第1回
湯山玲子×トミヤマユキコ対談女の性欲がゆっくりと認められてきた歴史
湯山:女性が自分の性欲を自分でコントロールするのは大事。子どもにとってあの快楽は悪魔の仕業ですよ。私は、小さい頃、親にバレて叱られました。親も無かったことにしてくれたのでよかったんですけど、子ども心に「これは絶対に人に言っちゃいけないことなんだ」と思いましたね。1960年代は、女の性欲は、男が開発するものという体だったから。
トミヤマ:そうですよね。少女漫画にセックスシーンが出てくるのだってウーマンリブ(1960年代後半にアメリカから起こった女性解放運動)の煽りが来て、1970年代後半にやっとです。
湯山:『風と木の詩』(竹宮惠子。1976年連載開始)や『ベルサイユのばら』(池田理代子。1972年連載開始)だよね。特に『ベルばら』は少女漫画初、アンドレとオスカルの恋愛の必然としてのセックスシーンを描いている。大きく扉が開けたのはインターネットのポルノサイトの登場だよね。と言っても、ここ5年くらいっていうのが実感だけど。それ以前は何かと言えば文学。
トミヤマ:妄想のネタとしてですよね。
湯山:マルキ・ド・サド(フランス革命期の小説家)とかギヨーム・アポリネール(イタリア出身、ポーランド人の小説家、詩人、美術批評家)とか、あんな小難しい本を一生懸命読んでたのも、すべてはネタ探しのため(笑)。10代後半に富士見ロマン文庫が刊行されて、文学の知的の装いをしたズリネタをガンガン読むから、読書量が上がっちゃって。「こうなったら、原典も掘っちゃうよ!」みたいな。
トミヤマ: ははは!
湯山:そうやって女の快楽の解放がゆ~っくりと雪解けに向かっていったわけですよ。大雪原にヤカンで熱湯をかけるかのごとく(笑)。近年BL大ヒットの社会現象化が起こって、男も、男社会を信じたい女も、「BL好きは彼氏が出来ない女子たち御用達でしょ?」って言えなくなった。
トミヤマ:女子が性欲を満たす手段として、一気に広がりましたよね。
セックスにおいては、
男女は対等な関係でなくていい
湯山:セックスファンタジーって不思議なもので、この私でさえ、女性が男性に支配されるストーリーが大好きですからね。
トミヤマ:わかります!!
湯山:残念ながら、対等な関係で萌えるという快感回路は、日本の私の環境では皆無だったんで、男性ポルノの支配ストーリー妄想だけが肥大してしまった。普通に男性向けの動画サイトで欲情できるんです。女性が女性のために作ったアダルトビデオの初期は、その辺を逆転させようとしていた感じがあったけど……。
トミヤマ:萌えないんですよね。支配・被支配の関係はやめましょうっていうコンセプトで作られた女性向け作品は、私としてもグっとこないというか。やっぱり男たちが作ったストーリーに、ファンタジーとしては乗っかりたいというところもある(笑)。
性は生き方と直結しているからこそ、
自閉するべからず
湯山:あえて苦言を呈するならば、日本はオナニーという余暇のファンタジーが現実と逆転しちゃってる。今はさんざんネタとして萌えてきて、つまり、教育されてきたストーリーの内側で欲情しているけれど、そうじゃない自分のセックスの現実対応のストーリーを作っていかないと、人生のハッピーセックスライフは難しいです。現実のセックスは、ストーリーすらない場合もあるわけで。
トミヤマ:そうですね。自分で自分の身体に喜びを与えるのはいいことなんですけど、既存のファンタジーに欲情して自分の身体を慰めるだけではちょっともったいないかも……。男と関わろうという気持ちがある人は、両者の間で納得できる新しいファンタジーを作ろうとすることも大事かな。
湯山:そんな中でirohaさんには、女の性欲を認め、「自分の性欲を開発するのは男ではない」というところで頑張って欲しいです。
トミヤマ:女の快楽は男に開発してもらうものではないんだぞっていうのは、今愛人騒動で話題の某Oさんにも言ってやりたいです(笑)。
湯山:その一方で、「自己快楽コントロールを極め、オナニー王国の一国一城の王になれ」と。私の場合、長期に培ってきたその道なので、ちょっとやそっとじゃ内面の妄想快楽の城は揺らがない。その城は城として発展させながら、現実ではそれとは全く違う、他者である男性とのセックスを妄想の力を借りることなくできれば、御の字なんですけどね。言わば「城から出て、城に帰還せよ!」ってね。両立し、矛盾を抱えることをいとわない。
トミヤマ:湯山さんの城は絶対壊れないでしょうね(笑)。でも、帰る城があるからこそ、いろんな人と余裕を持って関われるんですよ。
湯山:そうそう。気分転換できるよね。性って生き方と直結してるから、そのぐらいの余裕が大切なんですよ。
商品情報
- フィードバック 0
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-