みうらじゅんが教える、「ない仕事」の作り方
戦国時代に余人の理解できない「美」の道を邁進しながら出世を目指した男、古田織部を描く漫画『へうげもの』(山田芳裕作)。絢爛豪華な芸術品には目もくれず、常識にとらわれない新しい価値観を標榜したその姿勢は、誰かに似ている。「ゆるキャラ」「マイブーム」など、新しくユニークな価値観を生み出しては世間に浸透させ、あるいは面白がられてきた男、みうらじゅんだ。自身も漫画家であり、また横尾忠則に影響を受けたイラストレーターであり、そして古今の文化に深い造詣とこだわりを持ったみうらは、自分自身も「へうげもの」であると語る。「戦国時代に生まれていたら俺は殺されてたよ」とみうらが笑ったように、現代でこそその審美眼は脱力系の笑いとともに新しい価値観を提供してくれるが、もしも下克上の世に生まれていたなら、軽々と常識をひっくり返すみうらのような存在は、危険視されていたかも。そこまでのバイタリティーを持って、みうらがものを集めるのはなぜなのか? 現代の「へうげもの」が説く、「へうげ」の思想とは。
インタビュー・テキスト:さやわか 撮影:三野新
- みうらじゅん
- 1958年京都府生まれ。イラストレーターなど。1980年武蔵野美術大学在学中に『月刊漫画ガロ』で漫画家デビュー。1982年ちばてつや賞受賞。1997年「マイブーム」で新語・流行語大賞受賞。2005年日本映画批評家大賞功労賞受賞。著書に『アイデン&ティティ』『色即ぜねれいしょん』『アウトドア般若心経』、『いやげ物』『キャラ立ち民俗学』など、多数。
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俺が今集めているものは「尿瓶」。
―今回は漫画『へうげもの』をテーマにしながら、他人から見て風変わりな物を愛でる好事家のことを、みうらさんにお話いただきたいと思っています。みうらさんも、ゆるキャラとか仏像とか、自身のさまざまなマイブームが世の中に認められていっていますよね。
みうら:ここ最近ねぇ、世の中がそもそものコンセプトを誤解して認めてくれてるだけなんだよね。世の中で流行ったりすることって誤解ですもんね。というか、誤解される要素が入ってないと広がらないもんなんですよね。逆に言うと、そんなにみんなわかってるのかって疑問です。だから、雑誌や新聞から「今のゆるキャラがゆるくないのはどう思いますか?」って電話がかかってくるわけで。俺が全キャラのデザインしてるとでも思ってるんだよね(笑)。
―最近になって、集め始めたものはありますか?
みうら:『へうげもの』は茶碗でしょ、俺が今集めてるのは尿瓶なんですよ(笑)。これ、いいですよ。たとえばチェコスロバキアのやつはね、注ぎ口が太くて長いんですよ。日本のやつは取っ手がついてて、機能的に作られてる。何個も集めると、そういうことがわかってくるんだよね。
―見てると、だんだん変わった水差しみたいに見えてきますね……。
みうら:今は、老人がポール・マッカートニーのライブとか観に行く時代でしょ。ビートルズなら注ぎ口がアップルの形になった尿瓶を会場で売れば、みんなグッときて買うと思うんだよね(笑)。
―みうらさんとしては、そのように自分が見つけた新しい価値を世に広めたいという気持ちがあるのでしょうか。
みうら:広めたいというか、ただ発表したいだけですね。成果を見てほしいんです。この前までやっていた「アウトドア般若心経」というものは、正味6年くらいかかってやっと本にしたんです。町の看板で般若心経の278文字を捜して写真に撮って並べてみるという企画だったのですが、発表したくてねぇ。評価ではなく。
―それが世間から評価されなくても、評価されないということ自体を確認することができた。
みうら:そうなんだよね。「アウトドア般若心経」のアイデアは何年も前から温めてたんだけど、無理だろうって諦めてたんです。いつか有馬温泉に泊まったとき、夢に神様が出てきて、「なぜ集めないのか」って聞くんだよ。神様の声はね、井上陽水さんの声だった(笑)。それで朝、起きてすぐに温泉街を回ったんだけど、全然見つからないし、これはかなり「へうげ」だって(笑)。何度か警察の職務質問も受けるわけです。「アウトドア般若心経」なんてうまく説明できないから、走って逃げましたね。
みうらじゅん
日本人って、未来のことを考えるのは好きだけど、日本を再発見するのがすっごく下手。
―『へうげもの』では、古田織部や千利休が「へうげた人」として描かれていますが、現代では茶人じゃなくて、みうらさんみたいな人がその系譜を継いでるんじゃないかと思えてきます。
みうら:ミスターへうげものですね(笑)。
―では、昔の「詫び寂び」の思想が現代に息づいているように、みうらさんが思いついた考え方が、後世の人の常識となっていくことについてどう思いますか? ゆるキャラなんてすでにそうなりかけていますが、後世から見て、ご自身が文化を作った人物として見られるようになることに面白さは感じるのでしょうか。
みうら:でもそのとき、俺は死んでるわけでしょ。だったら面白くないよ(笑)。だけど詫び寂びの思想って、今の時代にも生き残ってるものといえば、仏像じゃないかねぇ? フェノロサが、何の祭事でもない日に法隆寺の夢殿の救世観音を開扉して、「この仏像いいね」って言ったせいで、修復したものより色が剥げてるくらいがいいっていう常識になっちゃったんじゃないかなぁ。
―みんな何となく、社会や美術の教科書に載ってるような茶色っぽい仏像が「いいもの」だと思っているけど、作られた当時はそういう姿じゃなかったわけですもんね。
みうら:「色が剥げてる感じこそが美術的だ」ってことでしょ。仏像ってそもそも絢爛豪華な世界だったけど、今は渋い感じのものとして美術価値がついてるんだよ。仏像の修復士で西村公朝さんというすごく偉い人がおられたんですけど、対談したときに「初めどこまで修復していいかわからなかった」っておっしゃるんだよね。そりゃそうですよね。だからいいところで修復を止めてしまうと。
―フェロノサが、日本の美術の常識を変えてしまったんですね。
みうら:やっぱりそういうのは外国人が上手いんだよね。日本人って、未来のことを考えるのは得意だけど、再発見するのがすっごく下手というか。必死でディスカバージャパンとか言ってた時代もあったけど、ディスカバーなんてそもそも苦手だから。
―ちなみに、柳宗悦が大正時代に庶民の生活用品を美術品として評価した「民藝運動」についてはどう思いますか?
みうら:民藝ねぇ……その言い方も高飛車だよねぇ(笑)。上の階級の人が「庶民も、なかなかおもろいことやりおりますなぁ……」ってことで、そのネーミングを付けたんでしょ。
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俺、戦国時代だったら真っ先に殺されてると思います。
「モーニングはみだし3兄弟@CINRA出張所」の特設サイトでも、
『モーニング』関連作品を連載中。
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