現代日本を代表する音楽家・大友良英を追った、初の本格的なドキュメンタリー映画『KIKOE』が7月25日より渋谷ユーロスペースで公開する。監督したのは、大学時代に大友の授業を受けていたという、音楽への造詣が深い若き映像作家・岩井主税だ。5月29日の、爆音映画祭における先行上映でも大きな反響を呼んだ本作について、改めてお二人に語っていただいた。的確な思考に裏付けられた対談は長時間に及び、読み応えたっぷりに仕上がった。音楽や映画のみならず、クリエイティブに興味のある方であれば勇気づけられること請け合いの言葉に、ぜひじっくりと触れ、吸収していただきたい。
当初は作品が完成するだなんて、全く期待していなかったんだ(大友)
―ではまず、岩井さんが大友さんを知ったきっかけと、作品を制作するに至った過程を教えてください。
大友:『KIKOE』の制作で、主税くんは四六時中オレを追っていて、作品の編集中にもやり取りはあったわけだけど、こうして公式の場で改めて話すのって初めてだよね?
岩井:そうですね。ちょっと緊張します…。僕はもともと大友さんのいちファンなので。高校の頃から大友さんのCDを聴いていましたから。大学は武蔵野美術大学だったんですけど、ちょうどその時期は大友さんが教えていたので、授業を受けたり、ライブに行ったりしていましたね。
大友:主税くんがいたときは月に1、2回くらいは行ってたかな。大学の先生が向いていなくて、すぐに辞めちゃったんだけど(笑)。はじめて主税くんと会ったのは、大学のエレベーターだったんですよ。オレが乗ろうとしたら、中で彼がディジュリドゥ吹いてて(笑)。出たー、ジャンベとかディジュリドゥ吹いてるヤツ、カンベンしてよとか思ってさ(笑)。
彼は大学の卒業後に一度、テレビ制作会社のアシスタント・ディレクターとして就職するんですよ。まともな職業を得てよかったと思っていたのに…厭になってやめちゃったらしいんだよね(笑)。で、オレのところにドキュメントを撮らせてくれとやってきて。まあ、いい度胸だよね。食えるわけないのに、そんなの(笑)。
岩井:会社に入るときすでに、以前からやりたかった大友さんのドキュメンタリーを撮ろうという気持ちは固めていたんです。それで大友さんにお願いにいったのが会社辞めてすぐの2005年1月ですね。AD経験のおかげで、テレビドキュメンタリーの作り方はわかっていたので、じゃあ自分でさっそく挑戦してみようと。
大友:オレのドキュメンタリーを撮りたいって言ってきた人は、これまでも一人二人じゃないんです。でも、ちゃんと完成させた人はいない。だから主税くんの作品にも、当初は何の期待もしていなかったんだ。
総撮影時間は400時間、素材全部で500時間
―撮影期間はどれぐらいだったんですか?
岩井:撮り始めてからまるまる3年くらいは、大友さんのあとをどこへ行くにも金魚のフンみたいにくっついていました。
大友:もちろん全部ではないけど、海外も含めて、ライブの時にはほぼ毎日いたよね。ウザいと感じたらちゃんと言おうと思っていたんだけど、プライベートな時間もちゃんとキープさせてくれたので、そこは大丈夫だった。
岩井:被写体のプライベートにどこまで踏み込むかっていうのは、ドキュメンタリーの重要なテーマのひとつでもあると思うんです。全てを見てみたいんだけれども、作り手としては、ちょっと立場を変えないといけないんですね。
大友:とはいえ、けっこうプライベートの姿も使ってるよね。カメラを向けられるのって、ある種の暴力だとは思うんです。場合によっては痛みを伴うものだとも思うんだけど、その点主税くんの距離感の取り方は絶妙だったから、ストレスは感じなかった。素材は何時間くらい撮ったの?
岩井主税
岩井:僕が撮ったのは400時間で、借りた素材と合わせると全部で500時間にはなりましたね…。ハードディスクを6テラ使いましたから(笑)。
過去の映像については何人かの方々にお借りしました。そのうちの一人に、80年代後半から大友さんのライブ企画などを北海道でずっとされていた沼山さんという方がいて、当時のライブ記録映像をかなりの量お持ちでした。初めて見たとき、ここまで記録していたのかと、本当にびっくりして。
大友:そうそう沼山さんは、地元の北海道だけではなく、海外まで来てオレの映像を撮ってくれてたんです。映画の中にもでてくる1993年のドイツ・メールス・ニュージャズ祭も沼山さんの映像ですね。あれに出たことで、ヨーロッパでオレの名前がガーッと広まった印象があった。信じられないくらいの受け方でした。でも、それも今にしてみれば記憶を大げさに捏造してるのかなと、思い込みだったのかなと思っていたら、改めてライブ映像見たらそんなこと全然なくて、むしろ観客の反応は記憶以上の強烈さでしたね。
岩井:ものすごく熱狂してましたよね。
大友:オレの人生のピークだったなって思うくらい(笑)。一万人近い観客があれだけ熱中してたんだなって。
岩井:アンコールが3、4分鳴りやまないんですよ。その部分は映画には使ってないんですけど。
―かなり昔のライブ映像も使用されていますよね。贅沢な作りだなあ。
大友:でも、オレからしてみれば、この映画を観る体験って、20年間で人間がじょじょに老けていくのを見る科学ドキュメンタリーみたいな印象(笑)。きついですよ、自分のそういうのを100分も見せられるの。
岩井:そういう面も、もちろん意識していますよ(笑)。ロッテルダムの観客は、大友さんをご存知の方も多かったのか、若いころの大友さんとか映ると、どっと笑いが起こるんですよ。日本の観客は、いい意味でも悪い意味でもすごく真面目。すごく真剣に見ます。
大友:ほんの一瞬だけ、髪型をリーゼントにしていた時期があったんだけど、そこを使われちゃってるから、観た人から「昔リーゼントだったんですね?」とかよく言われるんだよ(笑)。
岩井:フライヤーでも使用している若き日の大友さんですよね。そうそう、あのとき大友さんが着ているTシャツが気になって、絵柄からしてパブリック・エナミーなのかと思って大友さんに聞いたら、パブロ・ピカソだったっていう(笑)
それにしても、本当に貴重な映像を使わせていただいて感謝してます。高校の時だと、僕は田舎で大友さんのCDを聴いているわけじゃないですか。すると、ライブが見たくなるわけですよ。実際にはどんな空気が流れてるんだろうって、気になってくるんですよね。
大友:CD聴いてても、ライブに行くと印象が全然違うでしょ?
岩井:違いますね~。今はCDを聴くのよりも、ライブに行く機会のほうが多いです。
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ライブとCDにおける音の違いについて
音楽についてのいろいろな考えを星のように散りばめました(岩井)
―ライブとCDでは、音楽を聴く体験として、どういった点が異なるんでしょう?
大友良英
大友:ライブの録音ってのは、どういう形をとるにしろ、ライブの音よりもはるかにコンパクトにまとめざるをえない。例えて言えば、縦横の寸法が決まった容れ物に、液体のような広がりを持ったものを無理やり納めているわけだから。ライブの雰囲気を、どうすればCDにパッケージできるのかを考えたこともあるけど、結局無理なんだとわかった。
それを考えていた80年代後半当時の結論は、どうせできないなら、できないことを露骨にだしてやれで、その結果音をひずませたのがGROUND-ZEROの録音です。実際のライブでは音の情報が飽和しているのに、CDだと整然としてしまっているのがすごくイヤで、とにかくメーターを振り切ってしまいたいと思っていました。それで、当時は国分寺にあって、いまは吉祥寺に移ったGOK SOUNDのエンジニアの近藤さんが、単にひずませるだけではない、独特の録音方法を考えてくれたんです。
岩井:GROUND-ZEROのCDなんて、めちゃくちゃ音がギューって詰った感じになっていますよね。
大友:飽和しているうえに、まだ入れちゃえ、みたいな。でも実際にライブもそんな感じだったんです。そんなわけでライブのあの感じを録音作品にすることはできましたが、ライブの映像は本当に嫌いでした。当事は、映像ではなにも伝わらない感じがしたんです。多分10年前だったら、ライブ映像を出すことに強い抵抗を感じたかもしれないけど、今はもうどうでもよくなっちゃった(笑)。
岩井:その点、僕はとても運が良かったんですよ(笑)。
―本当にたくさんの方々が登場しますが、みなさん出演を快諾されたのでしょうか?
岩井:今回出演してくださった方々の中には、僕が連絡先を把握していない人もたくさんいたんです。その場合、最初に大友さんから映像を使用してもよいかどうか、連絡をしていただきました。
大友:ただ、その際に、べつにオレがこのドキュメンタリーをやりたいって言っているわけではないから、もしもイヤだったら断ってくれて構わないっていうことを全員に伝えました。僕のではなく主税くんの作品だからさ。
ジム・オルークも作品の中で言っていたけれど、自分のことは、他人よりは多少は知っているけど、でも他人が自分のことをどう見ているのかというのは、わかりようがない。オレがこの映画を見た感想もまさにそれで、主税くんからはこう見えているんだなと。
特に、シュルレアリスムうんぬんという議論が出てくるけれども、自分の音楽をシュルレアリスム的に捉えるっていう発想はしたことがないので、すごく違和感があった。
岩井:僕としても、大友さんの音楽をシュルレアリスムで説明したいという気持ちがあるわけではありません。それよりも、音楽についてのいろいろな考えがあちこちにあって、それを星座を形づくるように、僕が興味あるものを勝手につなげたり、わけたりしたかった。あるもの「A」とあるもの「B」との関係性、その見えない「と」の部分を想像するのも面白い。
また、僕が好きなチェコの映像作家ヤン・シュヴァンクマイエルがいて、彼の作品制作のテーマになっているシュルレアリスムにも興味がありました。それで「音楽」と「シュルレアリスム」についてずっと考えていたら、大谷能生さんがそのことについて書いているのをみつけて、それで話を聞きにいきました。
大友:やっている音楽を、こうだ!と結論づけられるとイヤだな、と思っていましたが、そこはうまく回避してくれました。いくつか編集の異なるバージョンがあるんですが、言葉でオレの音楽が説明されているなと感じた部分に関しては、削ってくれと言いましたね。
岩井:映像の編集作業というのは本当に不思議なもので、中身はほとんど変えていないのに、順番を少し変えるだけで、作品の印象がガラッと変わるんですよ。編集はなんだかんだ言って、撮影が終わってから一年くらいはかかっていますね。結局、完成版は一番最初のバージョン(大学院の修了制作版)に最も近いものになったんですけど(笑)。
大友:オレがNG出したバージョンは、ものすごく暗かったんだよ(笑)。
岩井:当時すごく嫌なバイトしていたし、ずっと編集してて家にこもっていたので、気持ちの暗さがモロに出ていたんでしょうね。
自分がいま生きている環境で、音楽をやるっていうのはどういう意味なのかを考え ることからしか、本当にリアルなものって出てこない(大友)
―映像作品が編集しだいで印象がすごく変わるというのは、みなさんおっしゃいますね。
大友:これだけのものを全部彼一人で作ったわけだけど、すごいなっていうのと同時に、やっとひとりでも映画が作れる時代がきたなと実感しました。身軽になるのって、じつはすごく大事なことなんです。例えば企業がサポートしてくれるようなプロジェクトなら何人も雇えるかもしれないけど、そうではないもの、それでも一人の人間がなにかを作りたいって思ったときに、身軽でいながら、かつクオリティを落とさないようにする方法を考えないと、音楽でもなんでもダメだと思っています。
今やってる『ENSEMBLES 09 休符だらけの音楽装置』展がまさにそうで、あれは個人でやってるのではなく、何人もの人と作ってるんですが、ほとんど予算のないところで、ではどうやって身軽な組織をつくってかつクオリティを落とさずに採算を取るか。そこは大きな賭けです。よく新しいスタイルだとか、新しい音楽だとか言うけれどもそうではなくて、切実な問題としてそういうことしかできないっていうところから結果的に新しいものがでてくるんだと思います。理屈や理論から新しいものを生むってことに、そもそもものすごい懐疑的で、というかそういうものを全然信じてなくて、やっぱり信じることができるのは自分自身のリアルな生活から何を生むかですから。そういう意味では、『KIKOE』の作り方はいいなと。撮り始めるときから、完成像は描けていたの?
岩井:いや、描けていなかったですね。撮りながら考えていったところがあります。でも、すごく漠然とですが、僕が大友さんのCDを初めて聴いたときの感覚みたいなものは大切にしたいなと思っていました。
大友:Mattinがくさびのように映画の雰囲気を支配してるじゃないですか。あのライブは、どうしてクローズアップさせようと思ったの?
岩井:ひとつは、これが本当に音楽ライブなのか? という衝撃を受けたからです。 それからもうひとつは、GRID605というスペースを頻繁に映したかった。
―GRID605というと?
岩井:大友さんと僕が中心になって立ち上げた吉祥寺にあるイベントスペースです。大友さんを追っかけて、ニューヨークのThe STONEっていう、ジョン・ゾーンがはじめたライブハウスに行く機会があったんですよ。そのとき、二人でこういうスペースっていいよねと言い合って。日本に帰ってから大友さんはすぐにGRID605をオープンさせました。
大友:The STONEってミュージシャンが自主運営してて、入場料を取らないんだよね。楽器も自主管理している。とてもいい環境だったので、じゃあ東京でもやろうと。
でもね、オレはMattinのライブの良さは全くわかんないんだよ。中国で『KIKOE』を上映したとき、あの退屈そうなドイツ人は誰だって真っ先に質問されたよ(笑)。じつはスペイン人なんですけどね。
岩井:ロッテルダム映画祭でも同じようなことを聞かれましたよ。
大友:オレ、音楽がああいう方向でコンセプチュアルになるのには全然興味ない。文脈をつくることが音を出すことより先にくるのも苦手なら、いわゆる前衛音楽の歴史の文脈みたいなものから出てくるようなものにも今はまったく興味も希望も持てない。これは現代美術やメディアアートと呼ばれるようなものの多くがつまんないと感じる理由にも通じるんだけどね。文脈を考えること、歴史を考えることはもちろん重要なんだけど、それを作為的に作ろうとするのは幼い気がして。自分たちが置かれている場や状況から、なにが最良の選択肢なのかをさぐりつつ、音を出す行為に正面から向かうことしか未来はない・・・って愚直に思ってるんで、正直ああいうものは嫌いです。新しいことをやるっていうのは、ああいうことではない。
とはいえ、そういう違和感を感じる映像が作品に混じっているのは、ある意味面白いことではあるんだよね。特にあのライブは、ものすごく根本的なところから問いを発しているから、あたかも演出したかのようにも見えるしね。
岩井:GRID605で行われたリハーサルとライブなんですけどね。僕は大友さんのライブや展示を見ていて、大友さん自身が簡単にコントロールできない状況を作ろうとしている点にも、とても面白さを感じるんです。GRID605はそういう空間にしたいんだと、インタビューでもおっしゃっていましたよね。
大友:正確に言えば、あまり物事を理屈で解釈しないんですよ。もちろん好みはあるけど、イエスマンで周りを固めたくもないしね。
この撮影が終わるころから、空間に対する意識が強くなってきたんですよ。 ちょうど主税くんがついていた3年間って、いわゆる音響って呼ばれていたような、聴取をテーマにした活動から歌やジャズを手がかりに次に大きくシフトしだしたころだったと思うけど、さらに、そこからグーッと空間をテーマにする方向に僕の中で変わってきた。いわゆる音響と呼ばれたような音楽には、フォロワーもどんどん出てきて、いつのまにかこのジャンルをどう進めるかっていう話にだんだんなってきたように思えて。そんな考え方にオレ、まったく興味持てないしで、正直距離を取り出したんです。僕がやりたいのはあるジャンルをつくるとか、そのスタイルを進めるとかそういうことではない。
自分がいま生きている状況や環境で、音楽をやるっていうのはどういう意味なのかを考えることからしか、本当に自分にとってリアルなものって出てこないんです。今展示をやりだしてるのも、別に美術やサウンドインスタレーションの影響があったわけでは全然なくて、自分の中では、音楽をやってくなかで、成り行きとして、こういう方向になってしまったって感じなんです。今やってる『ENSEMBLES 09 休符だらけの音楽装置』だって正直のところ、いったいどういう文脈にはまるのかは全然わかりません。美術のことはそんなには知らないですし。ただ自分の中で、今のこの状況の中で音楽をやっていったらああならざるを得なかった・・・という切実な選択ではあるんです。
今までやったことを整理して、大きく次に行くときなのかなと思います(大友)
―岩井さんは撮影しながら、大友さんの興味が変化してきたことを感じていましたか?
岩井:そうですね。だいぶ前から空間への興味のことは大友さんから少し聞いていたし、実際のライブでも変化を感じていました。このドキュメンタリーで最後のライブ撮影となったONJO&音遊びの会では、カメラ一台で記録することが難しいと思ったし、何にフォーカスするか戸惑いました。編集しながらつくづく、これ、すごいことが起きてるな、と感じましたね。
大友:録音も難しくなってくると思うんだよ。そのころを境に、自分のやってることは、映像や録音で伝えきれないって自覚してますから。ステージとか、2chのPAシステムとかから音を出して、ステージの真ん中で演奏することには、本当に飽き飽きしてきたんです。
ちょうどこの作品を撮っているときと、ユリイカの大友特集、『大友良英のJAMJAM日記』、『MUSICS』という本が立て続けに出て、これって、もしかして、まとめに入って死ぬんじゃないかなと思ったんだけど(笑)そうではなくて、今までやったことを整理して、大きく次に行くときなのかなって、そんな風に思います。この作品では2007年までのオレの演奏が映っているわけだけど、この間、吉祥寺バウスシアターの爆音映画祭で見たら、「オレ、もうこういうソロやらないわ」っていう気がしたんですよ。すでにオレの中では映画になってるものがすべて過去のものになっているんです。この撮影後に、自分で歌をうたうこともやりだしたし。
岩井:映画では、口笛までは撮れました(笑)。
大友:ただね、過去を否定するような気持ちは全然ないんです。今はたしかに空間的なアプローチに時間も労力も費やしてはいるけど、その一方で普通のライブもけっこう好きで、やめていないんだよね。本当に、体がいくつもほしいくらい。そういう状態は、自分の中で矛盾だとは思っていなくて、両方やっていきたいんですよ。映画音楽の仕事も、何にでもなれるところがけっこう好きで。
もうじき公開される『色即ぜねれいしょん』っていう映画のエンディングでは、すごく伸び伸びとロックンロールを弾いてるんだけどね(笑)。ロックを録音したのってはじめてなんじゃないかな。別に映画だからといって媚びているわけではなく、演奏していて本当に楽しいんだよ。何でも屋タイプに見えるかもしれないけど、そういうことじゃなくて、結局自分に興味のあることしかできない。で、その興味が、あまりにも沢山の方向に向いていて、どれかひとつだけになったりできない。
岩井:それにしても、編集のとき見て笑っちゃったのは、大友さんがステージ上で夢中になってギターを弾いてて、ふと気づいたら周りに誰もいなくて「あれ、みんなどこに行っちゃったんだろう」ってつぶやくシーンですね。
大友:あれは、撮られてることに全く気がつかなかったんだよ(笑)。本番前のリハが終わって、ステージが始まる前にポロポロとギターを弾いてるのって、じつは一番幸せな時間なんだよね。純粋に自分のためだけに弾いてるから。そこを撮られちゃったんだよ(笑)。
岩井:セッティングが終わったあとに、大友さんっていつもいろんなことをやってるんですよ。その姿がすごく好きで、どうにかして撮りたかったんです。
大友:お客さんの前で、あんなに無心になって弾けるようになることってあるのかな。ある意味、あそこまで作為がないのは理想ではあるような気はするんだけど、でも、そこまでオレも歳とってるわけじゃないから、そんな無作為な状態にはなれないなあ。ひょっとしてすごくおじいさんになったらできるのかな? あれは隠し撮りだったから、自然な姿がおさまったんだろうね。
岩井:あれはすごくいいシーンですよね。撮れてラッキーでしたね(笑)。
- 作品情報
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- 『KIKOE』
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監督・製作・編集・撮影・インタビュー:岩井主税
出演:
大友良英
菊地成孔
大谷能生DJスプーキー
ヤン・シュヴァンクマイエル
宇波拓
Mattin
飯村隆彦
足立正生
ジョナス・メカス
田中泯
山本精一
PHEW
ジム・オルーク
巻上公一
芳垣安洋
高良久美子
水谷浩章
植村昌弘
杉本拓
ヤマタカEYE
カヒミ・カリィ
浜田真理子
Sachiko M
フアナ・モリーナ
さがゆき
伊集加代
一楽儀光
中村達也
吉田達也
加藤英樹
ナスノミツル
灰野敬二
吉田アミ
ユタカワサキ
梅田哲也
中村としまる
秋山徹次
山内桂
イトケン
Hair Stylistics
秋田昌美
トリスタン・ホンシンガー
刀根康尚
飴屋法水
煙巻ヨーコ
江藤直子
青木タイセイ
石川高
津上研太
近藤達郎
栗原正己
宝示戸亮二
大蔵雅彦
島田雅彦
アルフレート・ハルト
アクセル・ドゥナー
ジョン・ゾーン
ビル・ラズウェル
モリイクエクリストフ・シャルル
カレン・ブルークマン・ベイリー
ブリュンヒルト・マイヤー・フェラーリ
クリスチャン・マークレー
フレッド・フリス
ボブ・オスタータグ
カール・ストーン
ジョン・ローズ
ジャジー・ジョイス
木幡和枝
椹木野衣
平井玄
副島輝人
佐々木敦
音遊びの会
Otomo Yoshihide's New Jazz Orchestra
Ground-Zero
Novo Tono
I.S.O.
COSMOS
Incapacitants
sim
Optrum
DJ TRANQUILIZER、他多数(順不同)配給:Word Public、スローラーナー
ドキュメンタリー映画『KIKOE』とは
映像作家・岩井主税が、音楽家・大友良英の90年代から2007年までの活動を追った作品。大友と親交の深いミュージシャンや批評家など総勢100名以上のインタビューと、現在、そして過去の貴重なライブ映像などで構成される。映像は時系列に沿って並べられるのではなく、岩井独自の視点で解釈・編集されているのが特徴だ。本作はロッテルダム映画祭をはじめ、中国、ポルトガルなどでも上映され、好評を博した。
- プロフィール
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- 大友良英
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1959年生。ONJO,INVISIBLE SONGS、幽閉者、FEN等常に複数のバンドを率い、またFilamnet,JoyHeights、I.S.O.等数多くのバンドに参加。プロデューサーとしても多くの作品を世に出している。常に同時進行かつインディペンデントに多種多様な作品をつくり続け、その活動範囲は世界中におよぶ。ノイズやフィードバックを多用した大音量の作品から、音響の発生そのものに焦点をあてた作品に至るまでその幅は広く、ジャズや歌をテーマにした作品も多い。これまでに50作品以上のサウンドトラックを手がける映画音楽家としても知られ、また近年はサウンドインスタレーションを手がける美術家としての顔も持つと同時に障害のある子どもたちとの音楽ワークショップにも力をいれている。著書に『MUSICS』(岩波書店) 『大友良英のJAMJAM日記』(河出書房新社)がある。
- 岩井主税
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1977年生。映像/平面/立体/インスタレーションなど、手法や素材を超えて「記録/版」という現象自体に言及する制作を続けている。サンパウロのムービーフェスに入賞するなどの現代美術での動き以外にも、国内外の音楽家のプロモーションビデオや記録映像の制作を行う。テレビ番組制作参加後、'05年より開始した音楽家大友良英ドキュメンタリー映画『KIKOE』を自主制作で完成させ、現在に至る。
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Special Feature
Crossing??
CINRAメディア20周年を節目に考える、カルチャーシーンの「これまで」と「これから」。過去と未来の「交差点」、そしてカルチャーとソーシャルの「交差点」に立ち、これまでの20年を振り返りながら、未来をよりよくしていくために何ができるのか?