あの人の音楽が生まれる部屋

あの人の音楽が生まれる部屋 Vol.1:TOWA TEI| 7年間のアメリカ生活から生まれ故郷の日本へ ソロデビューで見つけた、 新しい「未来の音楽」の可能性

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あの人の音楽が生まれる部屋 Vol.1:TOWA TEI

7年間のアメリカ生活から生まれ故郷の日本へ
ソロデビューで見つけた、
新しい「未来の音楽」の可能性

Deee-Liteのメンバーとして1994年まで活動したTEIさんは、同年ソロ名義でのデビューアルバム『Future Listening!』をリリース。同時期に奥さまが妊娠され、「子供は日本で育てたい」ということで、7年間のアメリカ生活に終止符を打ち、1995年の4月に帰国しました。

TEI:実は、Deee-Liteのファーストをリリースした直後、ライブ中にステージから落ちて、むち打ちみたいになってしまっていたんですよ。痛みで朝も起きられないような状態で、91年から2年くらいは、稼いだ印税のほとんどをマッサージに使ってしまいました。1日に3人くらい来てもらったりしていましたからね(笑)。その頃からサウンドの好みも変化していったんです。Deee-Liteの他の2人がレイヴとかに行って、ワイワイやっているのとかも、僕には全然リアリティーがなかったんですよ。それよりも、家で紅茶を飲みながらインド音楽聴いたり、スポークンワーズのレコードをヒップホップのインストに乗せてみたり、イージーリスニングの上にアナログシンセの音を被せてみたり。そういう聴き方の方がしっくりきた。「今、自分は弱っているけど、こういう聴き方もあるんじゃないか」って。それを自分で「Future Listening!」って呼んでいたんですよね。元々好きだったイージーリスニングと、ダンスミュージックを融合させたいという思いもありました。

しかし、TEIさんの提示した新たな方向性を、当時のDeee-Liteの他のメンバーは理解出来なかったそうです。音楽性のズレ。3rdアルバム『Dewdrops in the Garden』で、“Call Me”の1曲のみ参加したTEIさんは、そのままグループからフェードアウトすることにしました。失意にあったTEIさんですが、彼の新しい楽曲を評価してくれる人もいました。中学3年生のとき、初めて音楽に目覚めるきっかけを作ってくれた坂本龍一さんです。

TEI:教授のおかげで、「Deee-Liteのメンバーだけが全てじゃないんだ」って思えるようになりました。彼らが気に入らなかったからといって、最低な音楽というわけじゃない。「これ最高だよ」って言ってくれる人が、教授をはじめ周りに沢山いたことは励みになりましたね。それで教授が「ソロで活動してみたらどう?」ってケツを叩いてくれた。ちょうどマッサージでお金を使い過ぎちゃったし(笑)、もっとお金を稼ごうという思いでソロを始めたんですよね。

ダウンタウンや今田耕司との
異種格闘コラボレーションで得たもの

帰国後のTEIさんは、ニューヨークのシーンとは全く違う日本のクラブシーンや、J-POPの世界へ身を投じることに。帰国前にニューヨークで知り合ったNOKKOのシングル『人魚』のプロデュースをはじめ、ダウンタウンことGEISHA GIRLS(坂本龍一との共同プロデュース)や、今田耕司ことKOJI-1200、KOJI-12000などとの、異色のコラボレーションでも大きな話題を集めます。

TEI:GEISHA GIRLSのアルバム『THE GEISHA GIRLS SHOW - 炎のおっさんアワー』を作ったとき、僕はもっと彼らとコミュニケーションを取って、それをアレンジに投影したかったんだけど、松ちゃん(松本人志)から「いや、音楽は音楽やし、お笑いはお笑いやし、うちらは音楽のこと分からへんけど、お笑いのことはプライドを持ってやってる。TEIさんはお笑いの人やないし、分からん者どうしで歩み寄るのはやめません?」みたいなことを言われたんです。正直そのときはちょっとカチンときたんですけど、でも考えてみたら、松ちゃんが言いたかったことって、「お互いの領域でベストだと思ったものを、『せーの』で出し合おう」ということだったのかなって。実際、それで“おいちゃん”という曲が出来たんですよね。だから、あれは松ちゃんなりのリスペクトだったのかなって今は思います。07年には『大日本人』(松本人志監督作品)の映画音楽プロデュースとしてオファーをくれたのも、GEISHA GIRLSでお互いベストを尽くせたからだろうし。

長野での暮らしで得た変化
やりたいときに自然に生まれてくる音楽が持つ力とは?

帰国して3年後の2000年には、東京から長野へと活動の拠点を移したTEIさん。その後に制作された4作目のアルバム『FLASH』(05年)、5作目『BIG FUN』(09年)、6作目『SUNNY』(11年)を追っていくと、かなりメロディーに重きを置いた楽曲が増えたように思いますが?

TEI:自分ではそういう意識は全然なかったんですけどね。でも、その頃くらいから「無理矢理音楽を作ることはしない」って決めたので、結果的にメロディアスになっているのかもしれないです。というのも、まずは鼻歌から曲を作ることが圧倒的に多くなってきたんですよ。以前だったら、朝起きてすぐにシンセを立ち上げて、とにかく機材をいじくり倒して……っていう作り方をしていたんですけど、最近は仕上げの段階まであまり機材をいじらなくなったんです。それは長野に越してきてからの変化で、若い頃には考えられなかったことかもしれないですね。

そんなTEIさんの新作『LUCKY』は、東日本大震災を経験してから初めてのフルアルバムということもあり、自身のブログには「自分のキャリアの中では、大きな区切りの後の新しいチャプターの幕開け」であると位置付けています。

TEI:13年前に長野に越してきて、SWEET ROBOTS AGAINST THE MACHINE名義でのセカンドを出して、『FLASH』から『SUNNY』までのソロアルバム3部作を作り、その間に『大日本人』を挟んで、去年は『MACH 2012』も出して……という感じで活動のペースは上がっていると思いますね。その代わり、ヒットチャートを狙うような曲のオファーはどんどん減ってきているし、自分でも受けないようにしている。だけど、それで良かったなと思います。やりたいときだけ音楽をやって作ったものは、誰かが聴いて元気になれたり、気持ち良くなれたりするんじゃないかなって。

新作のジャケットデザインは草間彌生が手がけるなど、これまでと変わらず作品のアートワークへの強いこだわりも感じさせるTEIさん。ダウンロード配信が主流となりつつある昨今の音楽シーンですが、今後も「アートフォーム」にこだわりながら、この長野にある空気の美味しいプライベートスタジオから素晴らしい作品を届けてくれることでしょう。

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