宇川直宏インタビュー 5年目を迎えたDOMMUNEの次なる目標

「Final Media」を高らかに宣言し、2010年にスタートしたDOMMUNEは、恵比寿地下に潜伏するライブストリーミングチャンネル / スタジオであると同時に、主宰する宇川直宏の現在進行形のアートワークでもある。世界に向けて生中継される多種多彩なジャンルのクリエイターらによるトークと、有名DJによるプレイ中継は、宇川自身がキュレーションし、映像のスイッチングも行う。それは無数の情報と、フロアの興奮に共振する宇川の身体性をネットを介して世界に伝播させるパフォーミングアーツであり、現代における呪術の連鎖とも言えるだろう。あなたがこれを読んでいる今も、宇川は自身のミーム(模倣子)を、世界に向けて吐き出し続けているのだ。

さて、そのDOMMUNEは現在、秋葉原と上野の間にある「3331 Art Chiyoda」に放送局を出張中だ。『DOMMUNE University of the Arts』と銘打ち、毎晩日本を代表する現代美術のアーティストのトークを配信している。また、会場では同作家の作品などによる企画展も同時開催中。アーティストの生の声を伝えると同時に、彼 / 彼女らの分身とも呼ぶべき作品を併置させることで、芸術のアウラ(ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンが提唱した、芸術作品を前にして人が経験する畏怖や崇敬の感覚)を現出させる同プロジェクトの目的は「アーカイブ」なのだと宇川は言う。これまで、情報の伝播と拡散は行いつつも、その保存や維持からはあえて距離を置いてきた宇川とDOMMUNEが、今このときにアーカイブする意思を示したのは何故か。会場に設えられた放送ブースで話を聞いた。

DOMMUNE開局前と今とでは、僕の脳がアップデートされて、情報と情動の処理能力が加速している気がします。いい意味でも悪い意味でもナチュラルに逸脱し、覚醒している。

宇川:CINRAって毎日更新のウェブサイトですよね。つまり日刊メディア。僕らもですが、日刊の編集仕事って脳が破綻しません? たとえば、同時通訳の仕事は脳の特殊重労働なので、15分で交代するのが望ましいそうなんですよ。僕らも同じく「現在」を解読する仕事ですよね。そういう意味では、妙な脳領域を酷使している。日々、文化的出来事を過度に気にかけ、膨大な情報量が脳を通過して行くので、その為に神経過敏になっていて……、映画を観て、物語は体感できても、余韻を味わえなくなってしまった。僕は平日毎日DOMMUNEをやっているので、常に現在を切り取りながら、同時に明日の配信のことを考えなくちゃいけないし、3か月後のスケジュールも日単位で意識しているので、日々の達成感に浸ったり、成功を振り返っている場合じゃなくなってくるのです。逆説的に言えば、現在を過剰に意識するということは、未来を予感し続けることだと最近感じています。

宇川直宏
宇川直宏

―僕はフリーランスのライターなのではっきり答えられないですけど、CINRA編集部のバタバタした様子はざらに目撃しますね(笑)。

宇川:でしょうね。僕はもうDOMMUNEを5年やっていて、開局以前と現在とでは、脳が独自にアップデートされていて、情報と情動の処理能力が加速しているような気がします。ドーパミンも漏れっぱなしのメルトダウンだし(笑)、いい意味でも悪い意味でもナチュラルに逸脱し、覚醒している。1日に2番組、1週間に4日放送して8番組、1か月間で32番組以上。それを5年間ずっと1人でブッキングし、テロップを全て自らデザインし、最小限のスタッフと共に、現場で撮影や映像のスイッチングをしつつ、ツイートもしながら、全世界に配信している。まるでストリーミングマシーン。ここ5年間、人間らしい生活はできていません。

―やばいですね(笑)。で、今回の『DOMMUNE University of the Arts』なんですが、そもそも「3331 Art Chiyoda」にスタジオを移して、DOMMUNEを放送することになった経緯を聞いてもいいですか?

宇川:以前から考えていたプランとして、まず「アーカイブにどう向き合うか?」という問題があります。その先駆けが今回の『DOMMUNE University of the Arts』で放送する新番組シリーズ『THE 100 JAPANESE CONTEMPORARY ARTISTS』で、アーカイブ化することを前提に日本の現代アーティストのインタビューを100人分、2020年に向けて収録していく。つまり『東京オリンピック』以前に、現代の美意識を更新する日本代表100人を独自選出し、世界の側に伝え広めるのです。短絡的なクールジャパンなどではなく、普遍的文脈に根を下ろしたディープジャパン。日本の現代美術って、たとえば椹木野衣さんの著書『日本・現代・美術』の論考では「悪い場所」とされていますよね。

『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』展示風景
『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』展示風景

―戦後の日本には歴史を蓄積する意思が育たず、そのために現代美術も厚みや重みを持ち得ない場所だ、という主張ですね。

宇川:そう。また椹木さんも引用していた彦坂尚嘉さん(現代美術家)が言うところの「閉じられた円環」を、ライブストリーミングの力によって、世界の側に解放することができるのかどうかという。

―それが1つ目の理由。

宇川:2つ目は、アーカイブの問題。DOMMUNEがこれまでアーカイブを残してこなかった理由に繋がります。開局当時の2010年は、まだ前世代の著作権法に振り回されていた時代でした。SNSもライブストリーミングも一般的ではなくて、ネット中継を介して楽曲を鳴らすということが、とてつもない問題提起になっていたんです。ソフトバンクの孫正義さんがUstreamスタジオを立ち上げる以前から、僕は自分のお小遣いでDOMMUNEを立ち上げていたけれど、個人メディアが著作権法を踏みにじり、崩壊させてしまうかも、っていうくらい勢いのあったムーブメントでしたから、当時は各方面から警戒視されていました。

『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』蜷川実花 展示風景
『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』蜷川実花 展示風景

―たとえばJASRAC(日本音楽著作権協会)からですか?

宇川:いや、JASRACには先回りしてコンタクトを取らせて頂いており、すでに著作権を扱える許諾番号をもらっていました。ライブストリーミングにおける音楽と映像の管理、そしてアーカイブにおける管理。だから、じつはDOMMUNEは開局当初からアーカイブを解放する前提だったんですよ。ただこの他に原盤権(マスター音源を持つ権利)の問題があるでしょう? なので開局してしばらくは、レコード会社から「俺たちの利権を荒らすなよ」っていう威圧的空気を感じましたね。それはごもっともなんですが、DOMMUNEでプレイされる音楽の9割はアンダーグラウンドなレーベルからリリースされた12インチレコードだったから、日本の音楽市場においてコピーライトの問題はまったく管轄外で、我が国での著作権登録は皆無だし、なにより、彼らトラックメイカーはDOMMUNEでプレイされたがっている(笑)。まったく場違いな前世紀的権威との葛藤がありました。

SNSが当たり前になって、同時体験が常識になった今だからこそ、DOMMUNEにプログラミングされていた、文化遺産としてのアーカイブを残す意志を再定義し直そうと考えたのです。

―今でこそ、ネット配信やストリーミング放送での音楽視聴も一般的になりましたが、DOMMUNE開設当時はパッケージ販売に希望が残っていた時代ですね。

宇川:ギリギリまだその時代でした。というか僕はCDパッケージのデザインを生業としていて、MVのディレクターを開局直前までやっていたり、つまり当事者の一員だったので、ミュージックビジネスが斜陽の傾向にあるのは10年前から肌で感じていましたよ。だからこそ、まったく新しい手法で応援したかったのに、既存の業界側からはライブストリーミングで音楽を流したら、CDの売り上げがさらに落ち込むのでは……っていう懸念があったんですよ。だからこそDOMMUNEがコマーシャルメディアとして機能することを数字で証明しなければいけなかった。僕らのこの表現自体が同時に被写体となるアーティストのPRに繋がっている。要するに彼らのプロモーションビデオを毎日5時間制作していると捉えることもできるのです。で、開局1年のうちに、DOMMUNEで曲が流れると、タイムラインで瞬時に拡散され、その日にAmazonのチャートが変動するという状態を生み出したわけですよ。そして半年後にはレコード会社から出稿してもらい、番組を作るまでに成長しました。

『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』毛利悠子 展示風景
『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』毛利悠子 展示風景

―5年間でライブストリーミングメディアのあり方をDOMMUNEは更新した。その次の展開として、今後はアーカイブも扱っていこうと?

宇川:その通りです。当初、自分は、お茶の間にテレビが1台あって、『仮面ライダーV3』などをリアルタイムに固唾を呑んで視聴するっていう、ホームビデオが台頭する以前の、同時間軸視聴体験を重視したかったんですよ。記録された映像をいつでも見返すことができる状況は便利だけど、体験の一回性を喪失させてしまうと考えていたから、すでに5,000番組ほどのアーカイブを蓄積していても、解放はほとんどしてこなかった。ところが、そのルールを今回の『THE 100 JAPANESE CONTEMPORARY ARTISTS』から大転換してしまうわけですよ。もはやSNSのコミュニケーションは常態となって、SNS疲れしてる人も続出している。同時体験が常識になった今だからこそ、じつは初めからDOMMUNEにプログラミングされていた、文化遺産としてのアーカイブを残す意志を再定義しなおそうと考えたのです。

(展示では)作品が持つアウラを受け止めながら、作家本人の声や思想に触れることができる。このまったく新しいレイヤー構造によって、アウラの概念を次元上昇させたという達成感があります。

―アーカイブすることの表明が『DOMMUNE University of the Arts』だったとして、それってDOMMUNEのコンセプトでもあった、同時間軸体験の否定にはなりませんか?

宇川:鋭いですね。今回強調しないといけないところはそこです。会場に来なくともネット配信でトークは視聴できるし、いずれそのアーカイブもサイバースペースに解放しようと考えているわけです。しかし、今回の『DOMMUNE University of the Arts』は3331 Art Chiyodaというホワイトキューブでの展覧会としても機能している。また併設したサテライトスタジオでは、現代アーティストの極私的物語を番組化し『いつみても現代美術波瀾万丈』よろしく切り取って(笑)、アーカイブとして後世に伝承する為のプログラムを生み出し続けている。鑑賞者は、オリジナル作品の展示に触れ、そのアウラを受け止めながら、すぐそばに設置されたモニターに映し出された番組を鑑賞することで、現代を生きる作家本人の思想、声、呼吸、に触れることができる。このまったく新しいレイヤー構造によって、ベンヤミン的なアウラの概念を次元上昇させたという達成感が今回すごくあります。

『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』ヤノベケンジ 展示風景
『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』ヤノベケンジ 展示風景

―なるほど。それともう1つ気になるのは、アーカイブ解放の一番手が現代美術だった理由です。

宇川:現代美術の解読には歴史やコンテクストの理解は重要だけど、それだけに収まらない複雑さを持っているじゃないですか。たとえばジル・ドゥルーズ(20世紀のフランスの哲学者)的な「強度」に宿る絶対的価値とか? 「アートとはなんぞや?」を問うとして、1人目の意見に触れて、2人目に耳を傾けたら「こいつら、まるっきり言っていることが違うぞ」と思うでしょう。3人目に触れたら時空が崩壊するほど、決定的に違う(笑)。要するに作家の固有性、真性性、その強度が、作品をアートたらしめている側面もあるので、全員違っていて当然。もちろんそこにヒエラルキーはありませんが、僕がやってきたグラフィックデザインとは対極なんですよね。デザインって、前提としてトレンドがあるじゃないですか。繰り返される幾度かの隆盛の上に、新たな時代解釈を加えて次なるブレイクを作っていくデザインには「決定的に違う」という佇まいが本質的に当てはまらない。

―アートの多様性が、宇川さんにとっては魅力的なんですね。

宇川:魅力的だし、自分自身も他の作家に学びたい。だから直にアーティストの声を極度の水圧で浴びたいんですよ。

『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』田名網敬一 展示風景
『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』田名網敬一 展示風景

―『DOMMUNE University of the Arts』は、宇川さん個人にとっての学びの場。「大学」でもあると。

宇川:そうです。僕は京都造形芸術大学で教鞭をとって今年で12年になりますが、現代の「大学」にはフリーキーさが足りない。僕の授業は、カリキュラム段階ですでに振り切れていますよ。なので今回の『DOMMUNE University of the Arts』は、ハードコアなゲストを招いたエクストリームな課外授業だと捉えることもできます。

―展覧会の会期は11月3日までですから、現在(取材は10月8日)ちょうど折り返し地点です。実際にやってみて感想はいかがですか?

宇川:まったく新しい展示方法を実験しましたが、すでにかなりの手応えがあります。ただ問題なのは、多くのDOMMUNE視聴者は、トークがメインで展示は添え物と誤解している可能性があることです。言ってみれば、美術解説書を読んで巨匠の作品に触れた気になっているのと同じですよね。つまり本物の『モナリザ』は、(モニター画面のように)4色分解されていないし、マルセル・デュシャンの『泉』には匂いがある。それが無臭という匂いなのか、醗酵した黄金水の臭いなのかは、現場で便器と向かい合わないとわからない(笑)。

新作は、自ら地下スタジオに閉じこもり、1000人以上のアーティストをカメラで切り取ってきた記録であり、自分自身のパフォーミングアートでもあるんです。言ってみれば『笑っていいとも』のタモリ状態ですよね。

―良きにつけ悪しきにつけ、アーカイブは現在性や現前性を失ってしまいます。でも宇川さんは、いかにしてそこに身体性を持ち込めるのかを問題にしていますよね。

宇川:クラブカルチャー出身の僕には、身体性が重要なのですよ。

『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』宇川直宏『DJ JOHN CAGE & THE 100 WORLD WIDE DJS』展示風景
『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』宇川直宏『DJ JOHN CAGE & THE 100 WORLD WIDE DJS』展示風景

―その身体性やアウラについては、展覧会に出展されている宇川さんの新作『DJ JOHN CAGE & THE 100 WORLD WIDE DJS』にもつながってくるものではないでしょうか。

宇川:そう。あの作品は、僕がこの5年間に地下スタジオに籠り続け、世界各国から1000人以上のミュージシャンやアーティストを招き、「いま」と「ここ」の一回性が生み出す「現在」を切り取った記録であり、自分自身のパフォーミングアートでもあるんですよ。自らを恵比寿の地下室に軟禁して閉じこもり、同時代を生きるアーティストの動くポートレイトを撮影し、観測する。言ってみれば「カメラを持ったタモリ」(『笑っていいとも』放送時の)ですよね(笑)。森田一義氏に、ジガ・ヴェルトフ(ドキュメンタリー映画の父と呼ばれる旧ソ連の映画監督)のコンセプトを注入すれば僕になる(笑)。

―「DOMMUNE=新宿アルタ」説(笑)。『DJ JOHN CAGE~』は、これまでDOMMUNEに登場した1000人のDJのプレイ映像を敷き詰めるように壁面投影する作品です。そして展示中央に設置されたDJブースには、生人形のジョン・ケージが鎮座している。「ジョン・ケージ=タモリ」とでもいうようなしつらえです。

宇川:日々さまざまなDJのプレイに触れ、その興奮に同調して激しく映像のスイッチングを行う僕自身の軌跡がアーカイブされている。これは、自分自身にとってのパフォーミングアートの完成形と言っていいでしょう。さらに1000曲が同時に鳴っている展示室の音楽は、圧倒的なノイズでしかなく誰も聴き取れない。だから、これはもはや音楽でもないのです(笑)。

『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』宇川直宏『DJ JOHN CAGE & THE 100 WORLD WIDE DJS』展示風景
『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』宇川直宏『DJ JOHN CAGE & THE 100 WORLD WIDE DJS』展示風景

―先ほど著作権の話が出ましたが、同時に鳴っている膨大な数の音楽もJASRACに申請してるんですか?

宇川:やりようがないので、する必要がない。もはや瀑布の音にしか聴こえないし、誰も著作であると判別できません(笑)。すでに環境音です。ただ、これはコンセプトの一部ではあるのですが、展示室で60分に1度「4分33秒」間だけ、明滅した状態で、まったくの無音状態になるシーケンスがあります。つまりジョン・ケージの“4分33秒”が「演奏されている」。“4分33秒”はJASRACの著作権登録があるのですよ。だからまったくの無音状態に対して「4分33秒間演奏しない」ということがコピーライトとして守られてるのです(笑)。

―無音であるはずなのに音楽がある(笑)。無響室で無音の状態はないことに気付いたという、ジョン・ケージの有名なエピソードを思い出しますね。

宇川:はい。自らの「血流の音」と「神経の音」という2種類の身体音を発見した、と。さらにヤバいのが、ジョン・ケージの彫刻は、ターンテーブルに向かっているが、当然「プレイはしていない=演奏していない」。しかもこのターンテーブルにセットされているのは「世界の蓄音機」という歴代蓄音機から再生されたSP盤が収録されたレコードで、つまりヴァイナルカルチャー成立以前の録音物をケージは奏でようとしている。

宇川直宏

―録音、複製メディアの全歴史が、偉大なボイド(空白)としてのケージの“4分33秒”に収斂しているような絵図ですね。

宇川:そうですね(笑)。そして著作権料というのは、演奏した回数に対して請求されるので、“4分33秒”を1日何回プレイしたか……いや、プレイしなかったかをJASRACに報告して、著作権料を納入しないといけない(笑)。ヤバいでしょ? 無音の著作に耳を澄ますとオーディエンス一人ひとりの血流の音が鳴っている。その生命の躍動に対して僕が著作権料を上納する(笑)。

僕の中では企業もアーティストもコラボレーションの対象としてはまったく同等。企業のスポンサードを募ってお金にまつわる作品を作ることは、まったく不自然じゃないんです。

―宇川さんの作品って、お金や経済に関わるものが多いのはなぜでしょう。今回のジョン・ケージの作品も、消費者金融のプロミスの協力を得ています。

宇川:はい。今回はプロミスの協賛なくしては作品自体が成立しませんでした。『FREEDOMMUNE0〈ZERO〉A NEW ZERO 2012』で夏目漱石の脳を展示しましたが、漱石もかつては千円札の肖像です。今回は消費者金融であるプロミスにスポンサードして頂き、お金にまつわる作品を展示している。できれば会期中に、プロミスのキャッシュディスペンサーを展示して、その4分33秒間だけ、キャッシングできるようにしたいと考えています(笑)。

『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』会田誠 展示風景
『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』会田誠 展示風景

―そういえば、宇川さんが昔、音楽レーベルを立ち上げたときも、友人から100万円をボンと渡されたというエピソードを聞いたことがあります。

宇川:20歳のときに、自己啓発セミナーで頭が開いちゃった友人から「人の為になることに使ってくれ」と言って渡された100万円を資本金にレーベルを立ち上げたのですが、じつは運用資金はプロミスからの借り入れで、若くしてお世話になった金融機関から今回、再度サポートを頂いているという事実は、必然だと捉えるしかない。プロミスに限らず、これまでもたくさんの企業とコラボレーションしてきたけれど、その企業の持つコンテクストやテクノロジーを全面的に活かして作品を作っているから、僕の中では企業もアーティストもコラボレーションの対象としてはまったく同等であるという発想なんです。アーティストだって、専門分野のスキルを磨き、作品を売るためにセルフプロデュースを重ねている側面はあるわけで、それは企業の佇まいと変わらない。そう考えれば究極の人気商売がアーティストだと捉えることもできる。プロミスさんの特徴である「24時間いつでもお金を借りられる」というコンセプトだって超独創的ですよね。コンセプトの融合が、作品により豊かな価値を与えていくんですよ。

聖なるファインアートと、俗なるコマーシャルアートの枠組みを抹消するのが僕の役割であり、それらを結びつけるハブでありたい。

―ポピュラリティーや複製メディアに対する宇川さんの強迫的とも言えるスタイルは、やはりデザイナーという出自の影響が大きいですよね。

宇川:それはあります。聖なるファインアートと、俗なるコマーシャルアートの枠組みを抹消するのが僕の役割であり、作品の通奏低音でもあります。

『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』横尾忠則 展示風景
『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』横尾忠則 展示風景

―芸術と商業の境界ですね。

宇川:純粋芸術と応用芸術を結びつけるハブでありたいんです。そういう意図から、かつて僕は「メディアレイピスト」を名乗っていましたが、京都造形芸術大学の教授に就任したときに、大学側からはやめてくれって言われました(笑)。当時、後にミラーマンの異名をとる某大学有名教授が手鏡を使って女性のスカートの中を覗くっていう事件があったりしたので、大学教授が「レイピスト」を名乗っているのはいかがなものかと。

―ビビりますよね(笑)。

宇川:『奥さまは魔女』ならぬ「教授はレイピスト」。ありえないでしょう!? それで肩書きを「メディアセラピスト」に変えたんですよ。

―いきなりメディアの心理療法士に(笑)。

宇川:でも、ちょっと聞いてください。ここには恐ろしい符号があって「メディアセラピスト」の綴りをイメージしてください……。セラピストを英語で書くとTherapist。つまり「The Rapist(ザ・レイピスト)」なんですよ……!

―おおおお……!

『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』Chim↑Pom 展示風景
『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』Chim↑Pom 展示風景

宇川:つまり僕は、セラピストでありレイピストでありたいと。デザイナーの仕事って、基本的には問題解決であり、クライアントに対してはセラピストでなければなりません。でも、時には問題解決のために、過去のイメージや既成概念を崩壊させないといけない場合、つまりレイピストであることを求められるときもあるんです。しかも、僕に来る仕事の大半が「これまでのアーティストのイメージを打ち砕き、ネクストレイヤーに推し進めて欲しい」というものだったから、かなり前から正にメディアセラピストであり、メディア・ザ・レイピストでもあったんです。

―破壊と再生。

宇川:それを繰り返してきたわけです。その行為をアートのフィールドに持ちこんだならば、むしろ現在的な問題を投げかける為のポップアートとなった。

鴻池朋子さんが言っていたのは、「アーティストはねつ造の歴史で成り立っている」ってことで。だから鑑賞者も批評家も歴史をもっと学ぶべきだと。

―話をアーカイブに戻したいのですが、いわゆるオーラルヒストリー(口述記録による歴史証言)にも問題点があるじゃないですか。というのは、人間は自分の歴史や経験をねつ造してしまうから。たとえば90歳のおじいちゃんに話を聞いても、記憶が曖昧だったり、楽しかった思い出に過去をすり替えてしまったりする。

宇川:もちろん。それは『DOMMUNE University of the Arts』の2夜目に登場した鴻池朋子さんも言っていましたね。鴻池さんが際立っていたのは、インタビュアーに指名したのが美術評論家の福住廉さんで、福住さんがこれまで鴻池さんについて書いたテキストをアーティスト側が解読し、批評家の言葉を通じて自らを再発見していくというスタイルでした。つまり言ってみれば、批評家を晒しているわけです。で、福住さんを隣に置いて真横で「あのとき私のことをこう言ってたけどさ……」って迫るんですよ。恐ろしいよー!

―レイピストですね(笑)。

宇川:美魔女レイピストですよね!(笑) 今回のシリーズで配信した番組の中で、鴻池朋子さんは「アーティストはねつ造の歴史で成り立っている」と仰っていました。だから鑑賞者も批評家も、もっと学ぶべきだと。審美眼というのは、一度コンテクストを捨てたところから研ぎ澄まされるのだと思います。

『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』鴻池朋子 展示風景
『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』鴻池朋子 展示風景

―アーティスト自身が、自らを語ったり記録することに対して、ジャーナリスト以上に意識的であることの証拠ですよね。鴻池さんであれば、福住さんという他者を設定することで、外からの批評の軸を作ろうとしている。そうやって、ねつ造や曲解の危うさを孕みつつも、出演者であるアーティスト自身が主体的に振る舞うことを良しとする姿勢が、DOMMUNEが目指すアーカイブの独自性なのかもしれません。

宇川:出演者自身が聞き手を選べるってなかなかないことですよね。心を許せる相手だからこそ、鎧を脱いだような、無防備なコアを見せてくれているのかもしれないし、DOMMUNEという場の力がそうさせているとも言える。そういった振る舞いに対して、タイムライン上でビューワーが批評していくといった構造になっていて、それがすごく新しいなと。岡崎乾二郎さん(「崎」はたつさき。美術以外にも批評など、広範囲に及ぶ活動で問題提起を行う現代美術家)は、歴史的創作版画家の作品解析を通じて、自らを浮上させていくスタイル、蜷川実花さんは雑談の中から創作を振り返り、会田誠さんは自己を淡々と分析し、ヤノベケンジさんは生い立ちから掘り下げた独り語りでした。飴屋法水さんの回は、飴屋さんのこれまでの活動を、聞き手である椹木野衣さんが圧縮して戯曲に纏めた側面を持つ、最近作『グランギニョル未来』のディテールを掘り下げることで、要所に散りばめられた作家世界を解読していく構成になりました。他にもたくさんのアーティストを収録してきましたが、全番組素晴らしいです。

『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』岡崎乾二郎 展示風景
『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』岡崎乾二郎 展示風景

―カメラを回している宇川さんも介入してきますしね。

宇川:聞き手が僕の顔を見て「来てよ……」みたいなアイコンタクト送ってくるときもあるし、岡崎乾二郎さんがゲストのときは「入ってきなよ」って煽ってきたし(笑)。だいたい岡崎さんは最初から「自分語りはしない」って宣言していたのに、途中から語りまくって下さって、最後には「今度展覧会を一緒にやろう!」という構想も立ち表れて(笑)。

―岡崎さんも、アウラや人間の主体から離れた制作の問題について、一貫して取り組んでいますよね。宇川さんも有名人の手書きサインを完コピして書いた『2NECROMANCYS』という展覧会がありましたけど、岡崎さんとのバトルが実現したら楽しいです。

「現代」を扱っているテレビさえも大半が収録になって、「現在」と向かい合うことを放棄した。だから僕らは、その現在の速度を超えていかないといけない。

―『DOMMUNE University of the Arts』は11月3日まで開催されていますが、最後に意気込みを聞ければと。

宇川:DOMMUNEを立ち上げたときに「『現在アート』の可能性を探る」と宣言しました。日刊メディアは、近代でも現代でもなく、現在と向かい合う他はない。冒頭でも語りましたが、もうすでに僕自身が「現在」を体現してしまっている。そうやって加速させて「現在」すらも超えていくと、アニメーションのフレームが感知できるみたいに、速すぎて全てが止まっているように見える。速度なき荒野が広がって見えます。つまり極端な加速が重要なんですよ。って、なんか阿部薫と鈴木いづみ(1970年代のフリージャスサックスプレイヤーとポルノ女優兼作家)の関係みたいですね(笑)。「速度が問題なのだ! 誰よりも速くなりたい!」とか言い残して、そのあと二人とも死ぬんだよ(笑)。

『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』小谷元彦 展示風景
『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』小谷元彦 展示風景

―その先にポール・ヴィリリオ(フランスの思想家、都市計画家)的な衝突、事故が待っている(笑)。

宇川:はい。「現在」を扱っていたら事故なんか日常茶飯事です。だから地上波のテレビ番組は(生放送でもないのに)「現代」のふりをして、事故を遠ざけようとするわけでしょう? そうやってテレビ番組の大半が収録になり、現在と向かい合うことを放棄した。現在と向かい合えているメディアって限られていますよ。それが僕らですよ。CINRAさんもDOMMUNEも。だから現在すらも自ら超えて、速度視力を鍛えていかないといけない。

―その宇川さんの執着心が、DOMMUNEの5年間に凝縮してますよね。

宇川:執着心っていうか、アーティストを名乗っているのであれば、これくらいはやらないと。『DOMMUNE University of the Arts』に登壇している方々は皆さん突き抜けておられます。昔、田名網敬一さんと横尾忠則さんと僕とのインタビューが掲載された『ART IT』で、奇しくも僕は語りました。「アートは遅い、デザインは速い」と。その速度をアートの側に持ち込んだという意味では、僕の作品は新しいと思います。しかし同時に、現在を生きる人々は、あらゆる場所に点在している情報を拾い上げ、そこからそれぞれのコミュニティーを世界規模で形成させていく。その無数のクラスタが並列で加速し続けているのが、SNS以降の「現在」。その並走加速状態とタメを張るには、我々も日刊の速度で並走し次元上昇していくしかない。

宇川直宏

―それって本当に『頭文字D』『湾岸ミッドナイト』的なデッドレースの世界で、一瞬たりともブレーキを踏めないですね。

宇川:そうなんですよ。しかもそこにね、今台風が追いかけてきているんですよ!(笑) この問題も僕らが先回りして、台風を超えていくか、追い抜かれるしか方法がないんですよ!(取材時、10月12日に開催される『DOMMUNE LIVE PREMIUM "KANDA INDUSTRIAL"』に台風直撃という予報が出ていたが、会場を変更して無事開催された)

―と、すると宇川さん自らいつかDOMMUNEに終止符を打つという選択肢はない?

宇川:可能性としてはいつでもありますよ。ほとんどの作品には「完成」があるので、そこに向けてモチベーションを高めていけるわけじゃないですか。でも今の僕の状態はセックスに置き換えたら「果てなき前戯」。いつカタルシスが訪れるかもわからない、無限の前戯。5年間もの間、日夜勃起したままサブカルチャーを愛撫し続けているのです。

イベント情報
『DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-』

2014年9月20日(土)~11月3日(月・祝)
会場:東京都 秋葉原 3331 Arts Chiyoda 1F メインギャラリー
時間:展示12:00~19:00(番組配信日は23:30まで)、番組配信19:00~23:30(期間中不定期開催)
参加作家:
会田誠
飴屋法水
榎忠
岡崎乾二郎
小谷元彦
河原温
鴻池朋子
小林正人
杉本博司
田名網敬一
chim↑pom
椿昇
中村政人
原口典之
堀浩哉
蜷川実花
毛利悠子
森山大道
ヤノベケンジ
横尾忠則
宇川直宏
料金:展示800円 番組観覧(展示入場込)1,800円

プロフィール
宇川直宏(うかわ なおひろ)

1968年香川県生まれ。映像作家 / グラフィックデザイナー / VJ / 文筆家 / 京都造形芸術大学教授 / そして「現在美術家」……幅広く極めて多岐に渡る活動を行う全方位的アーティスト。既成のファインアートと大衆文化の枠組みを抹消し、現在の日本にあって最も自由な表現活動を行っている自称「MEDIA THERAPIST」。2010年3月に突如個人で立ち上げたライブストリーミングスタジオ兼チャンネル「DOMMUNE」は、開局と同時に記録的なビューアー数をたたき出し、国内外で話題を呼び続ける「文化庁メディア芸術祭推薦作品」。現在、宇川の職業欄は「DOMMUNE」。



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