昨年夏、6人組のバンド編成となった新生KIRINJI。その最年少メンバーとして注目を集めているのが女性ギタリスト、弓木英梨乃さんです。中学生のときにThe Beatlesに衝撃を受け、地元大阪で路上ライブなどの音楽活動をしてきた彼女は、才色兼備の若きセッションギタリスト。スラリとした長身と強い意志を感じる目、そんな見た目とは裏腹のおっとりとした口調や、年齢に似合わぬ渋いギタープレイなど、多彩な魅力のある女性です。シンガーソングライターとしてデビューしたのち紆余曲折を経て、現在はさまざまなアーティストとコラボする弓木さん。ここに至るまでに、どのような葛藤を乗り越えてきたのでしょうか。普段、個人練習をしているというスタジオを訪れ、話を伺いました。
テキスト:黒田隆憲 撮影:豊島望 取材協力:studio Walk
弓木英梨乃(ゆみき えりの)
1990年8月8日、大阪生まれ。2歳半からバイオリンを始め、音楽のキャリアをスタートさせる。2008年、高校2年生の時に『第2回SCHOOL OF SCHOOL FINAL』でグランプリを受賞し、翌年シングル『LφST [ロスト]』(映画『携帯彼氏』主題歌)でEMI(現ユニバーサルミュージック)からメジャーデビュー。2012年からは、ライブサポートやレコーディング、楽曲アレンジなどをメインに活動を始める。2013年夏から6人編成となった新生KIRINJIの正式メンバーに。
両親とも音楽好きという恵まれた環境
バイオリンとスポーツに明け暮れた少女時代
大阪生まれ、大阪育ちの弓木さんは、5歳年上のお姉さんの影響で、なんと2歳半から(!)バイオリンを習い始めたとのこと。教室は「3歳以上対象」だったにも関わらず、「どうしてもやりたい!」と言って聞かなかったそうです。ご両親ともに音楽が好きで、お母さんはピアノの先生だったということもあり、家では常に音楽が流れている環境で育ったことも大きかったのでしょう。プリンセス プリンセスや松田聖子を今聴くと、何だか懐かしい気持ちになるというのも、まだ物心つく前からそういった音楽を聴いていたからなのかもしれません。お父さんからは、エリック・クラプトン、Eaglesなどの洋楽を教えてもらっていたそうです。
弓木:じつは野球もすごく好きでした。姉がいるので、次は男の子が欲しかったらしく、父には男の子っぽく育てられたんです。服装も男の子みたいだったし、小さい頃から髪もずっと短くて。野球も父の影響で、小学1年生くらいから一緒にキャッチボールをしていました。阪神タイガースが大好きで、週に1度は甲子園に観に行っていましたね。小学4年生くらいからは、地域のリトルリーグに入って男の子と一緒に練習していました。スポーツがとにかく好きで、柔道もやっていたし、お母さんと一緒にゴルフに行ったり。それで忙しくなり過ぎて、バイオリンを途中で辞めてしまったんです。
家族旅行中に聴いたThe Beatlesが
思いもよらぬ音楽への目覚め
中学校に入ってからは、ソフトボール部に入って練習に明け暮れる毎日。そんな弓木さんが再び音楽に夢中になったきっかけは、The Beatlesとの出会いでした。大晦日に家族で旅行することになり、お父さんが運転する車の中でかかっていた、The Beatlesの“Ob-La-Di, Ob-La-Da”に大きな衝撃を受けたそうです。
弓木:それまでも、The Beatlesは家で自然に聴いていたし、いつもだったら聴き流しているはずなんですけど、ちょうどその頃テレビCMで“Ob-La-Di, Ob-La-Da”が使われていたんですね。それで、「この曲、知ってる!」ってなって、すごくいい曲だな、とあらためて思ったんです。それからはずっと何度も繰り返し“Ob-La-Di, Ob-La-Da”を聴いていました。数あるThe Beatlesの名曲の中で、何故そんなにこの曲に惹かれたのかは永遠の謎ですね(笑)。でも、きっとそうやって人を惹き付けるような力のある曲なんだろうって思います。先日、ポール・マッカートニーのコンサートを観に行ったときも、“Ob-La-Di, Ob-La-Da”で大号泣しちゃいました。「この曲を、本物のポールと一緒に歌う日がくるなんて!」って。
ジョージ・ハリスンのパートを
全て弾けるようになるまで練習した毎日
そんな、“Ob-La-Di, Ob-La-Da”ばかり聴いている弓木さんを、The Beatlesのカバーバンドが出演する、大阪・北新地のライブハウス、CAVERN CLUBへと連れ出したのもお父さんでした。最初こそ「私はThe Beatlesが好きなんじゃなくて“Ob-La-Di, Ob-La-Da”が好きなんだけどなあ……」と、乗り気ではなかった弓木さん。しかし、ライブハウスに出演していたジョージ・ハリスン役のギタリストのプレイを観たことで、人生が大きく変わっていきました。
弓木:「私もこんなふうにギターが弾けるようになりたい!」って、そのとき強く思ったんです。じつは、父もギターを弾いていて、家には何十本もギターがあるような恵まれた環境でした。父は塗装業を営んでいるのですが、工場の一角にスタジオを作っちゃうくらいの音楽好きで(笑)、「ギターを始めたい」って言ったら、「好きなのを持っていけ」と言ってくれて。それが今でも弾いているSCHECTERのTelecasterモデル。それからは、The Beatlesのジョージ・ハリスンのパートだけをひたすらコピーする毎日でした。普通は基礎練習から始めるんでしょうけど、とにかくThe Beatlesが弾けるようになりたかったんです。部活も辞めて、家に帰ったらすぐにギターを練習する日々に変わりましたね。
The Beatlesのコピーバンドにもチャレンジするべく、楽器ができるという噂の同級生には片っ端から声をかけ、高い歌声の出る男子がいればベースを弾かせてポールの役を任せました。ただ、同級生はバンド活動に興味はあっても、The Beatlesに興味はなく、一度スタジオで練習したらそれでおしまいという状況の繰り返し。お父さんのバンドで、年上のオジサンたちと一緒に演奏したこともありましたが、ちゃんとバンド活動をしたことは、これまで一度もなかったそうです。
弓木:ギターだけでなく曲を作るようになったのも、お父さんに言われたことがきっかけです。「お前、ギターばっかり演奏してないで、ちょっとは自分で曲を作ってみろよ」って。そのときはすごく鬱陶しいなと思ったんですけど(笑)、今ではとても感謝していますね。15歳の誕生日にMTRを買ってもらい、大好きなアナム&マキさんに影響を受けて曲を作り始めました。それまでは洋楽中心に聴いていたのですが、アナム&マキさんたちの歌詞を聴いて「こんなに素晴らしいんだ……」って初めて共感できたんです。恋愛特有の気持ちとか、「ああ、わかってる、この人たち!」って(笑)。それで「自分も日本語の曲を書いてみたい」って思うようになりました。
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