英国発のゴシックホラー演劇『ウーマン・イン・ブラック<黒い服の女>』が、この夏、パルコ劇場で7度目の上演を迎える。これまでに12の言語に翻訳され、世界40か国余りで上演されている同作品は、本国イギリス・ロンドンのフォーチューンシアターでも、今年6月に26年目の上演に入り、同劇場のロングラン記録を更新中。演劇では非常に珍しいホラー作品が、なぜこれほどまでに人気があるのか? その秘密は「無人の劇場」の様子を覗き見る「劇中劇」という、原作小説とは異なる演劇ならではの舞台設定、そして劇場空間という、二人の俳優と観客が一体となった共有体験にあると言えるだろう。
今回、このホラー演劇に新たに挑むのは、昨年の初舞台を経て今後の活躍が一層期待される新鋭俳優の岡田将生と、あらゆるタイプの役を自在に操ることのできる演技派の勝村政信。舞台を直接目撃する「演劇」だからこそ感じられる、リアルな恐怖をぜひ堪能あれ。
(メイン画像:スタイリスト:大石裕介(DerGLANZ) ヘアメイク:奥平正芳(CUBE))
恐怖を「快楽」として楽しむことができる、人の脳の構造
人間が「恐怖」を感じることは、危険を察知し、それを回避して身を守るために、生物として本能的に備わった情動の1つである。脳科学的にいえば、恐怖や怒り、不安などの情動反応をつかさどる部位「扁桃体」は記憶を定着させる「海馬」と密接に関わっていることが知られており、恐怖と結びついた記憶は無意識化の深いところに保持されるという。
その一方で、他の動物に比べて進化、肥大化した人間の脳では、恐怖という感覚を楽しむことができるのも大きな特徴である。現実には危害が加えられないとわかっているフィクションにおいては、恐怖がもたらす刺激と興奮が快感に近いものとして感じられるようになるからだ。肝だめしやお化け屋敷、古今東西の怪奇小説やホラー映画にいたるまで、ホラーがエンターテイメントのジャンルとして多くの人々に親しまれているのはその証拠と言えるだろう。
想像力を働かせることで、増幅していく「恐怖」の感覚
では一体、人は何に恐怖を感じるのか? 究極的には「未知なもの」「知覚できないもの」に触れたとき、「予測できないもの」に襲われるとき、人は恐怖を感じるのではないだろうか。そしてそこには「想像力」という人間特有の能力が関係している。実際には存在しないのに、見えると錯覚する、見間違える、思い込む(幽霊)。偶然の出来事を予兆とみなして、何かが起こることを想像してしまう(怪奇現象、呪い)。
あらゆるホラー系のエンターテイメント作品でも、じつは見た目の怖さ云々より、いかに観客や読者の想像力を働かせる状況を生み出せるか? というところに成否がかかっていると言ってもいい。グロテスクなゾンビがいかに大量に出てきても、慣れてしまえば怖くないが、そんなゾンビに支配された世界が、映画を観終わったあとの現実世界でも起こっていたとしたら……。想像力を働かせることで、恐怖はどんどん増幅していくものなのだ。
じつは意外にも作品が少ない「ホラー演劇」というジャンル
ところで、ホラー映画や小説の名作は数あれど、「ホラー演劇」となると、なかなか代表作の名を思い浮かべられない人も多いのではないだろうか? 19世紀末から20世紀前半、「恐怖」を見せることで一世を風靡したグラン=ギニョル座という劇場がフランス・パリにあったが、上演されていた作品は、見世物小屋に近いものであり、観る人に想像力を働かせてジワジワと恐怖を味合わせるものではなかった。他にも霊的な存在が主人公となる日本の伝統芸能「能」や、シェイクスピア作『ハムレット』に登場する亡霊も、死者ではあるが、恐怖をもたらすものとして描かれているわけではない。
そんな中、恐怖を舞台で味わえるホラー演劇の決定版と評されているのが、8月にパルコ劇場で上演されるイギリス発の作品『ウーマン・イン・ブラック<黒い服の女>』だ。同作品はイギリスの女流作家スーザン・ヒルが1983年に発表したゴシックホラー小説を舞台化したもので、イギリス本国では1987年に初演。1989年にロンドンのフォーチューンシアターに移ってから今日現在に至るまで、26年にわたるロングラン上演記録を更新中という、圧倒的人気を誇る作品だ。
日本でも1992年にパルコ劇場で斎藤晴彦、萩原流行により、オリジナル版の演出家ロビン・ハーフォードを迎えて初演して以来、1993年(斎藤晴彦 / 萩原流行)、1996年(斎藤晴彦 / 西島秀俊)、1999年、2003年、2008年(斎藤晴彦 / 上川隆也)と上演を重ねており、観客からの再演希望が多い作品として知られている。この夏の7年ぶり、7度目の上演では、キャストと翻訳を一新し、あらためてオリジナル版の演出家によって上演される。
ホラー映画制作会社の名門も手を出した、正統派ゴシックホラーを演劇化
『ウーマン・イン・ブラック<黒い服の女>』の原作となった、スーザン・ヒル作の『黒衣の女 ある亡霊の物語』は、正統派のゴシック小説として発表当時から評価が高く、イギリスでは舞台の他にも、ラジオやテレビでドラマ化され、2012年にはホラー映画制作会社の名門「ハマー・フィルム・プロダクション」によって映画化もされている(『ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館』)。映画版では『ハリー・ポッター』シリーズでも有名な、ダニエル・ラドクリフが主演を務めたことで記憶している人も多いだろう。
原作小説ではクリスマスイブの夜に、ロンドンの弁護士事務所に務める弁護士アーサー・キップスが、身寄りがないまま亡くなった顧客、ドラブロウ夫人の葬儀出席と遺産整理のために北イングランドの片田舎を訪れ、そこで体験した恐るべき出来事を回想するかたちで始まる。
回想の中に登場する人物、シーンは多く、霧のロンドンに包まれた弁護士事務所から、移動中の蒸気機関車、ポニーの馬車、潮が引いたときにだけ現れる沼地の土手道、呪われた館とその裏にある墓場まで、ストーリーが展開する舞台は多岐にわたる。小説であれば、それらを文字で表現すれば読者の想像力に委ねられる(=恐怖が描ける)し、映像ならセットやCGを駆使することも可能だが、じつは劇場空間でそのまま舞台化するにはかなり難しい条件の作品でもある。そこで、脚本家のスティーブン・マラトレットが考えたのは、演劇ならではの「劇中劇」というオリジナルな設定だった。
ゴシックホラー演劇を実現するための「劇中劇」というアイデアが、より恐怖感を生み出す
演劇版『ウーマン・イン・ブラック』の舞台は、原作の雰囲気を感じさせるヴィクトリア建築様式で建てられた小さな劇場の中。そこに中年になった弁護士アーサー・キップスが登場し、若い俳優を相手に何やら稽古のようなものをし始める。キップスは、過去の忌まわしい体験を家族に語ることで「悪魔祓い」すべく、自らが執筆したテキストをもとに、雇ったプロの若い俳優の力を借りながら、客のいない劇場で二人芝居をするように最後まで語りきる練習をするという設定だ。
すべては「小さな劇場の舞台」で「悪魔祓い」として繰り広げられるという設定なので、ストーリーに登場する蒸気機関車の座席、馬車といったものは、舞台上にある椅子やスキップ(大型収納箱)、トランクなどで見立てられ、音響効果で臨場感が演出される。つまり、全編を俳優二人による劇中劇という体裁をとることで、演出上の問題を一気に解消するというアイデアなのだ。そしてこの設定の転換が、原作以上に恐怖というテーマを描き出すことに、何よりも最適な仕掛けにもなっている。このホラー演劇が世界中で成功を収めた大きな理由の1つだと言えるだろう。
舞台上に「見えてしまった」ものは、一体何だったのか?
『ウーマン・イン・ブラック』の観客は、「観客のいないイギリスの小劇場」で演じられる、キップスと若い俳優二人の芝居を垣間見る「見えない客」となり、劇中で語られるストーリーを、想像を駆使しながら頭の中に描いていく。そのうち、舞台上の小道具で見立てられたさまざまなモノが「見える」ようになり、現実の劇場空間の中で作品世界と一体化していくようになる。
実際、劇中に登場するスパイダーという子犬は俳優二人の身振りだけで示されるのだが、日本版初演時からこの作品に関わる株式会社パルコ・プロデューサーの祖父江友秀によれば、生き生きとしたその姿が「見えた」とアンケート用紙に記入する観客が毎回いるという。そして若きキップスが、呪われた「イール・マーシュの館」で見る黒い服の女は、舞台上で誰かが演じているのか、それとも「見えてしまった」実物の幽霊なのか……。観客は、ひたひたと迫ってくる恐怖の予感をキップスとともに感じながら、現実と虚構がない混ぜになった不思議な感覚に身を包まれていく。
物語の最後で、数々の怪奇現象に襲われながらも職務を遂げたキップスは、黒い服の女の正体を知り、田舎町クリシン・ギフォードを去るが、キップスの本当の恐怖はその後に待ち構えていることが明かされる。さらに演劇版では、原作にはない別の恐怖が暗示されて幕を閉じる。観客の想像力に委ねたこのラストシーンの恐怖は「本当の意味」で、劇場で体験した者にしか味わえない、演劇ならではのものである。
ホラー演劇でありながら、演劇入門としても楽しめる希有な作品
先に説明したように、舞台版『ウーマン・イン・ブラック』は世界40か国余りで上演されているが、本国イギリス以外で最も観客に受け入れられているのが日本だと原作者のスーザン・ヒルは語っている。おそらく、簡素化された舞台設定や「見立て」の想像、『リング』や『呪怨』のようなジャパニーズホラー映画にも通じる「怨念の恐怖」といったモチーフが、能楽や1人で何役も演じ分ける落語、怪談話などに親しんでいる日本人にとって、スムーズに入っていきやすい世界観だったのではないかと思われる。
そして、『ウーマン・イン・ブラック』の魅力は、恐怖を劇場空間上でリアルに感じさせることだけに留まらない。劇中劇では、若きアーサー・キップスを「若い俳優」が演じ、彼が出会ったさまざまな人物を、中年になった「キップス本人」が何役も演じ分けることになっているが、弁護士であるオールド・キップスは役者としては素人という設定なので、最初はセリフがうまく話せず、ヤング・キップスが指導をしていくかたちになる。そこでは小道具を使用した見立てや音響や照明など、演劇における効果の解説がなされ、ヤング・キップスがオールド・キップスへ指導するセリフの内容は、そのまま演技論にもなるというメタ構造になっているのだ。そのため、普段演劇を見慣れない観客にとっても、この舞台を観ながら演劇の魅力や楽しみ方を知ることができる。
さらによく考えて観てみると、実際のキャスティングでは、ヤング・キップスを演じる「若い俳優=プロ」の役者よりも、「弁護士オールド・キップス=アマチュア」を演じる役者のほうがキャリアのある俳優が演じるという「入れ子構造」になっているのも面白い。
今回一新されたたキャストでは、ヤング・キップスを若手の岡田将生が、オールド・キップスをベテランの勝村政信がそれぞれ演じる。岡田は昨年初めて舞台に挑んだ『皆既食 -Total Eclipse-』(蜷川幸雄演出、Bunkamura シアターコクーン)で演じたアルチュール・ランボー役で抜群の存在感を示し、若手俳優としていま最も将来が期待される一人だが、対する勝村は、舞台にしっかりと軸足をおきながら、映画やテレビドラマなどでも幅広く活躍する実力派俳優。日本版では1992年の初演からオールド・キップス役を演じ、2008年9月のロンドン公演でも絶賛された斎藤晴彦からのバトンを受け継ぐかたちとなるが、勝村がどんなオールド・キップス像を見せてくれるのかも非常に楽しみだ。
つまり、「劇中劇」という設定を最大限に活かしたホラー演劇である『ウーマン・イン・ブラック』は、たった二人の役者が何もない舞台に世界をまるごと立ち上げるという、演劇そのものの魅力を最大限に味わうことができる作品でもあり、俳優がその才能を大いに発揮できる(=技量を試される)作品であり、照明、音響、舞台装置がシンプルゆえに観客の想像力、恐怖心を助長するのに非常に効果的に作用し、演劇ならではの普遍的な面白さをも味わえる作品なのだ。岡田自身も「この作品は恐怖を扱っていますが、ジャンルとしてのホラーというよりも、二人の役者が語りながら芝居をしていく様子も面白いと思いました。この芝居を通して、大先輩である勝村さんと1か月以上にわたって濃密な時間を共有できるということに何より魅力を感じました」と、出演を引き受けた理由を語っている。
岡田将生 スタイリスト:大石裕介(DerGLANZ) ヘアメイク:奥平正芳(CUBE)
これまでにもテレビドラマなどで共演経験もあり、プライベートでも親交があるという岡田と勝村は、岡田が蜷川演出で初舞台を踏み、勝村がニナガワスタジオの出身であるという共通項も持っている。ちなみに岡田は「初舞台で初日の幕が上がるときは、まるで戦争に行くかのようだった」とその心境を吐露し、さらに今回はこれまで彼が演じたなかで最も台詞が多い役のため、「まだ稽古が始まる前なのに、台詞が飛んでしまう悪夢を毎晩のように見る」と、役者ならではの恐怖体験を語ってくれた。二人の役者がアーサー・キップスという人物を通してどのようにぶつかり合い、役者としての情熱を共振させていくのか。舞台ならではのヒンヤリした恐怖と、俳優たちが演技にかける熱い思い、その両方を同時に体感できる稀有なホラー演劇『ウーマン・イン・ブラック』を、この夏ぜひ堪能してほしい。
- イベント情報
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- 『ウーマン・イン・ブラック』
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演出:ロビン・ハーフォード
脚色:スティーブン・マラトレット
原作:スーザン・ヒル
翻訳:小田島恒志
出演:
岡田将生
勝村政信東京公演
2015年8月7日(金)~8月30日(日)全29公演
会場:東京都 渋谷 パルコ劇場
料金:8,500円 U-25チケット5,000円名古屋公演
2015年9月3日(木)、9月4日(金)全2公演
会場:愛知県 名古屋市青少年文化センター アートピアホール
料金:9,500円新潟公演
2015年9月6日(日)全1公演
会場:新潟県 新潟 りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館
料金:S席8,500円 A席6,000円大阪公演
2015年9月8日(火)~9月12日(土)全7公演
会場:大阪府 森ノ宮ピロティホール
料金:S席8,800円
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