世の中には時々、天才と呼ばれる人が現れます。そのほとんどは本人からすれば、努力の結果の賜物にすぎなかったりするのですが、それでもやはりどうしても、天才としか呼べない特別な人は僅かながらに存在します。例えば芸術から科学、解剖学まで手掛けて「万能の天才」と呼ばれるレオナルド・ダ・ヴィンチ。そんなダ・ヴィンチに負けず劣らず、広範囲の分野にわたって膨大な作品を世に残したアーティストが20世紀初頭の日本で活躍していたことをご存知でしょうか。世田谷美術館で開催中の『村山知義の宇宙 すべての僕が沸騰する』展は、1920年代から戦後にわたって、絵画や造形、ダンスパフォーマンス、舞台美術、映画、小説、戯曲、デザイン、児童文学など、様々な分野にわたって前衛芸術運動を展開していった、村山知義という1人のアーティストの業績を紹介する展覧会です。その業績のあまりの多彩さに、今回初めて美術館で本格的に行われるという展覧会を、スチャダラパーのBoseさんと一緒に訪れました。以前はこの近くに住んでいたこともあり、リラックスした雰囲気で現れたBoseさんは、村山の人生に何を感じ、どのような言葉を語ってくれるのでしょうか。
激動のドイツへ―哲学・宗教学から前衛芸術家への転身
―村山知義は1901年、海軍医だった父と婦人之友社の記者だった母の間に生まれました。若い頃からかなりのインテリで、東京帝国大学文学部哲学科に入学したのですが、すぐに退学し、ドイツで原始キリスト教を学ぶために渡航してしまいます。しかし、当時のベルリン大学で宗教学を学ぶにはラテン語が必修。ドイツ語、英語は出来たものの、それを知らなかった村山はあっさり入学を諦め、突如、前衛芸術の道へと人生の舵を切ることになりました。いきなり波乱の人生の幕開けです。
Bose:まず恵まれた人、選ばれた人として人生が始まっているんだけど、留学ができる裕福な家庭に生まれたとか、ラテン語を学ぶ準備ができずに挫折してしまったとか、さまざまな運や偶然が重なった結果、村山知義という芸術家が生まれた経緯がおもしろいよね。アーティストって意外とそんな風にして誕生するものなのかも知れないですね。僕はもともとデザインとかイラストをやりたかったんですけど、周りに上手い人がたくさんいたから諦めたんです。それでラップをやってみたら、いきなりわりと上手くできたという(笑)。
Bose(スチャダラパー)
―村山が訪れた当時のドイツでは、美術と建築の学校で近代の建築やデザインに大きな影響を与えたバウハウス、既存の芸術を全てぶち壊すダダ、イタリアの未来派、ロシアの構成主義など、新しい芸術運動の波が沸き起こっており、多感な年頃の村山にとても大きな影響を与えたようです。
Bose:ものすごいショックで、興奮したんだろうなって、その時の村山の気持ちが分かる気がします。僕たちも昔ニューヨークに行って、本場のヒップホップシーンをこの目で見て、「うわー!」ってなりましたよ。当時日本からドイツに行くのにどれくらいの日数がかかったんだろう。1ヶ月半? 今どこかに行くのに1ヶ月半かかるところなんてないですよね。そんな宇宙の果てのようなところにまで行ってみたら、こんな凄いことになってました、って、それは当然影響を受けるよね(笑)。
―ちなみにBoseさんは、バウハウスに影響を受けている桑沢デザイン研究所の出身。村山もドイツでバウハウスの思想に触れていたと聞き、より親近感を持ったようでした。
―次の展示室の入り口の壁には、この展覧会のタイトルにも使われている、村山が20歳あまりの頃に残した言葉「すべての僕の 情熱と思索と小唄と哲学と絶望と病気とは 表現を求めようとして 具象されようとして沸騰する」が記されています。Boseさんがその前でずっと立ち止まっていたので、真意を伺ってみると…
Bose:この並びに「病気」という言葉を入れてくるところが、カッコイイなと思ったんですよ。綺麗に言葉が並んでいるだけだとパンチがないけど、突然「病気」という強い言葉が差し込まれるのがおしゃれだなーと思って。ネガティブなイメージの言葉を入れることで、より意味が強くなる。ヒップホップの世界には、病的にカッコイイことを「ill(イル)」と表現する文化があるんだけど、それとも繋がるな、って、勝手に想像を膨らませていました(笑)。
前衛芸術集団「マヴォ」での活動―過激な装丁で発禁処分も
―たった1年ほどのドイツ滞在でしたが、日本に帰国した村山は、ベルリンで感じた前衛芸術の息吹を、そのまま日本社会にぶつけるかのごとく、急進的な前衛芸術運動を展開していきます。前衛芸術集団「マヴォ(Mavo)」の結成もそのひとつで、仲間たちと一緒に同人誌を発行し、展覧会を開くなど、最先端の文化を日本に紹介していきました。ちなみに、第3号では、表紙に紙火薬を貼り付けたせいで発禁処分を受ける騒ぎに。Boseさんが「マヴォ」の冊子を見て、しきりに「すごいなー。新しいなー」とつぶやいているので、感想を聞いてみると…
Bose:今、若い子たちがジンや同人誌を作っていることと、まったく変わらないし、100年近くも前から現代と同じ活動をしていたという新しさにビックリしました。しかも、当時は冊子の印刷や、個展の開催場所を見つけるのだって、今よりずっと大変だったわけですもんね。でも、自分がカッコイイと思うものを誰かに紹介したくて、友達と集まって物作りに没頭する気持ちはすごくわかるなぁ。僕にも経験ありますし。寝ないで活動したとしても、楽しくて仕方なかったんじゃないかなと思います。
―「マヴォ」の冊子は国内で発行するだけではなく、海外の出版社などにも冊子を送りつけ、実際に海外の雑誌記事で取り上げられることもありました。それを聞き、Boseさんは「それって、今の若い子たちがインターネットを通してやっていることと全く同じですよね。この時代からそんな国際的な視点があったなんて、やっぱりすごい!」とさらに驚いていました。
権威ある二科展に対抗するための「三科」
―村山のユニークな活動のひとつに「三科」というものがあります。これは日本の美術界で大変権威のある「二科展」に、仲間と共に前衛芸術作品を応募し、落選した作品を集めてリヤカーに積んで、屋外で展覧会を行って対抗しようという試みでした。警察から中止命令が出されたり、新聞に取り上げられるほどの反響があったそうです。さらに「マヴォ」のメンバーでもある画家の住谷磐根が、あえて「イワノフ・スミヤヴィッチ」というロシア人のような変名で二科展に応募したところ作品が入選し、その後、「欧米人だと思ったから入選させたのか?」というクレームを送りつけ、出品を取り下げるという騒動も起こしたそうです。「三科」の取り組みには、Boseさんも興味津々で、思わず顔がほころびます。
Bose:まず、「二科」に対して「三科」っていうセンスが、何かちょっと僕らと通じるところがありますね(笑)。でも体制の裏をかくやりかたは、今で言うと「Chim↑Pom(チン↑ポム)」のような感じなのかな? パンクのような精神を感じるし、「とにかく新しいことをやりたい」という無軌道なエネルギーが、ひしひしと伝わってきますよね。
既成概念を意識的に壊していく「意識的構成主義」
―そんな村山の代表作品のひとつが、1925年に制作した『コンストルクチオン』。毛髪や木、雑誌のコラージュなど多様な素材を使用して制作された作品で、「無意識のうちにある既成概念にとらわれて作品を作るのではなく、意識的に既存の概念を壊していくような作品を作っていかなければならない」という村山の考え方が詰め込まれた作品だと言えます。村山は、そのような自身の思想を「意識的構成主義」と呼びました。
Bose:この作品を発表した当時、どういう風に周りの人に見られていたんだろう、と想像しながら見ていました。芸術なら何でもそうだと思うんだけど、何か新しいことを表現しようと思った人は、すでにあるものを壊していかなければいけないんですよね。でも、「構成主義」とか「未来派」とか言ったって、当時の日本人はそれが何なのかということ自体、ほとんど知らなかったわけで、「何をどう壊して、このような表現に至ったのか」ということが上手く伝わらないもどかしさが、村山さんにはあったんじゃないかな…。
―さらに、Boseさんは自身のデビュー時期を振り返り、こう語ってくれました。
Bose:僕らもラップを始めたとき、同じようなことを感じたことがあります。ラップはもともとはアメリカの黒人文化で、おもに「俺達ってこんなに凄いんだぜ!」というようなことを歌うものだったわけです。でも日本人の僕たちがラップを始めるにあたって、黒人たちとは育ってきたバックグラウンドも違うし、それをそのまま日本には持ち込むことはできなかった。だから自分たちが子どもの頃に観ていた古いTVドラマやアニメの曲をラップのバックトラックに使ったりして、注目されたんですけど、そもそも元のラップの文化を知らない人が大半だから、自分たちが思っている本当の面白さが十分に伝わらないという悩みがありました。もっとマッチョなイメージのラップがすでに日本でも流行っていれば、自分たちの面白さがより際だつのに、って。村山さんの場合は、今よりも遥かに情報が少ない時代だったから、特にそんなふうに感じたかも知れないですよね。
―村山自身、「僕が絵画に初めて毛髪を使った」と話していたそうですから、自身の表現の新しさには相当なこだわりを持っていたようです。時代や表現は違えど、「先駆者」として新しい文化を切り拓いていったBoseさんだからこそ、村山の苦労に共鳴できるのでしょう。
妻との出会いを生んだ児童文学
―そんな村山でしたが、急進的な前衛芸術活動を繰り広げる一方で、生涯にわたって、絵本や児童文学の挿絵にも取り組んでいます。まだ高校生の時に、母の勤務先である婦人之友社の雑誌『まなびの友』に作品を掲載したのが始まりで、そのキャリアは50年以上。23歳の時には同社の記者だった岡内籌子と、童話挿絵を担当したことが縁で結婚しています。この表現の振り幅の広さが村山の魅力のひとつであることは間違いありません。かつて、子ども人気番組『ポンキッキーズ』に出演していたBoseさんは、自身の経験をもとに、こうに語ってくれました。
Bose:僕自身は昔から、「大人は子どものためにしっかりものをつくるべきだ」という思いはずっとありました。せっかくなら、子どもたちになるべく芸術的で面白いものを感じながら育ってほしい。『ポンキッキーズ』という子ども番組に出演していた時は、当時まだ日本ではあまり認知されていなかったラップミュージックが、少しでも記憶の隅に残ってくれたらいいなと思っていました。村山さんも前衛芸術で既存の価値観を切り開くだけではなく、子供に対して何かを託すことで、新しい世界を切り開いていきたかったんだろうな、と感じます。
絵本をアニメ化した作品も上映している
―ちなみに結婚当時の村山は、妻と同じおかっぱ頭をしていたため、2人で並んで写った写真は、新聞などで「夫婦同頭」と、センセーショナルに報道されたそうです。今でいう性差問題への提起を、早くもこの時代に体現していたことを示しています。
みうらじゅんさんとの共通点
―様々な表現を同時並行的に、おそるべきスピードで行ってきた村山ですが、児童文学と共に、若い頃から生涯を通して行っていた活動が演劇です。プロレタリア芸術家でもあった村山にとって、大衆に影響力を与える表現の手段として演劇はかかせないものでした。若干22歳の頃には、1度も会ったことのない築地小劇場の演出家・土方與志に対して、「公演『朝から夜中まで』の舞台装置を作らせてほしい」との旨の手紙を送り、実際に製作を請け負っています。Boseさんも、そろそろ村山の性格を掴んできたようで、村山の破天荒な行動に笑顔を見せます。
Bose:舞台美術で特に実績があるわけではないのに、いきなり「僕、やりたいんです」という手紙を送りつける真っ直ぐな情熱と行動力が可愛いですよね(笑)。あと、さっき演劇の告知ポスターを見ていたら、一般、学生料金の他に「労働者割引」って書いてあって、これは良いアイデアだなと思いました。「一般」と「労働者」の違いをどうやって証明すればいいのか分からないけど、スチャダラパーのライブでも「労働者割引」をつくってみたら面白そうだなーと思ってね(笑)。
―村山が生涯手掛けた演劇作品は、舞台美術150本、演出414本、上映戯曲194本というおびただしい数に及びます。これまでに紹介したほかにも映画や小説、雑誌の装丁や挿絵、デザインだけでなく、友人の肖像画約200点、ポルノ小説の翻訳に至るまで、その膨大な数の作品と表現の幅の広さは、まさに宇宙と呼ぶにふさわしいものでした。そして自身の関わった仕事を自らまとめたスクラップブックはなんと190冊にも及んでいます。
Bose:展示を見ながらずっと気になってたんですけど、村山さんって実は、みうらじゅんさんみたいですよね(笑)。むかし、みうらさんの自宅にお邪魔した時、半年分の連載の取材を一気にやっているところを見て、「すごい人だな〜、こんな人いるんだな〜」と思ったことがあったけど、まったく同じ感想です。あっちこっちで色々なことをやって、家に帰ったら誰に向けてでもなく、淡々と「エロスクラップ」を作っているみたいな(笑)。とても1人の人生とは思えない。5人分くらい生きているんじゃないかと感じさせるところがまったく同じように思います。
「Bose」のままでいることの勇気をくれた
―学芸員の説明を聞きながら1時間かけて『村山知義の宇宙』を鑑賞したBoseさんと控室に移動し、展覧会の感想をじっくり伺いました。同じアーティストとしてBoseさんは村山さんのことをどう感じていたのでしょうか。
Bose:全体を通して見て、村山さんはこれだけの才能を持ちながら、枠にはめられることから逃げているというか、なんらかの専門家にならなくて良かった人だったということが、すごいことだと感じました。誰からもカテゴライズされない。そういう意味でもやっぱり、みうらじゅんさんに近いですよね(笑)。僕は音楽を中心に活動しているけど、もしかしたら小説を書くかもしれないし、最終的には漫画家になっているかもしれない。表現するっていうことの根本は全部一緒だと思うんですよ。でも、現代の産業化が進んだ社会では、なかなかそういったことが許されない雰囲気があるんですよね。音楽やるならミュージシャンになって、レコード会社と契約して、一生頑張ってアルバムを出し続けましょう、みたいな。でも、それって本当はおかしなことで、カテゴリーで物事を考えて動かすのは社会の都合であって、本来なら「何を表現したいか」というアーティストの気持ちを中心に考えるべきだと思うんですよね。
―確かに現代みたいに表現のカテゴライズが進んだ世の中だったら、村山さんも途中で「デザイナー」や「美術家」といった枠をはめられてしまったかもしれないですね。Boseさんは、さらにこう続けます。
Bose:今回、村山さんのアーティストとしての素直な生き方に触れ、「やっぱりこれでいいんだ!」と勇気が出ました。「ミュージシャン・Bose」ではなく、「Bose」という1人のアーティストとして様々な表現に向き合うヒントをもらえた気がします。
―最後に、取材を通してずっと気になっていたことを質問してみました。美術館の中をご覧になられながら、Boseさんはここでライブとか出来たら凄いよねー!と盛り上がっておられたのですが、もし美術館で音楽イベントが出来るとしたら、どんなことをやってみたいですか?
Bose:実はそういうことがやりたいと思って、ずっと前から企画したりしてたんですよ。美術館がアートという表現を楽しむ場所なんだとしたら、そこに音楽という表現があってもいいんじゃないかって思うんですよね。でも実際やろうと思って、正攻法でお役所なんかに話しにいくと、もう絶対門前払いで断られるんですよ。「ここはそういうことをする場所じゃない」「前例がない」ってね(笑)。でもそれこそ美術のような一見小難しい表現を、一般の人達にやわらかく伝えるのは、僕らみたいな隙間にいるアーティストの役割でもあると思うですよね。そんな美術館がどこかにないかな、ってずっと探しているんですよ(笑)。
―実は偶然にも時々音楽イベントを企画している世田谷美術館。担当者の方が慌ててBoseさんに資料を渡していたのはいうまでもありません。100年近くまえ、同じ東京の街で既存の価値観に縛られず、芸術という名のもと様々な表現を繰り広げた村山知義。その幅広い表現による広大な宇宙世界に、美術館ごと包まれたような展覧会でした。村山と共に「宇宙」への旅を楽しんでみてはいかがでしょうか。
- イベント情報
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『村山知義の宇宙 すべての僕が沸騰する』
2012年7月14日(土)〜9月2日(日)
会場:東京都 世田谷美術館1階展示室
時間:10:00〜18:00(入場は閉館30分前まで)
休館日:月曜、7月17日(7月16日は開館)
料金:一般1,000円 65歳以上/大高生800円 中小生500円『やなぎみわ演劇プロジェクト第3部「1924 人間機械」』
2012年8月3日(金)16:00〜、8月4日(土)14:00〜、17:00〜、8月5日(日)14:00〜、全4回上演
会場:東京都 世田谷美術館 講堂
料金:
村山知義展鑑賞券付き前売券 一般4,800円 学生4,600円
前売4,000円 当日4,500円(村山知義展の当日料金が別途必要)
※チケット情報はやなぎみわ演劇プロジェクトのオフィシャルサイトから確認『「100円ワークショップ」きみの舞台をカードに演出しよう!夏の思い出カンバッチをつくろう!他』
2012年8月3日(金)〜8月25日(土)の毎週金曜、土曜
会場:東京都 世田谷美術館 地下創作室
時間:14:00〜16:00
料金:100円『ぷる・ま・しぇり 〜こどもといっしょに〜 絵本の読み聞かせとそれに関連した創作』
2012年8月26日(日)11:00〜11:45、14:00〜14:45(創作の内容は異なります)
会場:東京都 世田谷美術館 講堂
出演:藤田百合(絵本研究)
対象:3〜5歳の幼児とその保護者
定員:各回20名
料金:500円『ナイトツアー2012』
2012年8月25日(土)18:30〜20:00
会場:東京都 世田谷美術館
対象:小学4年〜中学生
定員:20名
料金:無料『スチャダラパーの新木場ジャンボリー』
2012年10月13日(土)OPEN 14:00 / START 15:00
会場:東京都 新木場STUDIO COAST
出演:
スチャダラパー&全力投球!バンド
レキシ
清水ミチコ
ライムサワー
マキタスポーツ
渡辺俊美(TOKYO No.1 SOUL SET)
サイプレス上野とロベルト吉野
2 ANIMEny DJs
KING3LDK
and more
料金:前売指定(2Fシート席)6,800円 前売立見6,000円(共にドリンク別)
HOT STUFF PROMOTION
- リリース情報
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- スチャダラパー
『哀しみturn it up c/w Boo-Wee Dance』(CD) -
2012年7月18日からメロディフェアのグッズストアで発売
価格:1,000円(税込)
SDP-0021.哀しみturn it up
2.Boo-Wee Dance
3.哀しみturn it up(カラオケ)
4.Boo-Wee Dance(カラオケ)
スチャダラパー『哀しみturn it up c/w Boo-Wee Dance』 - メロディフェア
- スチャダラパー
- プロフィール
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- Bose
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1969年岡山生まれ。桑沢デザイン研究所卒業。Bose、ANI、SHINCOの3人からなるラップグループ「スチャダラパー」のMC担当。まだ日本ではヒップホップが黎明期だった1989年『第2回djアンダーグラウンドコンテスト』において、TVドラマ『太陽にほえろ』のテーマ曲をバックトラックに使った『スチャダラパーのテーマpt.1』で鮮烈な印象を残し、特別賞受賞。翌1990年に『スチャダラ大作戦』でメジャーデビュー。2010年にはデビュー20周年を迎え、ベストアルバム『THE BEST OF スチャダラパー 1990〜2010』をリリース。2012年もシーンの最前線で精力的に活動し、自ら編集する雑誌『余談』や、待望のニューシングル『哀しみturn it up』を発表している。
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