ここにいるアーティストたちの水準を上げなければいけない。
現在、「黄金町エリアマネジメントセンター」の事務局長を務める山野さんが横浜へ来たのは2007年。長年にわたり、福岡で屋外でのアートイベントや展覧会に携わってきた経験を買われ、『黄金町バザール』の中心人物として招聘されると、早速その手腕を発揮。翌年に開催した『黄金町バザール2008』を成功させ、以降も地域住民や行政、そしてアーティストたちの橋渡し役として、「アートによるまちづくり」を最前線で引っ張ってきました。横浜へ来て5年。「目の覚めるような変わり方はしてないですが、1年1年やってきて、確実に変わっていってるとは思います」とこれまでを振り返る山野さんは、元違法風俗街という特殊な事情を持ったこの街の未来を、どのようなビジョンで描いているのでしょうか。
「普通に生活ができて、普通に子どもたちを育てられて、次の世代にもそれが引き継がれる。そういう街まで持っていくためには、最低でも10年はかかると思うんです」と言う山野さん。この5年間で事務局が提供するレジデンスを拠点に活動するアーティストは常時50組近くとなり、毎年秋に開催される『黄金町バザール』も一定の成功を収めてきましたが、その折り返し地点を迎えたいま、次の5年は「アーティストの水準を上げるステップ」になると言います。
「いまはどちらかというと若い人たちが一生懸命やりながら、よかったりダメだったりを繰り返していますが、水準の高い人がひとりいれば、目標にもなるし、目安にもなる。いまでもバザールの直前だけは、海外のアーティストも含めて10人強が短期滞在しているんですが、やっぱりその時期になると街の雰囲気も変わるんですね。ここの通りを歩いているだけでも、アーティストに何人も出会うわけですから、自然といろんな交流も生まれるし、刺激も受けますよね。それが日常的になっていくことがいまの願望です」。
そのため、これまで「若いアーティストであること」「制作をオープンにすること」を審査基準としてきたレジデンス貸し出しの条件を、今後は後者の条件については緩和してでも、クオリティーを重視する方向にシフトさせるつもりとのこと。そのほかにも批評家を入れて定期的に意見をもらったり、『黄金町バザール』期間外もレジデンスの短期滞在者を募るなど、この街で活動するアーティストたちを刺激し、活性化させる目論見をいくつも考えているといいます。素人目からしたら、どうせ税金を使うなら、著名なアーティストでも呼ぶためにお金を使ったらどうだろう? と考えてしまいますが、そう簡単なことではないそうです。
「もともと違法風俗店を改造しただけなので、施設がそんなに使いやすくないんですよね。いま、レジデンスの数をどんどん増やしているんですけど、大きな作品を作りたいとか、展覧会をやりたいとか、そういうものに対応できるハコはまだないんです。今後はスケールの大きなものにも対応できるようにすることが課題。それに、誰もが知っているような大物だったら、お金では動かないですよ。それよりも、その人がここで制作したいと思ってもらえる街にしないと。そのためにも、ここにいるアーティストたちの水準を上げなければいけないんですよね」。
言われてみれば確かにそうですが、少し消極的な意見に聞こえなくもありません。しかし、「アーティストに対しては、時には厳しく接しなければならないかもしれない」という言葉を口にする山野さんに、決して危機感がないわけではありません。そもそも違法風俗街として莫大な金額が動きつつも、税金としてはほとんど反映されなかったこの街を、税金の取れる街として再生し、一日も早く市の援助なくして自立させなければならないという課題もあります。そのために、『黄金町バザール』の入場券となっているパスポートを、現在の500円から2年後には1,000円に値上げして、売上の一部が街に落ちるようにしたり、毎月第2日曜日に開催しているワンデイバザールに地域住民も取り込んで規模を拡大し、外からの集客を増やすことなども考えているとのこと。まだまだ街の再生は真っ只中なのです。
街の精神的な基盤を作りたい。
しかしながら、かつてはイメージの悪さから、マンションの名前に「黄金町」という文字が使われることもほとんどなかったそうですが、この5年で「黄金町」の名を冠したマンションが次々と立ち始め、駅前にある「クリオ黄金町」には、パンフレットにも「アートの街、黄金町」と書かれたといいます。また、今後の高架下の開発計画次第では、一気に街が再生に向かう可能性もあります。しかし、これに関しては、「慎重にチェックして進めなければならない」と山野さんは危惧します。なぜなら、それによって集客力が高まって周辺に波及効果があることも考えられれば、これまで営業してきた店舗と競合してしまう可能性もあるからです。現に今年開業した東京スカイツリー付近の商店街は、スカイツリー敷地内にある東京ソラマチに客を奪われ、来客が激減しているといいます。だからこそ、山野さんは「街の精神的な基盤を作りたい」と目標を掲げます。
「海外の街だと、学校とか、教会とか、精神的な支柱があって、それを中心に街が形成されているんです。例えば大学であれば、講義を受けるためとか、同じクラスの子に会うためだけにあるわけではなくて、地域の人たちがいたり、行きつけの店があったり、街で生活することも含めて学校の一部なんですよね。いいアーティスト、いい作品もそういうもので、同じものをいろんな人が見て、『あれすごいよね』とか、『あれよかったね』とかっていうことを共有して、誰とでもつながれるような場所にしたい。だから、アートが主役で街を作りますと言ってるわけではなくて、あくまでも生活している人たちが主役で、それを増幅するアートがある街にできたらなと」。
いくら外からアートを取り込んでも、いくらお金の動く土地になったとしても、地域の住民を無視しては違法風俗街と根本的に変わりません。山野さんは納得して次の世代にバトンタッチするまでに10年と言いましたが、浄化されるまで約50年続いたこの街を再生させることは簡単ではありません。再生はまだまだ真っ只中にあるのです。
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