、サードアルバムは全く何も決まっていない状況から制作をスタートした。20曲ほどあったサード用の候補曲を、メンバー/スタッフによる人気投票で14曲に絞り、そのままレコーディングに突入したのだ。
加藤:アルバムがどんな内容になるか分からなかったけど、曲を作り込んでいく中で、少しずつ膨らんできたイメージを何とか一つにまとめていくのが俺の仕事だと思ってて。絶対にゴールを見つけられる自信もあったから、途中でこのアルバムのコンセプトが見えてくると思ってた。
を聞く前にアルバムを聴いていたぼくは、この話を聞いて驚いた。なにせ『Ground Disco』は、CDで発売されるアルバムにも関わらず、レコードのようにA面/B面に分けて構成されており、「ロードムービー」仕立ての作品として明確なコンセプトを植えつけられていたからだ。それをこの短期間で、レコーディングを進めながら見つけ出し、植え付けたと言われれば、驚きもする。では、このアルバムがどんな内容で、加藤がどのようにコンセプトを見つけ出していったのか、曲を追いながら解説していこう。
、アルバムのタイトル曲"Ground Disco"。キラキラと煌めきながら浮遊する恒松のシンクが、エッジの立ったバンドサウンドと相まみえ、静から動へと流れていく。PBLの新しいサウンドを象徴する1曲だ。
しかしこの曲を、プロデューサーの加藤はアルバムから落とそうと考えていた。
加藤:俺以外はみんな「いい曲だ」って言ってたんだけど、俺は「このままじゃ絶対にダメだから、とっとと試して捨ててやろう!」くらいに思ってたの。何かが完全に欠落していたんだよね。それが、レコーディングの2日前に気づいてしまった。「曲全体を串刺しにするサウンドが無いから、躍動感が生まれないんだ」って。それでようちゃん(恒松)に、「シンク足そう!」って話をして。
恒松:「今から!?」って思ったけど、加藤さんから「イメージはU2の"With Or Without You"だ」って言われてピンときた。それでシンクを作ってきて、レコーディングで初めてバンドと合わせたんだけど、そのまま一気にこの曲は録れちゃった。
加藤:まさにこれだ!っていうシンクだった。それでもう、「これはアルバムのオープニング曲になるぞ!」って確信した。
ナカノ:シンクが入ってきて、最高にワクワクした。俺はこの曲がPBLの新しい音だって思ってたし、何とか形にしたいと思ってたから、「ようちゃんホントでかした!!!!」って大喜びでした(笑)。
―その「新しい」っていうのは、シンクが入ってダンスミュージックになっているから?
ナカノ:いや、歌詞ですね。<ここは愛の爆心地 愛想尽かしきった場所さ>っていう歌詞が、自分自身の居場所であり、時代そのものを象徴していると思っていて。これからどうしたらいいのか分からなくて途方のくれている歌で、本当は「そこからまた行こうぜ!」って前向きに歌いたかったんですけど、もう言葉が出てこないんですよ。あれだけのこと(10年1月の解散騒動)をみんなにしてしまった後で、俺が何を言っても嘘になっちゃうから。だからもう、<いつも君がいるから 僕は あふれる>としか歌えなかった。本当に切実でまっすぐで、これ以上無いくらいのパンチラインが書けた曲です。しかもね、自分の言いたいことを全部出し切っていながら、聴いたひと誰にでも当てはまる歌詞になっている。
加藤:でも、この曲は歌が難産だった。リスナーが最初に聴くオープニング曲の声の質や艶ってアルバムの中で最も重要だから、「普通に良い」くらいでは済まされない。結局、予算オーバーしながらもレコーディング日を追加して、ようやく録り終えた曲です。
疾走感あふれる"アーバンソウル"。
<夜走る 連戦錬磨の臆病風 愛しているのは自分だけ 愛せないのも自分だけ>という、ナカノらしい葛藤と悶絶が熱を帯びていくロックナンバーだ。この曲でナカノは、<酩酊の後の瞑想/低迷の末の栄光/ヘイジュード もう重度?>など狂ったかのように言葉の連想ゲームをくり広げるのだが、加藤はそこからこのアルバムを構築するヒントを得る。
加藤:歌詞のなかに文学者の「ケルアック」が出てくるんだけど、それで「そうか、このアルバムは『オン・ザ・ロード』(ケルアックが書いたアメリカ文学史に残る傑作)か!」ってひらめいたの。1曲目で何もない爆心地から始まって、最後に"運命の丘"でまた再会を果たすというアルバムの流れが見えてきて。このアルバムは、その流れのなかで色んな光景を見ながら心が動いていくロードムービーだなって。だから、1曲目と最後の曲中に、『オン・ザ・ロード』の英語朗読を入れて、アルバムを一つの物語として串刺しにした。いらないこだわりかもしれないけど、そこまでやらないと、PBLの第二幕として宣言できないって思ってたから。
を通して聴かない人も多くなったこの時代に、確かにこれは、「いらないこだわり」なのかもしれない。ひとつひとつの曲は十分な輝きを放っているのだから、何も「アルバムとしての作品性」を重視するあまり、無謀なスケジュールでアルバムを2枚に増やし、1枚のアルバムをA面/B面にわけ、曲中に朗読を差し込む必要はないのだ。
しかし同時に、何故アルバムを通して聴かないのか、という難問に真っ向から相対する作り手も少ないように思う。誰でも簡単にCDをリリースできる今の時代、音楽が売れなくなった元凶の一つとして、音楽やアルバムの強度が下がったと指摘をする人も少なくない。
加藤とPBLの、聴き手に最高の音楽体験を、時間と空間を提供しようとする姿勢には頭が下がる。セカンドアルバムが「空白の5年」をまとめた「ベストアルバム」だとすれば、サードアルバムは、PBLの新しい幕開けを飾る「アルバム作品」として、確固たる作品に仕上げようというのだ。
そういう点から考えても、あの時PBLがいきなりメジャーデビューをするよりも、加藤のように、バンドの作品性と呼吸を尊重しながら、自分の財布で勝負を仕掛けてくれるレーベルプロデューサーのもとで再起を図るほうが、正しい選択だったとぼくは信じてる。
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