いつの時代でも、あるジャンルやスタイルがオーバーグラウンド化する一方、それに対するアンダーグラウンドが形成されることで、初めて「シーン」というものは機能する。そして、今まさにオーバーグラウンド化するボカロシーンの中で、本来のインディーズ精神を貫き、アンダーグラウンドの呼び水になろうとしているのが、ヒッキーPこと大高丈宙(おおたかともおき)だ。BOREDOMSからあぶらだこ、友川カズキから山崎ハコといった、ロックやフォークのアンダーグラウンドヒーローの名前が次々と口から飛び出す大高は、一般的にイメージされるボカロPとはずいぶんかけ離れた存在であり、実際彼の作る音楽はかなりぶっ飛んだものである。しかし、彼のような存在がいてこそ、シーンにとって重要な厚みが生まれることは間違いない。
(BOREDOMSを聴いて)「いい・悪い」っていう評価軸が溶けたっていうか、「そういうところで判断するものじゃない」っていう価値観に変わったんです。
―「ヒッキーP」っていう名前ですけど、実際に引きこもりだったとかではないんですよね?
大高:ではなかったんですけど、大学のときにボーカロイドを始めて、まったく外に出ないでずっと曲だけ作っていた時期はありました。投稿を始めて3曲目が、そのときの一日中家にいた心情をテーマにした曲だったので、こういう名前が付いたんです。
―では順番に、まずは大高くんが音楽に興味を持ったきっかけから教えてください。
大高:親が中島みゆきとか、三上寛、友川カズキとかのフォークと、60〜70年代の王道のロック、THE BEATLES、LED ZEPPELIN、DEEP PURPLEとかが好きで、その一方で姉がいわゆるJ-POP、B’zとかドリカムを聴いてたんで、そういうのが自然と耳に入ってきてました。ただ、小さい頃は音楽そのものよりも、CDプレーヤーにCDを入れたときに出る何分何秒とかってデジタル表示を眺めるのが好きだったんです(笑)。
―変わった子ですね(笑)。
大高:いつも誰からも理解してもらえないんですけど(笑)、中島みゆきの何曲目の35秒から歌が始まって、サビが1分57秒から始まってとか、そういうのをずっとメモしてる子だったんです。
大高丈宙(ヒッキーP)
―うーん、確かに理解は難しいけど、数字が好きな子供だったんだろうね(笑)。そんな大高くんが、今の音楽性に通じるような音楽と出会ったのはいつ頃なんですか?
大高:中学生のときにたまたまcali≠gariっていうバンドを知って、ホームページに行ったらすごいデザインが凝ってて、「何なんだ、このバンドは?」っていう。ヒットチャートの外側の音楽をそこで初めて聴いてみようと思ったんです。
―cali≠gariはビジュアル系ですけど、その中でもかなり異端なバンドですよね。
大高:そうですね。B’zとかドリカムとは違う、割り切れないというか、複雑な音楽性だったので、最初すぐには受け入れられなかったんですね。でも何回も聴いてみたくなる魅力があって、それまでは「気に入ったから聴く」だったのが、「よくわからないから聴く」っていうスタンスに変わりました。実際に、聴けば聴くほど発見があって、ひとつひとつの音に対して敏感になった気がします。
―最初は「?」でも、何回か聴いて好きになったものの方が、後々残ったりしますよね。
大高:あとは、cali≠gariが好きな人は偏屈な音楽マニアが多くて、掲示板で「これもいいよ」って言われてるものを、自分から聴くようになって。同じビジュアル系でもグルグル映画館とか、人間椅子、COALTAR OF THE DEEPERS、洋楽だったらMOGWAIとか。メンバーの桜井青さん自身もいろんな趣味を持ってて、その影響で空気公団とか、あがた森魚さんを聴いてみたり。
―そこから一気に世界が広がったんですね。
大高:あともうひとつ大きいのが、BOREDOMSなんです。なけなしのお小遣いで買った『スーパー アー』っていうアルバムを、半年で100回ぐらい、全然よさがわからないまま、拷問のように聴き続けたんです。全く何の快感もなかったんですけど、「何かあるんじゃないか?」って、違和感みたいなものがあったんですよね。そうしたら、ある日突然、感覚が180度変わったんです。もうそれが自然に流れてるというか、「それをずっと止まらせたくない」みたいな感じになって。それ以来、当時までは生意気に「ぬる過ぎる」とか思ってたポップスに対して、否定的に感じるのではなく、キラキラとした魅力を見つけ出すようになって。
―BOREDOMSとかを好きになると、むしろ「アンダーグラウンドはかっこいいけど、オーバーグラウンドはカッコ悪い」とかって価値観に、特に若い頃だったらなりそうな気がするんですけど、逆に何でもオッケーになったっていうのが面白いですね。
大高:「いい・悪い」っていう評価軸が溶けたっていうか、「そういうところで判断するものじゃない」っていう価値観に変わったんです。BOREDOMSの後にすごく好きになったのがELLEGARDENだったんですけど、もうその頃はメジャーとかアンダーグラウンドとかも関係ないし、音楽を「いい・悪い」で判断するのがもったいないと思って。
―初めから「いい・悪い」で判断しないで、まずは興味を持って、どんな音楽にでも接してみた方がいいんじゃないかと。
大高:そうですね。そういう風に変わりましたね。
高2の学園祭で、生徒会長のバンドのステージに乱入して、生徒会長のマイクを奪って歌ったんです。
―自分で音楽を作るようになったのはいつ頃からなんですか?
大高:中2のクリスマスに親がSONAR(音楽制作ソフトウェア)を買ってくれて、それを見たとき嬉しくて、涙が止まらなかったんです。それまでDAWとかは全然知らなくて、安い電子ピアノでフレーズを弾いて「これかっこいい」とか言ってるぐらいだったんですけど、その前に僕がチラッと「音符を打ち込んでみたい」みたいなことも言ってたんで、それで買ってくれたんだと思うんですね。それをきっかけに、何が何でも音楽を作ってやろうと思って。
―さっきのcali≠gariとかBOREDOMSの話からすると、まずはバンドに興味が行きそうな気もするけど、そっちには行かなかったんですか?
大高:高校の軽音楽部には所属してたんですけど、その頃は青春パンク全盛期で、話が合う人がいなくて、全然バンドは組めなかったんです。唯一、高2の学園祭で、生徒会長のバンドがトリでBUMP OF CHICKENをやってたときに、僕もバンプ好きだったから、そのステージに乱入して、生徒会長のマイクを奪って歌ったんです。そういうのって人気者がやればウワーってなったと思うんですけど、僕全然友達多い人じゃなかったんで、みんなキョトンで(笑)。
―(笑)。なんでそんなことしちゃったの?
大高:生徒会長がナヨナヨ歌ってるのがどうしても許せなくて……その後、謝りまくったんですけど(笑)。で、ほとんどの人が「まあまあ」みたいな感じだったんですけど、唯一ムードメーカー的な存在だった先輩が、「お前は遠藤ミチロウになれるよ!」って励ましてくれて、それがすごい嬉しかったのを覚えてます(笑)。
―ボカロの曲を投稿するようになったのはいつからですか?
大高:大学に入ってからです。それまでは自分で歌って、泥臭い感じのロックを作ってたんですけど、当時KOKIAとか五輪真弓とか女性ボーカルを多く聴くようになってて、ボーカロイドなら自分の歌ではできない領域のこともできると思って。当時はミクの声に違和感があるっていう人も多かったんですけど、僕はその前時代のLaLaVoice(音声合成・認識ソフト)をなんとなく知ってて、それに比べればミクは全然普通で、さらにその次の鏡音リンの声を聴いて「この人に歌ってほしい」ぐらいの感覚になったんです。
―ニコ動に曲をアップし始めて、どんなことが印象的でしたか?
大高:それまで作ってた曲は、ネットにアップしても聴いてくれるのは10人とか20人とかで、それも同じように曲を作って投稿してる人がお情けで、「いいメロディですね」って反応してくれるぐらいの感じだったんです。最初はニコ動も同じようなものだと思ってたんですけど、実際には1日で100再生とかされてて、それがすごい衝撃で。「これはすぐにでも次の曲を作らなきゃ」って、すごく興奮して、2日間ぐらいまともに眠れず、ひたすら曲を作ってましたね。最初の頃は2、3日ごとに曲をアップしてたんですけど、ストックがあったわけじゃなくて。
―それが最初に言ってたヒッキーの時期ってことですね。
大高:あ、あと僕大学でも軽音に入ってて、そこではコアな趣味の人もいたんですけど、60年代のPファンクとかが好きな渋い趣味の人に、「ボカロ聴くなら、これがお勧めだよ」って言われて。そんな人がボカロを勧めてきたことにまずびっくりしたし、その曲がharuna808さんの曲だったんですけど、割り切れない、その人独自の個性を持った人で、そんな人が3,000人とかに聴かれてて、それもすごく衝撃で。
―コアな人でも、ボカロを通じて発表すれば、それだけ多くの人に聴かれてるっていうのが驚きだったと。
大高:はい、それでそこから辿っていって、なっとくPさんとかにも出会ったり。だから、変な人って初期の頃の方がいっぱいいた気がするんですよね。いわゆるトランス的なものを作る人が大勢いる中に、変な感性を持った人が点在してて、それで僕も「作らなきゃ」っていう衝動に駆られたっていうのも大きかったですね。
音楽が好きで、衝動に駆られてる、十代の子に出会ってほしいCDですね。
―GINGAから初めてのアルバムがリリースされるわけですが、GINGAってボカロのレーベルとしてはちょっと特殊じゃないですか? 作品を発表するときは本名だったり、ジャケットにもボカロキャラクターを使わなかったり。実際、どういう経緯でGINGAから作品をリリースすることになったんですか?
大高:最初は曽根原(僚介 / GINGA主宰)さんに「コンピCDに参加してみないか?」って誘われたんですけど、そのCDが発売した際のネットラジオで、社長に僕の曲を聴かせて、GINGAっていうレーベルを作るオーケーをもらったっていうエピソードを話してたんですね。そのことはそれまで知らなかったんでびっくりしたんですけど、すごく嬉しかったです。でも、最初は……胡散臭いじゃないですか(笑)。
―(笑)。
大高:最初はめちゃくちゃ胡散臭いと思ったんですけど、曽根原さんの話を聞いて、ボーカロイドの表面的なじゃない部分をすごく見てる人だったので、やらせていただきたいと思って。
曽根原:でも最初、大高くんは「俺のは売れないから意味がない」って、すっごい気にしてたんですよ。
大高:そう言うことで、商業的なことを第一に考えてる人かどうか……。
曽根原:試してたの!?
大高:そういうわけじゃないんですけど(笑)。
―まあ、最初は怪しかったけど(笑)、でもボカロPをちゃんとアーティストとして見て、育てることまで考えるっていうレーベルの方針に共感したわけですよね?
大高:逆に言うと、なんでボーカロイドのシーンにそういうレーベルがGINGAしかないんだろうって思うんですよね。ボーカロイドって、インディーズらしい醍醐味が元々あったのに、企業の方は「いかに売るか」っていう、上澄みの部分しか見てない人がほとんどで。その中で、GINGAは一番の醍醐味であるはずの根っこの部分に目を向けてくれてるんです。他のシーンだったら、それが普通だと思うんですけど、ボーカロイドに関してはその普通がないんですよ。
―でも、根っこがないと後々それが弱みになる気がする。オーバーグラウンドなものに対して、アンダーグラウンドなものがあって、初めてシーンって機能するんだと思うし。
大高:そうですよね。今有名なwowakaさんとかハチさんとかも、元々「にゃっぽん」っていう制作者コミュニティーがあって、そこで僕とかとも普通に交流してたんです。そういう制作者の根っこのコミュニティーが2009年ぐらいまでは活発に動いてたんですけど、それがTwitterに移行してなくなっちゃったのが結構痛くて。そこで制作者同士が切磋琢磨して、衝動に溢れる曲が生まれてたんですけど、今はそのつながりがあんまり見えなくて、根っこが細い状態なんですよね。
―大高くんとしては、そういう状況を何とかしたいっていうモチベーションがあると。
大高:僕がアルバムを出すことで何が大きいかっていうと、今までは再生数を稼いでる人が上から順番に引き抜かれてメジャーデビューしてたのに対して、僕はほとんどランキングにも入ってない、そういう人が渾身の一発をCDに込めることで、根っこの呼び水になれるかもしれないっていうことで。本来のインディーズ的な、最初の頃は当たり前にあったはずの「作りたいから作る」っていう、そこが大事だと思うんですね。そういう音楽への衝動を持ってる人が、今のシーンの状態だと、ボカロに興味を持ってくれないと思うんですよ。自分がこれを出すことで、そういう人がボカロに入ってくる可能性にもなるかなって。
―なるほど。
大高:GINGAの活動自体、そういうところに基づいてると思うんです。ただ、椎名もた(GINGAから2012年の2月に作品を発表)さんだったら、まだ実際ヒットしてる方なので、今までの流れと同じようにも見えちゃうかもしれないけど、僕は全く違うところにいるので(笑)、より強いアピールになるかなって。音楽が好きで、衝動に駆られてる、10代の子に出会ってほしいCDですね。
今までは曲を作るのって楽しかったんですけど、このアルバムの話が出てから、すごく苦しかったんです。
―『Eutopia』というタイトルにはどんな意味があるんですか?
大高:タイトルは最後まで悩んだんですけど、最初にジャケットは決まってたんです。
大高丈宙『Eutopia』ジャケット
―大高くん自身が撮ったそうですね?
大高:そうです、18歳のときに撮りました。これ岩盤浴なんですけど、知らない人が見たら、地獄と天国が同居してるような、すごい印象を受ける写真だと思うんですね。
―パッと見だと、人が倒れてるように見えるもんね。
大高:しかも、手前のおじさんが首までタオルを巻いてるから死体のようにも見えて、靴と帽子を隣に揃えて置いてたり、見れば見るほど不思議で。このジャケットに一番しっくりきたタイトルが、『Eutopia』だったんです。
―歌詞は結構トラウマチックだったり、鬱々としてるじゃないですか? それはどういった部分から出てきてるんですか?
大高:日々過ぎゆく中もそうだし、今回の曲作り自体もそうだったんですけど、普段抱えてるもどかしさだったりしますね。今までは曲を作るのって楽しかったんですけど、このアルバムの話が出てから、すごく苦しかったんです。苦痛の中でもがいて、一瞬の快楽をパッと掴むみたいな、そういうSM的な感じで、もがいてももがいても上がれないっていうもどかしさを常に抱えてて、この1年は全然楽しくなくて(笑)。
―それは、呼び水になるだけの作品を作らなきゃっていう自分に課したプレッシャーがあったわけですよね?
大高:そうですね、僕が妥協したものを出しちゃダメだと思って。supercellさんが妥協したものを出しても……ダメなんですけど(笑)、僕が妥協して得する人なんて本当に誰もいないですから。
―特に作るのが大変だった曲を挙げるとしたらどれですか?
大高:1曲目の“空襲の音”は1か月くらいかかりました。普通は曲の中で何小節かループさせるけど、一切音が繰り返さない、配置もシンプルじゃないものっていうのを、「これが1曲目」と思って取り組んだんです。イコライザーを一音一音変えるぐらい細かくやっていって、でもなかなか理想とするニュアンスにたどり着けなくて、もがいてましたね。
―どの曲もいわゆる「ABサビ」っていう定型にはなってなくて、展開とかすごく複雑な一方で、メロディはすごく耳に残りやすいものになってますよね。
大高:元々がB’zとか大好きだっていうのもあるし、あと濃いことをやる人って、メロディーはあんまり重視しない人が多いから、濃いサウンドに、ものすごいキャッチーなメロディーをつけられたらなって思ってて。これまでも時代を塗り替えてきたポップスって、新しい伴奏にキャッチーなメロディーっていうものだったと思うんです。中高生が初めて聴いて、メロディーは耳に残るけど、伴奏は聴いたことがないってすごく大事で、思春期の子にパンチを食らわせたいっていうのはありますね。
―それって、cali≠gariやBOREDOMSに衝撃を受けた自分でもあるわけですよね。
大高:そうですね。もし自分が中学生とか高校生だったら確実に買うだろうっていうものを作りたいっていうのはありますね。
―途中で、「僕のは売れない」っていう話もありましたけど、実際セールスに関してはあまり意識していないわけですか?
大高:最初に話したように数字が好きなので、中学生の頃からオリコンの売り上げ枚数とかチェックしてるんですけど、最近って1週目に売り上げが偏ってるんですよね。ただ、1週目の売り上げで評価が決まってしまうのは悲しいので、そうではなくて、CDを出して、その後じわじわと「こういうのもある」っていうのが、考え方として広まってくれれば嬉しいですね。ボカロのブームが過ぎ去って、今何万枚とかって売れてる人が忘れられたとしても、「あれがあったね」って、思い出されればいいなって。
―「音楽で食う」っていうことは考えますか?
大高:「音楽で食う」っていうのは、それと引き換えに好きなことができなくなってしまうと思うので、どちらかというと、死ぬまで好きな音楽をやっていたいんですね。「好き勝手に」っていうのとも違って、ある程度は聴いてくれる人とやり取りをしたいんですけど、「音楽で食う」っていうのは、やっぱりやりたいことの制御が必要だと思うんです。今ってみんな音楽っていう世界に毛玉を送ってるみたいな感じで、石を投げられない時代だと思うんですね。だから、僕は食うのが最優先ではなくて、シーンに対して異質なものをぶつけられるような、そういうスタンスで活動をしていけることが一番大事なんです。
- リリース情報
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- 大高丈宙
『Eutopia』(CD) -
2012年12月19日発売
価格:2,835円(税込)
WRCR-71. 空襲の音
2. 最初から斜陽
3. ハイブリッド幼女(第二形態)
4. 捨てられた幸福
5. 青黒い穴
6. りゃー
7. 雑踏14
8. mandara berobero haichatta blues
9. 六月病
10. くうきのぐんか
11. フリータイムブランク
12. センセーショナルの翌年
13. mtzv
14. GINGA
15. アリセにかけたい
16. 発火
17. manuscript.org
18. 投薬口
19. 死に体ヤワ
20. 魔ゼルな規リン -recognized edit-
21. レイジースリーピー
22. からっぽの椿象
23. 屠殺ごっこの後で
24. レインコート/憧憬/嫌悪/理解
25. 敗廊の音
26. neuter
27. 日記、日記、日記、白紙
- 大高丈宙
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