アフリカの大自然と野生動物との営みを、一瞬のシャッターチャンスを逃さず捉えるネイチャーフォトグラファー・山形豪。過酷な自然に生きる動物たちの伸び伸びとした姿態や緊張感に溢れた表情は、都会に暮らす私たちがけっして目にすることの出来ない美しさに満ちている。
日本に生まれながら、日本人には馴染みの薄い第三世界、アフリカを中心に海外生活を営んできた山形豪は、なぜネイチャーフォトグラファーになったのか。野生動物たちを撮った写真で、私たちに何を語りかけようとしているのか。フジフイルム スクエアで開催中の写真展『生(ライフ)〜写真がとらえる野性〜』への参加を機に、世界を股にかけて活躍する写真家の視点から、失われゆく世界の大自然と日本の今、動物を撮るということについて、お話を聞いた。
ネイチャーフォトは日本に限らず、それだけで食べていくことはほぼ不可能なんです。
―アフリカの大自然や動物を撮影する、ネイチャーフォトグラファーの方にインタビューさせていただくのは初めてなので、今日は興味津々でお話を伺わせていただきます。
山形:あはは、そうですか。こちらこそ、お手柔らかにお願いします(笑)。
―今、山形さんは、日本とアフリカをどの程度の間隔で行き来されているんですか?
山形:僕の場合、だいたい1年のうち9か月は婚礼カメラマンなどの仕事で取材費を蓄え、残りの3か月でアフリカに行って、すっからかんになって帰ってくる、その繰り返しです(笑)。ネイチャーフォトは日本に限らず、それだけで食べていくことはほぼ不可能なんです。そんなに作品が売れるジャンルでもありませんし、1枚撮るためにかなりのお金と時間が掛かります。たとえば、南アフリカに3か月撮影に行くと、100万円くらいの経費が必要ですが、撮った写真を全国誌の見開きグラビアに使っていただいても、数十分の一が回収できるかどうかなんですよね(苦笑)。
喉を潤すチャクマヒヒ マシャトゥ動物保護区/ボツワナ ©山形豪
―そうなんですね。逆にそんな環境でもアフリカでの撮影を続けられている山形さんに興味が湧いてくるのですが、経歴を拝見すると、幼少からのほとんどを中米やアフリカといった第三世界の国で暮らされていて、日本にはいなかったという……。
山形:はい。生まれは群馬県ですが、父親が昆虫学者で、JICA(国際協力機構)で働いていまして、2歳半から幼稚園までを中米のグアテマラで過ごしたんです。で、小学校入学前に一度日本に帰国した後、入学式の翌日くらいには再びグアテマラに飛び立ち(笑)、さらに3年ほど過ごしました。小学4年生で東京に戻りましたが、5年生の後半からは、今度は西アフリカのブルキナファソ、中学3年間はトーゴでした。トーゴは元フランスの植民地で、国中を見渡しても日本人がほとんどいない国。さらにそこの田舎で、地元のキリスト宣教団の学校に通い、フランス語で授業を受けていました。
―いずれも、日本ではあまり聞き馴染みのない国ばかりですが、そんな中、高校受験からは日本に戻られたそうですね。でも、大丈夫だったんですか……?
山形:いや、もう大変でしたね(笑)。中学3年の夏に帰国して、東京の公立中学に転入したんですが、育ってきた環境が全然違うから完全に浮いているし、どうしても異質なものとして扱われるから、いじめも酷いし。受験シーズン真っ盛りだから、学力的にも全くついていけない。で、これからいったいどうするんだ? ということになり、唯一進学できそうだったICU高校(国際基督教大学高校)に進学したんです。
―ICU高校は、帰国子女の人が生徒の大半をしめる学校ですよね。
山形:ただ、ICUのような環境でも、僕は全く馴染めませんでした(笑)。帰国子女とはいえ、ほとんどがアメリカやイギリス帰り、せいぜい西ヨーロッパかオーストラリアです。いじめこそありませんでしたが、第三世界の国で育ってきた僕とは、そもそも価値観が全然違った。また、スペイン語とフランス語しか話せなかったので、生徒の多くが日常的に英語を話す環境には、どうしても馴染めず。そんな感じだったので、大学に進学する気にもなれず成績も最低レベル。常に違和感を感じていましたね。
イカナゴを巣に持ち帰るニシツノメドリ ファーン諸島/イングランド ©山形豪
―日本という単一化された世界の中では居場所がなくて、本当に苦痛だったんですね。
山形:まさにそうでしたね(苦笑)。でも、高校3年の終わり頃、父親のタンザニア赴任が決まったんです。物心ついたときからずっと昆虫学者の父について遊んでいたので、世界のどこにいようと自然さえあれば楽しかった。ところが日本には居場所だけでなく、その自然すらない。将来のビジョンも持てなかった僕は、「アフリカに戻れる」という一心で、喜んで父についていきました。ネガティブな日本での思い出、その反動が僕をアフリカに駆り立てたんですね。
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僕が生きるためには、アフリカが必要なんです。
僕が生きるためには、アフリカが必要なんです。
―そんな山形さんが、初めてカメラに触れられたのはいつだったんですか?
山形:父が学生時代に使っていた一眼レフを小学生のときに譲り受けたんです。トーゴやブルキナファソでは自然がすごく豊かな環境だったので、庭にやってくる鳥や近くの川の生き物を捕まえて飼っていました。だけど、動物たちは遅かれ早かれ必ず死んでいく。しかし、カメラでその動物たちを撮影しておけば、生きていたときの姿を写真にとどめておけることに気付いたんです。いつしか動物を飼うことに抵抗を感じるようになり、野生動物の写真を撮ることに、より興味を持つようになっていきました。
砂漠の道を行くキリンの家族 カラハリトランスフロンティアパーク/南アフリカ ©山形豪
―実際にネイチャーフォトグラファーとしてやっていこうと決めたのは、どういうきっかけがあったんですか?
山形:父親のタンザニア赴任を機に念願の日本脱出を図った後、国際バカロレア(※国際的な大学入学資格)を取るため、インターナショナルスクールに通いました。そこで6科目を選ぶのですが、その1つとして美術を選んだんです。絵はダメだけど……僕にはカメラがあるなと(笑)。その頃、タンザニア北部にある世界遺産・ンゴロンゴロ保全地域に行ったんですが、キリンや象、ライオン、カバ……、これまで見たことのないような大型動物がたくさん目の前にいて、ぶっ飛ばされたんです。夢中になってシャッターを切り、そこで撮った写真を担当教官に恐る恐る見せてみたら、「お前は2年間写真でやってみろ」と言われ、カメラと動物写真を専門的に勉強するようになりました。
―そこからは、好きこそものの上手なれ……で?
山形:そうですね。動物写真はもちろん、学校のアルバム作りのために人物写真も撮るようになりましたし、有名な写真家からいろんなアドバイスをもらう機会もあり、だんだん自信がついていったんです。大学では父親のようにアフリカで働ける仕事がしたいと思い、イギリスで開発関係の勉強をしましたが、とはいえ、やはり気持ちは動物写真に向いているので、しょっちゅう父親のいるタンザニアに戻っては写真を撮りまくり、結局卒業後はネイチャーフォトグラファーとしてやっていくために、日本に帰ってフリーカメラマンを名乗ることにしました。
威嚇するオスのアフリカゾウ クルーガー国立公園/南アフリカ ©山形豪
―過去に馴染めなかった日本に戻って、いきなりフリーカメラマンとして働くなんて、大変な選択ではなかったですか?
山形:右も左も分からないまま、アルバイト情報誌で見つけた婚礼カメラマンの仕事を始めることになったんですが、当時のお客さんには本当に申し訳ないことをしたと今でも思っています(苦笑)。でも、当初は生意気にも「アフリカ撮影費のため」と思っていた仕事だったんですが、続けているうちに、動物と同じように人を撮ることも楽しいと思えるようになってきたんです。
―2005年の『エプソンカラーイメージングコンテスト』で、山形さんがグランプリを受賞した作品は、アフリカのヒンバ族の女性を撮った作品でしたね。
山形:そうなんです。だから振り返ってみれば婚礼カメラマンの仕事は、フォトグラファーとしての幅を広げるきっかけにもなっているんですよね。その他にも動物写真のテキストを書くようになったり、連載をさせていただいたりと、好きな動物写真を撮りながら、どんどん仕事の幅が広がっていきました。動物写真を撮り始めて20年ほどになりますが、最近やっとネイチャーフォトグラファーを名乗ってもいいと思えるようになった気がします。
―大自然や動物たちから、人間が学ぶものも多いと思いますが、山形さんが教えられたことはありますか?
山形:命を維持するのがどれだけ大変で、どれだけ単純なことなのかというのはよく分りますね。食えなければ死ぬ、食えれば明日まで生き残る。食う側も必死だし、食われる側も必死。同じ猛獣同士でも、縄張り争いに負ければ死が待っていたりもする。そして、そこに張り詰めた緊張感があるからこそ、命には一瞬の輝き、美しさがあるんですね。僕が写真を撮らせてもらっているアフリカ南部のヒンバ族も、かなりギリギリの生活をしているのですが、非常に凛々しいですよね。厳しい環境で生きている緊張感と自信、遊牧民を続けているというプライドが、彼らを美しくしているんだと思います。
ミミヒダハゲワシに威嚇されるセグロジャッカル エトシャ国立公園/ナミビア ©山形豪
―山形さんのこれまでのお話を伺っていると、紆余曲折の人生そのものがサバイバルみたいにも思えます。
山形:そうかもしれないですね(笑)。サバイバルとはつまり生き残ること。好きなこと、やりたいことをやり続けていれば、周りから競争相手が勝手に消えていく……どうやらそういうことらしい、というのが最近になって分かってきました(笑)。
―なるほど(笑)。
山形:自分の「やりたいこと」が見えきっていない人は、どこかで現実に負けてブレていってしまう。たとえば結婚して守るべき家族を持つと、どうしても僕がやっているような仕事は続けるのが難しくなってしまいますよね。周りにも前例が山ほどいました。だから僕は「家族を持つ」という選択肢をシャットアウトしてでも、アフリカの自然を追うことを選びました。同時に、毎年アフリカの自然に戻れるという実感があるから、生きていけているんじゃないかとも思うんです。僕が生きるためには、アフリカが必要なんです。それはとても幸せなことだと思いますし、その幸福感が写真に表れたらいいなと思いますね。
朝日を浴びるオスライオン カラハリトランスフロンティアパーク/南アフリカ ©山形豪
―山形さんの写真や生き方から、「自然」そのものを感じて欲しいと。
山形:実際は人間も自然の一部なんですよ。けっして「人間界」と「自然界」が分かれているわけじゃないし、自然は人間が上から目線で「守るべき」ものでもないんです。自然があるからこそ人間は生かしてもらえる。だから、僕の写真が「自然とは実際どういうものなのか?」を感覚的に知るキッカケになってくれれば嬉しいです。「この世界は非常に美しい」「生きていられることは、これだけ幸せなんだ」ということを写真で表現し、「その美しい世界に目を向けてみませんか」と伝えたい。そして、実際に自然の中に身を置いて、その美しさを肌で感じ、自分の感覚として自然を読み取っていただきたい。テレビやインターネットの情報で世界を知った気分になるのではなく、皮膚感覚としての自然観を取り戻して欲しいんです。
人間の身体はよくできたもので、住む環境にすぐに対応してしまう。
―都会の生活に慣れきった私のような人でも、そういった自然に対する皮膚感覚は取り戻せるものなんでしょうか?
山形:感覚の鋭さは人によるので何とも言えませんが……。自然観というのは理屈で学べるものじゃないと思うんです。子供の頃に泥まみれになって虫を捕ったり、ときには虫や小動物をもて遊んで、命の儚さを思い知ったり、そういった原体験があって初めて身につくものじゃないですか。でも、都会と大自然を行き来することで起こる身体の変化は、誰にでも感じられると思います。都会では雑音や匂いが強すぎて、人間はある程度五感をシャットダウンしないと、まともには生きていけないんです。人間の身体はよくできたもので、住む環境にすぐに対応してしまう。
コロニーに集まるケープカツオドリ ランバーツベイ/南アフリカ ©山形豪
―それは、たしかに自覚があります。
山形:でも、アフリカの大自然に触れると、嗅覚や聴覚は確実に研ぎ澄まされます。アフリカ帰りの飛行機で成田上空に差し掛かると、急にスモッグの匂いが感じられたり、アフリカでミュージックプレイヤーを鳴らすと、日本と同じ音量では頭痛がするほど大きく感じられたり……。アフリカでは夜、ライオンやハイエナの鳴き声を聴きながら、それが何メートル先にいるのかを判断しなければならない世界。だから、全ての感覚を研ぎ澄ませられるように、身体が勝手に対応していくんですね。その代わり東京に戻った瞬間、それらは全部シャットダウンされる。そうしないと逆に頭がおかしくなってしまうんでしょうね。
―そんなに変わってしまうものなんですね。
山形:おそらくそれは僕だけじゃなく、旅行者の方でも一緒です。もともと持っている身体能力が、大自然の中で元に戻っていくんだと思いますよ。
インパラを食べるヒョウ マシャトゥ動物保護区/ボツワナ ©山形豪
僕はとにかくアフリカの大自然の中にいることが一番幸せです。あの世界が無くならないで欲しいという願いがある。
―アフリカの人たちにとっての自然とは、また日本人の感覚とは全然違うものですか?
山形:あちらは完全にサバイバルの域に達していますよね。たとえば、今でも遊牧を続けているマサイ族にとってのライオンは、自分たちの財産である牛を食べてしまう存在。畑を耕している人たちにとって、1頭の象は畑を全滅させてしまう危険な存在です。我々の「野生動物を守ろう」というイメージとは完全にギャップがあります。
―象やライオンは、必ずしも守るべきものだけではないんですね。
山形:さらに我々と彼らの中間には、アフリカの都市部に暮らし、西洋教育を受け、スーツを着てサファリ産業に従事しているアフリカ人もいます。彼らにとっての象やライオンは資源なんですね。そこに象がいれば、外国人観光客がやってきてお金を落としてくれる。もう1つの自然観がそこにあるんですよ。そういった何層もの複雑な構造を背景にして、僕らのような外国人がサファリに行き、象やライオンに感動しているんです。
獲物を食べたばかりのリカオン サビサビ動物保護区/南アフリカ ©山形豪
―「アフリカの自然」と一言で言っても、いくつもの矛盾を抱えているんですね。
山形:その状態が良いか悪いかというのは、非常に難しい問題だと思います。アフリカでは爆発的な人口増加が起きていて、農業を営む人間、牧畜を営む人間、野生動物の3者が完全に共存することが、もはや維持できなくなっている。昔なら、遊牧民のエリアにライオンは近づかず、野生の象は畑に近づかなくても生活できていましたが、今は3者を共存させられる広さの土地がもうありません。畑に囲まれて生きるしかない象は、どこかの畑を荒らして食べ物を調達するしかないし、畑の所有者はゾウを殺したいと考える。ましてや象牙は外国人に高く売れる。いくら汗水たらして農業をやっても、象牙1本分のお金すら手に入らないのですから、なおさらですよね。
―となると、アフリカの自然環境を守るためには人間を排除しなければならない?
山形:少なくとも、僕が撮影に訪れている自然公園の中に人間は住んでいません。何故なら、もともとそこで暮らしていた人たちを追い出しているから……。残念ながらそうするしかないんです。でも、観光産業の視点から言えば、そういう図式は見せたくない。我々外国人が感動にうち震えるサバンナは、動物たちが暮らす大自然でなければならないんです。「実はここにはたくさんの人が住んでいたけど、全部追い出したんです」とは言えないですよね(苦笑)。
日向ぼっこをするミーアキャットの家族 カラハリトランスフロンティアパーク/南アフリカ ©山形豪
―今伺ったお話でいえば、旅行者にとってもアフリカの人たちにとっても、大自然や野生動物に向き合うことは、かなりアンビバレンツな状況になってしまっていると考えられますね。
山形:そうなんです。……でも、僕はとにかくアフリカの大自然の中にいることが一番幸せです。あの世界が無くならないで欲しいという願いがある。あそこでずっと写真を撮り続けたいんです。
―ネイチャーフォトグラファーというのは、山形さんのような強い情熱と意志がなければ、なかなか続けられないお仕事なのかも知れませんね。そして、そんな山形さんの写真が、東京・六本木のフジフイルム スクエアで開催されている『生(ライフ)〜写真がとらえる野性〜』展で拝見できるそうですね。
山形:今回の展覧会に声を掛けていただき、本当にありがたいと思っています。「生(ライフ)」がテーマとのことだったので、アフリカに生息するほ乳動物を中心に、イギリスで撮った海鳥、インドで撮った動物写真なども展示させてもらっています。見どころは……僕の写真だとシマウマですね。高さ2メートル以上もあるプリントに焼きましたので、かなりの迫力を感じていただけると思います(笑)。他のフォトグラファーさんも、海中写真で有名な鍵井靖章さんだったり、アラスカからアフリカまでを股にかける前川貴行さんだったり、北極圏の写真が得意な松本紀生さんだったりと、バラエティーに富んだ内容が楽しめると思います。同じアフリカの動物写真でも撮る人によってテイストは全然違いますし、写真にはフォトグラファーのキャラクターがどうしても出ますから、そこも楽しんでいただきたいですね。
- イベント情報
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- 『FUJIFILM SQUARE 企画写真展「生(ライフ)〜写真がとらえる野性〜」』
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2013年11月15日(金)〜12月4日(水)
会場:東京都 六本木 東京ミッドタウン・ウェスト フジフイルム スクエア
時間:10:00〜19:00(入館は18:50まで)
出展作家:
鍵井靖章
前川貴行
松本紀生
山形豪
料金:無料『写真でとらえる野性』トークショー
2013年11月30日(土)14:00〜15:30(開場13:30)
会場:東京都 六本木 東京ミッドタウン・ウェスト フジフイルム スクエア2F
出演:
鍵井靖章
前川貴行
松本紀生
山形豪
定員:150名(要事前予約)
料金:無料
- プロフィール
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- 山形豪(やまがた ごう)
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1974年、群馬県高崎市生まれ。少年時代を中米のグアテマラや西アフリカのブルキナファソ、トーゴといった国々で過ごす。1993年国際基督教大学高校を卒業後、タンザニアへ渡り、現地のインターナショナルスクールでIB(インターナショナル・バカロレア)を履修する傍ら自然写真を撮り始める。1995年イギリス、イーストアングリア大学開発学部入学。在学中も休みを利用して何度も東アフリカを訪れる。1998年大学を卒業し帰国。フリーの写真家として活動を始める。2000年以降、頻繁にアフリカ南部を訪れ、野生動物や風景、人々の写真を撮り続けながら、サファリのガイドとしても活動中。近年ではインド亜大陸にもフィールドを広げている。日本自然科学写真協会(SSP)会員。2005年『エプソンカラーイメージングコンテスト』ヒューマンライフフォト部門グランプリ受賞。
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