前ページでは、運営側の「黄金町エリアマネジメントセンター」からの声を紹介しましたが、実際にここで活動しているアーティストたちは、この取り組みについてどのような意見を持っているのでしょうか? 横浜出身で黄金町にアトリエを構える山田裕介さんと、今年の『黄金町バザール』に合わせて短期滞在している佐藤悠さんという対照的な2人に話を聞きました。
僕は「黄金町出身の作家です」って言いたいんです。こんな街、他にないと思うんですよね。
横浜生まれ横浜育ちの山田裕介さんは、1983年生まれの29才。今回の『黄金町バザール』では、「人工物と自然の融合と調和」をテーマに、2か月におよぶ制作の末、部屋ひとつをまるまる使い、洞窟のようでもあり、コンクリートに囲まれた空間のようでもある、不思議なスペースを作り上げて見る者を驚かせてくれました。
山田さんのアーティスト人生は、その作風がゆえ、常に制作場所を確保することとの戦いでもありました。横浜美術短期大学(現・横浜美術大学)の造形美術科彫刻コースを卒業後、徳島県にある鳴門教育大学大学院の芸術コースで石彫を学び、修了後は再び横浜の実家へ。しばらくは実家で制作をしていましたが、次第により制作に集中できる環境を整えたいと感じ、アトリエとして使える場所を探すように。しかし、思ったような場所はなかなかなく、横浜を離れた郊外も検討していたそう。その中で山田さんは初黄・日ノ出地区の取り組みを知りました。知人の作家から「おもしろい街があるから来てみろ」と言われ、行ってみるとその場で「黄金町エリアマネジメントセンター」の山野さんを紹介されました。悩んだ末に公募に申し込み、今年2月から黄金町のレジデンス施設を制作場所として構えるに至りました。自身もその隣の部屋に住み込みながら、日夜制作活動を続けています。
「コンクリートや石膏を使って制作をするので、その性質から十分な場所の確保がなかなかできないんです。そうすると、制作を続けること自体が難しい。だから、黄金町のような場所があることで、僕は本当に助けられてます。いつか作家として大きくなって、恩が返せたらなって」。
実際、黄金町に住みながら活動することによって、多くの刺激を受けたという山田さん。
「ちょっと行き詰まったときにフラッと歩いたら、ガツガツ制作している作家仲間がいる。そういう風景を見ると、『よし、がんばるぞ!』みたいに励まされる。本当に、日常的にいい刺激をくれる街なんですよね。僕は将来、もっと色んな舞台で作品発表ができるようになったら、『黄金町出身の作家です』って言えるようになりたいんです。こんな街、他にないと思うんですよね」。
いまの『黄金町バザール』も怖いもの見たさとか、おもしろおかしく見に来る人も多いと思うんですよ。その変な感じはあんまり変わってないような気もして。
山田さんがこの街を拠点とする他のアーティストたちと大きく違うところは、横浜出身であるということ。実際、この街がまだ風俗街だった頃、友達に誘われて街を訪れたことがあるそうだ。
「初めてこの街に来たときは、まだ風俗店が立ち並ぶ街並みでした。『なんだここすげえな!』って、怖いというか、不思議な感覚を持ったのが第一印象でした。これは一般市民としての意見なんですけど、いまの『黄金町バザール』も怖いもの見たさとか、おもしろおかしく見に来る人も多いと思うんですよ。街自体が持つ変な感じは、あんまり変わってないような気もして。でも、僕は美術とか芸術って、スタンダードを壊していくことだと思うんです。この街も違法風俗がスタンダードで、みんなが黄金町は怖いとか思っているイメージを壊すことも、アートにすごく似ているなと思って。それもあってこの街で活動したいと思ったんですよね」。
しかし、アーティストとして街づくりの一端を担う立場にある山田さんですが、「アートの街」としての再生はまだまだ途上にあると感じているそうです。
「いまでも、友達とかからは、『元風俗の街だよね』って最初に言われるんですけど、それがなくなったときが本当の浄化なんじゃないかなと思っていて。『あそこはアートの街としてすごいよね』とか『あの伝説的な作家が生まれた街だよね』で終わるくらい、アートが先に立つ存在にならないと。そうなったときには、いまよりいろんなアーティストがいて、いい意味でのカオス状態になってると思うんです。もちろん、それまで僕がこの街に必要とされているかはわからないですけど、それまでアーティストとして街づくりの一端を担えたら良いと思います」。
自分がアーティストでいられちゃう。
今回の『黄金町バザール』に「いちまいばなし」で参加している佐藤悠さん。「いちまいばなし」とは、その場にいる人みんなで「いつ」「どこで」「誰が」「何を」などといった事柄を連想ゲームのようにアイデアを出していき、1枚の絵を描きながら物語を作っていくパフォーマンスで、バザール期間中は毎週末黄金町のスタジオでワークショップを開催し、現在進行形で作品を生み出していっています。
佐藤さん自身は、さまざまな地域を転々としながら、地域に根ざした催し事やワークショップを行う一言では言い表せないマルチなアーティスト。現在、東京藝術大学の先端芸術表現科で博士課程に在籍しており、先の山田さんとは違い、バザール期間中だけの短期滞在で、平日は茨城県取手市のキャンパスに、週末になると黄金町に来てワークショップを行なっています。
横浜という地域柄もあり、毎週末のワークショップでは、横浜に関連したキーワードが多く出てくるそうです。
「以前、大船渡で『いちまいばなし』をやったときは、『船』という言葉から『大漁旗』につながったりしたんですけど、横浜では『かもめ』が重要な役を果たす物語になったり、『中華街』とか『赤レンガ』とか『横浜スタジアム』とか、シンボル的な建物がよく出てきますね。それと、以前は絵を描くのも司会をするのもひとりでやっていたんですけど、ここに来てから規模の大きな場所でやらせてもらえることも増えて、そうすると司会をやりながらだと絵を描けないから、その場にいる人に絵を描いてもらったんですよ。『産みの苦しみをみんなで共有していこう』みたいな感じでやれるようになったのは、『いちまいばなし』がひとつ成長したっていうことなのかなと思いますね」。
この街に来てからの変化をそう語る佐藤さん。もともと黄金町のアートへの取り組みは、2008年に卒業展示の下調べでここへ来た際に知ったそうですが、実際に参加してみると、その恵まれた環境に驚いたそう。
「僕がいままだやってきたプロジェクトって、地域とがっつり関わらないと、何もできないというか。『お前、何者だ? 何ができるんだ?』みたいなところから始まって、そこで生活して、地域の人に認めてもらってから初めて作品に取り掛かれるんですけど、ここは『アーティストです』って言っただけである程度受け入れてもらえる雰囲気がすでにあって、アーティストにとって制作活動以外の負荷がほとんどないんですよね。「黄金町エリアマネジメントセンター」のスタッフの方もいろんな要求にスムーズに対応してくれるから、自分のやりたいことに集中できてますね」。
しかし、これまでの活動で経験してきた苦労がないことには、逆に危機感を感じるそうです。
「ちょっとアーティストとしてその恵まれた環境に甘えちゃうかもって思うんですよ。そのままで自分がアーティストでいられちゃう部分もあるし。『お前は誰だ?』みたいなところから始まったほうが、街との関わりという意味では強くなるだろうし、今の自分のスタンスをもう一度見つめ直すきっかけにもなる。これだけ恵まれていたら、事務局から何かお題があってもいいんじゃないかと思うくらい。いままでの土地と違って、ここは物を作る中で障害になってくるような物がある程度整備されていると思うんですよ。でも、逆にそういうハードルがあったほうが、僕個人的には糧になるので」。
山田さんと佐藤さん、長期滞在者と短期滞在者、地元出身作家と土地土地を転々とする作家、2人は対照的な立場にありながらも、ともにこの街はアーティストにとって恵まれた環境であるということを語ってくれた一方で、その環境に甘んじてしまうことが怖いとも語ります。それがよいことか、悪いことかは結果次第ということになるのでしょうが、ただひとつ言えることは、2人がいま、他の地域であれば実現が難しい活動をこの街でしているということ。山田さんは「この街から伝説的な作家が生まれる一端になれれば」と意気込みを述べていましたが、「アートを目指すものは黄金町へ行け」なんて言われる日も、そう遠くないのかもしれません。
浄化されて違法風俗店がなくなったとはいえ、いまでも街並みには当時の名残があり、独特の空気感を放っている初黄・日ノ出地区。街づくりを主導する事務局も、そこで活動するアーティストも、まだまだ再生は真っ只中という認識で、みな口々に「元違法風俗街」という言葉を言わなくてもいいようになったときが、本当の意味での浄化だと言います。一日も早くその取り組みが実を結ぶことを期待する一方で、横浜市には根気強い支援も求められるでしょう。しかし、そうした現状があるがゆえに、この街にはいまにも何かが生まれそうな、得体の知れないエネルギーが渦巻いています。『黄金町バザール』は今年も12月16日まで開催中です。現在進行形で変化を遂げている街に、一度足を運んでみてはいかがでしょうか?
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