ドリームポップ界の新たな旗手Serphが新作『Heartstrings』を発表する。プロデュース、作曲はもちろん、ミックスからマスタリングまでをすべて1人で手がけた本作は、彼がかねてより思い描いていたユートピアを遂に具現化したかのような、シンフォニックで、シネマティックな傑作である。現時点での知名度こそまだ高くはないものの、ゆくゆくはworld's end girlfriendやDE DE MOUSEらと同等の評価を獲得するであろう稀有な才能であることを、本作は改めて印象付けている。それでは、そんな彼の魅力を改めて紹介することにしよう。
作曲を始めてから5年足らず、いまだ急成長の途上
前作『vent』から、わずか9ヶ月という短いスパンで、Serphの新作『Heartstrings』が届いた。『vent』よりも1曲多い13曲収録の、堂々たるフルボリュームのアルバムである。ピアノと作曲を始めてわずか3年で作り上げた1st『accidental tourist』を発表したのが2009年7月、『vent』の発表がその1年後の2010年7月なので、先日10年ぶりにアルバムを発表した砂原良徳と比べるまでもなく、かなりのハイスピードで作品を発表していることがわかる。
もちろん、リリースのスパンはどちらがいい悪いではなく、すでに十分なキャリアがあり、自身の音楽的基盤を固めている砂原に対し、「毎日iTunesで音源をチェックして、あらゆるタイプの曲を日々作り続けている」と、『vent』発表時のインタビューで語っていたSerphは、今まさに急成長の途上にあるのだ。そういえば、前述のインタビューでSerphは、毎日iTunesで音源をチェックする理由について、勉強であると同時に、「世に出回ってる音源に失望することで、自分のやる気を奮い立たせる」というような発言をしていたのが印象深いが、こういったパンクな気質は、タイプこそ違えども、砂原にも通じる部分であるように思う。音楽でこそ物言わぬ電子音楽家は、案外尖った人が多いものなのだ。
では、改めて、Serphの経歴を簡単に振り返っておこう。Serphは、東京在住の男性によるソロプロジェクト。意外にも、中学時代に兄の影響でプログレやヘビメタから音楽に入ったというが、徐々にインストのクラブミュージックに傾倒し、学生時代のDJ活動を経て、自身の曲作りを開始している。竹村延和やdimliteといったエレクトロニカ系のアーティストをフェイバリットに挙げる彼の音楽は、ジャズを基調としながらも、エレクトロニカはもちろん、ハウスや映画音楽など、様々なジャンルを横断するイマジナティブなポップミュージック。ループを基調としたダンスミュージックとは違い、まるで夢を見ているかのように風景がコロコロと変わっていく、ダイナミックな曲展開を特徴としている。
前作『vent』から僕が連想したのは、美意識の強い独自の世界観をもった電子音楽という意味でworld’s end girlfriendやDE DE MOUSE、ジャズのテイストとメロウなメロディからはNujabes、ジャンルレスなドリームポップという意味ではトクマルシューゴなど、心ある音楽ファンであれば誰もがワクワクするであろう、そんな名前ばかりだった。『vent』のリリース後には、なんと平井堅の『裏 歌バカ』で、rei harakamiやHALFBYと共に、リミキサーとして名前を連ねていたことも記憶に新しい。
イマジネーションに富んだユートピア『Heartstrings』
こうしたキャリアを経て届けられた『Heartstrings』は、開放的で、躍動感に溢れた、実に素晴らしい作品に仕上がっている。これまでの作品と比べてリズムの生々しさが増し、肉感的になっていることが非常に印象的だ。以前のインタビューで彼は「理想郷みたいな、ユートピアに行きたいみたいな気持ちを音楽にしている」と語っていたが、まるで本作こそが、そのユートピアであるかのようなのだ。
それは、前作に続いてアートワークを担当している河野愛によって描かれた、ユニコーンが跳ね回るジャケットのような、ファンを公言するロシアのアニメーション作家、ユーリ・ノルシュテインの作品のような、まさに楽園と呼ぶべき世界。河野のホームページにある「この世に存在しないモノたちや この世に存在するモノたち 形や大きさや色、固定概念にとらわれず 共存しあう空間を描きます」というプロフィールや、ユーリの「人間の想像力を疎外したものからは、何も生まれない」という言葉は、まさにSerphの描きだすユートピアともリンクしているように思う。
サウンドの面で作品を象徴しているのは、タイトルからもわかるように、ストリングスの音色である。前作でもタイトル曲の“vent”をはじめとした数曲で効果的に用いられていたが、本作では、ゲーム風のアニメーションによるPVも印象的なオープニングの“luck”から思い切り鳴らされている。このストリングスが作品の躍動感をさらに加速させているのと同時に、映画音楽のような重厚さも同時に与えているというわけだ。
もちろん、アルバム全体にとどまらず、1曲の中でも多彩な要素が混在し、次々と展開していくSerph節は、これまで以上の折衷度の高さを見せている。優美なストリングスに耳を傾けているつもりが、いつのまにかピアノやアコギに変わっているなんてことがアルバムの中でしょっちゅう起こっているのだ。タイトル曲の“heartstrings”にしても、荘厳なストリングスとパーカッシブなビートの対比が鮮やかだし、少しエキゾチックなメロディとクラップが、文字通り光輝く太陽のような高揚感を生んでいる“shine”や、ポップなメロディメーカーとしての側面を強く印象付ける“leaf”といったあたりも、個人的なお気に入りだ。
高らかに鳴らされる、新たな冒険へのファンファーレ
前作までと違い、ミックスおよびマスタリングを本人が手掛けているということも特筆すべきだろう。本作の持つ肉感的な魅力というのは、学生時代にDJとして活動し、フロアの現場感覚を知っている彼だからこそ作り得たものだと言っていいと思う。本作のタイトルである『Heartstrings』は、もちろん本作でストリングスがフィーチャーされているからこそのタイトルなのだと思うが、おそらく、その大元は「Heartbeat」の「beat」が「strings」に置き換わったものではないかと予想する。心臓の鼓動のような生々しいビート感、それをストリングスを用いて再現しようとしたアルバムなのではないかと。
これまでに1st『accidental tourist』、「Adventure」からタイトルがつけられたという2nd『vent』とリリースを続け、『Heartstrings』は彼にとって3作目。誰に聴かせるでもなく、自分というリスナーに向けてひたすら作り続けてきた曲が、ふとしたきっかけで、思いがけず旅を始め、多くの人の耳に触れるという冒険を経て、『Heartstrings』というユートピアにたどりついた…そんなロマンチックな妄想も、彼のイマジナティブな音楽であればきっと許してくれることだろう。そして、彼のユートピアがこんなにも晴れやかな場所であるなら、これを独り占めさせておくのはあまりにもったいない。ぜひとも、この世界を多くの人と同じ空間で共有したい。本作がこれまでで一番ライブをイメージしやすい作品であることもまた、間違いないのだから。ラストに収録されている“fanfare”が、Serphを新たな冒険へと送り出すためのファンファーレであることを願っている。
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