遠藤一郎(未来美術家)は巨大なコンクリートの塊と、膨大なエネルギーが燃え盛る東京の夜景を指して、これもすべて自然の恵みだと認めることから始めようとアジテーションした。鎌中ひとみ(映画監督)は、年間1千トンの核燃料廃棄物や、福島第一原発事故、地下鉄サリン事件の当時の様子について、他人との繋がりを消去しようとする東京の人々独自の心理状態を指摘した。また、萱野稔人(哲学者)は、高度経済成長期に乱立された首都高速道路の寿命と大地震の発生確率を掛け合わせたリスクについて、今後のインフラ維持のリソース問題への懸念を問いかけた。
これらは、アーティスト、社会学者、編集者、映像作家、詩人など、様々なジャンルで活躍する人たちが「東京」をテーマに、各15分間のプレゼンテーションを行う『東京事典』の1コマだ。NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト](以下AIT)が、東京都と東京文化発信プロジェクト室と共に、『東京アートポイント計画』のプログラムとして構築する『東京事典』。現在、ウェブサイト上では、40以上の映像アーカイブをすべて無料で閲覧することができる。今回は、AITの小澤慶介、そしてプレゼンテーションに参加した演出家の高山明(Port B)の両氏に、これまでの『東京事典』の映像アーカイブを振り返りながら、それぞれのプレゼンテーションをとおして見えてきた「東京」についてあらためて伺った。
無意識のうちに前提となっている常識に、事典というかたちで一言もの申す。
―そもそも『東京事典』というプロジェクトを始めようと思ったのはどういう理由だったんですか?
小澤:2008年に東京文化発信プロジェクト(『東京アートポイント計画』の母体)が動き出した当初から、僕らAITと何か一緒にやろうという話があって、2009年度と10年度の2年間、『Tokyo Art School』というレクチャーシリーズを開催したんです。畠山直哉さん(写真家)や、毛利嘉孝さん(社会学者)といった人たちに、「東京」を成り立たせている思考や心理、仕組み、社会現象などを読み解くようなテーマで対談をしてもらいました。それが終わって3年目以降、じゃあ次に何をするかというときに、東京をテーマにした「事典」をウェブ上に作れば面白いんじゃないかという案が出たんです。
小澤慶介
―なぜ「事典」だったんですか?
小澤:フランスの思想家ジョルジュ・バタイユが、『ドキュマン』という雑誌のコンテンツの1つとして、辞書を掲載していたんですね。内容を見ると、たとえば「不定形」という項目があって、そこには「唾」や「蜘蛛」と書いてある。つまりそれは、「定形」のように「確かなもの」ばかりを求める、西洋文化の思考体系の裏をかくようなものでもある。バタイユはそうした批評的な辞書を通して西洋の思考体系をひっくり返そうとしていたんです。
―人々の無意識のうちに前提となっている常識に、一言もの申すわけですね。
小澤:僕らも「東京」をテーマにした事典を作ることで、「日本の首都」や「経済の中心」として語られてきた東京だけではなく、これまで私たちの意識にのぼってこなかった東京への視点が、ネガティブな側面も含めてどんどん出てくるんじゃないかと思ったんです。
―すでにオフィシャルウェブサイトでは、40人以上のプレゼンテーションが閲覧できるようになっていますが、この人選はどういう基準で?
小澤:AITのアーティスト・イン・レジデンス(滞在制作)プログラムで海外から来たアーティストや、日本人ではアートだけにこだわらず、高山さんのように今の時代に対して問題意識を持っていそうな表現者や学者の方たちを中心に声をかけています。あと一般公募でも受付をしていて、過去には5名の方に参加していただきました。
あえて迷子になることで、見慣れた街とダイレクトに繋がる体験をする。
―ちなみに、高山さんにプレゼンをお願いした経緯は?
小澤:昨年秋、畠山直哉さんに声をかけようと思って、打ち合わせのために東京駅に行ったら、今凄く面白いやつがいるんだよ、といきなり新橋に連れていかれて(笑)。そのままPort Bの『光のないII』(鑑賞者が実際に都市の中を回遊する演劇作品)を体験させてもらったんです。普段見慣れた新橋の街が舞台になっていて、通り過ぎる人がみんな登場人物に見える。震災はまだ終わっていないと思うけれども、忙しく通り過ぎる人たちはもうすっかり忘れているように見えて、それがかえって現実感を出していました。これは面白いと思ったし、この作品を実現させた高山さんの考えをもう少し聞いてみたいと思ったわけです。
―『東京事典』で高山さんは、分刻みで正確に運行する山手線を引き合いに出しながら、「時間の失調」をテーマにプレゼンされていましたね。
「時間(の失調)」高山明(演出家) from Tokyo Jiten on Vimeo.
高山:精神状態が不安定になったりすると、時間の感覚も壊れてしまいますよね。迷子になるというか……。でもそれによって見えるものもあると思うんです。鎌仲ひとみさん(映画監督)のプレゼンテーションを見ていても感じたのですが、東京に暮らしていると核燃料再処理工場のある青森の六ヶ所村や、福島第一原子力発電所のことが見えなくなる。ただ、自分の足元であるはずの東京で暮らす私たちの姿のほうがもっと見えないのではないか。あるいは、過去や未来は客体化できるのに、「今」を掴むのは凄く難しい。だけど、たとえば知っている街でも、ふっと知らない道に入って迷子になることで、初めて街が街として見えて、モノがモノとして現れてくることがある。周りの景色が新鮮に見えて、自分と周りとの距離が顕在化するようなことがあると思うんですよ。
「内部被ばくと心の糸」鎌仲ひとみ(映画監督) from Tokyo Jiten on Vimeo.
小澤:新橋で体験した『光のないII』では、自分と周囲がダイレクトに繋がって、方角感覚や座標軸が取り払われるような感覚になりましたね。
高山:ただ、迷子になるのって実は難しいんですね。未来に対して迷子になるのは簡単なんですけど、「今ここ」にある自分の姿を距離をとって見るのは難しい。だから戦略的に迷子になるような方法を編み出す必要がある。そういうことを、僕は演劇というメディアを通して探究しているのだと思います。
高山明(port B)
わたしたちが無意識に作り出している街、東京とは?
小澤:1950〜60年代のパリで、ギー・ドゥボール(フランスの思想家・活動家・映画作家)たちが起こしたアンテルナシオナル・シチュアシオニストという前衛集団の運動があるんですよ。そのスローガンは「権力にだまされるな」というもの。彼らは徹底的に、イメージが作り出す既存の社会体制、都市計画などの権威的なものを疑う。既存の地図を解体して、自分たちなりの地図を勝手に作ったりとか(笑)。僕は両国に住んでいるけど、あるときに地下鉄でAIT(代官山)まで来るより、自転車のほうが早く着けるということに気が付いたんですね。「あ、僕はだまされてたな」と思った。東京の地理感覚って、地下鉄の路線図などの地図に依存していますよね。普段目にしている地図とかモディファイされた図案とかによって、私たちの「都市の経験」は縛られてると思うんです。
―『東京事典』でも、田中功起さんが「15分」というプレゼンテーション時間の枠そのものをテーマにすることで、移動時間と距離の関係など、まさに地図を解体するような話をされていましたね。
小澤:東京で打ち合わせをすると、大体「1時間」という枠がなぜか決まっていたりしますよね(笑)。田中さんのプレゼンテーションを聞くと、そういうことに意識が向く。映画やスポーツにしても、目に見えない誰かの手によって時間が決められている。映画の上映時間が軒並み90分になったのは2時間枠のテレビにCMを挟んでピッタリ収まるためだとか、バレーボールのラリーポイント制もテレビの放映時間内に試合が終わるようにするためだったりとか。
「遅さについて」田中功起(美術家) from Tokyo Jiten on Vimeo.
高山:田中功起さんのプレゼンテーションは、それ自体が15分のパフォーマンス作品として完結しているところが面白かったです。終わり方なんて最高でした。また、他の人のプレゼンテーションを見ていても、「今」や「東京」じゃないところに1回出かけていくことで、何かを掴もうとしているように感じました。例えば鎌仲ひとみさんだったら六ヶ所村に行くし、田中さんの「15分」も今、ここにある15分をメタ化してしまう試み。遠藤一郎さんは人工的な東京の夜景を「自然」として読み換えようとする。そして管啓次郎さん(比較文学者、詩人)はもっと過激で……あの映像は外国ですか?
「超自然東京」遠藤一郎(未来美術家) from Tokyo Jiten on Vimeo.
小澤:あれは釧路の湿原なんですよ。
高山:へえー、びっくりですね……。とにかく映像では明らかに東京ではない場所を映している。にもかかわらず、それによって「東京という場所がかつて湿原だった頃」という記憶を呼び起こそうとする。とても刺激的で面白かったですね。
管啓次郎(詩人/比較文学者) 「Uncovering / Walking」 from Tokyo Jiten on Vimeo.
ぐるっと遠回りしてやっと辿り着いたそれぞれの「東京」。
―お二人は「東京」に対してどんな記憶や思いがありましたか?
高山:僕は埼玉の浦和に生まれ育ったんですけど、高校を卒業する頃までは東京にはほとんど来てなかったんですよ。でも海外に行ってからですね。日本の外に出たときに、どこを意識するかというと、やっぱり東京だったりする。
小澤:ドイツに留学されたんですよね?
高山:ええ。5年くらい。ヨーロッパに骨を埋める覚悟で演劇の勉強をしていました。でもその頃、ドイツのルネ・ポレシュという演出家が東京に滞在して、『皆に伝えよ! ソイレント・グリーンは人肉だと』という作品を作ったんです。それを観て、なんでこれを自分がやらなかったんだろうと、とても悔しい思いをさせられたんです。自分は東京に住んでいたにもかかわらず、東京に向き合ってこなかったんじゃないか、と。それで、東京の高島平を題材に『Museum: Zero Hour』という舞台作品を作ったんですけど、その頃から東京と向き合う意識が出てきました。ぐるっと回って「東京」に辿り着きましたね。ずいぶん遠回りしました。
小澤:ぐるっと回って「東京」、という感覚は僕もありました。僕はイギリスに留学して、20世紀の西洋美術史を学びながら、哲学思想や社会学もかじるという横断的なことをやってきたんですけど、そういう他の学問領域を通してアートを読み直すという試みが、東京ではあまりやられてなかったし、キュレーティングを教えるという土壌もなかった。アートに関してロンドンは何でもあるけど、東京は未整備で、できることがたくさんありそうだな、という感じで帰ってきました。それから、2001年に仲間たちとAITを立ち上げ、現代アートの学校『MAD(Making Art Different)』を作ったりしたんです。
高山:ヨーロッパは古い市街地や、商業地区、工業地帯とかの単位でゾーニングされているけど、東京はごっちゃなのが魅力的ですよね。欧米に対して、東アジアの辺境から何が発信できるのかと考えたときに、ハイカルチャーでは幼少期から舞台観て、オペラ聴いてるヨーロッパの人には到底かなわない。だから東京は、混沌としているこの感じとか、未分類で同時生成しているようなところを武器にしていくしかないと思います。東京じゃなくても、日本というか、やっぱ、アジアかな。
―東京もアジアの一都市ですしね。
高山:もう1つ言えるのは、東京って、萱野稔人さんの「高齢衰退都市」をテーマにしたプレゼンテーションにもあったように、明らかにこれから滅びていくと思うんですよ。それを隠蔽しようとしても無理ですよね。おそらく世界的に見てもこれだけ急激に「でっちあげた」街はそうはない。1964年の東京オリンピックのときに、あちこちの川の上に高速道路を建てちゃうという荒業をとにかくやった。そりゃ壊れていくときも凄い勢いで壊れていくだろうと思いますよね。何百年も前の石造りの建物が残っている、地震の少ないヨーロッパではありえないこと。だから東京での創作は、ヨーロッパとはまったく違うものにならざるをえない。僕は滅びていくものとか、小さいものとか、弱いものを掬い上げるような仕事をやっていきたいと思いますし、そこに希望を持っています。
「高齢衰退都市」萱野稔人(津田塾大学学芸学部国際関係学科 准教授/哲学者) from Tokyo Jiten on Vimeo.
小澤:神里達博さん(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教員・科学史)のプレゼンテーションも新鮮でしたよね。日本の体制や文化は、元禄と宝永の大地震という自然災害によって更新されてきたという話で。戦後の高度経済成長はたまたまそうした大災害がなく発展してきて、だから今、東京にこれだけ首都機能や人口が集中しているけど、それで次の大きな地震が来たときに大丈夫なのかというリスク論に神里さんは展開していくんですね。
「文化的/自然的」神里達博(科学史) from Tokyo Jiten on Vimeo.
東京という支配的なシステムにおける、「自分の時間」の見つけ方。
―そんな課題が山積みの東京ですが、「未来」についてはどんなふうに考えていますか?
高山:僕は「生活者としての未来」と「表現者としての未来」は区別しなくちゃいけないと考えています。たとえば、東京に住めばいいのか、逃げたほうがいいのか、という生活者として未来を見据えた選択肢はありうる。ただ表現者としては真逆で、僕は「未来からの視点」は、あえて排除してしまったほうがいいと思うんですね。人間には常に「現在」をすっ飛ばして「未来」を考えてしまう傾向があると思います。政治や経済では確かにそれが必要なんだけど、僕らみたいにアートや演劇に関わっている人間は、むしろ「過去」や「現在」に見落とされがちなものに気付き、それを拾い上げながら、一見「未来」に役立たないように見えるものを作りあげていくほうに、荷担すべきなんじゃないかなと強く感じます。
小澤:「過去 / 現在 / 未来」という発想自体が極めてユダヤ・キリスト教的な考え方で、そういうフレームに縛られていると、オルタナティブなことを考えられなくなるかもしれない。既存の時間の枠組を疑って外していくことで、自分の主体性を回復できると思うんです。例えば高山さんのプレゼンテーションでは、山手線がきっかり時間通りに運行するという東京の時間感覚に乗れない人が、そこに飛び込むことによってその時間を遮断するという話をされていましたけど、それは「現在」という時間の政治性をよく表していると思います。支配的な時間の流れに対して、小さいながらも介入して止めるという……。でもそうじゃない「自分の時間」の見つけ方があると思うんですよね。
―『東京事典』で繰り広げられる皆さんのプレゼンテーションを見ていて、もし共通言語があるとしたら、それは東京に対する一種の危機意識かもしれないと思いました。
小澤:19世紀末のフランスの動きを追うと、ランボーやボードレールといった世紀末の思想はいろんなジャンルで共有されていたんです。実際それは今の東京にもあると思います。『東京事典』を続けていくうちに、これからの30年をどうやって生きていくのかなど、もう少し多くの人と意見を交わしてみたいなと思うようになりました。これからも東京に対して、どんなプレゼンテーションが見られるのか楽しみにしています。
『東京事典 TOKYO JITEN』
東京文化発信プロジェクト『東京アートポイント計画』
5コマから学べる現代アートの学校「MAD」 2013年度4月開講のご案内
オンラインで学べる無料レクチャー「FREE MAD」
- リリース情報
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- 『はじまりの対話―PortB「国民投票プロジェクト」 現代詩手帖特集版』
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2012年11月10日発売
著者:
高山明(著・監修)
赤坂憲雄
辻井喬
濱野智史
原武史
吉増剛造
吉見俊哉
和合亮一
ハンス=ティース・レーマン
斉藤斎藤
山田亮太
磯崎新
今井一
鴻英良
桂英史
川俣正
黒瀬陽平
今野勉
谷川俊太郎
価格:2,520円(税込)
発行:思潮社
- プロフィール
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- 高山明 (port B)
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1969年生まれ。演出家。2002年ユニットPort B(ポルト・ビー)を結成。既存の演劇の枠組を超えた活動を展開している。『Referendum―国民投票プロジェクト』『サンシャイン62』『東京/オリンピック』(はとバスツアー)『個室都市東京(京都、ウィーン)』『完全避難マニュアル 東京版』『光のないII―エピローグ?』など現実の都市や社会に存在する記憶や風景、既存のメディアを引用しながら作品化する手法は、演劇の可能性を拡張する試みとして、国内外で注目を集めている。
- プロフィール
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- 小澤慶介
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1971年生まれ。ロンドン大学ゴールドスミスカレッジにて現代美術理論修士課程修了。 これまでに、ビデオアートのグループ展『paradise views 楽園の果て』(2004)や実験的な美術館プロジェクト『おきなわ時間美術』(2007)、アートの実践をとおして環境を考える『環境・術』(2008)などの企画・制作指揮を行う。女子美術大学非常勤講師。
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