「フジワラノリ化」論 最終回 あのノリ化は今!? 其の一 関根麻里/優香/土田晃之

さて、今回でこの連載を終わらせてみることにした。前回の島田紳助で第20回だからキリがいいというのも一因なのだが、「必要以上に見かける気がする、あの人の決定的論考」というこの連載のサブタイトルに沿う人材がこれ以上見あたらなくなってきたことが正直な台所事情だ。芸能界を去った島田紳助の後任司会につまみ枝豆が抜擢となればつまみ枝豆を考察しなければならないが、そこは平然と今田耕司なわけである。『南極大陸』の主役がここにきて森田剛となれば森田剛を分析しなければならないが、そこはやっぱり木村拓哉なわけである。連載開始から3年半ほどの間、テレビがつまらなくなったという意見があちこちに溢れた。コスト減で面白いものが作れなくなったという内側からの嘆きも届くようになった。しかし、最たる問題は、出るメンバーがどこでも一緒、という点に尽きると思っている。同じだから面白くない。連続ドラマはおよそ20人か30人ほどの主役リストから選んで使い回しているだけだし(そのリストにどうしてだかまだ入っている米倉涼子についてはしっかり考えておきたかったけれど)、脇役も同様だ。香川照之がキーマンとなるテレビや映画を何本観ただろう。宮崎美子のお母さん役を何本観ただろう。繰り返し登場するのと同様に消える理由も単純だ。AKB48の浸食によってグラビアアイドルは漫画誌の表紙という主戦場を失った。夏川純は年齢詐称を最大の売りにしたままフェイドアウトし、熊田曜子は女性人気を得ようと赤裸々にセックスを語り出したが女性側は彼女に引き返しを命じ、赤裸々な告白を聞き入ったのは一部の男子だけだった。安田美沙子はジョギングの道を選び、「芸能人×ジョギング」を先走っておさえていた長谷川理恵を追い抜いた。「なぜこの人が?」という分析が必要になる場面が生じたとしても、回答を探すのが容易になった。選択肢と理由が狭まったのだ。この連載は1人につき全5回・計20000字程度の論考を誰か1人に費やしてきた。最終回ではこれまで取り上げてきた人物の現在を補填していこうと思うが(『cinra magazine』で連載していた第1回〜3回は除く)、ざっと読み返していて、彼等は20000字に堪え得る題材だったと改めて思う。マタニティヌードを披露してママさんタレントでの復活を狙っているであろう神田うのには「やっぱりそうくるか」くらいしか言えない。もう分析の余地など残されていない……いや、本当はまだまだあるのだ。「オノ・ヨーコの巨乳アピールに需要はあるのか」を考えなければならない。「糸井重里や箭内道彦らに漂う絶対的信頼感」を問わなければいけない。というわけで20000字ではなく週刊で、つまり迅速な対応で「フジワラノリ化」を続けていきたいという思いがある。こちらの媒体では全く別の新連載を企図しているので、形を変えた「ノリ化」継続の場を画策していきたい。さて、それでは、第4回となった関根麻里の補足議論から始めていこう。

関根麻里が、「関根勤の娘さんです」と紹介されて登場したことをもはや思い出すことはできない。登場の仕方はIMALUと同じようなものだった。しかし今では、鋭さが少々弱まってきたように思える父・勤の上を、満開の笑顔で軽快に歩いている。連載時にはこんな予測を書き残している。「ベッキーと関根麻里、そして、各社売り出し中のアナウンサー(TBSの出水麻衣、フジの生野陽子、日テレの夏目三久)は全員1984年生まれである。現状の安定を狙う関根麻里の行く末には、『局アナ後』の彼女たちがいるのかもしれない。まあ、負けることはないだろうけど」。この予測を遥かに上回るペースであることは、日テレの早朝ワイドショー『ZIP!』のメイン司会の座を得たことが証明している。この番組での快活な喋りっぷりは、背後に揃うひな壇女子大生的群れを霞ませている。「バラエティタレントではない。どっちかというと生徒会寄りである」とも書いているが、先生受けの良い生徒会長っぷりは、政治から芸能からスポーツから料理まで深追いせずにちょいとつまみ食いするだけの番組作りに一定の規律を保たせる存在として絶妙に機能している。番組の進行がおしてCMまで数秒しかない。その時、本来、十数秒用意されていたであろうコメントを急遽短縮して難なくCMに繋ぐ技術が彼女には備わっている。みのもんたと比較するのもどうかと思うが、スタッフにカンペを出されて、「え、もう、CM?」と言って、偉そうにウッカリ顔をカメラに向けるのとは雲泥の差だ。この番組には日替わりでコメンテーターが登場しているが、山口達也・MAKIDAI・筧利夫・鈴木杏樹、この全員が全員、生放送なのにイレギュラーに弱いのである。おっとすみません、今、イレギュラーです、という顔を見せてしまう。隣に立つ関根麻里が笑顔をキープしたまま、時間をかけて場を取り戻すしかない。8時以前の大塚範一やみのもんた、8時以降のテリー伊藤や小倉智昭、自分を信じすぎる傾向にあるこれらの面々全ての補佐を関根麻里にお願いしたくなる。そうすれば、大げさな話、ワイドショーの薄っぺらさを総じて引き締めることができるかもしれない。関根麻里やベッキーの根底に流れている「とにかく元気」「とにかく頑張り屋」と似ているのは、AKB48の高橋みなみに対する信頼感だ。しっかりしている女の子はいつの時代にも芸能界の先端にいただろう。しかし、しっかりしている女の子が、実際に場や組織を統率する場面って、少なかったんじゃなかろうか。関根麻里の番組進行は、終始それだ。このままどんどん関根麻里の快進撃は続く。もう、疑いようが無い。

「フジワラノリ化」論 最終回 あのノリ化は今!? 其の一 関根麻里

優香はどうか。当時の論旨は「優香じゃなくても良いじゃんをやるのが、優香なのだ」である。あれから2年経ってもこの論旨は変わらない。関根麻里がすくすくと育っているとすれば、優香は、居所を更新しつづけているという印象だ。大家さんから「じゃあ、優香ちゃん、あと2年、また更新でいいよねー」「いいですよー」「あっ、これ、娘婿から送ってきた人参だから食べて」「えーいいんですかーこんなにーありがとうございます」、この手の会話の温度を業界に落とし込んでいるのが優香だ。つまり、「まあ、ここは引き続き優香ちゃんでいいでしょう」という、妥協とほのかな前向きさによって象られる継続が、優香がそのまんまでいることを許していく。「これからも優香は、『語られずに』テレビの中を動き回る。想定の範囲内で動き回る」と書いた通りだ。志村けんと仲睦まじく絡む、『王様のブランチ』でケタケタ笑い転げてみる、何も変わらない。優香に求めるものと、優香が成すべきことと、優香の受け入れられ方に、変化は生じない。こういられることは、なかなか簡単でない。何かと「3.11以前/以降」で語られる風潮にいい加減辟易しているが、確かにどこを突ついても変動はあった事も事実だ。しかし、優香は変わらない。優香は変わらない。『グータンヌーボ』には変化があった。内田恭子が退き、長谷川潤が加わった。江角マキコ、松嶋尚美も含めても一番年下だった優香が、長谷川の加入によって最年少ではなくなった。松嶋は妊娠を発表、長谷川も結婚、年少者でもなければ結婚もしていない優香。となれば優香は、結婚できない三十路の現在を悲壮感タップリに語りそうなものだが、優香はそれをしない。例え、20代前半の誰かと集っていても、彼女らの論議に平然とそのまんま参戦する。見下ろさない。意図的に自分を落として相手の若さを持ち上げることもしない。難なく混ざるのだ。FUNKY MONKEY BABYSはシングル曲のジャケットを有名人の顔アップのショットに統一してきた。山田花子、船越英一郎、羽鳥アナ、成海璃子……なんであえてこの人が、という人選が続いている。今月16日に発売されたシングルのジャケットは優香である。「なんでここにきて優香が、優香じゃなくてもいいところを……」というバンド側の狙いは、残念ながら的確ではない。なぜなら、優香は、別に優香じゃなくてもいいじゃん、を主戦場にしてきたからだ。ジャケットに写ろうが同様だ。「別に優香じゃなくてもいいけれど優香でいいや」を継続する優香に意外性を求めようとすることは、優香を理解していない証拠である。

土田晃之は、連載を書いた辺りが絶頂だった。そこから緩い下り坂にある。その下り坂を、自ら選んだように見える。共に8合目に辿り着いた土田と有吉、有吉は「地獄を見た跳ね返しだし折角だから」と更に頂上へ向けて出発し、土田は「じゃあ俺、ちょっと下で休んでるわ」と6合目付近でゆったりと深呼吸をしている、これが現在の土田だ。土田の役割を、「テレビ画面を『落ち着かせ続ける』」と書いた。掲載から2年半経った今も、この役割は変わらない。しかし、テレビの作られ方が、より即物的になった今、落ち着かせる時間的余裕がない。落ち着く前に次の盛り上がり、間髪を置かずに盛り上げる必要性が求められている。ハイテンションが続くネタ番組はだからこそ流行ったのだろう。しかし、いかんせん味わいが均一で飽きられた。ここで重宝されたのが、8合目から更に上を目指した有吉である。場を即座にひっくり返し、毒を撒き、(ここが最も重要なのだが)元に戻せる才気に需要が集中した。有吉と番組を共にしているマツコ・デラックスも、同じベクトルで成り立っている。やはり彼女も、元に戻せるのだ。『ロンドンハーツ』で格付け企画をすると、有吉は、大抵の場合「毒舌とか吐いてるけど、実はいい人そうだから」という理由で、好意的なジャッジを下される。土田には、有吉のようなダイナミックさは無い。むしろ、そのダイナミックな変動に突き刺していく冷静な一言を売りにしてきた。今でも健在だ。ただ、ブラックマヨネーズの小杉のような、相手のボロを次の笑いに拡大させるアシストセンスを持つ名手が若手に目立ってきた。有吉が番組の温度を上げるとすれば、一方の土田は番組の温度を管理する。地味だが大切な仕事だ。その土田がやるべき仕事をここ最近いくつか奪ったのがビビる大木だろう。彼の出演時間は全芸能人の中で最高クラスだそうだ。彼は有吉の毒素と土田の冷静さと、中山秀征のヌルさを上手にブレンドしている。彼の上昇は土田の仕事量にも影響する。土田がテレビに登場する機会が減る、テレビの世界が加熱の一辺倒となり冷却装置を必要としないと宣言したようなもの。これ以上テレビに萎えるか萎えないかを測る指数として、土田晃之の出演頻度は重要な指数と言えるだろう。



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