あがた森魚が語る「ベルウッド・レコード」と、伝える技術の話

「ベルウッド・レコード」をご存知だろうか。もしもあなたがその名前を知らなかったとしても、はっぴいえんどの諸作や、細野晴臣と大瀧詠一の最初のソロ作品、後にムーンライダーズへと発展するはちみつぱいの唯一の作品、高田渡、遠藤賢司、小室等らの作品を世に送り出したレーベルだと言えば、その功績の大きさは伝わるだろう。1972年、キングレコードの社員プロデューサーだった三浦光紀によって設立され、岡林信康を輩出したURC、吉田拓郎を輩出したエレックと共に「3大フォークレーベル」と呼ばれた。中でも洋楽のロック的な感性を取り込み、洗練された音楽性や芸術性を備えた作品を数多く世に送り出したベルウッドは、今で言うニューミュージックのシーンを牽引する役割を果たしたという意味で、非常に特徴的なレーベルであったと言える。

そのベルウッドからの第1弾リリースとなったシングル『赤色エレジー』の大ヒットによって、一躍時の人になったのがあがた森魚である。作品性を重んじ、今も第一線で活躍を続ける彼は、「朝起きると、地球上の森羅万象が僕の中に詰まってると思う」といった独自の感性の持ち主。今回ベルウッドの40周年を記念し、過去のカタログが一挙再発されるにあたって、ベルウッドと共にキャリアをスタートさせたとも言えるあがたに、レーベルと自身の歴史を紐解いてもらった。彼の言葉は、40年の時間の重みを感じさせ、表現することの奥深さを感じさせるものばかり。今ここから世界の見え方が変容するような、貴重な取材となった。

当時は早く世に認められたいというか、ともかくみんなの前で歌いたいっていう、それだけだったんですよ。

―あがたさんはどのような経緯でベルウッド・レコードから作品をリリースすることになったのですか?

あがた:ベルウッドの第1回のリリースが1972年で、その前の年の1971年にあった『中津川フォークジャンボリー』(1969年から1971年まで3回にわたり開催された、日本初の野外フェスティバル)に僕がたまたま出演していたときに、ディレクターの三浦光紀さんと出会って、彼の推薦で出すことが決まったっていうのがそもそものきっかけですね。

―それ以前から三浦さんとの交流があったわけではないんですか?

あがた:全くないですね。その日は鈴木慶一くんたちと始めたはちみつぱいというバンドと一緒にサブステージで演奏したんですけど、当時は早く世に認められたいというか、ともかくみんなの前で歌いたいっていう、それだけだったんですよ。ちょうどその頃早川義夫さんや遠藤賢司さんとの交流も始まりかけてたんですけど、僕は僕なりのアンテナで音楽を始めていたところで、できたばかりの“赤色エレジー”っていう歌もあって、それが特に三浦さんの印象に残ったのかもしれないですね。

あがた森魚

―当時は歌謡曲とかアイドルが全盛で、それに対してフォークやポップ、ロックといった、いわゆるニューミュージック的なものを広めたいという考えがベルウッドの理念としてあったのでしょうか?

あがた:そういう風に解釈しますね。三浦さん一個人というよりは、URCとエレックという当時数少ないインディーズレーベルがあり、その流れで日本にフォークとかニューミュージックといわれる機運が生じ始めてたんです。そのタイミングで各メジャーのメーカーから一斉にフォークとかニューミュージック系のレーベルが発足して、ソニーからは吉田拓郎さんのオデッセイが、キングからはベルウッドが始まったんです。当時は新人がほとんどそこでデビューする4月25日っていう発売日の設定があったんですよ。毎年の年中行事というか、始業式のようなもんだね(笑)。

あがた森魚
あがた森魚

―その4月25日にベルウッドの第1弾として発売された『赤色エレジー』が、いきなり大ヒットを記録したわけですよね。

あがた:僕はその前の年までどこのガキかもわかんないような感じだったのが、次の年には吉田拓郎とか新しい傾向で出てきた色んな中の一人としてパッと注目を浴びるようになって。僕自身心して「よっしゃ」って頑張った部分もあったけど、でも青天の霹靂なわけだよね。三浦さんが後々「あのヒットがあったからやっていけた」みたいなことをおっしゃってて、もちろんそれだけじゃないにせよ、自分がそれを請け負えたことだったり、「誰かに聴いてほしい」という願いが叶って、それは得難い経験ではあったね。そこから僕の今日に至る色んな歴史があるわけだから。

この新しい時代をどう生きていくのかっていうことへのもがきとか焦りのようなものもあって、それを表現したかった。

―URCやエレックといった色々なレーベルがある中で、ベルウッドの作品は非常に音楽性が幅広く、洋楽的な部分があったり、芸術性が高いように思うんですね。そういったアーティストが集まったことには、何か理由があったのでしょうか?

あがた:僕個人はレーベルの中でもすごく特殊な立場で、ある意味ポッと出だったわけですよ。小室さんや細野さんは、それまでほんの数年だとしても、その間の蓄積なり活動で培ってきたものがあったと思うんですね。僕は1969年に早川義夫さん、遠藤賢司さん、バレンタイン・ブルー(後のはっぴいえんど)が出ていた『ロックはバリケードをめざす』というコンサートを見て、そのときの驚きと言ったらなかったから。それでURCの新人募集のチラシを見て早川さんに会いに行って(当時早川氏はURCのディレクター)、遠藤さんとも何故か出会い、細野さんとも何故か出会い、「ここは僕の世界だ」って思ったの。

―そう思ったのは、どんな部分が大きかったのですか?

あがた森魚

あがた:例えば、THE KINKSはロンドンのビクトリア朝的な、クラシカルな、自分たちが持っていたイメージとロックを結びつけて世界を作っていった。ライ・クーダーやランディ・ニューマンも、そうだった。僕も自分が生まれ育った中で見聞きした自分たちのレトロモダン、自分たちが普段使ってる言葉で自分たちの感性を表現したかったわけ。1965年に函館で、高校生の自分がボブ・ディランを深夜放送で聴いたことが始まりなんだけど、だからってボブ・ディランのマネをしたいわけでも、英語で歌いたかったわけでもなくて、ボブ・ディランから何かを受けた僕が、今現在の自分のポップスをやりたかった。それと非常に相似形だったのが、早川さんであり、遠藤さんであり、細野さんで、何とか彼らに追いつけ追い越せで。

―さきほど「何故か出会った」という風におっしゃいましたが、表現の仕方はそれぞれ違えども、その「自分たちの感性を表現する」ということにおいて一致したからこそ、自然と出会ってきたのかなって、お話を聞きながら思いました。

あがた:明るいとか暗いで片付けちゃいけないんだけど、早川さんや遠藤さんが持っていた独特の暗さ、美意識、音楽的感性っていうのは、ワンアンドオンリーかつ絶妙に日本人的というか、日本語で生活してきた僕らそのもので、こんな絶妙な表現の仕方は他にないなって、すごく驚いたんだよね。

―やはり、「日本人らしく、日本語で」というのがひとつのポイントだったわけですね。

あがた:僕らなりのアイデンティティーっていうと非常に抽象的だけど、アジアの片隅で生まれ育った、しかも1945年に戦争が終わって生まれてきた俺たちって何なんだろうっていうのはあったよね。さらには60年安保、70年安保を経て、この新しい時代をどう生きていくのかっていうことへのもがきやら焦りのようなものもあって、それを表現したかったんだね。それは音楽スタイル以前に「自分がどう生きるか」ってことで、戦後すぐのように、餓死寸前で生きてるわけではなかったし、社会運動や政治運動をしていたわけでもないんだけど、やっぱり自分が、あるいは僕らが、どういう感受性で、自分たちの生き方を示すのかが大事だった。そうやって作られたのが『赤色エレジー』であり、今回再発される『乙女の儚夢』『噫無情(レ・ミゼラブル)』『僕は天使ぢゃないよ』だったってことかな。

あがた森魚『乙女の儚夢』
あがた森魚『乙女の儚夢』

写真左:あがた森魚『噫無情(レ・ミゼラブル)』、写真右:あがた森魚『僕は天使ぢゃないよ』
写真左:あがた森魚『噫無情(レ・ミゼラブル)』
写真右:あがた森魚『僕は天使ぢゃないよ』

2011年からの10年間っていうのは、最後の一直線をどう駆け抜けるのか、もってこいのフィールドがスタンバイされたって気持ちがあるね。

―ベルウッドの作品の中でも、特にあがたさんの作品は芸術性が強くて、『赤色エレジー』はもともと林静一さんの画集にシングル盤をつけた「うた絵本」という、今で言うコラボのような形でリリースされていましたよね。「時代は巡る」ではないですけど、今音楽配信が普及する一方で、パッケージの良さ、作品性の大事さが見直されていたりもして、あがたさんのやってらっしゃったことは今こそ取り上げられるべきだと思ったりもしました。

あがた:おっしゃる通り、そういうことがものすごくやりたかったし、やってきたつもりだし。ただ、僕なんかはそういうものが好きなわけだけど、CDもどうなるかわからないと言われる現状で、果たして今後は一体何がそれを引き継ぐのか、CDを作るんじゃなければ何をやるんだっていう、今現在の焦りというか、途方に暮れてる部分もなくはないよね。

―まさに今は時代の転換点というか、色んなことが変化をしているまっただ中で、答えが見出しにくい状況ではありますよね。それは若いミュージシャンにしてもそうだと思いますし。

あがた:僕個人に即した話になっちゃうけど、2011年の震災以降っていうのは、エポックなところにまた来てしまったんだと思いますね。これは一言二言で説明できないし、昨日今日大騒ぎして終わることでもなさそうだと。ベルウッドは今年40周年で、50周年もここにいるアーティストでまた祝えたらいいよねって思うけど、漠然と、ここからあと10年っていうのは区切りがいい気がする。僕は1960年代っていう時代背景や音楽の流れが原点だから、そこから半世紀後の2010年代っていうものがあるとして、その最初の年である2011年からの10年間っていうのは、最後の一直線をどう駆け抜けるのか、もってこいのフィールドがスタンバイされたって気持ちがあるね。

―2011年という年が、新たな10年のスタートを作ったと。

あがた:そう。これは昨日今日では終わらないし、でも20〜30年経つと、少なくとも僕は「お疲れさまでした」ってなってると思う。

―そのための10年と考えると、長い10年になりそうですね。

あがた:歌は死ぬまで歌えるけど、作品を作るのはこの10年かなって思ってる。5年後の僕は3コードで1曲作るのがやっとかもしれないし、それは予測がつかないけど(笑)。でも、「あと10年」って言っておけば5年ぐらいはやるだろうし、5年経ったら「じゃあ、ベルウッド50周年まで頑張ろうよ」っていう。そんな10年間がここから始まるかなって感じはするよね。

あがた森魚

歌っていうのはやっぱり「気配」だと思う。「気配」をどう出すかによって、サウンドもボリュームもビートもファッションも、それになぞらえて意思表示したいわけ。

―歌詞についてもお伺いしたいのですが、あがたさんやベルウッドの作品で聴くことのできる語彙の豊かさというのは実に魅力的で、今の「愛してる」とか「会いたい」という歌詞を、もっと色んな言葉で、色んな伝え方で表現されてると思うんです。もちろん、今もいい歌詞はありますけど、当時の言葉を大事にする感覚っていうのは、フィクションからではなくノンフィクションから生まれているもののような気がするのですが、実際いかがでしょう?

あがた:その視点は素晴らしいね。結局いかに語彙が豊富で、言語的なものが好きだとしても、日常語ではない、ドイツ語やフランス語ではパパッと全部は伝わってこない。やっぱり日本語の機微を持った言葉によって、「なるほど」というものがあるわけ。それに、僕らがかつて共通言語として使っていた言葉があるとして、それを今から発信する新しい歌でも使えるかというと、必ずしもそうではない。どういう言葉で何が伝わるのか、ここが問題だよね。

―なるほど。あがたさんは、特にどういった部分を大切になさっているんですか?

あがた:非常に観念的な言い方に聞こえるかもしれないけど、歌っていうのはやっぱり「気配」だと思う。どんな「気配」を出したいかによって、サウンドもボリュームもビートもファッションも、それになぞらえて意思表示したいわけ。だから、いくらレトリカルな言葉を使っても、「その言葉の意味は何ですか?」って聞かれてしまうようだったら、ドイツ語やフランス語で歌ってるのと変わらないよね。

―歌詞の文学性よりも、「気配」を伝えることが重要だと。

あがた:レトリック自慢が第一目的ではないわけで、つまり文学的教養度を競いたいわけではないんだよね。もちろん、文学的なことは好きだし、レトリカルなものも好きなんだけど、それはひとつのオブジェでしかない。不特定多数あるいは誰かに気配を伝えるためのひとつのプロセスなわけだから、それは今現在表現をしてる人にとっても変わらない、同じテーマなのかなって。

―もちろん言葉そのものも重要だし、そこにどんなコードが、メロディーが、サウンドがついて、音楽として「気配」をどう伝えるかっていうのが、さらに大事になりますよね。

あがた:それは奥深いよね……、だけでは片付けられないけど(笑)、それがミュージシャンだからね。言葉で説明するのが難しいから、これはもう歌ってしまって、「でしょ?」としか言えないわけだよ(笑)。かくかくしかじかでって論文にまとめて渡しても、それは痛くもかゆくもないわけで。70年代初頭の僕らがその辺に心を砕いて作った数々の音楽がここにあるってことだよね。

毎日朝起きると、今日も僕は自分であり、同時に、地球上の森羅万象、有象無象、全部自分の中に詰まってるんだなって思うわけ。

―今の「気配を伝える」ということであったり、最初におっしゃられた初期衝動的な「とにかく誰かに聴いてほしい」っていうのは、どんな人に届けたいかっていう、相手を想定したものなのでしょうか?

あがた:上手く言えないんだけど……。毎日朝起きると、今日も僕は自分であり、同時に、地球上の森羅万象、有象無象、全部が自分の中に詰まってるんだなって思うわけ。新しい音楽を生み出そうとしてる多くのアーティストがどっかでザワザワっているとしたら、僕もその中の一人だぞって思うし、ラテンアメリカでもアフリカでも第三世界でも色んなところで、いつ飢え死にしてもおかしくない子供たちもザワザワっていて、この現象も僕なわけ。僕が毎日喜んだり、得意になったり、落ち込んだりするのもそうだし、去年の震災以降の状況とか、昨今は大陸と日本海を挟んで領土問題でザワザワしてたり、それはホントにどれも捨てられないっていうか、僕の中にあるわけよ。新聞読んで「ああ……」ってなって、でも次の瞬間にカワイイ子が通ると「おお!」ってなってる自分もいるわけだから(笑)。

―(笑)。

あがた:それがポップスだよね。メッセージソングを歌ったかと思ったら、「君に捨てられてさ」って歌い出したり、それがポップスなわけだから……。欲張りってことだよね(笑)。「僕はそこまで色々思ってるんだ」っていう気負いなり、自負なりを見せたいんだね。

―そういう言葉では簡単に表せない人間の複雑さを表現するためにこそ、音楽はあると言えますよね。

あがた:やっぱりね、美しい女性とインテリジェンスのある男性には勝てないんですよ。非常によく計算されてしっかり作られたものはいい作品なわけだし、向こうから美しい女の人が来ると、それは作品がどうかはわからないけど、否定できない。コクトーは「美しいものは、美を認めてないものをさえ、虜にする」って言ってるけど、それは「歌を歌いたい」「美味しいものが食べたい」「みんなに認められたい」みたいなことと同じことかもしれない。逆に、今日アメリカを中心に回ってる世界および政治的かつ、経済的支配力とか、科学的テクノロジーっていうのは男性的インテリジェンスの作った最たるものであって、それは圧倒的に肯定もしたいし、圧倒的に否定もしたい。そこに答えがないから、永遠に歌もまた作られ続けるだろうし。

―「歌いたい」という抗えない欲求によって生まれた音楽が世界を動かすこともあるわけで、それは美やインテリとも拮抗するものではありますよね。

あがた:まさにそういった全部が混沌として混ざってるわけだから、どれかを切り離して「これは出来がいい」「これはつまらない」では片付けられないわけ。ジョン・レノンだって、(ブライアン・)エプスタインがいなければジョン・レノンになってなかったかもしれないし、ピカソも彼を支えたパトロンがいなければ、ピカソになっていなかったかもしれない。そう考えると、ベルウッドの各アーティストも知らないうちにベルウッドという支柱をもち、そこで相互に影響を与え合ってたんだと思います。音楽的にはすごく違うんだけど、ものの考え方とか、生き方全般で絶妙に影響を与え合っていて、その中にベルウッドのジョン・レノンがいたかもしれないし、ピカソがいたかもしれない。そういう人たちがこの歴史を作ってきたような気がします。

テーゼに対するアンチテーゼには興味がなくて、自分が必要とされてるのかされてないのか、これがものすごく大きなテーマで。

―ベルウッドの感性というのは若い人にも脈々と受け継がれていると思うんですね。実際にあがたさんはオワリカラのようなバンドと共演の機会もあって、リスペクトも受けていらっしゃると思うし、同じような感性を持って活動してる若いミュージシャンの数は決して少なくないと思います。そういった今の若い人たちのことをどう見ていらっしゃいますか?

あがた:僕の中にその質問の答えは色々あるんだけど、結局それは次のアルバム、次のステージ、次に作った楽曲で、「あがたさん今こういうことを考えてるんだ」「去年ああだったのに、今年こうなったんだ」っていうとこでしか答えはないわけ。まあ、オワリカラその他若くて面白いバンドがいっぱいいて、僕たちもそうだったけど、もがいてる感じはするよね。もがいていても全然いいんだけど、ただ僕たちのときの方がまだ駄々をこねたり、やんちゃする対象があったかな。

―ああ、それはよくわかります。

あがた森魚

あがた:ものを言う対象があるのは表現者にとって重要かつラッキーなことだけど、今の若者たちにそうした対象があるかというと、あまりにも錯綜してるというか、コーティングが巧みにされてるから、突っつきようがない。何をモチーフにして訴えることで不特定多数の人が一緒に共鳴するのか、すごい難しいだろうなって。

―今は二項対立になりにくい、白黒はっきり分けられなくて、自分自身が仮想敵の一部だったりということがわかってしまう時代だということはすごく感じます。ただ、あがたさんが先ほどおっしゃったように、2011年っていうのは若い世代にとってもある意味始まりの年になって、これからどんな表現が生まれてくるのか、楽しみではあるんですよね。

あがた:ただ僕はテーゼに対するアンチテーゼには興味がなくて、限りなくテーゼでやりたい。戦う相手というよりも、自分のテーゼを求める相手がいるのかいないのか、そういう自分が必要とされてるのかされてないのか、これがものすごく大きなテーマで。その辺も巧妙にぼかされてたり、コーティングされてて、段々日々が過ぎて行ったっていうのがここ30〜40年だったんだけど、2011年が契機になったかなとは思うとこもある。何かが始まるのか、風化が加速していくのか、それはわからないんだけどね。

―今日お話ししていて、ベルウッドの40年という重みを感じつつ、同時にこの先の10年が楽しみにもなりました。

あがた:そういうことだね。ベルウッド50年に向けてなんていうのは今日のお題目ではないけど、せっかく40年まで来たんだから、未来を展望しようっていう意味でね。僕を含め、個人個人これから10年どうなっていくかわからないけど、50年っていう次のスパンを目指したいなって気はする。そのときはまた、お話をしましょう(笑)。

リリース情報
『Bellwood 40th Anniversary Collection』

2012年10月3日発売
[リリース作品]
・六文銭『キングサーモンのいる島』
・高田渡『系図』
・山平和彦『放送禁止歌(オリジナル・バージョン)』
・西岡恭蔵『ディランにて』
・武蔵野タンポポ団『武蔵野タンポポ団の伝説』
・あがた森魚『乙女の儚夢』
・大瀧詠一『大瀧詠一』
・Bellwood 40th Anniversary Collection『フォーク・ギターの世界』
・はっぴいえんど『HAPPY END』
・細野晴臣『HOSONO HOUSE』
・及川恒平『忘れたお話』
・高田渡『石』
・山平和彦『風景』
・岩井宏『30才』
・南正人『南正人ファースト』
・はっぴいえんど『CITY/はっぴいえんどベスト・アルバム』
・はちみつぱい『センチメンタル通り』
・小室等『私は月には行かないだろう』
・高田渡『ごあいさつ』
・小室等『東京』
・はっぴいえんど『ライブ!!はっぴいえんど』
・西岡恭蔵『街行き村行き』
・あがた森魚『噫無情(レ・ミゼラブル)』
・Bellwood 40th Anniversary Collection『フォーク・ギター』
・オリジナル・ザ・ディラン『悲しみの街』
・いとうたかお『いとうたかお』
・はっぴいえんど『シングルス・はっぴいえんど』
・六文銭『シングルス・六文銭』
・及川恒平『名前のない君の部屋』
・ザ・ディランII『この世を悲しむ風来坊に捧ぐ』
・加川良『アウト・オブ・マインド』
・小室等『デッドヒート '74年ライブ』
・ザ・ディランII『時は過ぎて〜ザ・ディランIIライヴ』
・朝野由彦『巡礼』
・あがた森魚『僕は天使ぢゃないよ』
・山平和彦『ライブ!山平和彦』
・中川五郎『また恋をしてしまったぼく』
・遠藤賢司『東京ワッショイ』
・大瀧詠一『アーリー大瀧詠一』
・友川かずき『俺の裡で鳴り止まない詩〜中原中也作品集』
・小室等『私は月には行かないだろう(完全限定プレス盤)』
・六文銭『キングサーモンのいる島(完全限定プレス盤)』
・六文銭『六文銭メモリアル(完全限定プレス盤)』
・山平和彦『放送禁止歌(完全限定プレス盤)』
・山平和彦『風景(完全限定プレス盤)』
・山平和彦『ライブ!山平和彦(完全限定プレス盤)』
・大瀧詠一『大瀧詠一(完全限定プレス盤)』
・大瀧詠一『アーリー大瀧詠一(完全限定プレス盤)』
・はっぴいえんど『HAPPY END(完全限定プレス盤)』
・はっぴいえんど『CITY/はっぴいえんどベスト・アルバム(完全限定プレス盤)』
・はっぴいえんど『ライブ!!はっぴいえんど(完全限定プレス盤)』

あがた森魚
『大航海40年史』(2CD)

2012年11月7日発売
価格:3,500円(税込)
UPCY-6673/4

[DISC1]
1. コドモアルバム/あがた森魚と山崎優子
2. 俺の知らない内田裕也は俺の知ってる宇宙の夕焼け
3. 沢尻エリカぶるぅ。
4. キューポラ・ノアールの街
5. るるもっぺべいぶるう
6. 佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど
7. 風立ちぬ
8. 太陽コロゲテ46億年
9. たそがれる海の城
10. キットキット!!遠く遠く!!(Version T.K.T.)
11. 月食/雷蔵
[DISC2]
1. 誰が悲しみのバンドネオン
2. パール・デコレーションの庭
3. 骨
4. いとしの第六惑星
5. 春の嵐の夜の手品師
6. 百合コレクション/ヴァージンVS
7. 星空サイクリング/ヴァージンVS
8. 僕は天使ぢゃないよ
9. 星のふる郷
10. 最后のダンス・ステップ(昭和柔侠伝の唄)
11. 大寒町
12. 清怨夜曲
13. 大道芸人
14. 赤色エレジー(Single Version)
解説:湯浅学
イラスト:山本ルンルン
※SHM-CD(Super High Material CD)仕様

プロフィール
あがた森魚

1948年北海道生まれ。1972年『赤色エレジー』でデビュー。 当時、アメリカのコンテンポラリーなフォークロックやヒッピームーブメントなどに強い影響を受けながらも、その影響下に留まらず、 日本の大正や昭和のロマンティックな大衆文化を彷彿とさせるオリジナリティーあふれる音楽世界を創り出していった。 デビューアルバム『乙女の儚夢』以降、『噫無情』『日本少年』『永遠の遠国』と、あがた森魚世界観をはらんだアルバムを発表しながら70年代を駆け抜けた。映画製作や文筆活動等々多岐にわたりながらオリジナルアルバムを次々とリリース。 デビュー40周年を迎える2012年はアルバムリリースや記念コンサートの開催など引き続き意欲的な活動が続いている。10月3日、ベルウッドの創立40周年を記念して「Bellwood 40th Anniversary Collection」と銘打って51タイトル再発されたコレクションには、あがた森魚の初期3枚のアルバムが含まれる。



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