其の五 極楽とんぼ、職場復帰せよ
中学時代、不遇のサッカー部ライフを過ごした。ゴールキーパーだった自分は3年間丸ごと控えに甘んじ、後輩に颯爽と追い抜かれては、貴方は私の下であるという目をダイレクトに頂戴していた。スタメンで試合に出たのはわずか2試合。1勝1敗と聞けば無難な成績じゃんと思われるかもしれないが、3年の引退間際に練習試合後に急遽付け足された臨時消化試合で勝利したのが唯一の勝利だ。相手チームの編成は、入りたての1年をメインにした3軍チームだった。そのチームに2対1で辛勝した。それでも帰り道、自転車で風を切る心地はいつにも増して爽快だったのを覚えている。欲しかった高めの中古CDを買った記憶がある。
というような負の歴史を改ざんするべく、サッカー番組をやっていればテレビの前に座り込み、決定力不足を嘆くだけでは事足りず、フリーキックにおけるゴールキーパーのポジショニングについて苦言を呈したりしている。ボールが全く見えない壁の真後ろに陣取って壁を越えてきたボールに手を出すことすら出来ずそのまま見逃して失点、「おまえはラグビーのゴールか」と罵られた日々など記憶の彼方だ。金曜日の夜中の「SUPER SOCCER」、日曜日の夜中の「やべっちF.C.」は、大阪地検ばりに改ざんを試みる自分にとって有効な番組となっている。「SUPER SOCCER」で司会を務めるのが加藤浩次、「やべっちF.C.」の司会は矢部浩之である。考えてみれば、「めちゃイケ」で張り合う2人が、週末の深夜をサッカー番組で陣取っている事実は面白い。週末の入り口を加藤、週末の出口を矢部、という視聴者も多いだろう。
サッカー番組の堪能方法は2つ。サポーターになるか、評論家になるかである。にわかファンが増えるワールドカップ前後はその2つが受け手の中で混在したまま熱くなっていくが、ほとぼりが冷めればどちらかに偏っていく。矢部の方向性は完全にサポーターである。サッカーのユニフォームを着てスター選手と抱き合い、PK合戦を試みてはその結果に関わらず至福の時だと繰り返す。スタジオに座る名波浩は、サポーター的振る舞いで浮つく矢部と女子アナを、解説者として冷静に選ばれた言葉を添えることで場を落ち着かせる。サッカー好き以外にはなかなか興味を持てない海外のスター選手についても浮ついたまま熱弁する矢部。補足情報を出す女子アナと名波。視聴者はこの矢部のサポーター的熱狂に乗っかれば高揚感が得られる仕組みになっている。では加藤はどうか。加藤はここでも司会者に徹している。司会者から脱する道があるとすればそれはサポーターではなく、むしろ実況アナということになろう。番組内で実況するわけではないが、TBS系で放送されるJリーグ中継では小倉隆史と組んで、副音声として実況中継に臨んでいる。番組から生まれたフットサルチームにも所属しているようだが、毎週のように私欲を解消する矢部とは異なり、加藤は相変わらずの「中立国家」である。実況だけではなく番組にもレギュラーで登場するかつての天才プレーヤー・小倉隆史は大怪我さえ無ければもっと我々の脳裏に焼き付く名選手となったであろう。しかし、この番組での彼は、番組進行を意図的にグラつかせる放言を繰り返す人材として扱われており、イタいギャグを繰り返しては周囲から冷たい視線を食らうという一定のパターン作りに貢献している。「やべっちF.C.」における名波や、最頻出のサッカー解説者・中西哲生の冷静さと比較すると小倉の素っ頓狂は異例だが(武田修宏的な「バカの安売り」とはまた別だ)、これもお笑い芸人であるはずの加藤が小倉のパスを受けない限りは笑いの方向へ展開しかないがゆえに許されている、というか重宝されているわけだ。サッカー好きのお笑い芸人など数多いる。明石家さんまを筆頭に、木梨憲武、ペナルティの2人、土田晃之、人材はいつでも充実している。ワールドカップイヤーだった今年、青のユニフォームを着込んだ彼等を観た。全員が全員、サポーターだった。加藤も勿論サポーターだった。しかし、彼は、言ってみればそこら中とハイタッチして勝利を喜んでしまうような、瞬間風速の嬉々を恥ずかしがらずに出すことを拒んでいるように見えた。このことは、加藤浩次を考えるべきだと思い込む、直接的な原因となった。
加藤浩次はもっとやかましい男ではなかったか。人を野次り、罵る男ではなかったか。懸命に思い起こさねばならぬほど、現時点で画面に流れる加藤浩次は抜群の落ち着きを持ちえている。場が荒れる主因だった人物は、場を保つ主任になった。この転機をどのタイミングに見つければ良いのか。山本の芸能界追放は2006年のこと。それ以降変わったのか。いや、「スッキリ!!」で涙の謝罪会見を行ったことからも分かるように、加藤はそれ以前から司会業に勤しんでいた。「SUPER SOCCER」の司会は、来年でもう10年になる。山本の喪失を転機に設定するのはやや強引だ。しかし、あの事件によってこれまでの副業(司会)と主業(芸人)が入れ替わったのは事実であろう。では、それは加藤にとって本望だったのか。
これこそ皆の記憶から遠ざかっているかもしれないが、自民党議員の三宅雪子が衆議院内閣委員会において強行採決を阻止しようともみくちゃになる中で転倒し、翌日から車椅子だ松葉杖だと大げさに足をかばう姿を晒した。映像を見れば一目瞭然で故意にコケたと分かるこの行動に抗議が殺到、真偽に答える為に「スッキリ!!」の生電話に三宅が登場した。加藤は珍しく狂犬になった。「ワザとですよね?」「打撲で車椅子まで使うなんて、僕は色々運動とかもやってきたので考えられないんですけど!」「こんなことに(番組の)時間を費やしたくないので早く終わりにしましょう」と、慌てふためく三宅を断じてみせた。普段であればテリー伊藤が熱くなる所だが、この日の加藤は人の返答の一言一句に絡み付いていく往年の鋭さがあった。最初から呆れ返っていたコメンテーターはそこまで言わなくてもいいんじゃないかという顔をしていたが、むしろ自分はこの映像を観て、とても落ち着いた心地になっていた。やはり、これが加藤浩次ではないかと。
山本を芸能界に戻した所で加藤が狂犬として復活してくるとは限らないだろう。しかし、お笑い業界は確実に揺れる。それは復活したという芸能時事ネタとしての揺れではない。番組作りとしての抜本的な揺れである。山本が芸能界を退いた2006年辺りから人気を博し始めたのが、島田紳助と彼に頷く下僕たちで組まれた学芸会集団「ヘキサゴン」であり、翌年から始まった「レッドカーペット」ではカップラーメンも出来ないほどの短い尺でその場限りの笑いを求められた。「エンタの神様」では、もしかしたら才能があったかもしれない素材が、こぞって産業廃棄物と化した。その中で、中堅は下にも上にも攻撃せず、護送船団の乗組員となった。船団内の内輪話がブラウン管の外でも「すべらない話」として受容された。
なんだこれは。自分がこの連載を通じて何度も繰り返している「業界の茶の間化、茶の間の業界化」そのものである。ちょっとした小咄も好きだし、一言ネタも好きだ。だけども、お笑いとは破壊であって、無秩序でなければならない。今、たまたま部屋に転がっていたDVD「リアクションの殿堂」を手にしている。このDVDでは、ダチョウ倶楽部と出川哲朗の4人が、テレビではもはや出来なくなったリアクション芸を惜しげも無く披露している。冒頭から、オムツ姿の4人が互いに浣腸し合い、その状態で徒競走をし、走り高跳びをする。大便が出たら挙手し、アウトとなる。ああ、この豊かさよ、この広大さよ。お笑いとは、こうやって豪快に品に欠けるものじゃなかったのか。やめろと言われたら、やらなければいけなかったのではないか。親の顔を気にしてどうする。スポンサーの顔色をチラ見ながら作られた番組で抱腹絶倒出来るはずが無い。下衆な心意気が欲しい。卑しき嫌われ者が欲しい。大御所にそれを求めるのは無理だ。萎縮が強要されるピラミッド構造の下層にもそれは無理だ。中堅だ。中堅が、この平地を耕すべきだ。耕せないなら夜中に忍び入って荒らしてしまえば良い。その時に私は「極楽とんぼ」という名前を切望する。加藤と山本が一発触発どころか早速触発し、中身の無い暴発を繰り返す姿が見たい。加藤よ、サッカー解説者の拙いボケを難なく拾っている場合じゃない。今すぐ肉巻きおにぎりの広報部に電話して山本を取り戻すべきだ。コンビ時代に埋め込んだ地雷はまだまだ有効なはずだ。着火をするだけで暴発するだろう。その圧巻たる爆破の風景を、落ち着き払った加藤を毎朝見かけながら、今か今かと待ち続けるのである。
※追記:原稿を編集部に提出した翌日になって、加藤浩次がプライベートのフットサル中に右足首を脱臼骨折したことが分かった。三宅雪子ばりに車椅子で登場して欲しいものだが、一週間ほどは入院が必要なようで、その間は「スッキリ!!」含め仕事を全て見合わせるという。気になったのは各社配信の記事に「極楽とんぼ」の記載が入るか入らないか。結果は見事に二分されていたのだ。
・「お笑いタレント・極楽とんぼの加藤浩次(41)が」(オリコン)
・「タレントの極楽とんぼ・加藤浩次さんが」(時事通信)
・「お笑いタレントの加藤浩次さんが28日」(まんたんウェブ)
・「タレントの加藤浩次さん(41)が28日」(読売新聞)
加藤浩次を説明する際に、「極楽とんぼ」が薄れているという何よりの証拠だ。「めちゃイケ」に岡村が復帰した。加藤の怪我もすぐに治るだろう。あとは、あの男の帰還を待つだけだ。
・「山本圭一の復帰を待つお笑いコンビの極楽とんぼのツッコミ担当・加藤浩次(41)が」
これが加藤浩次を表す正確な記載だと信じたい。
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