孤立を恐れず世界の中へ 宮本亜門インタビュー

窪塚洋介が、20世紀を代表する芸術家「イサム・ノグチ」を演じ、共演に美波、ジュリー・ドレフュス、小島聖などの実力派俳優を迎えた舞台作品『iSAMU』。演出の宮本亜門は今作の舞台化のため、3年間に2回のリーディングを行ってその度に大きく手を入れ、ついには脚本に自ら参加したという熱の入れようだ。

彫刻家、画家、インテリアデザイナー、造園家、陶芸など複数のジャンルをまたいで活躍し、それぞれの場所で偉大な功績を残したイサム・ノグチ。宮本はなぜこれほどまでに今、彼に突き動かされているのか。稽古初日を目前に控えた宮本に、そのモチベーションの芯にあるものは何か、じっくりと話を聞いた。

CINRA.NET > 導かれてここまで来た 窪塚洋介インタビュー

イサム・ノグチに触れないまま、僕は次の創作へは向かえないと考えるようになったことが、今作品の出発点でした。

―亜門さんが実現を熱望し、何年越しかで立ち上げるプロジェクトはこれまでもあったと思いますが、『iSAMU』では演出だけでなく脚本にも参加されるなど、かなり力を入れていると聞いています。そもそも、イサム・ノグチというアーティストに惹かれたきっかけは何だったんでしょうか?

宮本:僕のおじいちゃんが、うどん県こと香川県出身というご縁もあるのですが、通い始めたのは10年以上前の夏。高松にあるイサム・ノグチ庭園美術館に初めて行ったとき、イサムに完全に魅せられてしまいました。彼の作品は前から興味を持っていたんですが、その美術館はイサムが晩年ぎりぎりまで作品を作っていたという場所で、そこで感じた感動があまりにもすごかった。作品もさることながら、さっきまで彼がそこにいたんじゃないかと思うくらい、熱い創作の魂みたいなものが残っていたのです。

宮本亜門
宮本亜門

―イサムの作品の、どのような部分が印象的でしたか。

宮本:イサムの作品は、似ているものがほとんどないんですね。芸術家の中には、自分のトレードマークみたいな作品を生み出したら、それと似たものを作り続ける人がたくさんいるけど、彼は毎回違う素材、違うジャンルで、違う作品を作っている。作品の数も多く、その時代、そのときの彼の思考に応じて創作しています、それも地球規模で。それで「この人は一体何なんだろう?」と思い始めて、彼が住んでいた家に行ってみたら、飾ってあった生前の写真と目が合ってしまい、グワッと睨まれた気がしたんです(笑)。そのあと落ち込んだんですよ。「イサムに比べて、自分のもの作りはなんて中途半端なんだろう……」と。そして帰りの車の中で、この人に触れないまま、僕は次の創作へは向かえないと考えるようになったのが、今作品の出発点でした。

―作品と、アーティストとしての迫力と、どちらにも強いインパクトを受けた?

『iSAMU〜20世紀を生きた芸術家 イサム・ノグチをめぐる3つの物語〜』ポスター
『iSAMU〜20世紀を生きた芸術家
イサム・ノグチをめぐる3つの物語〜』ポスター

宮本:まず強く惹かれたのは、彼には、アメリカと日本の血が流れているという点です。父親は野口米次郎という詩人ですが、婚外子で父親は他の家族を持っていて、アメリカ人の母親とほとんど2人暮らし。ですから彼は日本とアメリカの両方で育ちました。また、第二次世界大戦が始まると、自ら志願して日本人強制収容所に入所するけれども、そこではアメリカ側のスパイだと疑われて、出所しようとすると今度はアメリカから拒否される。終戦後、広島の平和記念公園のモニュメントを設計する仕事に選ばれたのに、原爆を落としたアメリカの血が流れているということで却下され、その後、アメリカ大統領の慰安碑を設計したときは、日系人だからと落選した。人種のことで拒まれ、安住できない人生を送っていたんです。

―時代や社会にかなり翻弄された芸術家でもありますね。

宮本:それでも彼は、たとえば破壊があった場所や荒れている土地に何か作品を置こうとするんですね。それは「記念碑」なんていう生易しいものじゃなくて、それを置くことでその土地自体を変えていく、その土地に暮らす人々の心に触れようとし、影響していく強さのあるものばかりなんです。そのために、石でも鉄でも徹底的に素材と向き合う。彼自身は「地球を彫刻する」という言い方をしていましたけど、見方によってはとても悲惨な人生を送っていながら、作るということに対して非常にどん欲で、大きな目的を持っていた人だと思います。そして次第に地球規模で人類を考えていった。そういう人ってなかなかいないじゃないですか。

イサムを知っている人たちに話を聞くと、あんなに優しい人はいないと言う人もいれば、怖かったと言う人もいて、両極端なんです(笑)。

―今作品では、単にイサム・ノグチの物語をたどるのではなくて、彼の思想遍歴も大きくフィーチャーされそうですね。

宮本:彼は何をもって作品を作ろうとしていたのか、彼の作品はどんなふうに人々に影響を与えたのか、なぜ人はものを作り続けるのか、なぜ人類は戦争をするのか、なぜ子どもを産むのか、なぜ恋愛がそこにあるのか……。そんな根源的な問題も絡めています。彼に影響を与えたマーサ・グラハム(モダンダンサー)や、宇宙船地球号を提唱したバックミンスター・フラー(思想家・デザイナー)を見ていても、これからあるべき人類の未来にすごくつながっている気がするんです。特に大震災以降、われわれはどうしたらいいのかを考えたときに、イサムの考え方は非常にヒントになるんですね。彼は七転八倒しながら生きた人ですけれども、地球や未来に対する考え方はかなり大局観かつ的確で、そういうところに触れる度、一段と強くイサムに惚れ込んでいきました。

宮本亜門

―完成している脚本は、イサム、母のレオニー、ただひとり正式に結婚して離婚した女優の李香蘭(りこうらん・本名:山口淑子)、イサムとは直接関係のない現代に生きるキャリアウーマンという3人の女性を中心にした構成だと聞いています。そういう形を選んだ理由は?

宮本:イサムと3人の女性という形になったのは結果的で、最初から決めていたわけではありません。でもリーディングを2回やってみて強く思ったのは、やっぱり彼の過去をある程度きちんと描くことの必要性でした。特に、イサムに創造的自由な考えを教え込んだ母親、恋多き男だった彼が唯一結婚して一緒に日本で暮らしていた山口淑子は重要です。と同時に、彼が今を生きる僕らにどういう影響を与えているのか、壁にぶつかって必死にもがいている人がイサムの作品に出合ったときに何を感じるのか。そういう現在も描かないといけないと思い、現代の世界で生活する、イサムとはまったく面識のない女性を登場させました。

―インド人の女性とも運命的な恋をしたり、彼の周りにはいつも女性がいたようですね。

宮本:男性として魅力的だったということもあるのでしょうが、でもどこか女性的で繊細な部分も彼の中にあって、それが彼女たちを引き寄せた面もあるのではないかと僕は思います。イサムの晩年を支えていた女性がニューヨークにいらして、彼女とも会いました。95歳のおばあちゃんなんですがお元気で、イサムが亡くなってから25年も経つのに、まるで昨日のことのようにいろんな話をしてくださいました。彼のことを話すときの彼女の目がたまらなかった。人はこんなにも誰かに惚れ込むことができるのかと思い知らされるような美しい輝きでした。

―今作品のため、イサムと面識のあったいろんな方と話をされたそうですね。

宮本亜門

宮本:驚いたのが、人によって印象の落差がとにかく激しい。「あんなに優しい人はいない」「すごくヒューマンな人だった」と言う人もいれば、「嫌な奴だった」「怖かった」と言う人もいて、両極端なんです(笑)。きっとイサムは、社交辞令をする適度な感じが無く、よほど生(なま)の姿で生きていたということなんでしょうね。どんな人に対しても本当の自分をさらけ出したし、ものを作っているときは集中して入り込んでいた。それは生きることへの真剣さの証だと僕は思います。


―イサムの多面性は作品を観ていても感じます。非常にメッセージ性の強い強烈な彫刻作品と、ユニバーサルで使い勝手のいいインテリア作品は、とても同じ人が作ったとは思えません。単純過ぎる二分法かもしれませんが、人の心に深く刺さるものを生み出す優れたアーティストでありながら、人の体や生活に優しく馴染むものを作る優れたアルチザンでもあったんだなと思います。

宮本:その通りでしょう。いくつかの作品では、たとえば奴隷制度やキング牧師暗殺に対して、怒りや苛立ちをぶつけているものがあります。一方でインテリアの『AKARI』シリーズでは、紙や木を組み合わせて、どんな住空間にも合うような、なおかつ、生活者が豊かな気持ちになるある種の彫刻作品を作った。しかも大量生産できるんですよね。それはある意味、怒りを超越した眼差しで、一種の理想主義だったのかもしれないけど、いろいろなアプローチで人間に語りかけようとしていたんだと思います。ちょうど今、オーストリアで上演するオペラの『魔笛』の稽古をしているんですけど、モーツァルトにもイサムと似たものを感じます。聴けば聴くほど、知れば知るほど、神学的に美しい組曲なんだけど、最後の最後にモーツァルトはタブーを書き込む。二面性を持ち込むんです。よく知られていますけどモーツァルトも変な人だったらしくて、人間的には破綻していたんでしょうけど、作品は本当にシンプルな美しさを持っている。そういう人に僕は惹かれるんでしょうね。

孤立を恐れず世界の中に入り込んでいける人を僕は尊敬するし、強く惹かれる。

―亜門さんの琴線に触れる人物には、現状の世界に馴染めない、あるいは越境者という共通点があると思います。昨年の『金閣寺』しかり、遡ると『香港ラプソディ』(1993年)しかり、多くの人が無意識のうちに獲得している帰属の場所や安心感を得られず、周囲との違和感をずっと抱えている。

宮本:周りから見て、何を考えているのかわからない人には往々にして共鳴するところがあります。むしろ人間は一人ひとり違うのに、最初から苦労せず世界に馴染めている人のほうが僕にはわからないんです。馴染むことを目的としていない人は、どうしたって孤立せざるを得ない。でも、孤立を恐れずにその中に入り込んでいける人を僕は尊敬するし、強く惹かれる。

―歴史を振り返ってみると、その国や時代に合わない生き方をせざるを得なかった人が、結果的には国や時代を引っ張って、大きな影響を与えているケースが少なからずあると思います。ただ、そういう人が評価されるのは大抵、亡くなってからのほうが多いですけど。

宮本:イサムは生前から評価されてはいましたが、いろんな場所に行ってはその土地の政治家や、地元の人たちと話し合い、またやり合い、僕らが想像つかないくらいの非難を受けたこともあったと思うんです。そんな中でも次々と作品を作っていったところに勇気を与えられます。僕が睨まれたと感じた写真の目は、そういう孤独や孤立を経験しながらも、何もごまかさず、90歳になってもギラギラした少年のような気持ちで作品を作った人間だけが持てるものなんでしょうね。

―そして今作品では、その孤独と信念、芸術への希求を持ち続けたイサムを窪塚洋介さんが演じられることになりますね。

宮本:そもそも、イサムは今の日本では比較できないような日常の枠を完全に越えている生き方をしてきただけに、キャスティングにはかなり悩みました。まだ稽古が始まってないので、細かい印象について言えなくて申し訳ないんですけど、彼も以前からイサム・ノグチに興味があったそうなんです。それにきっと彼は見えないものに対する関心が高い人だから、その点でイサムと響き合うんじゃないかな。実際のイサムを正確になぞるだけでなく、演じ手の存在感も必要になる作品だから、そこの化学反応も楽しみです。

窪塚洋介 撮影:尾嶝太
窪塚洋介 撮影:尾嶝太

―ちなみに、『iSAMU』の「i」だけが小文字なのはなぜでしょうか?

宮本:自分自身という意味での「i」と重ねたかった。自問自答なんです。イサム自身の人生がずっと「自分は何者なんだ?」という問いかけの連続だったと思うし、観てくださる方に対してもクエスチョンを投げかけたいんですね。それをテーマと言ってしまうと、簡単にまとまり過ぎてしまいますけど、自問自答はこの作品を貫く柱になっています。

―それは当然、亜門さんご自身の自問自答でもあるわけですね。

宮本:もちろんです。やっぱり作品で実在の芸術家を扱うのって、いつも以上に緊張しますよ。絶えず「お前はどうなんだ?」と問われているようで。それに、もうちょっと昔の人だったらまだしも、イサムは本人を直接知っている人が多いので「それは違うよ」と言われやすい。かと言って、本人や周囲に気を遣い過ぎるのは嫌なので、僕がイサム・ノグチという人を通して考えたこと、考えていきたいことを「僕はこう思いますが、どうでしょうか?」と投げかけていきたいと思っています。

イベント情報
パルコ劇場40周年記念 パルコ・プロデュース公演
『iSAMU〜20世紀を生きた芸術家 イサム・ノグチをめぐる3つの物語〜』
パルコ劇場40周年記念 パルコ・プロデュース公演
『iSAMU〜20世紀を生きた芸術家 イサム・ノグチをめぐる3つの物語〜』
プロフィール
宮本亜門 (みやもと あもん)

演出家。1958年、東京都生まれ。演出家デビュー作『アイ・ガット・マーマン』で文化庁芸術祭賞を受賞。2004年、ニューヨークのオンブロードウェイで、初めての東洋人演出家として手がけた『太平洋序曲』がトニー賞4部門にノミネートされる。ストレートプレイ、オペラ、歌舞伎など、幅広いジャンルで活躍。KAAT神奈川芸術劇場芸術監督。



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