こうして、自分以外のものを信じられないまま成長した新津由衣。ところが、「人が嫌いか?」という質問には、淀みのない瞳で「全然、むしろ大好き」と即答する。信じられないのに、人のことが大好きという矛盾を抱えているのが、新津の特殊なところかもしれない。「誰かと繋がりたい!」という気持ちは人一倍強いし、それがうまくいかなかった時にやってくる負の波も、彼女にとっては「まぁいっか」と受け流すことのできないほど、巨大であり、恐怖だった。
さて、そんな新津の転機になったのが、高校生になって同級生たちと結成したコピーバンド。そのメンバーだったYUKAの誘いを受け、ソニーミュージックが主催するボーカルオーディションを受けることになったのだ。
当然メジャーレーベルのオーディションともなれば、野望を抱えてやってきたライバルたちがズラリと並んでいたのだろうが、歌手になりたい! という強い意志があるわけでも、特別なレッスンを受けたわけでもなく、ただ「モノを作りたい/シーンを作りたい」という思いだけでその場に立った新津。本人曰く「かなり浮いた存在だったと思う(笑)」という肩の力の抜けた存在感が目にとまったのか、新津はなんと、そのオーディションに合格してしまう。図らずも、業界最大手のレーベルから、ボーカルグループ「RYTHEM」としてデビューすることになったのだ。
※RYTHEMのラストアルバムとなった4thアルバム『リズム』
結果的にRYTHEMは、デビューシングルでいきなり7万枚を超えるヒットを生み、最終的には4枚のオリジナルアルバムを発表し(シングルは最高でオリコン12位、アルバムでは6位を記録)、2500人近くを収容できるZEPP TOKYOでのワンマンライブをソールドアウトさせるまでになった。本当にごく限られたアーティストしか辿り着けないポジションまで、一気に駆け上がったのだ。
では、デビューして間もなく輝かしい世界へと足を踏み入れたRYTHEMが何故解散をしたのか。その理由について、私は詳しく知らないし、尋ねもしなかった。当たっているかはわからないけれど、少なくとも解散に関する新津にとってのひとつの真実は、もうすでに語られていたように思ったのだ。
もともと「モノ作り」しか信じるものを持たなかった人間が、ひとまずそれを横にのけて、人と繋がりたいという願望のもと、「人に喜んでもらうこと」を目指した音楽活動を続けていく。そしてまた、「自分の中から出てきた音楽に対してNO! っていう意見が出てきたときに、死んでしまおうかってくらい、自分の存在意義がなくなっちゃう」と語る新津にとって、RYTHEMでの活動は、人と繋がっていく喜びと、自分の存在意義とのせめぎ合いだったのではないだろうか。
実際のところ、新津の音楽的な好みを聞いてみると、国内外のクリエイティブなアーティスト名が数多く出てくる。フジロックに行って、夢中でライブを見続けるくらいの音楽好きだ。と同時に、メジャーシーンで求められる「流行歌」を生み出す使命に対して「革命をおこしたい」という気持ちを抱いていたというのだから、RYTHEMとしての音楽活動に、多くの葛藤はあっただろう。
新津:私、音楽に関しては「デザイン」が必要だと思っているんです。芸術家は、自分が生み出した作品があって、以上。それが評価されようがされまいが構わない。ただ、誰かがいて、私がいて、その間に作品があって……そういう繋がりを作ろうっていうのは、デザイナーの思考回路だと思うんですよね。だから、自分にとってすごく忌々しい方程式だったとしても、それが誰かと繋がるツールとして有効ならば、どんな意見も取り入れてみたいと思ってるんです。
メジャーシーンのなかで音楽を作り続けてきた新津の発言としては、的を得ているのかもしれない。ただ、新津の本心は、本当にこの言葉通りなのか。相変わらず、空気を読んでしまっているだけではないのか。繋がるためだからといって、モノ作りが好きな自分の気持ちを押し殺しているのではないか。この時点ではまだ、新津の発言に対する違和感は、拭い切れていなかった。
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