作家はだれしも、自分の存在と向き合い続けて創作を行っていかなければならない。これまで「楽しいから描く」という気持ちを基点にして活動してきた彼女たちも、ふたりで力を合わせて、内面に巣食う巨大な暗黒に向き合うことを避けられなくなってきたようだ。時にその敏感な視線は、彼女たち自身をえぐってしまう鋭いものになることもある。絵の中に「もろくて、せんさい」といったような、作家自身の心の叫びさえ描きつけてしまうほどに、ポップに彩られた画面の奥底には苦悩が渦を巻くようになった。
この戦いを経たとき、彼女たちの絵はさらに変貌し、より深みを増した表現となることは間違いないだろう。ふたりもすでに、新たに到達した傑作『ダレも知らない戦い』を目の前にして、きっとそのことを予感しているに違いない。
また、彼女たちの成長を裏付けるような出来事もあった。これまで彼女たちの絵に対していろいろな意見を述べてきたご両親が、ついに「やりたいようにやればいい」と認めてくれたというのだ。親というものは、我が子に期待するあまり成果に対するハードルを上げてしまいがちだが、彼女たちの変化をとても好意的に受け止めてくれたようで、聞いている僕までホッとさせられた。
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あすか 「なにか好きな作品ある?」って聞いたら、父は『ダレもシラナイ戦い』がすごく印象的だと言ってくれて。今までは、画面にモチーフがありすぎて分かりにくいって言われていたんですが、描きつづけていたらようやく「やりたいようにやったら?」と言ってくれて、とても嬉しかったです。これまでみたいに「こう描けば」ってアドバイスをされるんじゃなく、私たちのやりたい表現を追求すればいい、と考えてくれるようになりました。
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あづち 「これからもずっと描いていってほしい」っていうようなことも言われたんです。
好きにやるようになると、作品が成功しても失敗しても、どちらにしろ自分たちの責任となる。それを許してくれたということは、彼女たちを一人前としてしっかりと認めてくれたということだろう。
ふたりは以前、モチーフをたくさん詰め込んだ「子ども」の絵に対して、モチーフを削ぎ落とした「大人」の絵を目指している、と言ったことがある。『ダレもシラナイ戦い』は、彼女たちが思い描く「大人」な作品として完成させることができたのだ。
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あすか 描き始めは、星や木なんかを描いたりして、画面がごちゃごちゃしていました。でも、制作しながら余分なものを削ぎ落としていったんです。それは自分たちの気持ちを整理することでもありました。モチーフを消してしまうことへの不安もあったけど、これまでよりも深く話し合い、思いっ切り客観的に観たりすることで、これまでと違う作品がつくれた気がします。
「子ども」から「大人」へと、アーティストとして脱皮してきたのと軌を一にするように、両親からの評価も変化してきた。そのきっかけとなった『ダレもシラナイ戦い』は、今後の創作においても立ち返るべき、良き道標になることだろう。
今回の展示ではまた、キャンバスに描くのでは収まりきらないような荒々しい感情を描くために、巻物型の作品も制作されていた。『Twins March』(ページ上部に掲載)という作品は、直接描いたイラストの上に、描きためたドローイングを貼り付ける形で制作したそうで、キャンバスに向かうのよりも楽な気持ちで臨めたという。
さらに他の新たな試みとして、10点の連作である『TWINS TRAVELING』にも注目してみたい。それぞれの絵が「氷の国」「お別れの日」などといったテーマに沿って描かれ、独自の世界観を成した作品で、左上から順に見ていくと、じょじょに夢の世界から現実へと戻っていくように構成されているそうだ。ひとつの絵の中にさまざまなモチーフを描き込んでいた彼女たちは、絵を分割することで、さらにストーリー性・創造性が豊かになった作品をつくりだした。
このように、彼女たちの作品世界はさらなる広がりを見せてきた。一度深く葛藤の海へと沈み込み、もがきながらも巨大な黒い苦悩の塊と対峙したことで、彼女たちのクリエイティビティはぐっとレベルを上げてきている。僕もそうだったが、多くの観客たちは、自分の心の中にある激しい感情と、目の前にある絵とが呼応するような感覚を味わうことだろう。
では、自身の内面と向き合い、より一層「大人」な表現を獲得した彼女たちは、今後どのような方向性を獲得するのだろうか? 次回以降、さらに多様化してきている彼女たちの新たな展開について、再び追いかけていきたい。
『神戸アートマルシェ 2011』参加
2011年9月30日(金)、10月2日(土)、3日(日)
神戸メリケンパークオリエンタルホテル 13階(最上階)
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