暴力で他者を支配できるのか?『ショックヘッド・ピーター』

この世に生まれたら、誰もが共同体の掟を教えこまれる。たとえ納得できなくても、規則を変えるには半端じゃないエネルギーと時間がかかる。とりあえず不満を並べて嘆くより、非道な世間も情けない自分も笑い飛ばしちゃえ! そんな反骨精神で権威や習慣を面白おかしく風刺するブラックユーモアは私達の憂さを晴らしながら、状況を客観視させてくれる。戦後の社会主義体制下で自由を抑圧された東欧の国ハンガリーにも、皮肉を効かせた表現で政府に対抗するアートが育った。そのセンスが光る舞台が、9月に東京芸術劇場で来日公演するジャンク・オペラ『ショックヘッド・ピーター〜よいこのえほん〜』。カラフルで幻想的な装置の中、英国のパンクバンド「タイガー・リリーズ」のマーティン・ジャック作曲の歌に乗って、親に逆らう「わるいこ」が次から次へと死んでいく(!)。このブラックユーモアに彩られた音楽劇は、「よいこ」ってどんな人間? 「しつけ」って一体何? そんなディープな問いを投げかけつつも世代を超えて楽しめる作品だ。怖くて可愛いダークファンタジー作品の招聘を決めたのは東京芸術劇場・芸術監督、野田秀樹。政府の検閲に負けずに活動したハンガリーの演出家による本作は、どんな背景を秘めているのか? 5月末にブダペストのオルケーニ劇場を訪れ、関係者たちに直接お話を伺った。

英国でもっとも権威ある演劇賞を受賞した作品のハンガリー版

2012年9月にリニューアル・オープンする東京芸術劇場の記念演目として、東欧の国ハンガリーの首都ブダペストに拠点を置くオルケーニ劇場で制作されたジャンク・オペラ『ショックヘッド・ピーター(以下SHP)』が招聘される。昨年このニュースを聞いた私は、見に行きたくてたまらなくなった。同作はもともと英国で1998年に舞台化され、ロングラン上演後に世界ツアーを敢行。2002年には英国の演劇賞としてもっとも権威ある『オリヴィエ賞』(最優秀エンターテインメント賞)に輝いている。演出と舞台美術を担当したのは、危険な香りがたちこめるアート系の作風で知られる2人組、ジュリアン・クラウチとフィリム・マクダーモット。音楽はディヴィッド・バーンやクロノス・カルテットとも共演したタイガー・リリーズのマーティン・ジャック。ジャックはアコーディオンを弾きつつ、華やかなファルセットボイスから野太いダミ声まで、多彩な声音を駆使してドラマに陰影を与え、『オリヴィエ賞最優秀助演賞』を獲得している。

photos by Eszter Gordon
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2001年に私は英国版『SHP』を香港で観ることが出来たが、ドール・ハウスを連想させるゴシック調の凝った舞台美術に囲まれ、親の言葉に従わない子供たちが悲惨な道をたどる姿に衝撃を受けた。哀れな末路を辿る犠牲者の姿はブラックユーモアたっぷりに誇張されて滑稽だけど、いたいけな子供の受難を笑っていいものか…と戸惑ってしまった。ところが周囲に座る様々な国々の子供たちは、みんなキャッキャと大喜びしているではないか。

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原作はドイツの精神分析医が息子のために書いた絵本だった

実はこの作品の原作は、150年以上前にドイツの精神分析医ハインリヒ・ホフマンが自分の息子に贈るために書いた絵本であり、日本でも『もじゃもじゃペーター』『ぼうぼうあたま』などの邦題で出版されて長く読み続けられている。絵本を構成する10のエピソードのほとんどは、悪癖を直さないためにひどい目に合う子供が主人公。とりわけ背筋が凍るエピソードは「親指しゃぶりのコンラッド」。ママが「指をしゃぶっちゃダメ」と叱っても、コンラッドはやめようとしない。すると巨大なはさみを持った仕立て屋がやって来て、指を切り落としてしまう! 子供たちが痛ましい罰を受けるのが当然のごとく、舞台は次のエピソードに移るのだが、これほど残酷な絵本が世界各地で読み継がれているのも、この物語に国柄や文化の違いを超えて、普遍的に人を惹きつける魅力があるからに違いない。

ちなみに上述のシーン、今回東京で上演されるハンガリー版『SHP』では、コンラッド役を赤ちゃんの格好をした女優が演じるため、哀れさ倍増。もっとも指を切って血が噴き出す場面は黒いメルヘンと呼びたい視覚に魅了され? 客席から悲鳴は聞こえなかったが…

photos by Eszter Gordon
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顔を白く塗ったノスタルジックな格好の登場人物たちは、ティム・バートン監督映画のキャラクターに似ている。また、子供が不条理に次々と死んでいく話と聞けば、アメリカ発の過激アニメ『サウスパーク』を連想するかもしれない。しかし社会風刺や批判精神が息づくとはいえ、『SHP』には特定の事件や人物に対するあからさまな攻撃はなく、ドタバタ悲喜劇から浮上する共同体や教育への疑いの視線が観客を覚醒させる。ジャンク(がらくた、ポンコツ、くず)をタイトルに冠した英国発の不穏な音楽劇を、戦後40年を共産圏に属したハンガリーの演劇人たちは、何故自分たちの手で上演しようとしたのか? その動機には、表現が政治権力に干渉されることに対するアーティストたちの危機感があった。

露骨な政府批判はせずに、芝居を通して観客が現実に起きていることを考えられるような上演を心がけた。(アシェル・タマーシュ)

ゴシックホラー色の濃い英国版『SHP』は権威を嘲りつつ、タイガー・リリーズの天国と地獄を往還するような演奏と相まって、甘美な拷問よろしく観客を責め苛んだ。対してハンガリー版『SHP』はピンクの壁に囲まれた舞台にパステルカラーの衣裳をつけた人物と獣が共存し、詩情あふれる悪夢が浮遊感をもたらす。また少人数のバンドと俳優たちの歌がアンサンブルとなり、ミュージカルの趣を強めている。さらに母親の役は男優が演じるなど、男女の役が性を交換して演じられる点も大きな特徴だ。

photos by Eszter Gordon
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オルケーニ劇場で行われた訪日公演の記者会見の前後に、このユニークな舞台を作り上げたスタッフとキャストに取材した。まずはハンガリー版『SHP』の上演を最初に提案した演出家、アシェル・タマーシュ。彼の演出した作品は海外のフェスティバルに招聘される機会が多い。オーストラリアのシドニー・シアター・カンパニーでディレクターを務める女優ケイト・ブランシェットの依頼で演出した、チェーホフ作『ワーニャ伯父さん』は今年7月にトップレベルのパフォーミングアーツが集うニューヨークのリンカーンセンター・フェスティバルで喝采を浴びた。政府の検閲に抑圧された時代から活動を続ける63歳のアシェルの握手は力強い。

オルケーニ劇場ビルのテラスに配された等身大の写真に遊び心が漂う photo by Mana KATSURA
オルケーニ劇場ビルのテラスに配された等身大の写真に遊び心が漂う photo by Mana KATSURA

アシェル・タマーシュ:ハンガリー演劇史の生きる伝説? 資料にそう書いてあるのは、ハンガリーがソビエト連邦の影響下にあった時代から40年間頑張ってきたからかな。僕が演出をはじめたころは表現の自由は保証されていなかった。特に首都では監視が張り巡らされ、政権に反対する要素あり、とみなされた作品は上演を禁じられてしまったんだ。

息苦しい体制下でも諦めず自由な創造を目指して試行錯誤を重ねた、と当時を振り返る。

アシェル・タマーシュ:都会は監視の目が厳しかったので、比較的穏やかな環境をもつ地方の劇場に行ったんだ。そこには同じ志を抱く演劇人が集まっていて、斬新な舞台を模索したよ。露骨な政府批判はせずに、芝居を通して観客が現実に起きていることを考えられるような上演を心がけた。一本の戯曲を観客が複数の視点で読み解けるような演出術は、今も大切にしているよ。表現には常に制約を受ける可能性があるからね。

photos by Eszter Gordon
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英国生まれの『SHP』をハンガリーで上演しよう、と思った理由はどこにあるのだろう?

アシェル・タマーシュ:芸術監督のマーチャイ・パールから子供のための音楽劇を上演したいと依頼されたとき、原作を広く知られたこの作品がいいと思ったんだ。この芝居には2つのレベルがある。1つ目は世代にかかわらず誰でも楽しめるというところで、愚かな親の子育て方法を皆で笑えばいい。2つ目は大人に向けた視点で、暴力やルールで本当に他者を支配できるのか? という問いかけだね。

2つ目のレベルでは、親子、家庭内の力関係にとどまらず、政府が国民をコントロールする乱暴な手段が芝居から透けて見える。あらためて『SHP』の原作絵本を眺めれば、髪と爪を伸び放題にしたピーターも、落着かないフィリップも、「健全な普通の子供」の枠からはみ出すな、と警告するためのシンボルと思えてくる。そもそも普通とか常識とかいわれる価値観は時代や場所によって異なり、それに応じて教育の方針もうつろっていくものではないか。その事実を肌で知っているアシェルの、子供たちに向ける視線も興味深い。

photos by Eszter Gordon
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アシェル・タマーシュ:子供向け作品といえば甘くて可愛いものが多いけれど、僕はパターン化された芝居は嫌なんだ。見せ方次第で子供だって物語の深い内容を理解できるはず。『SHP』の笑いは無邪気な笑いとは違う。しつけようとするたびに子供は死んで親は同じことを繰り返す、というグロテスクな内容だもの。だから「これはファンタジーで現実じゃない」って子供が納得できるよう、過剰な表現で面白がらせればいい。その為には男女の性を入れ替える演出も効果をあげたと思うよ。

たしかに大柄な男優がひらひらドレスを着て走って来た瞬間、「さあ、とんでもない事件が起こるぞ」という非日常感で観客はドキドキする。ただし、異装しないキャラクターもいる。そのひとりが語り手であるロボズ博士だ。英国版では毒々しい仕草で観客を挑発したが、ハンガリー版のロボズ博士はコミカルな堕天使の風情。観客に語りかける口調は、頽廃のなかにユーモアをたたえて温かい。

教育という大義名分のもとで自由を制限される子供たちを描く

「ロボズ博士役のガールフィ・ラースローはハンガリーを代表する役者だよ!」と言ったとたんにアシェルは隣室に走り、猛スピードで戻ってきた。数册の演劇雑誌を掲げながら「この表紙がラースロー、こっちの写真も。いろんな役を見事にこなせて、しかも彼らしさを失わない」。

やがて、演出家が比類ない俳優と賞賛するガールフィ・ラースロー本人が現れた。20年代の無声映画を彷彿とさせる『SHP』の奇怪な扮装を解いた素顔は、知的な美丈夫だ。

ガールフィ・ラースロー:今はシェイクスピア作『テンペスト』の魔術師プロスペローを演じていますが、創作劇も好きです。ドストエフスキーやランボーの文学を、実験的な手法で舞台化する仕事にも取り組んできました。『SHP』のロボズ博士にはドイツ表現主義の映画『カリガリ博士』の戯画的なイメージを投影しています。非道な親に味方する立場を強調するたびに、お客さんの反発を呼ぶ手応えが楽しくて(笑)。

photos by Eszter Gordon
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ハンガリーの国民的スターだった彼が劇団オルケーニに所属した理由は、より親密なスペースで芸術性の高い表現を探求するためだった。心身ともにみずみずしさを保つ秘訣は「よく食べ、よく飲み、よく愛する!」と明かすガールフィは、文化に対する探究心も旺盛で「日本に行ったら、歌川広重の浮世絵や伝統芸能など見たいものがたくさんあります」と瞳を輝かす。

親指をしゃぶるコンラッド役に扮したのは、表情豊かな丸顔の女優、ポガーニ・ユディット。80種の声を操る声優として子供にも人気が高い。シェイクスピア喜劇『十二夜』の道化役など、ジェンダーに縛られず人物の本質を演じきる名優なのに、パンフレットに掲載する写真撮影を恥ずかしがって緊張していた。けれど、芝居の話が始まるとニュアンスに富む口調に迫力がみなぎる。アシェルが演出した芝居『ピノキオ』の主演を15年も務めた彼女は、社会が子供をゆがめるリスクを『SHP』との共通点として捉えていた。

photos by Eszter Gordon
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ポガーニ・ユディット:ピノキオは好奇心が強く、世界を知りたくて冒険するうち、いろんな困難を経験します。まるで私たちの社会で子供たちが本来持っている生き生きした好奇心が、大人たちに抑圧されていくように。人形から人間になるピノキオにも、教育という大義名分で殺される『SHP』の子供たちに通じる要素があるのではないでしょうか。

コンラッドを赤ちゃんとして演じるアイデアは、彼女の発想。乳児が指をしゃぶる行動は自然の行為に感じられるだけに、親の硬直した態度がきわだち「しつけ」の暴力性を訴える。

ポガーニ・ユディット:「私が出演者のなかで最年長だから、役のうえでもっとも若い存在になれば面白いと思って。アシェルはみんなの意見を聞いてくれるから、俳優も積極的に自分のアイデアを作品に活かしていくことが出来ます」

インターネットが発達しても、人が向かい合うライブな芸術は滅びない

最後に俳優および演出家として大勢のファンをもつ劇団オルケーニの芸術監督、マーチャイ・パールの演劇に寄せる信頼を伝えよう。

マーチャイ・パール:近年ヨーロッパは揺れています。金融不安のみならず、インターネットなどの新しい文化が従来の伝統や人間関係を変えていく潮流も人々を追い詰めている。その渦中で演劇が現代社会に欠かせない芸術として認められるには、観客と共に歩む劇場が不可欠です。常に80%以上のチケット販売を保つために必要なのは、質の高い作品と演劇を愛する観客。老若男女が集って楽しめる『SHP』のような作品は、演劇と現代人を結ぶ貴重な財産です。

photos by Eszter Gordon
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マーチャイはタイガー・リリーズがブダペストで催したコンサートで、ハンガリー版『SHP』の役者たちが劇中歌を熱唱したんだ、と説明しながら写真を見せてくれた。

マーチャイ・パール:キッチュなパフォーマンスと痛烈な歌詞をともなうマーティン・ジャックの曲は、シャンソン、ジプシーなどの民族音楽、中世の古歌やオペラも混ざった複雑なハーモニーを響かせます。多様性をもつ作品に参加出来た経験は私たちの誇りです。この音楽劇を通して日本の観客の皆さんとも交流できることを心から楽しみにしています。

劇団と劇場の運営を背負うエネルギーはどこから湧いてくるのだろう。

マーチャイ・パール:経営責任者の任務は困難の連続。でも、劇団の成功を仲間と分かち合う喜びは格別です。また、劇団の名は作家イシュテヴァン・オルケーニ(1912〜79)にちなんでいますが、才能を持ちながら短期間しか自由な創作を許されなかった彼への思いも私を支えています。戦争で捕虜になってソビエトで労働を強いられ、帰国後も作家活動を禁じられるといった不遇に耐え、ブラックユーモアあふれる作品を著した―そんな彼の生涯をソロ・ドラマにして演じてきました。ひとり椅子に座って語る、ただそれだけで観客と共感しあえる演劇の力は底知れないものです。

オルケーニ氏の肖像写真の前に立つ芸術監督マーチャイ氏 photo by Mana KATSURA
オルケーニ氏の肖像写真の前に立つ芸術監督マーチャイ氏 photo by Mana KATSURA

不思議な感覚で私たちを驚かす音楽劇には、苦境と戦いながら歩むハンガリーの芸術家たちの情熱が脈打っていた。大人も子供も惹きつける『SHP』が、喜劇と悲劇を同時に味わえる前代未聞の怪作となった背景には、現代史の闇も潜んでいる。

イベント情報
東京芸術劇場リニューアル記念 TACT/FESTIVAL 2012
ジャンク・オペラ『ショックヘッド・ピーター〜よいこのえほん〜』

2012年9月1日(土)〜9月9日(日)全10公演
会場:東京都 池袋 東京芸術劇場
出演:劇団オルケーニ(ハンガリー)
料金:前売 一般4,000円 こども(高校生以下)1,000円 親子セット券4,500円(高校生以下対象) 65歳以上3,000円 25歳以下2,500円
※ハンガリー語上演、日本語字幕付き

『ひつじ』
2012年9月1日(土)〜9月5日(水)全4公演
出演:劇団コープス(カナダ)
料金:無料
※『ショックヘッド・ピーター〜よいこのえほん〜』開始45分前から上演(約30分)

プロフィール
マーチャイ・パール

劇団オルケーニ芸術監督。1961年生まれ。画家の父のもとで幼少より芸術に親しむ。演劇映画アカデミーを卒業後、俳優として舞台と映画で活躍した後、演出家として古典から現代作家の作品まで手がけ、数多くの賞を受賞。舞台俳優としての代表作はシェイクスピア作『ロメオとジュリエット』のロメオや『リア王』のエドガー。代表的な演出作品にチェーホフ作『かもめ』など。2004年から質の高い演劇で知られる劇団オルケーニを率いて新たな観客を育てながら海外との交流も推進し、ハンガリー演劇を牽引する演劇拠点を築いている。



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