インターネットでの情報発信が主流になっていますが、ここ京都では、楽しく過ごした飲み屋やカフェなんかでフライヤーを見つけて、そこで得た情報を頼りに展覧会やライブに足を運ぶようなことが、まだまだ成立しています。観光客がとても多い街だけに、“一見さん”にとっても、フライヤーをはじめとする紙メディアは良きガイドとして、街への入口として機能しているようです。 そんな京都の街において、「三重野印」とでもいうべき、強く印象に残るフライヤーを生み出しているグラフィックデザイナーが、三重野 龍(みえのりゅう)。フライヤーに留まらず、いまや様々なデザインを手がけはじめている、三重野さんのアトリエを訪ねました。
※本記事は『HereNow』にて過去に掲載された記事です。
文字を自力でつくり出すことから始まるデザイン
―京都には芸術系の大学がいくつもありますが、三重野さんが卒業された京都精華大学もそのうちのひとつですね。
三重野:大学では一応、グラフィックデザインコースだったのですが、大学にいるときは、ライブペインティングユニットでずっと絵を描いてたりとかしたので、デザインを意識したのは卒業するかしないかの頃です。気づけば就活も全然しないまま、卒業してしまって。
―ということは、卒業後は無職に?
三重野:はい(笑)。いちど兵庫県の実家に戻ったんですけど、余計にヤバいと思って、また京都に戻って、バイトをやりながら、細かなデザインの仕事をはじめました。大学で気にかけてくれてた先生が、いくつか仕事の声をかけてもらったんです。大学を出てほぼ最初の仕事が、京都マンガミュージアムであった赤塚不二夫展でした。
―京都マンガミュージアムは、京都精華大学と京都市が共同でつくった施設で、日本初で日本最大のマンガ博物館。「赤塚不二夫マンガ大学展」は2011年でしたね。
三重野:今思えば、あの仕事をミスっていたらやばかったですね(笑)。フライヤーだけではなく、展示まわりのデザインとかいろいろやらせていただいたので。
―赤塚不二夫というマンガ界の巨匠の展覧会にして、マンガのキャラクターを大胆にトリミングした印象的なデザインでした。
三重野:キャラクターのデータをかなり自由に使っていいよということだったので、ほんとに素材をバラバラにして、「赤塚不二夫」という文字もつくりました。
―「赤塚不二夫展」をはじめとして三重野さんのデザインは、かなり文字の印象が強いですよね。既存のフォントにこだわらず、新しい文字をつくっていくみたいな。
三重野:よくそう言われるんですけど、文字の歴史も、デザインのこともちゃんと勉強していないので、文字をつくったり書いたりせずにデザインする以外のやり方を知らないだけなんです。ただフィジカルにデザインに関わりたいという気持ちはあるから、自分の手でイチから書きたいとは思っています。
健全な肉体にデザインが宿る?
―フィジカルにデザインを、と言われましたが、三重野さんといえば、ハイパーパフォーマンスグループ「MuDA」にも参加して、実際にパフォーマーとしても舞台に出られています。正直、見た目もちょっとゴツいですし、いわゆるデザイナーの外見じゃないですよね(笑)。
三重野:ゴツいのは小学校で基礎体力を養ったというくらい、単純にずっと外で遊んでたからだと思いますけど(笑)。体っていちばんリアルじゃないですか。デザインを考えるときにも、さっとペンを走らせる感覚だったり、筆圧だったり、直接的な感覚があったほうが自分としては作っていて、しっくりくるんですよね。
―初めて舞台に出たのはいつですか?
三重野:大学の学祭にcontact Gonzo(関西で活躍する肉体の衝突を起点としたパフォーマンスユニット)に誘われて舞台に出たのがはじめてです。それが、後ろにころころの車輪をつけたケンタウロスの役で、Gonzoメンバーの輪の中に入っていってボコボコに殴られるというパフォーマンスで(笑)。その後もMuDA やGonzoに何度か参加して感じたのは、普段すごく仲いい人でもその人に肉体に触れる経験ってまずないと思うんですけど、身体に触る行為って、新しい情報がたくさんあるんですよね。それが面白くて。
―contact Gonzoは殴り合いの要素もあるパフォーマンスユニットですもんね。
三重野:舞台の世界って、めちゃくちゃ緊張するとか、大勢でいるんだけど孤独感を感じるとか、あるいは「死ぬんじゃないのこれ?」ってくらいの肉体的な疲労感とか、そういう極限の感覚を感じられるんですよね。デスクに座ったデザインの作業では得られない体感がやっぱりパフォーマンスの場にはあって、その経験がどこかで自分のデザインに変化をもたらしているんだろうとは思っています。
―直接的ではないにしても、パフォーマンスの体験がデザインに反映されてると。
三重野:あまりデザイン系の雑誌とかも読まないので、道歩いてるときに見かけるむっちゃいい壁とか、そういうところから影響を受けてることのほうが多いかもしれません。
自分のやり方で生きていく、京都の若手表現者達
―最後にあらためて京都のことをお聞きしたいのですが、京都は街の規模もコンパクトな中で芸術系の大学も多く、いろんなアーティストの関係性が近いことも特徴ですよね。
三重野:そうですね。ただ、僕は他のデザイナーのことはあまり知らなくて、このアトリエも4人でシェアしていますけど、僕以外の3人はみんな写真家なんです。
―それは楽しそうな。
三重野:単純に絵が好きという理由だけで大学に入りましたけど、周りには面白くてすごい絵を描く奴らがいっぱいいました。そうするともう、自分が絵で食っていくなんて不可能だと思っちゃって、それで自分の立ち位置をデザインに定めたところもあります。僕が大学のときから地道に続けてるライブペイントユニットの『uwn!(うわん!)』も、メンバーの3人ともグラフィックデザインの出身ですけど、今ではイラストレーターと看板屋ですから。
―京都はインディペンデントな形で活動する人が多い街かもしれませんね。
三重野:そうですね。今では大学に関わらず個人で活動している人たちとの交友も増えてきました。美術まわりの作家も多いし、自分でお店をやってる人も結構います。
―三重野さんが店のロゴやグッズにも関わっている『vou』のような店も面白いですよね。オーナーは、HereNow KYOTOのキュレーターである川良謙太さんです。
三重野:『vou』は、美術館やギャラリーというのとはまた違った、街に自然に溶けこんだ形であるのがいいですよね。もう少し下の世代も増えていくと京都はもっと面白くなっていくんじゃないかな。
- プロフィール
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- 三重野龍 (みえの りゅう)
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1988年生まれ。グラフィックデザイナーとしてフリーで活動。ペイントユニットuwn!の他にも、フリーマガジン『AT PAPER』のデザイン担当、詩人の野口卓海と写真家の松見拓也と発行している月刊紙片『bonna nezze kaartz』などの活動も。
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