佐野史郎が語る、終生モダニズムを貫いた写真家・植田正治の魅力

プロフェッショナルの世界とアマチュアの世界。その境界線はどこにあるのでしょうか? 1950年代にはMoMAに作品が収蔵、その独自の作風は、植田調(Ueda-cho)と名付けられ、国際的にも評価が高い写真家・植田正治。しかし彼は生涯、自身をアマチュア写真家だと一貫して自称し続けた写真家でもありました。80年代以降はPARCOやTAKEO KIKUCHIなどファッション業界とのコラボレートによる広告写真でADC賞も受賞するなど、各方面で正にプロフェッショナルと呼ぶにふさわしい実績を残していますが、それでもアマチュアを自称し続けた背景には、一方で世間の流行や要求に一切答えることなく、ただひたすらに近所の子供や、愛する家族の姿など、自分の撮りたいものだけを撮り続けた、その態度を表していたのかもしれません。そんな独自の立ち位置を確立した植田正治の貴重なオリジナルプリントを展示した展覧会が、東京ミッドタウンの1階にある、フジフイルムスクエア・写真歴史博物館で行われています。今回はそんな植田正治の作品に、とても強い共感を覚えて止まないという、俳優の佐野史郎さんと共に展示を訪れ、お話を伺ってきました。モダンでスタイリッシュかつ、何だか捉えどころのない不思議な空気感を持つ植田正治の作品。佐野さんの熱い想いを通して、その作品の持つ魅力の謎に迫ってみましょう。

眼差しをとおして、時間を超えていけるような身体感覚

―実は今回の展覧会、佐野さんは2回目のご来場とのことですが、展示はいかがですか?

佐野:作品数は絞られていますが、もうどれもたまらなくいいですよね。本当に美しいと思います。しかもこれ、初期の作品は全部植田正治さんご自身によるオリジナルプリントなんですよね。クオリティーが全然違うんですよ。

―ご本人が現像した写真とそうでない写真があるんですね。本人が現像した写真って、かなり珍しいのですか。

佐野:複写プリントも多いですからね、そうしたプリントはラボで現像しているケースが多いそうです。特にモノクロ写真だと現像に関わった人の意思が写真に反映されやすいんですね。ほんのちょっとしたことで全く写真のイメージが変わってしまうんですよ。

―そうお伺いすると、写真1枚1枚が植田さんの手によって大事に作られたものなんだなと実感できますね。まるで植田さんご本人と対峙しているような気分にもなってきます。

佐野:もう、作品がいい悪いだけじゃないんですよね。植田さんの才能、技術だけじゃなく、お人柄までも含めて、全てが写真に出ている感じがします。

佐野史郎
佐野史郎

―植田正治さんは国際的にも著名な写真家でありながら、生涯鳥取県の境港で暮らし続けたというエピソードが有名ですが、実は佐野さんもすぐ隣町の島根県松江市出身なんですよね。

佐野:実家に『松江』という植田さんの写真集があって、それは20代の頃からパラパラと見ていたんですけど、いわゆる郷土の写真集という認識でしたし、境港出身の写真家の方だとも知らなかったんです。ましてや、こういうモダンでシュールな写真をたくさん撮っている作家だったなんて全然知りませんでした。

―その当時は植田さんにどういった印象をお持ちだったんですか?

佐野:僕が高校生だった70年代初頭は、土門拳とか中平卓馬のようなリアリズム写真に皆が熱中していて、植田さんの作品も少しは目にはしていたのかもしれませんが、特別に意識することはありませんでした。80年代のPARCOのコマーシャルフォトは、ポスターや雑誌で見たのを覚えていますが。

―それがどういうきっかけでこんなに興味を持つことになったんでしょうか?

佐野:植田正治さんのお孫さんで、亡くなられた仲田薫子さんから、同郷ということで、2004年に鳥取の植田正治写真美術館で開催された『松江』のシリーズ展示のトークイベントに呼んで頂いたんですね。そこで常設展示されていた植田さんの作品を初めてきちんとまとめて見ることが出来たんです。そしたら作品が僕の好きなシュルレアリスムの匂いに満ちていて、これは美しいなと思ったんですね。

佐野史郎

―その後、植田正治さんの写真を使って、ご自身で監督された映像作品『つゆのひとしずく』を撮っていらっしゃいますね。

佐野:トークイベントから少し後になって、東映アニメーションさんから、絵などの静止画を使ってショートフィルムを監督しませんか? というお話を頂き、すぐに植田さんの写真を使って映像作品を撮りたいと思ったんです。それですぐ仲田薫子さんに連絡したら、丁度スイスの植田正治の巡回展から帰国なさったところで、その日のうちに打ち合わせをして承諾を得ることができたんです。

―制作はどのように始められたのですか?

佐野:まずは鳥取にある植田正治写真美術館で、1,000枚以上のプリントから使用する写真を絞り込む作業から始めました。もう一気にはまりましたね。本当に贅沢な時間でした。オリジナルプリントが沢山ありますし、それだけの量のプリントを一気に見る機会っていうのは、そうそうないですからね。観賞っていうよりも、ずっと集中して覚醒しながら写真と対峙していたので、美術館でお客さんとして鑑賞するのとは、感覚がずいぶんと違いましたね。

―植田さんの世界の中にどっぷり入って行くような感じですか?

佐野:そうですね。植田さんの覗いていたレンズの向こう側の世界、その時の植田さんの眼差しが分かるような気がしました。その眼差しを自分の身体に装着してみるとでもいうのか…。レンズを通して時空を超えて、作品が撮られた時間や場所に行ってしまえるような…、そういう身体感覚を得られたのは貴重な体験でした。

―役者さん独自の感覚なのかもしれませんね。

佐野:どうなんですかね? わからないですけど(笑)。ただ確かに役者さんでも、カメラマンさんでも、レンズから手前、向こうって分けている人もいるかもしれませんね。僕は、分けない人が好きなんです。行き来できる人。

―一般的には写真って、視覚の芸術だと言われますが、佐野さんは「身体」の芸術だと捉えていらっしゃるんですね。

佐野:はい、身体ごとですね(笑)。作者の眼差しを介して、時間や場所を超えて、五感を使って感じられるようなものです。植田さんの写真はご自身もその時空を超えた眼差しを意識して撮影されているように感じます。残念ながらお会いしたことはないんですけど、お会いしていたら、そのことをお尋ねしてみたかった気がしますね。

人間の内面を覗くのは恐ろしいし、わかった振りはしたくない

―植田さんはリアルな現実を写し撮ったような写真が人気だった時代に、モデルを並べて構図にこだわった演出的な写真を撮り続けていたわけですが、例えば近いタイプの写真家を挙げるとすれば、どんな方が思い浮かびますか。

佐野:先日、東京都写真美術館で開催していたロベール・ドアノーとかも、一見街中の人々をリアルに撮った写真に見せかけてますけど、実は演出写真だったりしてますよね。それがなかなか悪い人な感じもして、日常のスナップだという先入観を裏切るようで逆に良かったですね(笑)。とても繊細かつ大胆な眼差しを持った作家だと思います。

―ちょっといたずらな感じの眼差しでもありますよね。

佐野:そうですね。ドアノーも好きな写真家ではあるのですが、「写真と向かい合う」っていう行為を突きつけられたのは植田さんの作品が最初なんで、そこはもう別格というか、単純に「好きなんですよね」と言っては逃げられないんですよね。

―植田さんの作品と出会ってから、他の作家さんの写真を見る目が変わったんですね。

佐野:そうですね。『つゆのひとしずく』の中で使うために、1,000枚以上の植田さんの作品を見せて頂き、最終的に176枚にまで絞り込んだんですけど、そこから写真を見る目が変わったのかもしれないです。思いこみかもしれませんが、自分なりの写真を見る目が開いたっていうか。なかなか出来ない貴重な経験だったので、それ以降、写真を選ぶ基準というか、自分の好みがはっきりしました。

佐野史郎

―植田さんの作品って、一見すごくモダンでスタイリッシュに見えますが、一方で常にどこか捉えどころのない、ここがいつどこなのか分からないような感じがあるように思います。佐野さんから見て、植田さんの作品の持つ大きな魅力を挙げるとすれば、どういったことが挙げられますか?

佐野:もう一切、個人の持つ内面なんか撮ろうとしていないところですね。作品に現れたものが全て。人間を撮っていても、その人がどう思っていようが関係ない。もし内面が写っていたとしたら、それはにじみ出て写っちゃってるだけなんですよね。

―それは面白い見方ですね。

佐野:そもそも、誰かの内面を見抜いて、それを写そうとして、写し撮れるものなのでしょうか? そんなに簡単に他者や自分の内面って理解できるものなのでしょうか? 疑問に思います。だから内面をリアルに写し撮ってやろうっていう、言ってしまえば傲慢な視点を持つ表現は嫌なんですよ。

佐野史郎

―それは佐野さん自身の表現活動にも通じることですか?

佐野:そうですね。表現者の1人として目指している、気をつけていることです。自分の内側にあるものを表現して世界と対峙することよりも、自分に与えられた役割の中に身を置いた時に、感情のようなものが揺さぶられ、最終的に「どう見えるか」という眼差しをもって世界と対峙することが、俳優にとってとても重要なことだと思うんです。

―佐野さんも植田さんも、作品の中で個人の内面を表現することにあまりご興味がないということでしょうか?

佐野:僕は興味がないというか、禁じていますね。人間の内面を覗くのは恐ろしいし、わかった振りはしたくないし。植田さんも、少なくとも被写体の内面を引き出そうという風には見えないですよね。もし内面に何かあると思っていたとしても、被写体から引き出すんじゃなくて、そこに自分からすーっと入って行く感じじゃないですかね。

眼差しを受け継いで、語り伝えられていく、存在への問い。

―これまでのお話を聞いていると、いわゆる「本当の自分」を表現するというような感覚とは、少し離れたものになりますね。

佐野:西洋的自我といわれるような「個としての自分」をはっきりと感じられる感覚っていうのは、もの凄く乱暴にいえば幻想みたいなもので、今はたまたま個の自分に見えているだけということを、植田さんは意識されているのではないかと思いますね。

―「自我」という言葉からは「生」という言葉がイメージされますが、個人の自我でさえ、風景やオブジェに変換してしまうかのような植田さんの作品は、「生」だけでなく「死」も全部内包して表現しているような感じがしてきます。

佐野史郎

佐野:例えば古い昔の時代のスナップショットには、当時の人々がレンズを通して覗いていた眼差しがプリントされて残っている訳ですよね。それを撮った人はもう亡くなってしまっているかもしれませんが、眼差しはそのままそこに残されている。ということは、死んでいようが生きていようが、最後に残るのはその人が「どういう風に世界と向き合っていたのか」っていう「眼差し」の記録なんだと思います。

―個の内面にこだわらない植田さんの作品に残された眼差しには、自我を超えた、とても普遍的なテーマが関わっているのかもしれませんね。

佐野:そんな植田さんの眼差しに惹かれるんです。現実のなかで生きる個人個人が、簡単にお互いを理解し合い、物事を解決しようとするのではなく、人知の及ばぬ尊いものを前にして、決して簡単に理解しようとせず、ただ立ち尽くし、祈るようにして見ている、僕にはそんな眼差しのように感じられます。

―お話をお伺いしていて、植田さんの眼差しというのは、世界を謙虚にあるがままに受け入れるという、1つの態度なのかもしれないと思いました。逆に今生きている個人同士による表現というのも、沢山あると思うのですが、例えばリアルタイムに繰り広げられる商業的なポップカルチャーについてはどう思われますか?

佐野:作り手が対象者を研究して、今どれだけ売れるかを緻密に考えて作ったものだったとしても、だから駄目だという訳では全然なくて。その中にも個を超えた、普遍的な眼差しが込められた作品もたくさんありますよね。だから「コマーシャルだから駄目だ」っていうんじゃなくて、そういう普遍的な眼差しがあれば、商業ベースであろうがなかろうが、たった1人のために書いた文章であれ、写真であれ、音楽であれ、記録に残っていないライブであれ、同じだと思うんです。そのときどういう風に世界を捉えていたのかっていう眼差しは、空気のように受け手の人の身体の中に入っていって、そしてまた次の身体に、ずっと伝わっていくのだと思います。

佐野史郎
博物館では貴重な資料を使った写真の歴史や昔のカメラも展示

―そう考えると、自分を構成しているものは大体、過去に誰かから受け継いできた眼差しによって出来ているのかもしれませんね。

佐野:自分の内面にあるものじゃなくて、通過していくものですよね。まさに僕らの身体っていうのが、祖先から、太古から、人類の歴史から脈々と受け継いできたものに他ならないわけですからね。

―誰かがこの世に眼差しを残すことと、語り伝えるということは、同じ意味なんですね。

佐野:そうですね。もっと極端に言ってしまえば、生きるっていうことは多分「写真にする」ってことなんじゃないかなとすら思います。我々はどこから来てどこへ行くのかっていう、西洋も東洋も越えた自分たちの存在への問いなんですよね。まあ、強い人はそんなのなくても全然平気なんだろうけどね(笑)。

―なんか壮大な話になってきましたね。

佐野:でもそういうことが1枚の写真から膨らんでいくのは楽しいじゃないですか(笑)。それが植田さんの作品の圧倒的な深さであり、また幅広さなんだと思います。だから国境を飛び越えて、海外の人達にも受け入れられたんじゃないでしょうか? むしろ逆輸入されて広く知られるようになったような気もしますし。80〜90年代のPARCOやTAKEO KIKUCHIなどのコマーシャルフォトを見ても、30年代から綿々と続く、砂丘シリーズに残されている世界観と何ら変わっていないんですよね。全くぶれてない。今回こうやってコンパクトな展示ながら、主要な作品をずらっと一同に見れたことで、そういう植田さんの写真が持つ普遍的な力を、あらためて見せつけられた気がします。

イベント情報
『終生モダニズムを貫いた写真家「植田正治の写真世界」』

2012年6月1日(金)〜8月31日(金)
会場:東京都 六本木 東京ミッドタウン内 FUJIFILM SQUARE1F 写真歴史博物館
時間:10:00〜19:00(入館は18:50まで)
休廊日:会期中無休
料金:無料

プロフィール
佐野史郎

1955年、島根県松江市出身。俳優、映画監督、ミュージシャン。1974年美学校、中村宏油彩画工房でマニエリスム、空気遠近法を学ぶ。1975年、劇団シェイクスピア・シアターに創設メンバーとして参加。1980年、唐十郎主宰の劇団状況劇場に移り、1984年まで在籍。1986年に林海象監督のデビュー作となる『夢みるように眠りたい』で映画に初出演、主演を務めた。1992年、テレビドラマ『ずっとあなたが好きだった』の冬彦役でブレイク。TVドラマ、映画で幅広く活躍。小泉八雲を敬愛し、ライフワークとして八雲の朗読を続けている。



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