ロックフェスにとっての「成功」とは何か? 茂木洋晃×鹿野淳対談

ロックフェスにとっての「成功」とは何か? 国内最大級の『FUJI ROCK FESTIVAL』や『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』『SUMMER SONIC』を筆頭に、いまや日本の風物詩の一つとして根付いてきた音楽フェスティバル。そんな中、地元密着型ロックフェスとして2012年に始まったのが『GUNMA ROCK FESTIVAL』。地元・群馬を拠点に活動を続けてきたバンド「G-FREAK FACTORY」の茂木洋晃が中心となり、「故郷・群馬に愛と誇りを」という思いを掲げて立ち上げたフェスだ。そして、2014年のゴールデンウィークにさいたまスーパーアリーナにて開催された新たなフェス『VIVA LA ROCK』も、過去に『ROCK IN JAPAN FES.』『ROCKS TOKYO』などの立ち上げに関わった音楽雑誌『MUSICA』発行人の鹿野淳が、埼玉発の初の大規模ロックフェスとして定着することを目指してスタートした。

地元に根付き、そこの土地に暮らす人たちの誇りやアイデンティティーの一つとして寄与することを目指す二つのフェス。その主催者である茂木洋晃と鹿野淳に、ロックフェスの意義とあり方について、じっくり語り合ってもらった。

とにかく群馬に住んでいる奴らのコンプレックスを、全部取っ払ってやりたい。そういう気持ちが大きかった。(茂木)

―まず、お二人はどういった経緯で知り合ったんでしょうか?

鹿野:きっかけは10-FEETのTAKUMAだったんです。TAKUMAの心の師匠というのが3人いて、それが斉藤和義さんと、SIONさんと、茂木さんだった。

茂木:ふふふ、ありがとうございます(笑)。

鹿野:音楽ジャーナリストなのに恥ずかしい話なんですけれど、TAKUMAから初めてG-FREAK FACTORYの音源を聴かせてもらって、「あぁ、すごいね」って。聴いているだけで、喉の奥から歌い手の気持ちが全部聴こえてくるような音楽だなと。それで僕がオーガナイザーになって一緒にイベントをやろうという話になって、10-FEETとG-FREAK FACTORYにオファーの電話をかけたんです。

鹿野淳
鹿野淳

茂木:僕はもちろん一方的に鹿野さんを存じ上げてたので、「うわ、鹿野さんと電話で繋がった」ってキャピキャピしてました(笑)。

―そのときには鹿野さんは『ROCKS TOKYO』を開催していたわけですよね。

鹿野:そうです。2010年頃でしたね。

―茂木さんも、当時は既に『GUNMA ROCK FESTIVAL』の前身の『COLOSSEUM』というイベントをやっていた。

茂木:そうですね。あれは2008年に始めたんですけど、僕はずっと群馬に住んでいて、いつも使っている地元のライブハウスのフロアに360°のステージを組んでやったんですよ。普段はフロアとステージを分けて使ってたんですけれど、そのときはドラマーが後ろからお客さんに見られるという形にして。

鹿野:そういうイベントをやったのは、地元でロックバンドの活動がしにくかったからなんですか? それともG-FREAK FACTORYとして地元で旗を立てて、そこからバンドの活動を大きく広げていきたい気持ちがあったんですか?

茂木:両方ありましたけど、どちらかというとバンドを飛び越えたことをやりたいという思いのほうが大きかったです。バンド主体のフェスでもいいんだけれど、それだとバンドがなくなったときにお祭りが終わってしまう。それより僕は地元に根付いた人たちと長く続けていけるものをやりたいなと思って。そこでバンド自体も旗を振りながら、みんなと触れ合いながら、遊んでいけたらいいなと。あとは、やっぱり群馬のライブハウス事情もあまりいい状況ではなかったので……。

茂木洋晃
茂木洋晃

―いい状況ではなかったというと?

茂木:群馬という土地柄のせいか、ツアーを回ってるバンドでもなかなか来ないし、地元のアーティストが育たないんです。そういう状況がずっと続く中で、自分たちは10年以上地元に張り付いてやっていたんですけど、やっぱり足跡みたいなものが何も残せてなかったんです。

―G-FREAK FACTORYは去年に久しぶりにアルバムをリリースしましたが、ライブ自体は地元でずっとやってましたよね。

茂木:そうなんですよ。だから、よく「復活!」とか言われたんですけど、「何を見てるんだお前たちは!」と。

一同:(笑)。

茂木:そう言いたくなるくらい、地元ではちゃんとライブをしていましたね。

―茂木さんは2012年にグリーンドーム前橋で『GUNMA ROCK FESTIVAL』を立ち上げましたが、そのときにはフェスを行うことがバンドにもプラスになるんじゃないかという狙いはありました?

茂木:いや、計画的なものはなかったですね。バンドどうこうよりも、まず、とにかく群馬に住んでいる奴らのコンプレックスを、全部取っ払ってやりたい。そういう気持ちのほうが大きかったです。

鹿野:そこで僕がすごいなって思うのが、あのバカでかいアリーナでやったことなんですよね。だって相当なリスクのあることじゃないですか。

茂木:そりゃもう、大変なリスクですよ(笑)。

『GUNMA ROCK FESTIVAL 2013』会場風景
『GUNMA ROCK FESTIVAL 2013』会場風景

鹿野:あの規模の大きさのフェスをやるというのは、かなりの覚悟が必要だと思うんです。それをミュージシャンの方がやったというのは本当にすごいことだと思う。

茂木:そこは地元の仲間のおかげですね。僕は発案しているだけで、それを実行してくれているのは仲間たちなので。

鹿野:じゃあ、仲間たちからケツを押された感じがある?

茂木:あります。最初の開催のときだって「できるわけないよ、群馬でフェスなんて」と思っていたわけですよ。ライブハウスですらちゃんと整っていないところなので、マイナスからのスタートですよね。でも「やりましょう」って言ってくれる仲間がいたから、やることにしたんです。

『GUNMA ROCK FESTIVAL』も『VIVA LA ROCK』も、開始した時期は遅いわけですよ。だからこそ、立ち上げる理由を明確にしないと、自分のやりたいことができないなと思った。(鹿野)

―鹿野さんは今年『VIVA LA ROCK』を立ち上げましたよね。あのフェスは埼玉のローカル性を打ち出していましたが、それにはどういう経緯があったのでしょうか?

鹿野:埼玉は僕にとって地元じゃないので、最初のスタートはローカル性ではないんですよね。フェスにとって大事なのは、スケジュールと場所だと思っていて、そもそもはゴールデンウィークにフェスをやりたかったんです。夏休みや年末の時期は既にフェスが飽和しているから、そこに入っていって出演アーティストやお客さんの奪い合いになってしまうのはすごく嫌だったんです。フェスが政治になってしまいますからね。

茂木:なるほど。

鹿野:もともとさいたまスーパーアリーナ側も、自分のところでフェスをやってくれる人が少ないということを課題にしていたんですよ。そこで、僕が「こういうふうにフェスをやったら面白いですよね」と構想を話して、その時点では日程が埋まってるから何年か先になると言われたのですが、数日後に、嘘のような本当の話で「ゴールデンウィークが空いたんですけど、いきなり言われたら困ります?」と言われたんです。しかも、「今回引き受けてもらえたら、来年以降もずっとこのフェスのために空けておきます」と。

『VIVA LA ROCK 2014』会場風景 撮影:古渓一道 ©VIVA LA ROCK 2014 All Rights Reserved.
『VIVA LA ROCK 2014』会場風景 撮影:古渓一道 ©VIVA LA ROCK 2014 All Rights Reserved.

『VIVA LA ROCK 2014』会場風景 撮影:三吉ツカサ ©VIVA LA ROCK 2014 All Rights Reserved.
『VIVA LA ROCK 2014』会場風景 撮影:三吉ツカサ ©VIVA LA ROCK 2014 All Rights Reserved.

茂木:うわ、それはすごいですね !

鹿野:茂木さんの場合は地元の仲間がケツを押してくれて「もう引くに引けないな」となったのと同じで、僕はそれが「引くに引けない一言」になったんです。ただ、茂木さんが始めた『GUNMA ROCK FESTIVAL』も、僕が今やっている『VIVA LA ROCK』も、昨今のフェス事情からすると、開始した時期は遅いわけですよ。だからこそ、立ち上げる理由を明確にしないと、成功するにしても失敗するにしても、自分のやりたいことができないなと、まず思った。

茂木:コンセプトが必要になるということですね。

鹿野:そう。で、いろいろ考えたら埼玉で5,000人を越えるフェスが存在しないということがわかったんです。あれだけ人口がいて、あれだけロックバンドが出てきているのに、フェスが根付いていないんですよ。だから、これを成功させたら、このフェスはすごく長続きするんじゃないかと。そうすれば、埼玉全体のライブの集客力が増えたり、CDの売り上げが増えたりして、マーケットに現実的に直結していくと思ったわけです。

茂木:ライブハウスができたりするかもしれないですしね。

鹿野:これはかなりやりがいがあるなと思って、必然的に埼玉というローカルリズムが生まれてきました。そこと自分のフェス像がどう結びついて、一緒に遊べるのかっていうことを考えるようになったんです。

左から:鹿野淳、茂木洋晃

群馬を離れてしまう人は止められないけど、県外で群馬を背負っている人たちが「群馬も捨てたもんじゃないな」と、たった1日でも思ってもらえたらいいなと。(茂木)

―さいたまスーパーアリーナ側もかなり協力的だったんですね。

鹿野:そうなんです。フェスは一緒にやりたいって思う人がいることが非常に大きいんですよね。

茂木:うん、本当にそうですね。

鹿野:日本で今、一番集客数を持っているフェスが『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』だと思うんですけど、あのフェスも「やりたい」っていう人がひたちなか市にいて、誘致していたからやれたんです。地元の人たちが、フェス側と一緒に組んで、頑張って若い人たちを呼びたいと思ったからこそ、今の状況があるんじゃないかなと思います。それってすごく幸福な関係ですよね。きっと、茂木さんにも同じような思いがあったのだと思うのですが。

茂木:そうですね。群馬を離れてしまう人は止められないけど、県外に行っても群馬を背負っている人たちがまた故郷に帰ってきて、「群馬も捨てたもんじゃないな」と、たった1日でも思ってもらえたらいいなという。どうしても地元はどんどん活気がなくなってしまうけど、行政に期待するのも違うと思うんです。このフェスがちゃんと続いていけば、もっといろんな人に勇気を与えられるだろうし、群馬を好きになってもらいたいんですよね。

―お二人の中で、そもそもフェスを1回限りで終わらせる考えはなかったんですね。

茂木:いや、正直なところ、失敗したら俺は1回で無理だと思いました。それに1回目の開催を贔屓目に見ていただいていた部分があったんですよね。そもそも「群馬でフェスは無理でしょ?」っていうマイナスから入っているので、ボーダーよりもちょっと下くらいの出来でも「また来年も行ってみるか」って思ってくれてたんじゃないかなと。だけど2回目、3回目とどんどんハードルが上がってくるので、ここから先は「地元のフェスだから仕方ない」って許してもらえない部分が出てくる。どんどん厳しくなると思いますね。

鹿野:僕は1度きりで終わらせる気は毛頭なかったですね。それはなぜかというと、今回のフェスは、失敗したら夜逃げするぐらいのレベルのリスクを背負って始めたわけですよ。でも、人が入らないイメージはなかったですね。そんなイメージがあったらフェスはやれないんです。自分の頭の中ではいつも目の前でドカーンとなってる光景がありますから(笑)。

茂木:あ、それは分かる。同じ感覚です(笑)。

鹿野:フェスをやる側はリスクにものすごく臆病になっているんだけど、だからこそ、幻想の中ではものすごく格好いい、最高の景色が生まれているんですよね。そのギャップの中で当日を迎えるんです。

日本でフェスやイベントが増えた背景の一つには、交通機関がフェスに関わって、混乱がないようにプロデュースしていることもあるんです。(鹿野)

鹿野:あと、『GUNMA ROCK FESTIVAL』のいいところは、普段、音楽をやらない場所でやってることなんですよ。

―前橋グリーンドームって、普段は競輪場なんですよね。

茂木:そうです。

鹿野:あそこには競輪のバンクがあって、地面に角度があって、フェスに行き慣れている人でも「え、ここでフェスやるんだ?」っていう異空間な感じがあるんですよ。そこに高揚感もあって、すごくいいなと思った。

『GUNMA ROCK FESTIVAL 2013』会場風景

『GUNMA ROCK FESTIVAL 2013』会場風景
『GUNMA ROCK FESTIVAL 2013』会場風景

―フェスは非日常の空間をどう作るかが大事なんですね。

鹿野:そう。一方、さいたまスーパーアリーナはもともとライブをやるための場所だから、いつものワンマンライブとは違うんだよ、という演出を頑張って作っていく必要がある。

茂木:『VIVA LA ROCK』には僕のやりたいことが、全部ありましたよ。駅から入り口までの工夫一つをとっても細部にわたって配慮されていて、迷子になるくらいデッカい会場なんですけど、「うわ、これは楽しいわ」って思いました。

『VIVA LA ROCK 2014』会場風景 撮影:釘野孝宏、HayachiN ©VIVA LA ROCK 2014 All Rights Reserved.
『VIVA LA ROCK 2014』会場風景 撮影:釘野孝宏、HayachiN ©VIVA LA ROCK 2014 All Rights Reserved.

『VIVA LA ROCK 2014』会場風景 撮影:釘野孝宏、HayachiN ©VIVA LA ROCK 2014 All Rights Reserved.
『VIVA LA ROCK 2014』会場風景 撮影:釘野孝宏、HayachiN ©VIVA LA ROCK 2014 All Rights Reserved.

鹿野:僕らのフェスがラッキーだったのは、駅から会場まで直結していること。そうすると、できるだけ駅に近づいて、フェスの会場を拡張したいって気持ちが出てくるんですよ。

茂木:駅員さんたちも、フェスやイベントに慣れているんですか?

鹿野:そう。日本でフェスやイベントが増えた背景の一つには、交通機関がフェスに関わって、混乱がないようにプロデュースしていることもあるんです。

―フェスを開催するためには、主催者だけじゃなく地元のインフラの協力も必須である、ということですね。

鹿野:そしてそれは、地元と組んでやってるフェスやイベントが地方を中心に出てきたことの成果でもある。例えば『GUNMA ROCK FESTIVAL』って、ホームページやフライヤーを見てみると、ものすごくたくさんの地元のスポンサーが入っていますよね。これは象徴的で、地元でフェスが成功したら、自分たちの文化的価値に繋がるという思いを持った人たちが協力してくれているわけで。こういうフェスが各地でちゃんと成立していったことが今の状況に繋がってるんじゃないかな。

フェスで地元に結果を残せたら、行政の価値基準がひっくり返るだろうなというところまで見えてる。(鹿野)

―茂木さんも、フェスを通して地元の企業やメディアとの繋がりが生まれた経験はありますか?

茂木:動かない山が動く瞬間みたいなものを見たというか、「おお、この企業が」というような喜びはありました。

鹿野:『VIVA LA ROCK』は、まだ地元の団体や企業とは組めてないんですよ。今回、唯一声をかけてくれたのが「メガネフラワー」という、埼玉県では知らない人はいない大規模メガネチェーンなんですけど、そこの人が昔からの僕の読者で声をかけてくれたから今回唯一の協賛になってくれた。その人が「自分みたいに地元で頑張ってる他の企業と横の繋がりがあるから、紹介します。鹿野さん、次回から頑張ってみてください」って言ってくれて、そこは僕がこれから上手くやらなくちゃいけない課題なんです。

―『VIVA LA ROCK』はさいたま市と埼玉県が後援に入っていて、『GUNMA ROCK FESTIVAL』は前橋市が後援に入っている。地元の行政と組んでやっていくというのは、大変なことでもあると思うんですけれども。

茂木:行政に直接働きかけてネゴシエーションするのは別の担当がやってくれているんですけれど、ちょっとずつ理解を示してくれているとは聞いてます。

鹿野:基本的に音を鳴らすイベントって行政的にはリスクがあるんですよね。それよりもB級グルメとか、ゆるキャラ大集合のイベントとかのほうが喜んでくれる傾向にある。

茂木:クレームの対象にならないわけですよね。

鹿野:そう、イベントとして安全だっていう判断があって、それで言うと音楽って最上級クラスに危ないわけです。

茂木:ましてやロックイベントなんてね(笑)。

鹿野:(笑)。でも、僕らも子どもじゃないからそれはよく分かる。そして結果を残せたら、その価値基準がひっくり返るだろうなというところまで見えてる。そこへ向かうプロセスを丁寧に話していくと、案外地元の行政も分かってくれるんです。「フェスをやると経済効果がこれだけあります」とか「地物の食料をこうやってプレゼンしたいんですよ」って話をすると、「こんなことまで考えて音楽フェスをやろうとしているんですか?」っていう話に発展したりする。基本的に「人のためになる」というところで、お互いに共感できるんですよね。

茂木:行政の中にもたまにいるんですよ、侍が。そういう人と早く出会いたいですね。でもやっぱり、前例がないものをとにかく嫌う人が多いので、そこは苦労しますよね。

鹿野:我々は前例のないことをやれればやれるほど嬉しいって思っちゃう側の人間だからね(笑)。

左から:鹿野淳、茂木洋晃

茂木:渋っている人には、会場に1回来てもらうしかないですね。地元がこういうふうに盛り上がってるんですって。そうすると「え!?」ってなる。うちの母ちゃんなんて、具合悪くなっちゃいましたもん(笑)。

一同:(笑)。

茂木:寝込んじゃいました。でも、いいことだと思います(笑)。

群馬のバンドとスポンサーだけで会場を埋めたい。土地の地と書いて「地力」であの会場がドカーンとなったら、それはもうニュースになるじゃないですか?(茂木)

―この先、『GUNMA ROCK FESTIVAL』が目指しているのは?

茂木:まだまだ淡い夢ですけど、群馬のバンドと群馬のスポンサーだけで会場を埋めたいですね。自力というか、土地の地と書いて「地力」であの会場がドカーンとなったら、それはもうニュースになるじゃないですか? 群馬でこんなことがあったんだ、という。

鹿野:それがやれたら、地元のバンドとして旗を振ったことの本当の成果が出たということになりますよね。

茂木:離れていった人たちが帰ってきてくれるのは、そのときだと思ってます。

―『VIVA LA ROCK』はどうでしょう、そういう目標はありますか?

鹿野:このフェスをきっかけにバンドを組んだりして、埼玉スーパーアリーナで5年以内にワンマンをやれるバンドが地元から出て来てほしいですね。だから今回も、初日と2日目は埼玉県出身のバンドにヘッドライナーを飾ってもらって、3日目はトリの前が地元出身者だった。

―ACIDMANとthe telephonesと星野源ですね。

鹿野:埼玉県の人たちが、そこに自分たちの未来を感じるようになってほしいと思ったんですよね……。『VIVA LA ROCK』によって、埼玉県なりの祝祭が生まれるかもしれないと思えたのは、the telephonesの存在が実は大きくて。

―なるほど。

鹿野:彼らがこのフェスの誕生と存在をものすごく喜んでくれたんです。惜しみなく協力してくれて、わざわざこのフェスのためだけに、埼玉のローカルメディアへの取材にプロモーションで行ってくれた。「こういうフェスができて良かった」って自分のことのように言ってくれた瞬間に、これはもしかしたらいい形で着地するかもしれないと思えたんですよ。地元で音楽をちゃんと生み出している人たちが頑張ろうとしている姿って、そこに何より夢があるなって。

鹿野淳

―the telephonesも埼玉に誇りを持ってるバンドですからね。

鹿野:誇りがあるんだけど、茂木さんと一緒でネガティブな感情もすごく持っているんですよ。「なんて中途半端な場所でやってきたんだろう」って。まわりが東京に出て行ってしまうもどかしさもある。だから埼玉で何かを生み出したいって気持ちを強く持っているんだよね。

茂木:あとはdustboxも埼玉のバンドですよね。

鹿野:そうそう。彼らもすごく喜んでくれた。あとは、ライブハウスがもっと増えればいいと思う。ただ数だけ増えるんじゃなくて、音楽のエンジンになるようなライブハウスが具体的に増えていけばいいなというのは考えています。

―これだけフェスが多くなってきた今は、そういうフェスの理念や存在意義みたいなものが来た人に見えるかどうかも非常に大きなことだと思います。その辺りはどう意識されていますか?

鹿野:でも、地元の人にいきなり理念や哲学を理解してもらうのって難しいし、いきなりそこまで望むのは横柄だと思うんですよ。だから、まずはフェスの存在に気付いてもらう。そういう意味では『GUNMA ROCK FESTIVAL』には野外にフードエリアがあるのがいいですよね。あそこって出店は地元の人がほとんど?

茂木:去年までの出店者は100%地元の人たちです。

『GUNMA ROCK FESTIVAL 2013』野外フードエリア
『GUNMA ROCK FESTIVAL 2013』野外フードエリア

『GUNMA ROCK FESTIVAL 2013』野外フードエリア
『GUNMA ROCK FESTIVAL 2013』野外フードエリア

鹿野:やっぱり。行けばそれが雰囲気で分かりますよね。隣の店同士で仲良くしてる様子を見て、地元が活性化しているなって感じたり、中に入ってみたいって思ってもらえるんじゃないかな。『VIVA LA ROCK』は屋内フェスをやっているから、会場の中で全てを完結させてしまうと外には何も見えてこないから、地元の人に気付いてもらえないんだよね。僕も野外に「VIVA LA GARDEN」というフリースペースを作ったんですが、そのアイデアの源泉が『GUNMA ROCK FESTIVAL』の野外エリアにあったんです。

茂木:すごかったですよね、「VIVA LA GARDEN」。

鹿野:フリースペースにも関わらずお金をかけすぎてスタッフに苦笑いされたけどね(笑)。でも来年はもっと攻めようと思ってます。

『VIVA LA ROCK 2014』会場風景 撮影:釘野孝宏、HayachiN ©VIVA LA ROCK 2014 All Rights Reserved.
『VIVA LA ROCK 2014』VIVA LA GARDEN 撮影:釘野孝宏、HayachiN ©VIVA LA ROCK 2014 All Rights Reserved.

『VIVA LA ROCK 2014』会場風景 撮影:釘野孝宏、HayachiN ©VIVA LA ROCK 2014 All Rights Reserved.
『VIVA LA ROCK 2014』VIVA LA GARDEN 撮影:釘野孝宏、HayachiN ©VIVA LA ROCK 2014 All Rights Reserved.

フェス独自のイメージをみんなが持ってくれれば、出演者がそのフェスだけの音楽を鳴らしたり、メッセージを発したりしてくれるようになる。(鹿野)

―最後にお二人に聞こうと思います。フェスをやってきた中で達成感を覚えるのはどんな瞬間ですか?

茂木:僕は最後にステージに立たせてもらう演者なので、自ずと感極まるものがあるんですね。いろんなアーティストの人たちにバトンを繋いでもらって、周りのスタッフに支えてもらって、最後に神輿に乗っからせてもらう。そこで最高の感情になれるんです。でも逆に、周りにいてくれるスタッフとか、主催者でありながら苦労を重ねた鹿野さんとかの達成感って、俺みたいに吐き出せないわけで……それはすごいなって思います。

茂木洋晃

鹿野:僕はアーティストがこのフェスだけのMCをしてくれたり、終演後に現実的な感想を言ってくれるときに一番の達成感がある。もちろんフェスは音楽そのものではないんですよ。出演者がいないとフェスが成り立たないから。でも、フェス独自のイメージをみんなが持ってくれれば、出演者がそのフェスだけの音楽を鳴らしたり、メッセージを発したりしてくれるようになる。

茂木:そこに出演者、お客さん、フェスの化学反応があるということですね。

鹿野:うん。だからそこに夢と希望を抱かないとフェスはフェスじゃなくて、イベントやビジネスだけの場になってしまう。

茂木:バンドマンとしても、プロモーションじゃなくて、ちゃんと化学反応のあるライブをしたいって思いますからね。

鹿野:もちろん、フェスはビジネスの側面も持ってると思うんです。そうしないと続かないし、もっとやりたいことがあるからお金も稼ぎたい。出演者がフェスをプロモーションの場と捉えるのも否定するべきではないと思っています。でも、そのプロモーションを超えた何かを発したり、受け取ったりすることでフェスがフェスになるっていう現状があるわけじゃないですか。

茂木:そうですね。意味とか意義とか、「何で自分は今日ここにいるんだろう?」というのが、単なる理由を超えていく、そういう瞬間はありますよね。

鹿野:そう。で、そういう空間を作るためには、フェス側が政治と権威ってものをどれだけ排除できるかっていうことが、今、すごく大事だなと思う。

―権威や政治を排除する、というのは?

鹿野:我々がやっているロックフェスのもとになるロックって、そういう権威とか政治にカウンターを打つところから始まっている。そして、それは古い考え方とかではなく、ロックというものが持つアイデンティティーだと思うんですね。それなのにフェスが事業になって、手の平返したように権威や政治的な現場に終始しているものも確かにある。僕らがやっているのはロックフェスなんだから、権威と政治にフェスがなっちゃいけないんです。それがフェスをやっている側のアティチュード、姿勢だと思うんです。

―なるほど。

鹿野:今はフェス側が強いものになっているから、フェスが簡単に権威になれるんです。でも、フェスが政治の現場になっちゃうとアーティストが遊べなくなるんだよね。アーティストが「ここはこういうことを言っちゃいけない場所なのかな」とか「これはやっちゃマズいかな」とか思うようになっちゃつまらない。そのためには、フェス側は単に無邪気でいればいいって話じゃなくて、ビジネスをちゃんとやって、その上で音楽にフィードバックしていける仕組みを作る。それが今試されている時期だなと思います。

茂木:そう考えると、とてもやりがいがある時代ですよね。おっかないですけど。

イベント情報
『GUNMA ROCK FESTIVAL 2014』

2014年9月20日(土)OPEN 10:00 / START 11:00
会場:群馬県 前橋 ヤマダグリーンドーム前橋
出演:
ACIDMAN
岩崎有季
OVER ARM THROW
OLEDICKFOGGY
OGRE YOU ASSHOLE
GOOD4NOTHING
サンボマスター
SECRET SERVICE
G-FREAK FACTORY
SiM
SHANK
スチャダラパー
SOIL&"PIMP"SESSIONS
高崎頼政太鼓
dustbox
DJ KENTARO
DJダイノジ
10-FEET
NAMBA69
HAKAIHAYABUSA
バクバクドキン
HAWAIIAN6
秀吉
BOOM BOOM SATELLITES
MOROHA
料金:前売 一般6,900円 ファミリーペア入場券11,000円

『VIVA LA ROCK 2015』

2015年5月3日(土)~5月5日(月・祝)予定
会場:埼玉県 さいたまスーパーアリーナ

書籍情報
『MUSICA9月号 Vol.89』

2014年8月21日(木)発売
価格:690円(税込)
発行:株式会社FACT

プロフィール
茂木洋晃(もてき ひろあき)

小学生時代からの腐れ縁の原田季征とともに1997年に地元群馬県にてG-FREAK FACTORYを結成。直後から自主企画「MAD SOUL CONNECTION」を開始。2003年秋に自主レーベル「3TONE east」を立ち上げる。2005年にはメンバー脱退を機にライブ活動を控え、曲作りに専念。2008年に吉橋 伸之(Ba.)と家坂 清太郎(Dr.)が正式にメンバーとして加入。7月には盟友10-FEETの『京都大作戦』に出演。9月にはミックスカルチャーフェス『COLOSSEUM』を群馬県高崎club FLEEZにて開催。翌年2009年9月にも同イベントを開催し大成功におさめる。2012年秋には『GUNMA ROCK FESTIVAL 2012 Powered by COLOSEUM』として更なる発展を遂げたイベントを前橋グリーンドームで開催。2014年にはミニアルバム『fact』をリリース。2014年『GUNMA ROCK FESTIVAL 2014』開催予定。

鹿野淳(しかの あつし)

1964年、東京都生まれ。2007年に音楽専門誌『MUSICA』を創刊。これまでに『ROCKIN'ON JAPAN』、『BUZZ』、サッカー誌『STAR SOCCER』の編集長を歴任。各メディアで自由に音楽を語り注目を集め、音楽メディア人養成学校「音小屋」を開講。2010年には東京初のロックフェス『ROCKS TOKYO』、2014年にはさいたま初の大規模ロックフェス『VIVA LA ROCK』を立ち上げるなど、イベントプロデュースも手がける。



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