19世紀前半にヨーロッパで「写真」が産声をあげた当初、それは「見たまま」を写し取る驚きのテクノロジーとして、人々に迎えられたと想像できます。しかし、その歴史の初期からすでに、写真は「記録」を超えて個性あふれる「表現」を生み出していきました。そして新表現が生まれるそばには、常にそれらを誘発させた技術や技法の進化もありました。
そこで今回は、通称「シノゴ」と呼ばれる大判カメラを駆使して、風景をミニチュアのようにとらえた代表的シリーズ「Small Planet」などで知られる写真家の本城直季さんをゲストに迎え、写真における「表現」の側面に迫ります。
指南役は、東京都写真美術館で近代写真史を専門にする藤村里美学芸員。さらに、ワークショップなど教育普及を担当する武内厚子学芸員と、古典技法である「青写真」にも挑戦します!
代表作「Small Planet」シリーズを生んだのは、自分と相性のいいカメラ
写真におけるテクノロジーと表現の関係とは? 大上段のテーマを掲げたものの、発明以来180年近い写真の歴史のどこから始めればよいのか、まさに「今さら聞けない」のが悩みどころ。そこで今回はまず、多くの人が「あの写真、どうやって撮るの?」と思う作品について聞くことから考えてみました。
見慣れた街から異国のランドスケープまで、世界中の風景をまるでミニチュアのように撮影する本城直季さん。最近では、デジタルカメラやスマートフォンでも、こうした雰囲気の写真が手軽に撮れる機能がありますが、もともとは本城さんも愛用する「大判カメラ(4×5インチ以上のシートフィルムを1枚ごと入れ替えて撮影するカメラ)」ならではの特性から生まれた技法のようです。本城さんは、どんな経緯でこのカメラに出会ったのでしょう?
本城直季『Small Planet』シリーズより
本城:今使っている大判カメラに最初にふれたのは、大学生時代です。ホンマタカシさんやアンドレアス・グルスキー(現代写真を代表するドイツ人作家)など、好きな写真家がこうしたカメラを使っていると知ったこともきっかけになりました。学校に4×5インチ(シノゴ)の大判カメラ「トヨフィールド」があり、これを借りて撮り始めたんです。
本城直季が使用する4×5インチ(シノゴ)の大判カメラ「トヨフィールド」
ただ、最初はシノゴでどんな写真が撮れるのか、使い方もわからないまま試行錯誤が続いたとか。その日々から、やがて夜の住宅街を映画のセットのようにとらえた「LIGHT HOUSE」や、代表作となる「Small Planet」シリーズが生まれます。今回、指南役を務めてくれる東京都写真美術館学芸員の藤村里美さんは、やはりそこに使用カメラとの関係を指摘します。
藤村:どちらも大判カメラ特有の「あおり」操作で、対照的な効果を生み出していますね。あおりとは、こうした大判カメラについている蛇腹を操り、レンズとフィルムの距離や角度を変える操作。ピントの合う範囲や、被写体のゆがみを調整することができます。「LIGHT HOUSE」では、この操作を用いて、暗がりの風景を隅々までピントを合わせてシャープに写し取り、不思議な雰囲気を出している。対して「Small Planet」は「逆あおり」で、ピントの合う範囲を極端に狭くすることで、周りの景色がぼけ、ミニチュアのような風景が生まれています。
本城直季「LIGHT HOUSE」シリーズ
なるほど、「Small Planet」シリーズの作品をじっくり見ると、写真の上下は大きくボケている一方、それらに挟まれる中央部分はピントがくっきり。これがミニチュア風景を接写したようなイメージを見る者に与えるのでしょう。「逆あおり」によるこの効果は、大判カメラの機能を想定外の方法で用いた試みともいえそうです。この技法を利用した写真を撮る人も世界各地にいて、モチーフも風景、乗り物、さらにスポーツまでさまざま。
本城:僕は最初、このカメラについてとにかく無知で(苦笑)、ノーマルなセッティングもよくわかっていませんでした。「Small Planet」も街中でいろいろ試すうちに、ああいう写真が撮れるようになった。そのうち、橋や展望台など、風景を俯瞰できるアングルだと効果が出やすいのもわかってきて……という感じです。
ちなみに、大判カメラの特性を探った時期は、さぞ撮りまくったのではと思いきや、実際はさにあらず。1枚ずつフィルムをセットしなければならない大判カメラに、そうした撮り方はあまり向いていないこともありますが、とにかく何枚も撮る、というスタイルがもともと自分向きでなかったと言います。
本城:当時、フィルムでも撮りまくる同級生は結構いて、「みんなはこんなに撮ってるんだ」と驚きました。でも僕はそういうのは得意じゃないようで、また中判カメラの小さなファインダーから覗いた街の写真では、「コレだ!」という感じがつかめませんでした。大判カメラはその点でも、背面の大きなピントグラスを通してじっくり対象に向き合う感じ。自分と相性のいい大判カメラに出会えたことが、本当によかったと思っています。
藤村:そこは、いきなりデジカメから入る世代とも違う感覚があるんでしょうね。本城さんは、写真がフィルム主流だった時代からデジカメが台頭してくる、ちょうど狭間の世代ですよね。大判カメラはそんな本城さんからすると古い時代のカメラとも言えるし、持ち運びやセッティングの難しさからすれば制約もあるかもしれない。ただ、何よりも自分の写真に合った機材として選んだ、ということですね、きっと。
本城さんからは、カメラと撮り手の「相性」という言葉がありましたが、写真の歴史を見れば、カメラやフィルムの機能・性能が進化するにつれ、撮り手の表現自体も変化・多様化してきたことがわかります。
藤村:たとえば被写体が数十秒じっとしていないと撮れないカメラの時代に、激しい動きはとらえられませんよね。また、撮ったらすぐに現像の必要がある「湿板写真」の時代を経て、やがてフィルム現像とプリントを切り離して扱えるようになると、カメラの活動範囲や利用者も広がり、結果、被写体も多様になっていきます。望遠、広角などレンズの開発や、ストロボ写真、連続写真などの新技術も、それぞれに伴う新表現を誘発していく。目に見えているものがそのまま写るだけではない、という写真の本質は、こうした歴史を見渡すなかでも感じ取れることです。
「ブレ」「ボケ」など、写真ならではの表現が、絵画など他の芸術にも影響を与え始める
ところで、写真の歴史では、逆に技術で「できないこと」が、新表現につながることもありました。たとえば、現代のデジタル写真でもポピュラーな「画像合成」。これは遡れば19世紀フランスの重要な写真家、ギュスターヴ・ル・グレイの『海景』(1856~1859年)に辿り着きます。
ギュスターヴ・ル・グレイ『海景』(1856~1859年)東京都写真美術館蔵
藤村:一見すると、ふつうの海辺の風景写真。しかし、じつは水平線を境に空と海を別々に撮影後、そのプリントを切り貼りし、再撮影しています。当時のカメラ、感光材料では、空と海を同時には綺麗に撮れなかったからなんですね。
切り貼りする技法といえば、その半世紀後にアートの世界に現れた前衛的なフォトモンタージュ、コラージュ表現にもつながりそうですが、その始まりは、突き詰めればこんなところにあったのかも?
藤村:別の切り口で考えれば、写真特有の「ブレ」「ボケ」という表現も、カメラがとらえきれなかった動きによって生まれたものといえます。そうしたイメージの出現によって、「像がブレている=激しい動き」という新しい感覚が人々に共有され、表現としても発展していった流れがあるのではないでしょうか。そしてこれらは、絵画など写真に先行して存在した表現領域にも影響を与えていったと考えられます。
先ほど本城さんの作品を「ミニチュア風景を接写したようなイメージ」と書きましたが、これも考えてみると、私たちの目が本物のミニチュアを間近で見た経験に基づくのか、またはそうした「接写写真」にふれてきたことで、「らしさ」のイメージとして刷り込まれているのか……? 写真の側から現実の感じ方にもたらす影響も、興味深いものといえます。
「やっぱりフィルム写真の持つ情報量の豊かさに惹かれているところもあって、デジタルの大判カメラは使用していません」(本城)
英語のPhotographを日本では「写真(真を写す)」と書きますが、英語をそのままとらえれば、「Photo(光)+Graph(画)」で「光の画」。その画面を作ることでいえば、本城さんは写真家4人で共同運営する写真スタジオ(その名も「4×5(SHI NO GO)」)に貨物コンテナを再利用した暗室を持っています。現像からプリントまでの作業を、自ら行うこともあるとか。
本城直季『Small Planet』シリーズより
本城:作品制作では、撮影後に細かい色調整を行うこともあるので、それがやりやすいネガフィルムを使っています(対して「ポジフィルム」と呼ばれるリバーサルフィルムは、撮影時に色などが確定しやすい性質を持つ)。一切光の入らない暗室で現像作業するために、部屋のどこに何があるかぜんぶ記憶したり(笑)、手間はかかりますが好きな作業です。プリントも最終的には専門の方に頼んだり、今はデジタルスキャンして色調整する方法もとりますが、「こう仕上げたい」というテスト写真を予め自分で作ることもあります。
学生時代に、通信社でフォトストック(写真素材)を扱うアルバイトもしていたという本城さん。そこでは感光剤を塗布したガラス板「写真乾板」で撮られた貴重なものも保管され、それらから今なお美しいプリントが生まれることに驚いた経験もあるそうです。
本城:今は大判カメラでも、フィルムの変わりにデジタルセンサー(CCD)を使って「像」を記録するものが登場していますが、まだまだ価格が高いというのと(苦笑)、あとやっぱりフィルム写真の持つ情報量の豊かさに惹かれているところもあってその選択はしていません。
そう聞くと、技術の発展を一方向的に「進化」とは呼べないのかも? とも感じますが、ここで話題に出たフィルム、現像、プリント技術の進化も、写真表現においては大きな意味を持っています。ごくわかりやすい例で言えば、フィルムを拡大してプリントする引き延ばし機の発明や、カラーフィルムの登場などもそう。本城さんの作品にも大きく関わる要素と言えそうです。
本城直季『Small Planet』シリーズより
藤村:同じ写真でもサイズによって受け取る情報の質・量も変わり、さらには印画紙の特徴でも、伝わる印象はだいぶ異なりますよね。
本城:たしかに、そこは作品によって使い分けています。印画紙でいえば、光沢があるとより現実感が出るし、マット系にすると絵画的になる。「Small Planet」はどちらに寄りすぎてもいけないと考え、両者の中間、微光沢紙というのを主に使っています。さらに写真集などの場合は、紙も印刷技法もまた大きく違うものだなって思います。
写真を通して世界を「見る」ことで、想像を超えてリアルに実感できる
加えて、科学技術全体の発展も、写真表現に影響を与えていきます。たとえば、特殊な撮影条件が「人間がまだ見たことのない世界」を広く知らしめていく側面もあります。
藤村:本城さんは、空から風景を撮ることもありますよね。でも、こういった鳥瞰の景色も、最初に気球の上から撮影した写真が生まれるまで、ほとんどの人は想像だけで感じていた世界だったと思います。それが写真になることで、新しい世界を目にして、リアルに実感できる。最近ではドローンで撮影された写真もそうでしょうし、天体望遠写真によって宇宙も身近になってきました。逆に電子顕微鏡写真などでは、SF映画のようなミクロの世界を実感させてくれます。
もっと身近な例でいえば、最近はスマホの液晶画面を見ながら写真を撮る人が多いですが、これらはファインダーを覗いてシャッターを切る感覚とは、明らかに違うものでしょう。よく知っているつもりの世界も、未知の対象も、写真を通すことで新しい発見が生まれる。これは、風景に幻想性・虚構性を持ち込むような本城さんの作品にも言えることかもしれません。今、私たちには何が見えていて、何が見えていないのか? それは少し後にならないとわからない部分もありますが、そのとき、写真表現が教えてくれるものは大きいはずです。
カメラがなくても写真が撮れる。古典技法「青写真」に初挑戦
話は尽きませんが、ここで、長年4×5カメラで創作する本城さんに、あえて写真の古典技法である「青写真」に挑戦してもらうことに。これは1842年、イギリスの天文学者・数学者、ジョン・ハーシェル(1792-1871)によって発明された技法ですが、このハーシェルさん、Photographという言葉の発案者ともいわれており、今回のテーマを考える上でもぴったりかもしれません。
教えてくれるのは、東京都写真美術館で教育普及活動を担当する武内厚子さん。青写真のワークショップを通し、そのシンプルながら奥深い魅力を伝えています。
武内:太陽の光で印画できる青写真は、日光写真、サイアノタイプとも呼ばれ、深みのある青色が特徴です。通常はフィルムからでもプリント可能なのですが、今日はカメラやフィルムなしでも手軽に楽しめるやり方として、ビー玉などを印画紙に直接乗せて感光させる手法に挑戦しましょう。
印画紙は、画用紙にフェリシアン化カリウムとクエン酸鉄アンモニウムという2種類の薬品を混ぜて作る「感光液」を塗ったものを用意。この上に木の葉やレース、おはじきなどの透き通った素材を並べて、自由にイメージを作っていきます。印画紙の感度が低いので、暗室でなくても室内なら作業可能。本城さんは真剣な表情で作業に取り組みます。選んだ素材を組み合わせ、どこか人の顔にも見えるイメージを作りあげました。
本城:青写真は初体験なので楽しいです。最近、この技法に取り組んでいる若手写真家もいますよね。フィルムカメラで撮影したものを現像した青写真は、どこかノスタルジックで情緒的な感じが強く出る印象。でも今日はカメラを使わないので、また違うものになりそうです。
続いて、イメージを印画紙に写し取るため、太陽光のあたる屋外へ。天候にもよりますが、今回は待つこと10数分で、薄黄緑の印画紙が少しずつ、味わい深い青に変わっていきます。さらに待つと、青が白っぽく変化。
武内:「作品が消えてしまう!?」と焦ってしまうかもしれませんが(笑)、これくらい感光させるのがちょうどいいと思います。理由は、続く工程でわかりますよ。
室内に戻り、セットした木の葉やおはじきを取り外すと……モチーフが乗っていた部分はもとの薄黄緑色のままで、それらのシルエットがくっきり現れました。これを水洗いすると感光した部分の色が青く変化し、未感光だった部分には画用紙の白が現れます。さらにオキシドールを混ぜた蒸留水に1分ほどひたすと、青い部分がより鮮やかに。再び水洗いした後に乾かせば、本城さんの青写真処女作が完成です。
本城直季の「青写真処女作」はセルフポートレート?
武内:何だかこの青写真、本城さんのお顔に似ている気もしますね(笑)。おはじきを置いたところも、光の反射でいい効果を生んでいます。
いつもの本城作品では珍しい縦長のプロポーションなのにも注目。やはり、手法が変われば写真も変わる? なお印画紙に直接モノを置くなどして感光させるこの技法は「フォトグラム」とも言われ、20世紀初頭のアーティスト、モホイ=ナジ・ラースローや、シュルレアリスムで活躍したマン・レイなども取り組んでいます。
本城:自分が好きな、瑛九(1911-1960 / 抽象的な絵画や写真で知られる日本のアーティスト)さんへのオマージュ的な気持ちも込めて作ってみました。予想以上に青の濃淡がはっきり出る印象で、やはり色が綺麗。露光時間の調整で、色合いもより好みが出せそうですね。
一般的な銀塩写真が銀の化学反応で濃淡を写し出すのに対し、青写真は鉄塩を利用。これが、特徴的なブルーを生む秘密です。なお、よく未来の計画を「青写真」という言葉にたとえるのは、かつて機械・建築図面の複写技法としてこの技法が多用され、そうした図面を使って説明会などが行われたことに由来するとか。
武内:感光液が紫外線によって化学変化すると、洗濯しても落ちない染料のような成分になるんです。だから、画用紙ではなく布に薬品を塗って感光させることで、柄を写し取って手ぬぐいを作った例もありますよ。
これは感光する際に布を植え込みの影に置いて、草花の影を写し取ったものだそう。布に近い場所に生えていた草花のかたちは鮮明に、少し離れたところの草花の影は、ぼんやり写し出される様がとても写真的。光と像との関係を、より根源的に体感できるものでした。
太陽光と影が生み出す、写真の原点を知っておく
本城さんにとってこの青写真制作は、ノスタルジックな体験というより、自身が取り組む写真という表現技法の起点を、肌で確かめるひとときになったようです。
本城:漂白された葉っぱの葉脈まで浮かび上がったり、おはじきの光の反射で単なるシルエットとは違う効果がでたり。カメラこそ使わないけれど、写真の原点を体験した気がします。写真って何だろう? といまだに考えることがありますが、「あ、そもそもこういうことなんだ」と、腑に落ちる感じもありました。
武内:すべての写真の原理になる太陽の光も、じつは身近なものですよね。私たちもワークショップでは、写真のそうした根源的な楽しさを知ってもらうことを大切にしています。「この素材は青写真に使ってみたら楽しいかも」など、日常生活の見方を再発見するきっかけにもなれたら嬉しいです。
「光と影の芸術」としての写真表現における、テクノロジーと創造力の関わり。そして、その原点にある「目で見えたままを写すだけではない」という写真の本質。そんなことに、自然と想いを馳せた1日になりました。
ところで、青写真を発明したハーシェルは、天文学者でもありました。広大な宇宙で目に見えるものと見えないものの関係を追究した彼は、こんな言葉も残しています。なかなか難しい文章ですが、なぜだかこれ、写真における、技術と創造 / 想像力の関係を語っているようにも感じられるのでした。
「ひとたび科学的探求の味を吸収し、自らの本質をすすんで現実と照らし合わせる習性を身につけた精神は、それじたいの中に純真かつ刺激的な凝視を生む無尽蔵の源泉を宿している(『A Preliminary Discourse on the Study of Natural Philosophy』より)」
- プロフィール
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- 本城直季 (ほんじょう なおき)
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1978年、東京都出身。東京工芸大学芸術学部写真学科卒業、同大学院芸術研究科メディアアート修了。実在の風景を独特のジオラマ写真のように撮影した写真集『small planet』で2006年度『木村伊兵衛写真賞』を受賞し、一躍注目を集める。メトロポリタン美術館、ヒューストン美術館に作品が所蔵されているだけでなく、雑誌や広告など幅広い分野で活躍している。
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