守的な空気もあるし、今の日本は転調音楽を聴いて、どんどん外に好奇心を持って出ていく気分じゃないのかもしれません。

さらに最近のJ-POPには転調が少ないだけでなく、日本民謡や演歌によく見られる日本独自の五音音階「ヨナ抜き音階」を用いた楽曲も多いそうです。

湯山玲子

『卵のように軽やかに:サティによるサティ』

湯山:不安になるものは取り除いちゃって、跳躍したくない、安定したい。嫌な時代ですよね。モーツァルトもベートーヴェンもワーグナーも、決まり切った「ドラミファソラシド」のルールの中でやっていたけど、それをサティがぶっちぎっちゃった。でもそこから、ドビュッシーやラヴェルが続き、シェーンベルクへと受け継がれ、その先に、現代音楽やジャズ、ポップスが開花したわけですよ。「ヨナ抜き音階」の癒やしや安定もいいけれど、もっと遊べばいいじゃんと思う。「人はパンのみにて生くる者にあらず」と同じく、「ドレミファソラシド」の中だけで生きられるわけないじゃん、もっと跳躍したほうが面白いって、サティは言っているような気もする。今こそ、そんなサティの音楽を聴いて、自由に自立して、自分の考えで行動して、いろんなところに行って欲しいと思います。

独創的な音楽とユニークな活動や言動。異端児サティの周辺には、あらゆる世代の芸術家が存在し、様々な影響を受けていました。そして、彼ら表現者を魅了したのは、どこか浮世離れした、マイペースに世界を探求するサティの「自由な精神」だったことがわかります。混沌とした世相の中で、知らず知らずに自縄自縛の状態を招いているともいえる現代の人々。サティの音楽は、その縄をほどき、新しい世界への補助線を示してくれるかもしれません。

イベント情報
『エリック・サティとその時代展』

東京会場
2015年7月8日(水)~8月30日(日)
会場:東京都 渋谷 Bunkamura ザ・ミュージアム
時間:10:00~19:00(金、土曜は21:00まで、入館は閉館の30分前まで)
休館日:会期中無休
料金:一般1,400円 大・高校生1,000円 中・小学生700円

静岡会場
2015年9月12日(土)~11月1日(日)
会場:静岡県 浜松市美術館

イベント情報
『湯山玲子の生誕祭 夏た! デスコだ!! ゴーゴーまつり』

2015年8月9日(日)15:00~21:00
会場:東京都 外苑前 ル・バロン・ド パリ
料金:3,900円
※ドレスコードは「夏帽子目深にけものめく黒眼(柴田白葉女)」

プロフィール
湯山玲子 (ゆやま れいこ)

1960年生まれ、東京都出身。著述家。文化全般を独特の筆致で横断するテキストにファンが多く、全世代の女性誌やネットマガジンにコラムを連載、寄稿している。著作は『四十路越え!』『ビッチの触り方』『快楽上等 3.11以降を生きる』(上野千鶴子との対談本)『文化系女子の生き方 ポスト恋愛時宣言』『男をこじらせる前に 男がリアルにツラい時代の処方箋』等々。クラシック音楽を爆音で聴くイベント『爆クラ』と美人寿司主宰。
湯山玲子公式サイト



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