2009年3月、下北沢の老舗ライブハウスSHELTERで長らく店長を務めた西村等が、その隣駅の新代田に新たなライブハウスFEVERをオープンさせた。下北沢や渋谷などではなかなかない広々としたスペースの店内は、幅広い年齢層のお客さんが楽しめるよう様々な工夫が施され、オープンから7年が経過した今、FEVERは多くの人に愛されるライブハウスになっただけでなく、新代田という街自体に少なからず影響を及ぼしつつある。当事者の証言をもとに、新代田の「今」を探った。
※本記事は『HereNow』にて過去に掲載された記事です。
音楽・演劇・古着……サブカルの街「下北沢」
東京都内の「音楽の街」といえば、多くの人が下北沢を連想するだろう。駅から徒歩10分圏内に15件ほどのライブハウスが密集し、老舗音楽レーベルの事務所や音楽の主要メディアの編集部も居を構える。北沢タウンホールの開館を記念し、1991年にスタートした『ワールドミュージックフェスティバル イン 下北沢』(現・下北沢音楽祭)は今も親しまれ、2000年前後にはハイラインレコーズ(1997開店、2008年閉店)出身のBUMP OF CHICKENなどが次々とブレイクして、「下北系」を確立。2010年代に入ってからは、『Shimokitazawa Indie Fanclub』や『Shimokitazawa SOUND CRUISING』といったライブハウス周遊型のイベントが人気を博し、今も新しい音楽文化の発信地であり続けている。
本多劇場を中心とした「演劇の街」でもあり、古着屋なども数多く見られる下北沢だが、2013年に小田急駅が地下化されるなど、近年は駅前の再開発が進み、土地の値段も高騰。街並みには変化が起こりつつある。昨年には25年の歴史を誇ったライブハウス・下北沢屋根裏が閉店し、喫茶店の「ぶーふーうー」やたこ焼き屋の「大阪屋」など、長く人々に愛されてきた街のランドマーク的な存在も姿を消した。チェーン店の割合が増えた今の下北沢に対し、寂しさを口にする人は少なくない。
ライブハウスにカフェを併設して生まれた、意外な効能
下北沢屋根裏に次ぐ歴史を誇る老舗ライブハウスのひとつ、下北沢SHELTERの店長を務めた後、30歳を過ぎた西村等が一念発起し、新代田に新しいライブハウスFEVERをオープンしたのは2009年3月のことだった。京王井の頭線で下北沢の隣に位置する新代田は、環七沿いに立ち並ぶラーメン屋以外に、これといった観光スポットがあるわけでもない住宅地であり、FEVERのオープン当初、駅の利用率は井の頭線沿いで井の頭公園に次ぐワースト2位だったという。西村はなぜそんな場所にライブハウスを作ったのだろうか?
西村:当時のロンドンって、都市部は土地代が高くて新しいお店が出せないから、中心からはちょっと離れて、その代わり駅のすぐ近くにオープンするクラブやギャラリー、アートスペースが増えてるっていう話を聞いたんです。それでSHELTERをやめてすぐにロンドンに行ってみたら、実際駅の真ん前にライブハウスがあった。なので、日本でもそういう場所を探していたら、たまたま新代田にちょうどいい物件があったんです。
「たまたま」と話す西村だが、新代田という場所に必然性はあったのだろうか?
西村:最初は下北沢でも探してて、一個面白い物件があったんですけど、そこは新築だったこともあって、自分のイメージの倍の倍の倍の倍くらいかかると(笑)。まあ、新代田になったのはホントに偶然なんですけど、「街に依存するのは嫌だ」っていう反発心はあったんです。「美味いラーメン屋はどこでも儲かる」方式で、お店がかっこよければ吸引力が出るだろうと思って、アピールすべきは場所よりも「駅から近い」ってことだと思ったんですよね。
もう一つのFEVERの特徴は、併設されている飲食店「PoPo」とコーヒースタンド「RR(アールアール)」の存在だ。
飲食店が併設されているライブハウスというコンセプトは始めからあったという。自身が30歳を過ぎて、周りの友達にも子供ができてくる中で、休めるスペースは絶対にあった方がいいと考えたのだ。「子供も連れてこれて、ご飯も食べれて、楽屋でのんびりもできる。ここに来たら一日楽しんで帰れるような、そんな場所にしたかった」と話す西村は、2013年にFEVERからすぐ近くに「RR」もオープンした。
西村:ライブハウスって、若者が騒ぐイメージがあったり、街の人が喜ばない存在だったりもするじゃないですか。でも、「RR」のおかげで街の人とも交流するようになって、新しく引っ越してきた学生さんの話し相手になったりとか(笑)、ライブハウスとはまた別の、もうひとつの社交場になったんです。
下北沢がマンハッタンなら、新代田はブルックリン?
こうしてFEVERが新代田の住人からの認知を得ていくと共に、街にも少しずつ変化が起こっていった。2011年にはギャラリー兼カフェスペースの「commune」が下北沢から移転し、2012年には同じ建物の3階にライブバー「crossing」がオープン。2015年には下北沢の名物店「風知空知」の元店主がレストラン「DIDDY WA DITTY(ディディワンディディ)」を新代田から歩いて5分ほどの世田谷代田近辺にオープンしている。
ここで思い出されるのが、2000年代の前半にアメリカのインディシーンをはじめ、文化の発信地として「ブルックリン」の名前がクローズアップされたことだ。マンハッタンの地価高騰に伴い、多くのアーティストが移り住んだことで大きな賑わいをみせたブルックリンの隆盛と、「下北沢から新代田へ」という流れを重ねることは、決して無理やりではないだろう。もちろん、現在新代田周辺で起こっていることはごくごく小規模な範囲の話。しかし、かつてのロンドンやニューヨークで起こったことが、ここ日本でも起こりつつある気運は確かに感じられる。
西村:面白い人をもっと新代田に引き込みたいっていうのはありますね。実際にはなかなか空き物件がないから難しいっていうのもあるんですけど、何か面白いことをやりたいって人がいたら、「新代田でやってみない?」って言えるような環境作りはしていきたいなと。そういう意味で「LFR(エルエフアール)」は、その最初の一歩になったと思ってます。
「LFR」とは、昨年9月に前述した「commune」の跡地にオープンした立ち飲み屋「飲み屋えるえふる」とレコードショップ「LIKE A FOOL RECORDS」が併設されたお店。メジャーのレコード会社から作品をリリースしているcinema staffのメンバーであり、渋谷にあったCDショップ「残響shop」での店長経験もある辻友貴と、飲み歩きライターとしても活躍するcore of bellsの會田洋平が共同で立ち上げた。西村から物件を紹介され、トントン拍子でオープンへと進んでいったのだという。
會田:実際オープンしてみるとこの街のポテンシャルを感じます。新代田は下北沢より家賃は安いし、住みやすいから、人は集まりやすいと思うんです。人によっては一番好きな街になり得る場所なんじゃないかと思います。
辻:今ってCDが売れないって言われてる時代ですけど、やっぱり買う人は買うと思うんです。無料でダウンロードできちゃうって言っても、買う層っていうのは絶対これからも残るから、その人たちにちゃんと発信し続けたいし、こだわりを持って、ブレずにやっていきたいです。立ち飲み屋とレコ屋の併設って、他にないと思いますしね。
確かに、立ち飲み屋とレコード屋の併設というのは、都内でも珍しい形態と言える。お互いバンドマンだからこそ、お店の今後に対する考え方についてもこう話す。
會田:まだ模索中ですけど、音楽とお酒っていう組み合わせだからこそのCDの売り方っていうのもあるんじゃないかと思ってるんですよ。ファッション的にCDを置いてる飲食店はよくありますけど、ここはあくまでレコ屋と飲み屋が対等な関係で続けていきたいと思ってます。
幅広い年齢の客層が一日ゆっくりと楽しめる場所としてのライブハウス。メジャーのレコード会社に所属するミュージシャンが友人と共に無理のない範囲で経営するレコードショップ兼飲み屋。
今新代田で起こっていることは、日本で生まれつつある音楽とライフスタイルの新たな関係性の提示であるように思う。かつて音楽を続ける手段はプロになることでしかなかったが、時代は移り変わり、今は聴き手も含めた音楽を愛する人々がそれぞれの距離感で音楽と共に年を重ねていくことが可能になってきている。もちろん、下北沢はこれからも活気ある「音楽の街」であり続けるだろう。一方で、今後は新代田がそこにもうひとつの選択肢を提示していくことになるのかもしれない。
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