タイ・バンコクから車で約2時間のチョンブリ県に、600社以上の企業の工場やオフィスが立ち並ぶ工業団地がある。いまなおめまぐるしく開発が進み、仕事を求める人々が入れ替わり立ち替わりやって来る。
住人たちはこの街を「アマタナコーン」と呼ぶが、しかし、その名前は行政区画上は存在しない。境界の認識も、人によってバラバラだという。いったいどういうことなのか?
そんなアマタナコーンという場所に興味を持ち、5年以上にわたって1年に2度ほどのペースで通いながら撮影をつづける写真家が、木村孝さんだ。2020年8月20日より『大阪ニコンサロン』にて、アマタナコーンに暮らす人々をテーマにした写真展『ライフ・コレクション・イン・ニュータウン』を予定している。
人と家、そして街のあり方について、私たちの常識とは違ったエコシステムを持つアマタナコーンの魅力を、木村さんにたっぷりと教えてもらった。
※本記事は『HereNow』にて過去に掲載された記事です。
何もない場所にできた街。その不思議なアイデンティティー
——「アマタナコーン」という街は、存在しないのでしょうか……?
木村:「アマタ・コーポレーション」という企業がつくった「アマタナコーン工業団地」というものは、存在します(現在は「アマタシティ・チョンブリ」に改称)。ただ、「◯◯市」や「◯◯区」など行政区画上の名前ではないんです。
ぼくも、このことは現地で写真を撮りはじめてから知りました。みんなが当たり前のように「私はアマタナコーンに住んでいる」「ここはアマタナコーンだ」と言うので、地名だと思い込んでいたんです。バンコクなどほかの都市に住む人にも、地名として認識されています。
しかし現地の人に「どこまでがアマタナコーンなの?」と聞くと、みんな違うことを答えます。ある人に「そこの大通りからこちら側までだよ」と言われて、大通りの向こうの人に確認してみると「いや、ここもアマタナコーンだよ」と言われたり。
——人々がぼんやりと共有する「概念」のような、不思議な街なんですね。もともとなぜ興味を持ったのですか?
木村:最初の訪問のきっかけは、現地の日本企業で働く知人の誘いでしたが、行く前は特別な期待をしていたわけではありませんでした。本格的に興味が湧いたのは、開発が始まる前、そこが何もない野原だったと知ったときです。
ぼくは愛媛県新居浜市の出身なのですが、新居浜市も工業都市なんですよ。だから最初は、アマタナコーンの成り立ちもそれに近いのかなと思ったのですが、違いました。新居浜市は、かつては漁村でした。そんなふうに、街って何かしらの歴史やルーツがあるのが一般的かなと思うんです。
でも、アマタナコーンは「何もなかったから」という理由でその場所につくられた。それが腑に落ちなくて、街を知りたいと思うようになりました。
1年も経たないうちに池が埋め立てられ、景色は変わり続ける
——アマタナコーンは、どういった風景が広がっている街なのですか。
木村:1989年に工業団地としての開発が始まり、最初に用意されたマンションは、いわゆるホワイトカラーの人々向けの居住地だったそうです。それから工場労働者のための団地が建てられ、バーやクラブなどの娯楽施設や、ゴルフ場、ショッピングモールや公園など、いろいろなものができました。開発が始まって30年くらい経った現在は、家族をつくる人もでき、戸建ての住宅も広がってきました。
——いまも開発が進んでいるのでしょうか。
木村:はい。ですがこの30年ずっと広がりつづけてきたので、北と南はほぼ伸び代がなくなってきています。以前からあった別の村や町と、接合しはじめているんですね。東側はまだゆとりがあるので、現在はそちら向きに拡張しています。
木村:最初は風景写真を撮っていたのですが、開発のスピードがすさまじいので、毎回行くたびに新しいものができていました。前回に撮影して好きだった池の風景をまた撮ろうと行ったら、すっかり埋め立てられていて驚いたこともありました。
何度も行っているので、毎度「今回が最後になるかな」とは思うんですよ。でも街の変化を目にするにつけ、まだ今後を見つづけたいと思ってしまい、いまに至ります。終わりにするタイミングがないんですよね。
「何度か通うと、部屋の住人の人数が変わったり、メンバーが入れ替わったりすることに気づきます」
——アマタナコーンには、どんな人たちが住んでいますか。
木村:「数か月稼いだら故郷へ帰る」という人もいれば、「車や家を買うために長く働きたい」という人もいて、事情はさまざまです。ただ、やはり人の出入りは激しいです。
数年かけて風景を撮っているうちに少しずつ知り合いができて、もっと街のことを知りたいと思い、人々の自室でポートレートを撮らせてもらうようになりました。でも、撮影した人にまた会いたいと思って訪ねても、1年も経たないうちに半数くらいがいなくなってしまうんです。
——それはさびしいですね……。被写体は、どのように見つけているのですか。
木村:飛び込みでお願いすることが多いです。ぼくはタイ語があまりできないのですが、「あなたの部屋で写真を撮りたい」というフレーズは覚えて。また、「あなたはどこに住んでいますか?」と聞いて、「アマタナコーン」と答えた人だけを撮影しています。
——写真展『ライフ・コレクション・イン・ニュータウン』では、部屋で撮影した約40枚の写真を展示されていますが、なかでも特に印象に残っている被写体の方はいますか?
木村:そうですね、たくさんいるのですが……まずはカンボジアから来た、サッカー好きのダムでしょうか。ぼくと同じくらいタイ語がしゃべれない青年でした。なぜ印象に残っているかというと、次にその部屋に行ったときには違うカンボジア人が住んでいたからなんです。
木村:のちに知ったことですが、どうやらカンボジア人のコミュニティーで団地内に複数の部屋を抱えているようで。リーダー的存在の人物が部屋を管理していて、足りないときは2家族で1室をシェア、空いたタイミングで別れて住む、というようなことをしています。そしてこの「同郷の人と部屋を分け合う」スタイルは、どうやらカンボジア人に限ったものではないようです。
タイ東北部のイサーン地方出身の人たちを撮影したときも、部屋の住人が5人から4人になったり、あるいは人数が同じでもメンバーが入れ替わったりしました。「同郷の人のところに転がり込む」くらいの感覚なのかもしれないですね。
——あまりに人の入れ替わりが激しいと、そのほうが効率がよいということなのかもしれないですね。
木村:また、逆のパターンもあって。ある年にジェーンという女性を撮影したのですが、そのとき彼女は「3人で一緒に住んでいるんだけど、今日はほかの2人はいなくて私だけ」と言っていたんですね。だからジェーンの写真だけ撮りました。
それからしばらく経って違う部屋に撮影に行ったら、そこには女の子が2人いて。「3人で一緒に住んでいるんだけど、今日は残りの1人はいないの」と。よくよく話を聞いたら、その残りの1人というのがジェーンだったんです。
——つまり、3人まとめて違う部屋に引っ越していたということですか。
木村:そういうことですね。
——われわれが考える「家」とは、ずいぶん違った住まい方をしているんですね。
街で出会い、結婚・出産した夫婦。根づく人がいてこそ「本当の街」になる
木村:アマタナコーンという街の独特なありようを思い知らされたという意味では、タムという青年も印象に残っています。撮影したとき、彼は「アマタナコーンに仕事を探しにきた」と言っていました。ぼくにも親切にしてくれ、美味しいお店も教えてくれました。でも再び訪ねたときにはもう街を去っていて、聞けば台湾で仕事が決まって移住したのだそうです。
——仕事を探しにわざわざ来たのに、アマタナコーンでは何もしないままいなくなってしまったんですね。
木村:一方で、長いあいだ仲良くしている家族もいます。アマタナコーンへ働きに来た同士で結婚し、アパートから戸建てに引っ越して、子どもも3人生まれました。ぼくが最初に会ったときはまだ、下の子は言葉も話せないくらいだったのですが、いまでは小学生です。
一戸建てに住んでいても、いずれ故郷に帰るつもりという人も多いんですよ。けれどおそらく彼らはあの街に根づくつもりなんじゃないかなと思います。そして、そういう人たちが出てきてこそ、アマタナコーンがきっと本当の「街」になっていく。出稼ぎの場所じゃなく、暮らすための場所になっていくと思うんです。
——アマタナコーンで生まれた子どもたちが、今後街に対してどのようなアイデンティティーを抱くようになるのか、とても気になります。
木村:そうですね。ぼくもいまは、主に永住の意識がある人とコンタクトをとっています。「私はアマタナコーン人だ」という思いがある人を、これからは撮って、見ていきたいですね。
特に風景を撮っていた最初の頃は、完全に外部の視点から、自分の思いや考えは入れずに、見たままを写真に収めていました。それから「人と部屋」を撮りはじめましたが、これもどちらかといえばニュートラルに、「見えた光景」をイメージして撮っていました。いうなれば、「よく来る日本人」くらいの視点でしょうか。
ただ、今回写真展のために作品を仕上げてみて、自分も部外者ではありながら、「街との関係」がだいぶできてきたような気がして。街に住んでいる人と話しているときに「あのデパートは昔はなかったよ」とか、教えられるくらいにもなりました。今後はそんな、「一歩街のなかに入った視点」から、作品を撮っていきたいなと思っています。
- 『ライフ・コレクション・イン・ニュータウン』
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日程:2020年8月20日(木)〜2020年8月26日(水)
時間:10:30~18:30(最終日は15:00まで)
場所:大阪ニコンサロン
休館日:日曜
住所:大阪市北区梅田2-2-2 ヒルトンプラザウエスト・オフィスタワー13階
- プロフィール
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- 木村 孝 (きむら こう)
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1986年、愛媛県生まれ。日本写真芸術専門学校卒業。写真家アシスタント、スターツ出版株式会社フォトグラファーとして勤務の後、現在はフリーランス。
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