近年、福岡カルチャーの動きが活発だ。福岡在住ながら日本全国にファンを抱えるグラフィティアーティストやイラストレーター、ミュージシャンの存在、さらには日本国内外とのハブとなるカフェやギャラリー、アートスペースの誕生など、枚挙にいとまがない。その影響力は、日本全国に広がっている。 なぜ、今こんなにも福岡がアツいのか。その火付け役として重要な役割を担っているのは、福岡のユニークな「ショップ」たちの存在だ。 そこで今回、アパレルショップ『Directors』の藤戸剛さん、文具メーカー『HIGHTIDE』の棟廣祐一さん、そして『NO COFFEE』の佐藤慎介さんにお集まりいただき、話を伺った。
点と点が線となる、昨今の福岡・ショップ事情
—お三方に集まっていただけ、大変嬉しいです。貴重な機会ですよね。
藤戸:そがんよね。この3人で卓を囲んで何かを話すって初めてっちゃなか。
佐藤:確かにそうですよね。イベントなどで顔を合わせることはあっても、こうやって膝を突き合わせて話したことはありませんでした。
棟廣:何度も藤戸さんとはご挨拶させてもらっていますが、こうやって『Directors』のお店に入るのは実を言うと初めてなんです。ついつい尻込みしちゃって……。
藤戸:なんねえ、そんな気を遣わんでよ。バンバン入ってきて!(笑)
棟廣さんによる衝撃の告白でドッと盛り上がり、空間に笑い声が響いた。この場所は、藤戸さんが営む『Directors』の2Fにある多目的スペースだ。 この日、ここには、福岡に拠点を置きつつも、今や世界へと活躍のフィールドを広げている日本が誇るメンズブランドの1つFUJITO(フジト)の代表兼デザイナー・藤戸剛さん、そして、手帳をはじめとしたグッドセンスなステーショナリーや雑貨などを取り扱い、2017年2月に初の直営店『HIGHTIDESTORE』をオープンした雑貨メーカー『HIGHTIDE(ハイタイド)』取締役・棟廣祐一さん、最後に、コーヒーショップでありながらも、オリジナルグッズをリリースし、時には行列を生み出す業界のイノベーター『NO COFFEE』オーナー・佐藤慎介さんという3人の姿があった。
この3人には共通点がある。それぞれが、「企画・制作」という作り手の側面と、「販売(ショップ)」という場を経営・運営しているという、2つの顔を持っていることだ。
棟廣:東京から福岡に帰ってきて、そのタイミングで『HIGHTIDE』に出戻りするような形で、再び働くようになりました。数年振りに福岡で暮らすようになり、最初に感じたのが、「ああ、あの頃、点と点だった出来事や場所、それらに関わる人たちが、数年のうちに線になっているな」ということです。
棟廣さんが言う「線」。それが今回、まさにこの三人に集まってもらった理由の1つである。ショップやクリエイターなどの表現者たちがつながりあって面白い活動が生まれているのだ。
佐藤さんの『NO COFFEE』とグラフィティアーティスト・KYNE氏のコラボレーションを例に挙げると、『NO COFFEE』で実施されたこのコラボレーションイベントでは、初日には列をなし、展示する原画が次々と即完売。
コーヒーとストリートという異文化同士がミックスされたことで、互いの魅力が引き立ち、それらがSNSを経由し、口コミという形で拡散され、バクハツした。そこにあるのは「場」、つまりは「ショップ」の存在である。
東京に住むこと自体は、今や絶対条件ではない
—福岡を面白くしている立役者として、「ショップ」の存在が欠かせないと思っています。場があるからこそ、接点ができ、モノ・ヒト・コトが届いているように思います。
藤戸:確かにそれは一理あると思うっちゃけど、そんなに簡単な話でもないかな。ショップといってもいろいろなスタイルがあって、スタンスがあって、考えがあるっちゃんね。ひと括りにすると、逆に分かりにくくなるんじゃなか(ないかな)。
確かに、同じ「ショップ」でも、今この場に集まっている3人の店だけを比較してもそれぞれに特徴が異なる。まずはこの3つの「場」が生まれた背景をお話いただいた。
藤戸:FUJITOのブランドを始めたのは2002年。ジーンズ一型からのスタートやったね。今の店の前身となるショップを中央区・長浜に出したのが2008年。だからブランドを始めてから6年間はメーカーとして活動していたってことになるかな。店を構えるまではアトリエ的なスペースを借りて、そこで服作りを続けよったっちゃね。それでいよいよ店を構えたいという時、不動産会社に教えてもらって、長浜まで自転車を走らせてみて。これが、一発で気に入ったんよね。あの物件は元々、呉服店だったらしいっちゃけど、まさにイメージ通りで。
佐藤:ぼくはその頃、まだ東京だったので、FUJITOさんの長浜時代を知らないんですよね。どんな場所だったんですか。
藤戸:なかなかディープやったよ。ちょうど古い鉄筋コンクリートのアパートの1F部分に、中央の路地を挟んで左右に飲食店がずらっと立ち並んどってね。長浜の市場が近かけん、朝来るとカラスかなんかがくわえてきた魚のお頭や骨が店の前に落ちとって。結構、すごい雰囲気やった(笑)。ただ、全く作られた感じがなくて、それが逆に良かったかな。
棟廣:そもそも店を先に構えて、それから服作りをしようという考えはなかったんですか?
藤戸:ああ、それは全くなかったねえ。「ショップオリジナルの服」と言うより、先にブランドがあって、そのブランドがショップを構えた、というほうが栄えるなと思って。しばらく卸売りだけで大変やったけど、結果、正しい判断だったと思っとるよ。モノづくりが先にあったからこそ、シンプルで上質な大人の「普段着」をコンセプトにし、それを一直線に追求できたんじゃないかな。リベラーノさんとの縁もその先にあるけんね。
リベラーノさんとは、藤戸さんのターニングポイントとなった人物。イタリア・フィレンツェにおいて名店とされるサルトリア(仕立屋)「Liverano&Liverano」店主・アントニオ・リベラーノさんのことだ。リベラーノさんは7歳で仕立ての道に入り、そのキャリアは半世紀以上。仕立ての世界において一流中の一流。同業者から尊敬と畏怖をもって語られる仕立て職人の生きる伝説である。出会いから幾多のやりとりを経て、FUJITOでは現在、「Liverano&Liverano」のデニムジーンズも手掛けている。
—ところで、なぜ長浜にピンときたのでしょうか。福岡市の中でも、海沿いですし、特にアパレルの店を出すのに適していないような立地のように思うのですが。
藤戸:店の周りの雰囲気もそうっちゃけど、「アパレルの店を出すのに適さないような立地」というのが良かったいね。少し説明すると、いわゆる中心地から、ちょっと距離をおきたかったと。大名とか天神は確かに便利。ただ、自分にとって近すぎたっちゃんね。例えばお隣さんのいろんな事情も必要以上に知ることになったり、地域という意味で輪に入れられたり、そういうのがちょっと煩わしいというか。
佐藤:いわゆるしがらみというものですかね。それについてはよく分かります。僕の場合は東京よりも福岡には知っている方々が少ない状況でしたので、その辺はあまり気にせずにスタートできたかもしれません。
—せっかく福岡に来てフラットになれたんだから、ということですね。
佐藤:そうなんです。だから僕もゼロからスタートするつもりで『NO COFFEE』を始めました。ただ、実際に福岡で自分が表現したいことが実現できるという考えはありましたよ。東京に居たとしても、例えば、マグカップを作るということになったとして、そういうメーカーさんは地方にありますからね。そうなると、別に東京に住んでいること自体は絶対条件ではなくって。
藤戸:今はメールも電話もネットもあるけんね。例えば国産のデニムメーカーといったら岡山に集中していて、そうなると東京からよりも福岡からのほうが近いというケースもあるし。
三者三様のスタイル。後半はエキセントリックな麺酒場『つどい』へ
—そんな中心地から距離をおくことで、お三方の自由が解放されたような印象を受けます。それぞれのやり方、考え方において、今のロケーションはベストなのですね。
藤戸:結局は「誰に届けたいか」ということなんじゃなか。不特定多数の人に売りたいということやったら、それは中心エリアが良いに決まっとうよ。人がたくさんおるんやしね。ただ、わざわざ買いに来てもらうための店という位置付けになれば、話は別。極端な話、どこでも良いっちゃん。来たい人は来てくれる。だったら、自分が心地いい、ちょっと静かな落ち着いた場所でしたいという考えになるんよね。長浜の店を建物の老朽化によって移転することになった時にも、やっぱりど真ん中は避けたもん。
棟廣:うちの場合は元々、糸島にショップがあったので、できれば糸島で良い場所が見つかればと思っていたんです。ただ、なかなか良い場所がなくって。そんな時にふと、本社の下の倉庫を店にしてしまえば家賃もかからないし、ある程度自分たちの自由にできるんじゃないかと思って。(福岡の)白金はお二人の店がある場所と同じように、ちょっと中心地から離れていて、でも離れすぎていない場所。本社で働くデザイナーたちにとっても、エンドユーザーとの接点ができることは良い影響になると思い、ショップをオープンしました。
—お三方のショップも、いわゆる街中から少し外れた立地にありますよね。
藤戸:こうやって中心から離れると言い訳ができんっちゃんね。自分自身の実力がそのまま結果となって出るけん。元々、「町おこし」のような、みんなで街を盛り上げようという考えが苦手やったっちゃん。ベースは、あくまで「個」。「個」があってこその集合体と思っとるけんね。
—そんな「個」があり続けるため、心に留めていることはありますか。
棟廣:あそこに行けば文具もあるし、ちょっとした飲み物もある。そんな感じで、行けばなにかしら出会いや発見がある場所として、選択肢の一つになってほしいということを意識して、店づくりを続けています。例えば、店内に設けてある選書コーナーもその1つで。福岡をはじめとして、ローカルにはおもしろい人がたくさんいるので、そういう方々から古本を提供してもらい、販売しているんです。つまり、販売だけの役割は求めていません。この場所があることによってお客さんとコミュニケーションがとれる。つながっていくための場所という位置付けです。モノがあり、コトがある、そういう場でありたい。不定期で実施するイベントについても、同じ考えに基づいています。
—佐藤さんはいかがでしょう?
佐藤:最低限のクオリティを保ちつつも、お客さんをどれだけ楽しませられるのか。常にワクワクさせることを意識していますし、常に面白いことをしている店というイメージを持ってもらいたい。そして、自分の個性をしっかり表現できる店づくりというか、インスパイアできない、真似できない店を続けていきたいなと思っています。例えば2号店を出すということになったとしても、『NO COFFEE』というスタイルの店だったら、海外で展開したいですし、もし日本で出すなら、別のやり方、スタイルを考えると思います。たとえ自分自身でも、『NO COFFEE』の真似をしたくないんです。
—なるほど。藤戸さんが店を続けていくことで大切にしていることは?
藤戸:おい(自分)には全くないんですよね、それが。このインタビューに限らず、他でも「振り返ってどうだったか」と聞かれるっちゃけど、「続けてきた」としか言ってないっちゃんね。辞めなかったということ。秘訣なんてない。残ったから、今、こうしてここにおるっちゃん。応援してくれる人が「もういいよ、辞めていいよ」と言わない限りは、走り続けるだけ。続けるコツ?それもなかよね。自分のテンションを保つことくらいかいな。出会いを大切にしながら、モノづくりを続けていくだけよね。
なぜ福岡はこんなにもアツいのか?その答えは、個性的なショップという「場」を生み出すオーナーという「人」の存在が大きい。そして、それぞれの強い「場」同士が孤立することなく、刺激しあって、ゆるやかにつながり合い、新たなカルチャーが生まれていく。福岡というコンパクトな街だからこそ生まれる化学反応なのかもしれない。
- プロフィール
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- 藤戸 剛 (ふじと ごう)
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1975年生まれ。長崎県・佐世保出身。2002年に『WISTERIA』設立し、ブランド『FUJITO』を立ち上げる。2008年に旗艦店『Directors』を中央区長浜にオープン。2015年、現在の中央区桜坂へ『Directors』を移転。九州発の合同展示会「thought」(http://www.thght.jp/)の発起人の一人。
- 棟廣 祐一 (むねひろ ゆういち)
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1976年生まれ。兵庫県出身。2000年に『HIGHTIDE』入社。商品企画部門に所属し、オリジナルアイテムの制作に携わる。2011年から『東京糸井重里事務所(現・株式会社ほぼ日)』に所属。4年にわたり、ほぼ日手帳制作チームのリーダーとして商品開発に携わった後、2015年、古巣の『HIGHTIDE』へ。
- 佐藤 慎介 (さとう しんすけ)
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1979年生まれ。神奈川県出身。東京のおもちゃメーカーやアパレルメーカーでの経験を生かし、2015年12月に『NO COFFEE』を開業。コンセプトを「Lifewithgoodcoffee」とし、福岡から「コーヒーのある生活」というライフスタイルを提案する。
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