唄者(民謡の唄い手)・堀内加奈子は北海道の出身で、沖縄の血は継いでいない。しかしその唄声からは、沖縄の人々が大切に受け継いできた島の心が、切々と、力強く、伝わってくる。
楽器を弾いたこともなく、もちろん沖縄の方言・ウチナーグチもわからなかった彼女が、沖縄民謡界のレジェンドとも言われる大城美佐子の門を叩いたのは16年前、22歳の時だった。民謡の世界に深く入り、広く外へと発信する堀内加奈子は、まさに沖縄民謡の新しい可能性だ。
※本記事は『HereNow』にて過去に掲載された記事です。
沖縄の民謡を海外に持っていきたい、という想いがずっとあったんです。
—堀内さんがアフリカのセネガルでのレコーディングしたアルバム『花想い』は、現地のミュージシャンと共演をしておりますが、どのような経緯でセネガルでのレコーディングに至ったのでしょうか。
堀内:2009年から2010年にかけて世界一周しながらいろいろな国に民謡を唄いにいったんです。その旅先のひとつがセネガルでした。私がもともと沖縄民謡をやりたいと思った理由は、ただ民謡を唄えるようになりたいということではなく、民謡を海外に持っていきたいという想いがあったからなんですよ。
—そもそも堀内さんは北海道の生まれですよね。沖縄の出身ではない堀内さんが沖縄民謡と出会ったきっかけは何だったのですか?
堀内:北海道を出て東京の広告制作会社に就職して、そこで美術の担当をしていたんです。その仕事で関わったCMの撮影現場で登川誠仁(戦後沖縄を代表する民謡歌手)さんが出演することになり、そこで初めて生で三線の音を聴きました。それまで沖縄を意識したこともなかったし、自分自身、楽器もやったことなかったのに、登川誠仁さんが三線を弾く姿を見て「これを弾けるようになって海外に行きたい!」と思ったんですね。
—それが16年前なんですね。すぐに仕事を辞めて沖縄に移住したんですか?
堀内:そうです。だけど、「沖縄民謡を海外に持って行きたい」という目的で沖縄に来てみたら、「ここは外国か!」というくらい沖縄が面白くて仕方なくて、しばらく海外に行くのも忘れていたんですよ(笑)。それで、7~8年くらい経ったときかな。東京で友達と飲んでいたら、「おまえ、海外に行くって言ってなかったか?」と言われて、「あ、忘れてた!」と(笑)。
それで、大城美佐子先生に師事して約10年経った頃、1人でも表に出ていろいろ唄えるようになったので、いいタイミングかなと思って、三線を持って世界一周しに行ったんです。ヨーロッパ、ブラジルなどをまわって、アフリカはたまたま友達がセネガルに住んでいたので、その友達を頼ってセネガルに1ヵ月半くらい滞在しました。その時に、KORA(コラ)という楽器に出会ったんです。
—西アフリカ発祥の弦楽器ですね。
堀内:KORAはハープの原型と言われる楽器で、三線の音色とすごく合うんですよ。何より面白かったのは、私のオリジナル曲「花想い」のメロディととても似ているセネガルの民謡があって、一緒に演奏したらすごく良かったんです。これをいつかちゃんと録音したいなと思っていて、それが今回、5年越しで実現しました。
「そんなんだったら内地に帰りなさい」と言われることもあった。
— やはり民謡を1人で唄えるようになるには、10年もの年月がかかるのですね。
堀内:三線は練習すれば弾けるようになるんだけど、やっぱり唄が難しいんですよね。そこからが長い。唄を覚えるのは比較的早くできるけど、唄を“深めて”いくのに時間かかるんです。ましてや自分はウチナンチュ(沖縄人)ではないので。
—堀内さんが沖縄に移住した16年前というと、いまほど他県から沖縄への移住者も多くなかったと思います。まして、沖縄民謡の世界にウチナンチュではない人が入るというのは大変なことだったと思うのですが。
堀内:もう帰ろうかなと思うことも多かったですよ。私は美佐子先生がやっている民謡酒場「島思い」で働きながら民謡を勉強していたんですが、お客さんに「そんなんだったら内地(本州)に帰りなさい」と面と向かって言われたこともありましたし。だけどやっぱり応援してくれる人もいて、お客さんの中には「沖縄の人でも民謡をもうあまりやらないのに、やってくれてありがとう」と言ってくれる人もいたんです。
—その頃、民謡をやる若手は少なかったんですか?
堀内:それこそ沖縄ブームがあって、特にBEGINが島唄をやったことで三線という楽器がすごく広まって、ちょっとやってみたいと言う人たちは多かったんです。でも興味を持つ人が増えた分、深く掘り下げる人は少なくなったように思います。とくに沖縄の言葉を習うというのは、ここに住んでいても難しいんです。市場の中であればウチナーグチ(沖縄の方言)を話している人もまだ多いけど、普段の生活の中では自分から飛び込んでいかないとなかなか接する機会がない。
—言葉として覚えることはできるけれど、生活の中で実際にどう使われているのか、どういう時にその言葉が発せられるのかという、感情と言葉の一致が難しいというか。
堀内:だから最初の頃、「あんたはただ唄ってるだけだよ」とよく言われていました。「ちゃんと唄っているけれど、味がない」って。確かにおじさんとかおじいちゃんとか、すごい酔っぱらって唄うんですが、三線の演奏はボロボロなのに、唄に味があるというか、想いが感じられるんですよね。だから私も最初の頃は焦って、老人ホームとかに行って、おじいちゃんおばあちゃんたちと喋ったり、話を聞いたり、そこで唄ったりして、「自分のウチナーグチは通用するのか」みたいなことをやっていたんですけど、お祭りとかで沖縄の人たちが普通に唄う民謡を聴いて、「あ、そうか、頑張ってできるものじゃないな」と。もちろん努力もしなくてはいけないけれど、それがわかるまで、3、4年かかったかな。でもそう思ったら、ふっとウチナーグチが自然に入って来たんですよ。それまでは聴こう聴こうと思って力んでいたのに。
—やっぱり3、4年はかかるんですね。
堀内:「地(=その土地の者)」というのは頑張ってもなれるものじゃないと思ったきっかけがあって。それを思ったのが北海道にしばらく帰った時だったんです。北海道の民謡である「江差追分」に前から興味があったので、その帰省中に習いに行ったんです。地元の唄なのでよく聴いてはいるけど、唄自体は難しいんです。だけど習いに行った時に、他の場所の人が唄うよりは私は早くできると思った。結局それは何かと言ったら、「地」なんだな、と。そう思うと、沖縄の民謡も同じ。急いでも仕方ないし、自分なりの形でやればいいかなと思いましたね。自分は大城美佐子になれるわけでもないし、他の人になれるわけでもないし。
沖縄の民謡は、知らない国や地域に行っても喜ばれるんです。
—堀内さんは、沖縄民謡をやりながらも、SKA LOVERS名義でJ-POPのカバーアルバムを2枚出していますよね。
堀内:いろいろ迷って何回か脱線したりしてね(笑)。そのアルバムを出した時は、うちの先生は「こんなのやるな」って怒ってましたけど(笑)、でもあれもあの当時の自分だったからできたのかなと思ったりもするんです。
— 世界一周旅行に行ったこともそうですが、沖縄だけにとどまらず、民謡の世界を広げていこうとするのは堀内さんにしかできないチャレンジだと思います。
堀内:たまにDJとも一緒にセッションしたりするんですけど、やっぱり三線をやっていていいなと思うのは、沖縄の民謡は、節(ふし)も言葉もここにしかないものだから、全然知らない国や地域に行ってもみんなに喜ばれるんですよ。そういう意味でも民謡は世界に通用する。世界一周をしてみて、あらためて、沖縄民謡をしっかりとやっていこうと思ったのも、それを実感したからなんです。
—いろんな国で唄ってみてわかった「沖縄の民謡」の凄さはどういうところでしたか?
堀内:やっぱりメロディが綺麗なんですよね。メロディが綺麗だから、どこの国の楽器と合わせても映えるんです。セネガルレコーディングの次のプロジェクトとしてタイに行くことが決まっているんですが、タイのモーラムという伝統音楽と合わせてレコーディングする構想を考えています。タイと沖縄は少なからず昔から交流があって、たとえば泡盛もタイ米からできているのもあるし、楽器も民謡も近いものがあるんですよね。そうやって、この先も、自分なりの民謡の旅を続けていこうと思っています。
—民謡の旅、いいですね。ご自身の唄については?
堀内:最近は、いい意味で、気持ちで唄が変わるようになったんです。元気がない時もあるじゃないですか。そういう時はそれなりにいい意味でその感じが出たりする。唄が「生もの」にちょっと近づいた感じがします。
—その「生もの」であることが、唄の深みに繋がっているのかもしれません。
堀内:“ゆとり”というのかな、そういうことを考えられるようになってきたなあとは思いますね。もちろんまだまだ覚えなくてはいけない唄もいっぱいあるけれど、好きな唄に関しては、積み重ねてきたものが出てくるようになった。
—民謡が実際につくられた当時とは、当然、場所の雰囲気も風景も違っていると思いますが、唄を聴くことで、その時の想いや風景を感じることはできますよね。
堀内:結局、人から人へと伝わって残っていくのはそういうものかなと思うんですよね。建物もどんどん変わっていくし、前になにがそこにあったかなんてすぐ忘れてしまう。そんなもんで、人の記憶ってたいしたことないんですよね。だけどこうして残っている唄が、身近にその時のことを思い出させてくれるのは、音楽の力だし、民謡の凄さと思うんです。
- プロフィール
-
- 堀内加奈子 (ほりうち かなこ)
-
1977年北海道・函館生まれ。東京でCM関連の仕事中に沖縄民謡に出会う。その唄と三線に惹かれ沖縄へ移住し、大城美佐子に師事。民謡酒場「島思い」などで修行を積み、その後、沖縄県内外はもとより海外でも数多くの公演活動を行っている。2007年琉球音楽協会教師免許取得。2009年から2010年にかけて三線を背負い沖縄民謡を紹介する世界一周旅行に出かける。2011年には大城美佐子との師弟共演アルバム『歌ぬ縁』を発表し話題となる。2015年にセネガルでレコーディングした『花想い』をリリース。
- フィードバック 2
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-