巨匠ism 第5回前田司郎先生(小説家・劇作家・演出家・俳優)

脱力系で笑える作風が注目されがちだけれど、作家としての前田司郎はむしろストイックである。演劇や小説を通じて「生きること/死ぬこと」を突き詰めようとするその姿は、さながら修行僧だ。そんな前田は何を原動力にして作品を生み出し続けているのだろう? 東京・五反田にある自宅兼アトリエの「アトリエヘリコプター」でインタビューを行った。

最初からできるだけ見積もりを安くしてるから、
そんなに大きい挫折はありません

巨匠ism 〜余は如何にしてクリエイターとなりし乎〜 第5回前田司郎先生(小説家・劇作家・演出家・俳優)

―今回のゲストは、劇団・五反田団を主宰し、小説家・劇作家・演出家・俳優……と幅広く活躍されている前田司郎さんです。今までさまざまな賞に何度もノミネートされては惜しくも受賞を逃してきましたが、『生きてるものはいないのか』で2008年に岸田國士戯曲賞を、『夏の水の半漁人』で2009年に三島由紀夫賞をめでたく受賞されました。
その後チヤホヤされるようになりましたか?

前田:ぜんぜん(キッパリ)。インタビューでは必ず聞かれますけど。

―以前は文芸誌や小劇場みたいに、どちらかというと閉じた場で活動されていたけれど、最近は一般誌やテレビでもお仕事されるようになりましたよね。ご活躍の場が広がってません?

前田:『週刊SPA!』の連載もすでに1年以上はやっているし、「漂流ネットカフェ」(毎日放送)や「お買い物」(NHK)のシナリオも書き始めたのはもう2年くらい前なんです。だから特に最近という感じがしないのと、「文芸誌が閉じていてテレビが開いている」みたいな感覚が分からなくて。やっていることそのものは大学くらいからあまり変わらないけど、書く量は増えたかな。1日3時間が目安で、すごく忙しいときはそれを2セット。書いて稽古して、夜もう1回書いて……ということも、たまにあります。

―原稿を書けなくなることはない?

前田:今のところないです。戯曲をやっていると書けなくなることもあるんですけど、稽古や本番が後に控えているので、何があっても書かなきゃいけない。それを経験してるから、依頼された原稿が書けなくなったとしても、たぶん何とかして書き上げると思います。

―小説は小学生のときから書いていたんですよね。誰か目標はいたんですか?

巨匠ism 〜余は如何にしてクリエイターとなりし乎〜 第5回前田司郎先生(小説家・劇作家・演出家・俳優)

前田:小説はあまり読まないから、どういう作家がいるかよくわからないし、たとえ読んでいたとしても「この人みたいになりたい」というのはないかも。今は頼まれて書いてますけど、何か書きたいから書いているだけのところがあるので。

―処女作の『愛でもない青春でもない旅立たない』も確か……。

前田:勝手に書いていただけの作品です。

―前田さんはすっごく軽々といろんなハードルを飛び越えてそうですね。でっかい挫折経験ってあります?

前田:「挫折」って結局、「俺はこれだけできる」っていう見積もりの甘さからくるじゃないですか。僕は最初からできるだけ見積もりを安くしてるから、そんなに大きい挫折はないですね。大学は偏差値の低いところから順に受験して受かったところに入ったし、誰かに自分を委ねなきゃいけない局面も避けてきた。

ただ、芝居や小説を書いていると、「納得のいくものができなかった」という思いが毎回すごくあります。「本当にこれを書きたかったのか」と自問自答したり、頭に浮かんでいる感覚やイメージを言葉にするとき、もっと的確なものがあったはずなのに見つけられなかったり。そういうのはありますけど、「挫折」って自分を他人に委ねなきゃいけないときに感じるものだから、作家の場合、あんまりないんじゃないかなあ。

自分の作品を評価できるのは自分だけだと思っています

―他人の評価を真に受けて「自分はダメだ」と思い込んじゃう作家さんは、いくらでもいそうですけど。

前田:僕は自分の作品を評価できるのは自分だけだと思ってますけどね。賞にノミネートされては何度も落ちて、その過程でわかったんですけど、まちがいを犯さないように見える審査員も人の子なんです。内部で票が割れたり、年功序列で決めたり、僕がまったく評価していない作品に受賞させたり……。だから結果にムカついたりはしても、それで「俺はダメだ」とは絶対思わないです。

―話を聞いていると、あんまり怒らなさそうですね。お仕事のひとつが演出家で人を受け止める立場でもあるし。

前田:人にも自分にもあまり怒らないですね。演出家の仕事は「俳優を信じること」。それは考え方を変えれば「俳優を疑うこと」とも言える。そのどちらを取るかというとき、疑うほうを取ると俳優をどんどん追い詰めていくことになる。それはあまり好きじゃないから、信じることにしているんです。だから俳優に怒りはわかないです。

巨匠ism 〜余は如何にしてクリエイターとなりし乎〜 第5回前田司郎先生(小説家・劇作家・演出家・俳優)

―前田さんの考え方に影響を与えてるものってなんですかね? 家庭環境?

前田:それはよく訊かれるし、インタビュー的に答えを知りたいのはよくわかるんですけど、30年間の人生、ものすごい情報や経験があるから、もっと総合的というかゲシュタルト的というか、1つのものからではないと思うんですよね。言ってみれば「何を食べて育ったんですか」と訊かれるのと一緒。いろんなもん食べてます(笑)。仮にトウモロコシだけ食べていたとしても、その中にいろんな成分が含まれているから、何で育ったかはわからない。

―よく「自分はボンボンだ」という趣旨のことを言っていますけど、ご実家はどれくらいお金持ちなんですか?

前田:中の上くらい。だから「ボンボン」という表現は使ってません。東京のこういう場所(五反田)に実家があるから、家を借りて家賃を払わなくて済むというのはありますけどね。

―うらやましいです。

巨匠ism 〜余は如何にしてクリエイターとなりし乎〜 第5回前田司郎先生(小説家・劇作家・演出家・俳優)

前田:「親元を離れたい」という意識があまりないから、地方にいたら東京に出てきたかわからないです。「人がいっぱいいる」とか「楽しそう」とか理屈では理解できますけど、何でわざわざ……? バイトとかしてる普通の子だったら、東京にいてもネットやテレビから情報を得るし、地方から出てくるメリットは減っているのかな、と思いますけど。

―ナマのコミュニケーションをますます大切に感じる人たちも増えているんじゃないですか?

前田:それはたぶんみんなそうですよ。ネットやテレビから情報を得るのとは、ぜんぜん質感が違うから。

―前田さんは1人で小説を書いているのがさびしくて高校のとき演劇を始めたんですよね。どちらかというと大勢でやりたいほうなのかな、と。

前田:「みんなでやろうぜ!」というサークルノリを経験したかったのかも。戯曲を書けば、みんなと何かを共有する時間も長くなるし。

―ところで、お芝居の演出をするときはどういうところを見ているんですか?

前田:「自分の想像する絵にすべてを合わせていく」というやり方があるけど、それはあまり得意ではないんです。「見てて気持ち悪い」「何かおかしい気がする」「間が長いほうがいい」という感覚だけを頼りに、総合的に見ていくだけ。この感覚はその日によって変わります。きのう気持ち悪かったところがきょうはそうでもなくなったりする。何でそうなのか、俳優の芝居が変わったのか、自分の気分が変わったのか。

そのブレをなくしていくために、同じシーンを何度もやって平均値をとっていく。だから稽古がいっぱい必要になってくるんです。まあ、よく使うたとえでは、盆栽みたいな感じ。木が勝手に伸びていくのを、盆栽作家が針金で固定したり、間引いたりして矯正していく。僕の演出はそれに近いですね。

笑いがないと不安なんですよね

―舞台をやっていて面白いのはどんなところですか?

前田:コトバの意味内容だけのコミュニケーション、ってあるじゃないですか。それだけでいいなら別に舞台をやる必要はないですよね。台本の段階ですでに成立しているから。でも人間って、目線のやりとりや手の動き、うなずきみたいに、コトバ以外のところでもコミュニケーションをとっている。

口がニチャニチャ言い出したらノド渇いてるんだなとか、腕をさすったら寒いのかなとか、うなずいてるから気持ちよくていっぱいしゃべっちゃうとか、チラチラ外を見てるから話を止めてほしいんだなとか。そういうコミュニケーションが、舞台とお客さんとの間で成り立つときがある。その時間をできるだけ長くしたいんです。舞台でやる意味は、そこにあるんだと思うんですよね。

―目指しているのは、空間が目の前にあるからこその表現なんですかね?

巨匠ism 〜余は如何にしてクリエイターとなりし乎〜 第5回前田司郎先生(小説家・劇作家・演出家・俳優)

前田:「ここは南極だ」と言えば南極になるし、「北極だ」と言えば北極になる、そういう舞台のダイナミズムが僕には面白い……というか、それは現実だって同じことだと思うんですよね。たとえば、いま僕らはここが東京の五反田だと信じてるけど、実はそれが証明できない。ここにいる3人がそう思っているからそうありうるだけで、もしかしたら全然違う場所かもしれない。

現実の場合、そういうことを言うと荒唐無稽に聞こえるけど、舞台だとそれがズレてくる。時間も時系列に流れている必要がないし、人物もその人自身である必要がないし。舞台上の人物がそうだと言えばそうなるという嘘――「ごっこ遊び」を楽しむ感じです。「ごっこ遊び」って世界共通の遊びらしくて、楽しいからついやりたくなっちゃう。それがやっぱり演劇のプリミティブなところかなと思ってるんですけど。

―「笑い」も大事にしていますよね。

前田:お客さんの反応って舞台から見えづらいんです。笑い声が聞こえると、「観ているんだな」って安心する。だから、笑いがないと不安なんですよね。お客さんも黙って観ているより、何か音を出したいんじゃないかな。

―作品を観ている人のレスポンスって笑いなんでしょうね。小説の読者からは反応あります?

前田:あんまりないかなぁ。友だちからはありますけど。でも、「演劇の場合はお客さんからのレスポンスが多くて、小説は少ない」という感覚はないです。僕はアンケートなんて意味がないと思ってるから読まないですけど、客席の様子を見ていると、「何で観にきたんだろう」というくらい不機嫌な人もいるし、寝てる人もいるし。

―編集者からは小説に何か突っ込みが入ったりしません?

前田:人によりますけど、作家を尊重してくれるから、「ここは絶対やめるべき」という言い方はしないです。

―直木賞作家をたくさん育てている編集者の中には、激しく直すという噂の人もいますよね。

前田:直木賞を獲るような小説ではロジカルに考えられるから、朱を入れやすいかもしれませんね。伏線の入れ方を指示したりとか。作家のほうも、指摘されるのはプラスになると思います。でも、僕はロジカルではないところで書いているから、「伏線がほしい」と言われても「ないほうがいいような気がする」という感覚を重視しなきゃいけない。そうなると編集者のかかわり方もちょっと違ってきますよね。

―戯曲は15回くらい改稿されるみたいですが、小説はどうですか?

前田:モノによりますが、戯曲に比べれば改稿が少ないですね。戯曲の場合、書き終わった時点では3分の1くらいしか完成してないんです。芝居には「役者」や「お客さん」みたいな不確定要素が多くて、それによって戯曲も変えていかなきゃいけない。だから書き直しが多くなる。でも、小説の場合は不確定要素が「読者」くらいで、自分で確定させていいところが多いんです。

「記憶」ってものすごく嘘つき

―今まで書いてきた中で一番好きな小説は?

巨匠ism 〜余は如何にしてクリエイターとなりし乎〜 第5回前田司郎先生(小説家・劇作家・演出家・俳優)

前田:あんまりないんですよね。だんだんよくなっているのか悪くなっているのか、浮き沈みがあるのかも自分ではわからないし、好き嫌いもその日の気分によって違う。人に薦めやすいのは『夏の水の半魚人』。逆に『誰かが手を、握っているような気がしてならない』や『愛でもない〜』あたりは人を選ぶだろうから……どっちにしろ人には自分の作品を薦めないですけどね(笑)。読みたい人が読めばいいし。だから周りにも「書いたよ」とはいうけど、「読んで」とは言いません。

芝居も同じで、「面白いから観にきて」とは言えない。役者が言うのはいいけど、作家や演出家が言うのは、ちょっと違いますよね。商業ベースの人は別かもしれないですけど。

―ところで前田さんがいま一番面白いと思っている人は誰ですか?

前田:いっぱいいるけど、石川直樹さんかな。今年の5月くらいにお会いして話したんですけど、何を考えているかわからなくて。僕は「生きる/死ぬ」ということをずっと考えているけど、死に直面したことはない。石川さんはそれが何度もあるじゃないですか。エベレストや南極にみずから死にに行くような……何でそんなことしてるんだろう、死にたいわけじゃないのに、死に近づこうとしてるのかな、って。僕は自分から死に近づいたことはないから、彼にすごく興味があるんです。

―「生きる/死ぬ」って普遍的なテーマだと思うんですが、そこにたどり着いたきっかけは?

前田:最初は何も考えずに戯曲を書いていたんですけど、あるとき何で書いているのかわからなくなって、過去の作品を読み返してみたんです。そうしたら、生きることと死ぬことについてばかり書いているのに気づいて、それが知りたいだけなのかな、と。それ以来、意識しています。何よりも話題として自由というか、何を言っても恐れることがないのがいい。なぜなら「死」のオーソリティはいないし、誰も死を経験していないから。それに、実は僕らもいま「死」に直面しているともいえる。知らない間に病気が進行していて、末期かもしれないし。

―「記憶」に興味があるというのも、それが「生きる/死ぬ」につながっているから?

前田:自分の命は連綿と続いてきたかのような感覚があるけど、今いる自分は「記憶」でできているんですよね。記憶ってすごく不確かなのに、いつのまにか確固たるものになっているのが不思議でもあり、面白くもある。本当はきのう生まれて、それまでの記憶を捏造したのかもしれないのに。

何年前か忘れちゃったけど、それに気づいたとき、すごく自由になりました。それまでは「自分はこういう人間だから、こうしなきゃ」という感覚があったんです。本当はそんなことないんですよね。舞台の上では誰だって、男にも女にも人間以外のものにもなれる。現実だってそうだと思うんですよ。男だと思ってたけど女かもしれないし、大人だと思ってたけど子どもかもしれないし、いくらでも変えられるし、どんな人間でもない。

僕は写真を撮るのが好きなんですが、面白いと思うところは同じです。撮ったからには実際にあったことなんでしょうけど、それはどうやっても証明できない。それが紙やフィルムに定着するのが面白くて。

―下世話な質問で恐縮ですが、世間に公表しているオモテの活動だけで食べていけてますか?

前田:ぜんぜん食えてますね。「演劇にすべてをささげる」みたいなナルシシズムがなければ、意外と食っていける。生活を犠牲にして何かに身をささげていれば気持ちは楽かもしれないけど、作るものの面白さにはあまり関係がないと思うんです。だからすべてをささげず、バイトしたり別の仕事したりしながらやったほうがいいかな、と。

もちろん身体訓練がものすごく必要な芝居なら別で、「貧乏なのは運が悪かった」と諦めるしかないけど、僕らは体をつくる必要のない芝居をしてるから。それでみんなバイトして食えてるし、僕は書くのが速いから仕事になってるんじゃないですかね。

―ご自身の肩書きを1つだけ選ぶとすれば?

前田:(即座に)「作家」。この言葉って含みがあるじゃないですか、彫刻を作る人も、劇作家とか小説家とかもそうですよね。「作家」でいいかなと。

―10年後、自分はどうなっていると思いますか?

前田:全然変わっていないと思いますよ。年をとって身体にガタがくることはあるでしょうけど、それ以外は変わらないんじゃないかな(笑)。

プロフィール
前田司郎

小説家/劇作家/演出家/俳優。1977年に生まれ、東京・五反田で育つ。1997年に劇団「五反田団」を旗揚げ。2005年に「愛でもない青春でもない旅立たない」で小説家としてデビュー。2008年に「生きてるものはいないのか」で第52回岸田國士戯曲賞を、2009年に『夏の水の半魚人』で三島由紀夫賞を受賞。



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