CINRA MAIL MAGAZINE連載コラム『全裸』

CINRA MAIL MAGAZINE連載コラム『全裸』2009年6月配信分(vol.228〜232)

vol.228 どうして、今日が嫌なのか。(2009/06/01)

全裸

朝起きて、今日はあれとこれとそれとあれまでやらなければならないと頭で整理してしまうと、どんよりと気持ちが曇る。その1つ1つをやらなきゃいけないのだなと考えている最中から、その1つ1つが、考えうる最悪な形に変容してきて、意地悪なコンテンツとして自分に降りかかってくる。自分の体にとって不便な予測能力である。しかし、蓋を開けてみればというか、蓋を閉じてみればというか、その日のあれこれそれをそれなりにこなして、その日また、おうちに帰ってくるのである。多少の予想外はあれど、別に普通にそれらを終えて帰ってくる。そう、別に普通に。自分にとってとてつもなく不幸な結果が降りかかること(そうだな、なんだろ、例えば、怒鳴られる、蹴られる、無視される、関係性が崩壊する等)も無くはないが、それは突発的に生じるがゆえに修繕も可能である場合が多く、勿論、こちらからその修繕を願い下げするケースだってあるわけだけれども、それは、こちらの意志を反映させている以上、晴れやかではある。

朝起きて、なぜ今日が曇るのだろうか。ああめんどくせえなと思う事も、いち、に、さん、よん、と順にこなしておけば難なく終わる。難あって終わらぬままならば、それは明日なり翌週に持ち越せば良い。持ち越して、家へ帰る。帰ってから「いち」から「よん」をソファーに座って振り返ってみると、どれもたいしたことにはなっていないし、そもそもたいしたことにはなりそうにもなかったことだと分かる。それなのに、どうして朝の時点ではその4つが合併症となって襲いかかるのだろう。夜にそう思う。しかし、朝を迎えれば、また同様の症状が起きる。4つのうち3つを昨日のうちに解消したけれども、残された1つと新たなちょっとしたことが2つほど生じていて、その3つが4つの時と同じ面積を占める大きさで迫ってくる。んで、どんよりする。そして夜、また思う。そんなにたいしたことになるはずなかったじゃないかと。

さて、場所は、とある定食屋。どうして毎日大丈夫なのに毎日曇るのだろうかと議論が続く。先に起こることが必要以上に曇ってて、過ぎ去ったことは何でもなく晴れやかになっているという、この繰り返しを逆転できないだろうかと、その日の定食をかっ込みながら誰それが言った。すなわち、朝起きた時点で今日起きることがどうやら晴れやかそうに思える頭、ただし帰ってくるとそのそれぞれが少しずつ腑に落ちていない頭ということ。そんな話をしてみてすぐさま気付く、ネガティブ気質。つまり、いつもどこかにネガティブはあるのだと譲らない。先もハッピー、後もハッピー、そんな全面ハッピー状態を、そうなるはずがないと体で否定しているのだった。生活のどこかにネガティブの棲み場を確保して、耕し育ませる。しかし、どうしてわざわざ育ませるのだろう。

夜、居酒屋の隣席から、ギャルの声が聞こえる。「ワタシってこうみえて結構家で一人で落ち込んじゃったりするタイプなんだよねー。意外でしょー。」と大笑いしている。自己分析とプロモーションと落としどころの整理された、この感じ。すごいよなあと感心する帰路、そろそろ明日やるべきあれとそれが気になってくる。こんなオレ意外でしょー、とか言ってみたほうがいいのだろうか。どんどん雲が濃くなってくる。

vol.229 閉店と副店長(2009/06/08)

全裸

かつて住んでいた家の最寄り駅は、掘ってたらそろそろかなと思ったんで何となく駅を作ってみました、というような地下鉄の駅で、独り身がろくに食す定食屋の類いは無く、歩いて10分足らずの私鉄の駅まで足を伸ばなければならなかった。帰路につくサラリーマンを逆流する形でその駅の周辺に広がる商店街へ踏み入れていた。いくらかの店を試すものの、結局は同じ店に通いつめていた。ゲームセンターの二階にある、いかにもな定食屋で、オジサンが接客を、オバサンが厨房を守っていた。オジサンは馴染みの客が入ってくると、「きょうはどうだった?」と手首を横にひねる動作で言う。「さっぱり」。パチンコの成果のことだ。中年夫婦がパジャマ同然の格好で入ってきて、ご近所への不満を撒き散らす。おっ、小笠原、調子いいねぇ。野球中継にオジサンと常連がしがみつく。そういう安いドラマに出てきそうなシチュエーションと会話って、実際に行われていると、とっても安堵感のある、溶け込める飽和力を持っているのだった。

その駅の隣駅に用事があったので、ついでにと久々に定食屋へ向かった。あの安堵感を求めに行く、という適切でない理由があろうとも、その程度を易々と揉み消す安堵が今日も流れているに違いないのだった。しかし、定食屋へ上る階段のシャッターが閉まっている。そこに流暢な字で、閉店の知らせが書かれていた。理由は書かれていない。今までの御愛顧を感謝致します、と結ばれている。ジメジメした雨の下、まるで失恋した男子のように、そのシャッターの前で濡れていた。って、これまた安いシチュエーションだなと気付き、いたたまれなくなって下のゲーセンでサッカーゲームをやれば、コンピューター相手にフリーキックを決められるという地味な敗戦を喫し、いたたまれなさが二乗して何だか苦しい。

折角ならばかつて住んでた家はどんなになってるだろうかと慣れた道を歩く。もちろん、変化などあるはずはない。さっきからちょっとセンチメンタルに書いてるけども、引越したのはたったの4ヶ月前なのだ。慣れた道を慣れた足つきで帰る。かつての家に灯りは無かった。家から数十歩のローソンへ意識的に立ち寄る。ここで毎日立ち読みしてから仕事へ行くのが日課であったから、あちらは知らなくてもこちらは店員を知っている。店員を勝手に懐かしみながらお金を下ろそうとすると、キャッシュカードと共に映画の半券を入れてしまったことに気付く。鈍い音を立てて止まる。引き出すはずのお金もキャッシュカードも出てこない。マシンに付属している受話器で係のお姉さんと話す。30分後に行くから30分後にそこにいてくださいと言う。向かいのチェーン店で親子丼を食べて待つ。時間になり向かいへ戻ると、ATMの前でセコムのお兄さんと店員が待っている。無事にお金とキャッシュカードが救出される。店員に謝る。その店員は、いつも夜中から朝方にかけて働いていたはずだった。深夜、おにぎりとジュースを差し出すと、「ありがとうございやしったぁ」と語尾がブレていた彼、時間帯を変えたのだろうか。下げた頭を上げると、彼の胸には「副店長」と書かれたバッジがつけられていた。

四ヶ月ぶりに訪れて変わっていたこと、一店舗は潰れ、一人は副店長になった。そのプラスとマイナスの度合いが分からぬまま、とりあえず、飲むヨーグルトを買った。「ありがとうございやしったぁ」は、副店長になっても変わらなかった。

vol.230 どうせ今頃バーベキュー(2009/06/25)

全裸

お家でヌボーっと過ごしていると、友達の誰々はとっても楽しい週末を過ごしているに違いないと根拠無く信じ込んで、どっぷりと落ち込む。ディズニーランドへ、というような分かりやすい楽しさではなくって、やっぱり数ヶ月に一度は会っておかないとねってな感じで定期的に会う大学時代の友人とちょっと気になっているカフェでおしゃべり、というような。仕事のこと、恋のこと、将来のこと。そのカフェには眩しすぎない角度でお日様が射し込んでいて、何てことない会話を繰り返す二人を照らす。

そんなことを、パソコンの前でカタカタカタカタ打ち込むだけの休日にウダウダと反芻させている。美術館の後にシャレたランチかもしれないし、実は意外とアウトドア派で仲間と奥多摩でバーベキューを楽しんでいるのかもしれない。えっ意外〜、とか言われながら、要領よくご飯を炊き、野菜を切る。野菜を切り終わって、あーやべー、カレー甘口買ってきちゃったけど甘口でいーい? マジかよーと河原に響く声。結局何作ったって変わんないよと誰かからの冷静な声。一同笑。さあ、やろっやろっ、とニコニコ顔で作業に戻るみんな。腕まくりした二の腕には汗が噴き出してきていて、頭に巻いたタオルで拭っている。カレーの準備が整う前にご飯が炊けてしまったようで、おーいどうすんだよとみんなが笑っている。

みんながみんなバーベキューをやっているわけではない。さすがにそれくらい分かっている。くすぶった休日を過ごしている友人だっているに違いないのだ。友人が何人かいれば、そのうちの一人はバーベキューに行っているだろうし、美術館に行っている誰かもいるだろう。ならば、逆にそのうちの数人はバーベキューにも美術館ともカフェとも疎遠な休日を過ごしているはずだ。その数人を頭の中で探しにかかる。該当する人物が何人か出てくる。あいつはまだ今頃寝ているだろうな、なんとなく夕方を迎えちゃうんだろうな、家から一歩も出ずに明日になっちまうだろうな、相変わらずだなアイツは、と蔑みにかかる。

本読んだり原稿書いたり、こうやってパソコンの前から動かない休日を選んだのは自分であるはずなのに、このパソコンの前の生活へ向かって、誰かの鮮やかな休日が襲いかかってくる。むしろ作為的に、自分で自分に襲いかからせている。襲いかからせた後に、マジかよこれでいいのかよオレ、と思いめぐらせたりしてしまって、夕方まで寝ているであろうアイツを再度引っ張り出して、アイツよりは充実しているもんね、と応急処置を施しておく。

なんだそれ、と思う。しかし、そういう自分からグイッと浮上してくる「なんだそれ」を皆はどうやって揉み消しているんだろう。そもそも浮上してくることすらないのだろうか。昼過ぎになると、家の周りが静かになる。もしかしたらお昼寝しているだけなのかもしれないのに、やっぱりここでも、みんなバーベキュー的な何かに行っちゃったんじゃないかと思う。けっ、今頃真っ最中だろうよ。肉ばっか食うなよ野菜も食べろよー、とはしゃいでいるんだろ。パンをかじりながら、パンの粉がキーボードの隙間に入るのを気にしながら、カタカタカタカタと打ち込んで、とりあえずこの原稿を終える。野菜が余ったのなら、その野菜は僕が食べるのに。

vol.231 カップルイズビューティフル(仮)(2009/06/22)

全裸

駅前にあるマックに寄って2階の窓際の席に張り付いて、階下を見下ろしている。マックの机やテーブルは回転率を上げるためにもっとも居心地の悪くなるように作られているから、だからこそ与えられた素材に立ち向かう所存で長居に挑む。腰にくる椅子、肘をつくと肩の張るテーブル、椅子を調整しようにも固定されたまま動かない。マックでは、体をマックに合わせなけりゃいけないのだ。体を捻って足を組むと、隣で受験勉強をしている学生がこちらを見て、ちょっとそれは、という顔をする。蛍光ペンを引きすぎてどこが重要だか分からなくなっているノート。それでも彼は彼なりにどこに何色を引くというルールを設けているようで、ここはこの色と、蛍光ペンのフタをカチカチ鳴る音が意外と静かな店内に響き渡っている。

窓側の席に張り付く。そこから見えるのは駅の改札前の風景である。もう翌日になろうかという真夜中だから、電車から降りる客以外は無目的に集う若者くらいなもんで、10分に1本着く電車ごとにわらわらと人が降りては、またすぐに閑散とする。その1本ごとの瞬間的なドラマを見る。これが飽きない。足らぬ PASMOで自動改札を鳴らしてしまった誰かの後ろで露骨に嫌がったそいつが隣の改札に移ったら自分も鳴らしてしまった時の顔とか。ネクタイの結び目が胸の位置までに落ちたサラリーマンが改札を出て夜空を見上げる瞬間の顔とか。キレイなお姉さんが、そんなサラリーマンの横をスタスタと歩き去っていく姿とか。

一瞬賑わった改札から一通り群れがいなくなって、そこにぽつんと、彼氏の帰りを待っているであろう女の子が残されている。携帯を開けたり閉じたり、柱の周りをぐるぐる回ったり、ベンチに座ったり立ったりしている。沿線情報の冊子をパラパラめくって時間を必死に潰している。電車が着く。この電車から降りてきた群れにもいなそうだ、次の電車かな、と諦めそうになった頃に、彼が改札から出てきた。体が跳ねている。嬉しそうな顔をしている。

チューチューと、シェイクを吸いながらその風景を見ている。アフレコで会話をつけていく。「もう遅いよぉ」「ごねんごめん」「待ったんだから」「ありがとね」。そう、無難な会話なんだけど、幸せとはこういうものなんでございましょう。女の子の顔が明らかに晴れている。男の子の顔から明らかに疲れが飛んでいる。気付けば蛍光ペンを走らせていた隣の彼もその光景に手を止めている。フタ開けっ放しにしておくと、蛍光ペンは、乾くぞ。

その清々しいカップルがこちらへ向かってくる。そうかそうか、マックで何か食べていこうという算段だったのか。1階で「いらっしゃいませー」という声が響いてからしばらくして、2階へ上がってくる音がする。清々しいカップルの話を直で楽しもうじゃないか。さあどうぞ。

「タクヤのヤツ、ユキエとヤッちゃったんだって」「うそマジで」「マジで」「ユキエ、元カレとより戻したらしいって聞いたけどアタシ」「うそ、それタクヤが知ったらチョーショック受けるぜ」「でもタクヤも悪いっしょ、ヤッたのは事実なんだからさ」 ぼくは、チーズバーガーを3分の1残したまま、すぐにお店を出た。隣の受験生は、もうこれ以上引く所がなさそうなノートに向かって、再び蛍光ペンを走らせ始めた。店を出て二階を見る。下品なカップルのアフレコが続く。家に帰って、すぐに寝た。

vol.232 放屁ポテト(2009/06/29)

全裸

あれは溜池山王駅を出たころだったろうか、車内にフライドポテトの臭いが充満し始めたのだった。モスバーガーほど太すぎない、かといって、ロッテリアやファーストキッチンほど細身でもない、そう、ちょうどそれは、マクドナルドのフライドポテトの臭いにそっくりだった。そっくりというか、そのものだった。しかし、誰かがマックのポテトを開封したわけではない。どうやら僕の前に立っている働き盛り脂ギッシュサラリーマンのお尻から放たれた一撃だったようなのである。

あまりに近しい臭い、その再現度にしばし考え込んでしまった。屁である、身ではないのである。身をひょいと出されて、ほら、マックポテトと同じ臭い、と言われりゃのけぞるだろうが、あくまでも気体にとどまっているのである。具体的な悪影響はない、付着もしない、臭いも残らない。一瞬、臭いが鼻孔を通過する。その通過する臭いがマックポテトそのものなのだ。

マックポテトを食べたらそのままマックポテトの臭いがする屁をこけるわけではない。それならば車内は和洋折衷、中華も混入、あちらからはジャスミンティーの香りよ、と、さながらバイキング形式で盛りだくさんになる。しかし、この男は、適確にマックポテトの臭いを放屁した。マックポテトには大まかに二種類ある。出来立てアツアツサクサクのそれと、時間が経過して脂分が表面でベタつきはじめたそれである。彼の屁は前者であった。彼の見た目はどちらかというと後者なのに、屁は前者だった。マックの店内に充満する臭いは確実に後者で、あの臭いが膨満時に負担になっていくのだが、溜池山王で彼が発したマックな一発は、マックの最高の瞬間を切り取ったものだった。

彼の顔は軽く赤みを帯びていたから、どこかの飲み屋からの帰りなのだろう。何と何がミクスチャーされて出来立てのマックポテトに至ったのだろうか。唐揚げと生ビールだろうか。枝豆とほうれん草のおひたしと日本酒だろうか。少なくとも、マックポテト以外の調合でマックポテトを作り上げているのである。よく、スナック菓子の味(うまい棒やさいサラダ味など)を、その周辺の素材を一切使わずに再現する技に魅せられるが、この度の屁というのも、同様であった。まぐれもないマックポテトの再現を、マックを通さずに再現したのである。コカコーラは、その他のコーラに真似されるのを拒むため、調合の詳細をひた隠す。十六茶って本当は十八茶くらいだけど「二茶」を隠すことで真似されずに済んでいるという都市伝説もある。しかし、それらと今回は違う。彼は無意識にマックポテトに至ったのである。

溜池山王から赤坂見附までの間の銀座線の車内、あれは言うならばマクドナルドの臨時開店だった。それほどの再現力だった。屁だからといって直ぐに嫌悪するのは尚早である。その臭いが何かに近似している場合、屁を愛でてみるという選択肢を持っておきたい。あれは揚げたてのマックポテトだったのだから。深酒がたたって満員電車がキツくなったのか、マックポテトの彼は、外苑前で降りてベンチに座った。車内には、ポテトの微香が終点の渋谷まで彷徨っていた。



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