今や日本各所でたびたび開催される「国際芸術祭」。どれもがその土地ならではの特色を打ち出す中、一方で「アートは町おこしの道具でよいのか?」などの議論もある。この秋に初めて開催される『国東半島芸術祭』は、そんな状況下でひときわ異彩を放つ試みだ。開催地は「日本の秘境100選」にも数えられる、大分県北東部にある円形の山岳地域。ものの数分で完売、数百名のキャンセル待ちを生んだ飴屋法水の異色アートバスツアーや、山中に設置された巨匠アントニー・ゴームリーの人体彫刻をめぐる賛否両論など、開催前から話題にことかかなかった。そして今年10月、いよいよ本開催でその全貌が現れる。そこで総合ディレクターの山出淳也と、参加作家のチームラボから猪子寿之を迎え、その世界にひと足早くふれてみた。「芸術祭とは名ばかり」(山出)、「国東半島はとにかくヤバい」(猪子)とも言う両者の真意とは?
この春に山出さんの案内で国東半島を初訪問しました。行ってみての印象はとにかく「アブない場所」だな、と(笑)。(猪子)
―まずは、国東半島とはどういうところかを教えてもらえますか? 山出さんは大分出身で、別府市でアートNPO・BEPPU PROJECT(『別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」』などを主催)を手がけるなどしていますね。
山出:おかげさまで別府の試みは継続して広がっています。そうした経緯もあって、大分県庁の方々と、県内でさらに何かできないかと話し合ってきました。『瀬戸内国際芸術祭2010』を一緒に視察し、若い人々が離島に訪れてアートに感動する様子を見て、国東半島でも芸術祭をと相談されたのがきっかけです。
―温泉観光地の別府と違い、国東半島は陸の離れ島的でもあるのでしょうか? 「日本の秘境100選」にも選ばれていますね。
山出:大分県北東部、海に囲まれたお椀状の山岳地です。衛星写真だとよくわかりますが、半島中央の両子山から大昔の火砕流で放射状に生じた峰々の間に、集落が生まれています。昔は隣の集落に行くのもいったん峰の上まで登ってからでないとわたることが出来ず、こうした事情もあって、固有の文化が育ったようです。今は高齢化・過疎化も進み、これからのために試行錯誤をしています。1300年以上前から日本の信仰・政治・流通の大きな役割を担った地でもあり、古来のお寺や、山河に彫られた大きな石仏たちが日常と一体化している。ただ今回の『国東半島芸術祭』の目的は、単に「アートで地域の魅力を広く知ってもらおう」ということとも違います。
―資料には「芸術祭とは名ばかりである」という挑発的なメッセージもありました。
山出:芸術祭の「祭」について考えると、札幌で人気の『YOSAKOIソーラン祭り』のように、多くの人に「見せる」ことを前提に盛り上がってきた祭があり、それはそれで素晴らしい。でも、見せるだけじゃない祭もあります。または、同じ「見せる」にしても相手は神様、という古来の祭もある。国東半島にも、選ばれた2、3人のみが一言も発せず山を登り、頂にある聖なる綱を取り替えて戻る祭があります。参加アーティストたちには何より、国東半島のそうした独自の文化に向き合いつつ、この場所の未来につながる創作をしてほしいと考えました。
『熊野磨崖仏』 撮影:石川直樹 / ©国東半島芸術祭実行委員会
―本開催は今秋ですが、2012年から『国東半島アートプロジェクト』として準備が進んでいましたね。石川直樹さん、飴屋法水さんらの参加が話題になりました。
山出:2012年は「異人」、2013年は「地霊」をテーマにアーティストと国東半島の出会いによる作品が生まれ、また社会学者の山田創平さんには、国東半島の歴史的背景を地名から俯瞰する考察もお願いしました。そしてこの秋の芸術祭のテーマが「LIFE<生命、生きて活動すること、人生、存在>」です。作品数を絞って一つひとつとじっくり関わってもらい、この場所にしかない魅力と出会う「旅としての芸術祭」です。
―この中でチームラボは、国東半島内でも特徴的な6つのエリアに新作を設置する「サイトスペシフィックプロジェクト」に参加とのこと。ほかにアントニー・ゴームリー、オノ・ヨーコ、チェ・ジョンファ、さらに宮島達男、川俣正、勅使川原三郎というビッグネームが並びます。猪子さんは現地に行って、どんな風に感じましたか?
猪子:お話をいただいたのは、ちょうどニューヨークのPace Galleryでチームラボの初個展が決まったころ。ギャラリーの人たちにも「いい作家陣だし、絶対やったほうがいい!」と言われ、この春に山出さんの案内で国東半島を初訪問しました。行ってみての印象はとにかく「アブない場所」だな、と(笑)。
―アブない、というと?
猪子:まず、山奥や川の中とか、そこらじゅうの自然岩にヘンな仏像が彫りまくられてるんですよ。もう尋常じゃない数の仏が、しかも超ヘタウマな感じで。
山出:いやいや(苦笑)、あれは巧いよ。たしかに奈良・京都の仏像と比べたら、異質ではあるけど。
猪子:磨崖仏(まがいぶつ。自然の岩壁などに造立された仏像)っていうんですよね。奈良・京都の仏像のように、依頼を受けて作られた精巧な仏像ではなくて、誰かが「ヤバい、いい岩みつけた!」って、衝動的に作らずにはいられなかった、そんな迫力のものがあちこちにあって。
山出:国東半島は地形に加え、そこから生まれた文化も独特なんです。万物に神が宿る日本的アニミズムの故郷とも言え、半島の付け根にある宇佐神宮は、全国にある八幡信仰の発祥地です。さらに瀬戸内海の入口として海洋交易の要所だったので、大陸から仏教が伝わるとそれらが融合して「六郷満山」という独自の山岳仏教文化が生まれました。つまり、神と仏が共存する日本独特の「神仏習合」の故郷でもある。
猪子:とにかく、深入りしたら戻れないんじゃないの? というほどのインパクトを感じました。さらに、年に1度行なわれる祭の記録映像を見せてもらったら、これがまた凄い。鬼面を被った人が燃え盛る炎に飛び込もうとするんだけど、だんだん激しくなって、最後は火に飛び込もうとする鬼を、僧侶が体を張って必死で止めてる(笑)。だから初体験の僕としては、もういろんな意味で「アカン場所」だったんですよ!(すごく嬉しそうに)
他のアーティストもみんな、国東の自然にヤラれちゃったのかなと。アレコレやるより、眼の前のこのヤバい風景そのものを見た方がいいじゃん、となったのかもなあ、って(笑)。(猪子)
―えーと(汗)、穏当に意訳すれば、猪子さんにとっての国東半島は、時間を超えて非日常と日常が溶け合うような場所だったようですね。
山出:先ほどの火祭りについて言えば、一種のトランス状態で行われるものではあるでしょうね。他にも猪子君とは、1000年以上前からほぼ変わらない、現存する日本最古の水田群も見に行ったね。クネクネした不揃いな区分けなんだけど、じつは斜面の上から下まで養分が等しく行き届いていたり、生きるための優れたテクノロジーが古くからあったことを窺わせます。
猪子:あと、僕が訪問したのは3月で、歩いているとやたら花が多いのも気になりました。山中でも自生にしてはやけに多く、地元の人に聞いても理由はよくわからない。その後、人里近くに行ったら菜の花が異常に咲いている場所があって「そういうことか」と。たぶん、ヒトが花をたくさん植えるから、自然界にも自生の花が増えている。つまり、親が多いから子も多い。
山出:あの花畑は「香々地」という所で、高齢化にともない耕作放棄地になっていた土地を花畑にする活動が地元で始まって、夏はひまわり、秋はコスモスが咲くんです。
猪子:そうやって花が咲きまくる人里と山合をウロウロしてると、ポカポカ暖かいし、異常に気持ち良くなっちゃった。僕は田舎が特別好きなわけじゃないけど、「あー、タカシ君だったら絶対ここに住んじゃうな」って。あ、タカシ君ってチームラボのヒッピー精神のあるメンバーのことです(笑)。
―なるほど(笑)。
猪子:そこで思ったんです。あ、きっとすでに作品制作していた他のアーティストもみんな、国東半島のコレにやられちゃったんだなと。アントニー・ゴームリーさんの彫像は山の中、鑑賞には往復2時間トレッキングする場所にあるし、オノ・ヨーコさんなんて、菜の花畑の中に『見えないベンチ』ですよ? アレコレやるより、眼の前のこのヤバい風景そのものを見た方がいいじゃん、となったのかもなあ、って(笑)。
『見えないベンチ』オノ・ヨーコ 2013年 撮影:久保貴史 ©国東半島芸術祭実行委員会
『色色色』Choi Jeong Hwa, 2013年 ©国東半島芸術祭実行委員会
山出:オノ・ヨーコさんの作品は、訪れた人が短冊を結び付けられる『念願の木』も同じ場所にありますけどね。チェ・ジョンファの作品もこのエリアです。
猪子:ジョンファさんだって、いつもは花でできた馬とか、キャッチーで華やかな作品が多いじゃないですか。今回の関係者もそういう派手な作品を期待したのでは? でも出来上がったのは、ひまわり畑を眺めるための物見台ですよ!? みんなロンドンとかニューヨークにいたらこういう作品は作らなかったハズ。やっぱこの場所は相当ヤバいと思ったんじゃないかなあ。
この芸術祭は、古来の歴史を含む大きな物語も感じつつ、現在の姿とその課題に向き合う場。その意味でもお祭りというより、未来を考えるための実践と考えています。(山出)
―大物作家たちも国東半島の場力に強く引っ張られた結果、都市部で見せてきたアートとはまた違う作品が生まれたとすれば、山出さんにとっては我が意を得たり?
山出:たしかにチェ・ジョンファの場合、人工物を組み合わせた表現が特徴の彼が、珍しくそうではない作り方に挑んでいます。今後、あの花畑と景色を人々がどう扱っていくのかも含めた表現ですね。ゴームリーの作品は、彼の体を型取りした直立の彫像で、これを今なお修験僧の方々が歩く山道に設置させてもらっています。じつは彼も仏教を学んだ経験があり、そこでこの場所への理解と敬意をもって、事前に登ってもらいました。もう60代半ばなのにものすごい勢いで進んでいって、半島と海を見下ろす場所を「ここしかない」と熱望したんです。
『ANOTHER TIME XX』Antony Gormley, 2013年 撮影:久保貴史 ©国東半島芸術祭実行委員会
―芸術祭に先がけて昨年設置され、すでに錆で全身を覆われた姿も印象的です。
山出:国東半島は古くから砂鉄の産地でもあり、そこから武器作りなど、製鉄とその流通が盛んになった歴史もあります。ゴームリーが鉄を選んだのも、地域の歴史やそこでの人々の生き様に想いを馳せたからでしょうね。
猪子:宮島達男さんの作品もヤバいですよね。六本木ヒルズなどにあるデジタルカウンターとは全然違う。大きな岩場にカウンター埋めてますから。
―……デジタル磨崖仏?
山出:彼は高さ15メートル、幅30メートルほどの切り立った岩場を使い、地域の人や若い世代の協力で作品を作りました。100個の「ほこら」を岩壁に取り付け、中に彼の代表的モチーフ、デジタルカウンターを設置します。
―1から9までの数字が、順に変化していくものですね。「0」のタイミングで数字が消えて闇となり、また「1」からカウントを始める。それを繰り返し、カウンターはまるで輪廻転生のように数を刻み続ける。これが設置される地域の名が「成仏(じょうぶつ)」なのも連想が広がります。
山出:成仏寺というのがあり、鬼がたいまつを掲げて集落をまわる火祭り「修正鬼会(しゅじょうおにえ)」で知られる場所です。サイトスペシフィックプロジェクトでは、こうして6エリアそれぞれで、地域の場と対話する作品を体験してもらいます。これらは芸術祭後も各地域に残すことを考えています。
―勅使川原三郎さんはダム湖畔に作品を展示し、遊歩道散策と融合した体験型のパフォーマンスを敢行。川俣正さんの作品は、江戸時代にローマやエルサレムを巡った国東出身のキリスト教司祭に関わるものと聞いています。
山出:全体として、1300年前からさまざまな変化も経て今に至る国東、また日本を見つめるものになります。1970年代には国道が半島の周りを通り、集落間をつなぐトンネルも開通しました。一方で高齢化・過疎化が進み、現在は豊後高田市・国東市、共に人口は約3万人ほどです。だからこの芸術祭は、古来の歴史を含む大きな物語も感じつつ、現在の姿とその課題に向き合う場。その意味でもお祭りというより、未来を考えるための実践と考えています。
人間がその営みのために自然に手を加え、でも決して完全な制御の下には置けないもの。日本人にとっては昔からそういう「自然」もあるのかなと思ったんです。(猪子)
―未来といえばチームラボですが、今回の国東半島での作品は、どんなものになりますか?
山出:チームラボの作品が設置される真玉エリアは、大分県内でも唯一、西の海に沈む夕陽を見られる場所。山から鹿が砂浜に降りてきたりする一方、手前には国東の近代化の象徴・国道213号線が走る所でもあります。夕陽は1日の終わりと同時に明日にもつながるもので、まさしく未来ですね。そこでこの場所はぜひチームラボに、とお願いしたんです。
『真玉海岸』 撮影:石川直樹 / ©国東半島芸術祭実行委員会
猪子:光栄です。未来はチームラボの存在意義なので。
―先ほど語られた、猪子さんから見た「国東半島のヤバさ」は、どんな作品構想につながったのでしょう?
猪子:たとえば多くの人は、美しい棚田の風景を見て「自然が豊かだね」って表現するし、僕もそうでした。でもよくよく考えたら棚田は人間が自然を切り開いた姿だし、自分が国東半島で見て感じたものは、どれも英語の「Nature=アラスカの原生林みたいなイメージ」とも違うと思って。もし人間が原生林に放り込まれたら、もっと居心地の悪さとか、生命の危険も感じると思う。つまり、人間がその営みのために「自然=Nature」に手を加え、でも決して完全な制御の下には置けないもの。日本人にとっては昔からそういう「自然」もあるのかなと思ったんです。
―国東半島で見た菜の花の景色なども、それだったと。
猪子:もちろん手を加えた結果、思わぬところで不都合な結果が生じる危険もある。ただ、それでも自然と関わり続けた結果、あの「なんでこんなに気持ちいいんだろう?」という場が生まれることもある。国東半島の初訪問からそこまでが自分の中でつながったとき、今回の作品を作ろうと思ったんです。
―それが『花と人 コントロールできないけれども、共に生きる– Kunisaki Peninsula』。具体的にはどういう作品ですか?
猪子:真玉の海岸近くにある、元縫製工場を使ったインタラクティブな映像インスタレーションです。全長54メートルの壁に囲まれた空間で、長い廊下を歩いて行くと、両側の壁に国東の植物が映され、勝手に育ち、花を咲かせ、枯れ……永遠に移ろい続けます。ただ、そこに人が近づくと、花は増えたり、急激に死滅したりもする。廊下部分は鏡面なので、来場者は自らの姿を含めてその様子を見ることになります。だから、見に来てくれる人も含めて成立する作品。
―それで「コントロールできないけれども、共に生きる」なんですね。
猪子:国東半島の里山の今も、1000年以上にわたる人々の手探りがあってのもの。だからこの作品は、国東半島で僕が感じたことを抽象化したものと言えます。その奥にも広い空間があって、詳しくは実体験してほしいけど……ほぼ1時間くらいで、「1年=12か月」の流れを表現することになります。現実はそんなにわかりやすくも、簡単でもないけど、その一側面を考えるきっかけになればいい。
被子植物は、個の生命力を上げることを捨て、かわりに花や果実というエネルギーの塊を宿し、それを求める虫や鳥と影響し合うことで「共生の進化」をとった。それが、今では25万種とも言われる繁栄につながっているわけです。(猪子)
―チームラボの作品は、世界の見えないシステムやつながりを抽象化して、「気付き」を喚起するものが多いですね。ここではどんなことに想いを馳せたのでしょう。
猪子:棚田のように、長く同じものを活かしていこうというときは、システムが循環モデルになっている必要があるし、同時に外部からの恵みなしで完全に閉じているシステムではやっていけない。それは里山の「自然」も都市の暮らしも同様で、人間もしょせん大きな自然の一部ということですよね。当たり前だけど何かと共生している。でも「共生」と「個の進化」の問題って論理的には矛盾や謎もはらむもので、そこにも興味があります。
チームラボ『花と人、コントロールできないけれども、共に生きる - Kunisaki Peninsula』
チームラボ『花と人、コントロールできないけれども、共に生きる - Kunisaki Peninsula』
―もう少し詳しく教えてもらえますか?
猪子:たとえば花って、植物の進化過程でいえば最後にあたりますよね。海の藻類から始まり、コケ、シダ、裸子植物ときて、被子植物が「花」と呼ぶものをつける。裸子植物までの進化は、光と養分を求めてより高く伸び、深く根を張るという、個の生命力を上げる点では合理的な選択だったと思うんです。でも被子植物はその高さと深さを捨てた。かわりに花や果実という、自らは使えないエネルギーの塊を宿し、それを求める虫や鳥と影響し合うことで「共生の進化」をとった。それが、今では25万種とも言われる繁栄につながっているわけです。
―共生の相手なしでは生きていけないけれど、それを選んで生き延びたと。
猪子:あと人間も、ほぼすべての文化圏でなぜか花が好きですよね。自分たちの衣食住に直接は無関係なのに。でもその選択は、文化的な共生関係とも言えるかもしれない。それは宗教や「美しい」という概念、ひいてはアートが生まれたことにも関係するんじゃないか。それが種としての生き方に影響した可能性もあり得るかなって。
―それは素朴な自然礼賛とはまた違う考え方で、これからの人間同士のさまざま共生をとらえる上でも興味深い話ですね。
もちろん会期中に大勢の観客が来てくれたらすごく嬉しいですよ。でもそれだけが目的なら、アイドルを連れてくるほうが効果的だと思う。(山出)
―最後に芸術祭の役割の話を。日本各地で芸術祭が誕生し、地方に人を呼べるイベントも生まれる中で、一方では「アートが町おこしの道具になっていないか?」という批判もなされたりします。
山出:国東半島でも、地域再生は当初から開催地側の希望としてあります。ただ僕は最初からこう伝えていました。「アートは地域の諸問題の解決策にはならない。ただ、課題と向き合い、考える契機は作れるだろう」と。アートを通して地域に問題提起するとき、大事なのは関わり続けることでもある。それを通して人々の中に「考えること」が生まれ、育たないと意味がない。もちろん会期中に大勢の観客が来てくれたらすごく嬉しいですよ。でもそれだけが目的なら、アイドルを連れてくるほうが効果的だと思う。
『旧千燈寺』 撮影 石川直樹 / ©国東半島芸術祭実行委員会
猪子:ただ、あえて言うと、僕はそういう面でもアートがAKB48とかに負けない可能性もあると思いますよ。ゴームリーの作品なんかは、もともと国東半島が持っているポテンシャルとのわかりやすいコネクションになり得るんじゃないかなって。
―ゴームリーは母国イギリスでも、かつて炭鉱街だった土地に、その歴史を見つめるような巨大彫刻を作っていますね。賛否両論だったようですが、時を経て名所になったと聞きます。国東半島の作品も、修験者たちの歩く道に置かれたことで地元で論議を呼んだという報道がありました。
山出:ゴームリーの作品は、国東の人々の葛藤や受け入れの気持ちなど、さまざまな想いと共にあの場所に立っています。数百年か1000年か、時を経るほどに風雨にさらされ、表面は錆び、いずれ土へと還っていく。また、鉄は火を連想させるものでもあり、僕はあの作品に国東を照らし続ける灯のようなイメージも抱いています。一人ひとりの体験や答えには当然違いも出るでしょう。今も未来も、世界はとても複雑なはず。それでも問いかける、というのがアーティストにできる大切な仕事の1つだと思います。
猪子:僕も今回、地元の人との対話の中で「問題を起こすことがアートの役割なのか?」みたいな質問を受けたことがあって。話題集め、売名行為みたいなことに陥っていないかという意味だったと思うんだけど。僕が答えたのは、たとえばゴームリーさんの国際的な知名度からすれば、今さら日本で売名している場合じゃないでしょう。だから動機は明らかにそこじゃないと思うよ、って。その質問の人はもう一人、アイ・ウェイウェイ(社会活動も行なう中国のアーティスト)も例にあげていて、彼は活動の性質上そういう面もあえて意図せざるを得ないかもしれませんね、って答えたんですけど。
―アイ・ウェイウェイのことを知っている人だったんですね。
猪子:うん。だから国東半島の方々って、すごく好奇心のある人たちだと思うんですよ。
違う在り方があるべきだ、と思うならそれを作ればいい。何かに文句を言う時間があるなら、作ることにあてたほうがいいですよ。(猪子)
―猪子さんは、こうした芸術祭にアーティストとしてどんな想いで臨んでいますか?
猪子:地域の芸術祭で現地ならではの作品を作るのも、それを都市に持ち帰ることでまた違うものになるのも、両方アリだと思う。たとえば美術館って後者のための場所だとも思うし。あと、アートに限らず人が何かに関わるとき、それぞれに目的や意図があるのは当然でしょう。目指すものが共有できる所には呼ばれるだろうし、本人もそう思えば参加する。それでいいと思う。逆に、違う在り方があるべきだ、と思うならそれを作ればいい。何かに文句を言う時間があるなら、作ることにあてたほうがいいですよ。作家はそういうものじゃないですか?
―それもまた、一方が他方をただ利用したり、助けるのとは違う共生のあり方かもしれませんね。
山出:国東半島全体を使った芸術祭なので、会期中の週末には、僕や社会学者の山田創平さんと一緒に回るバスツアーも用意しています。また、地域の方々が同乗するバスツアーもあり、地元のおじいちゃんたちがガイドとなって、地域の歴史や文化なども含めて、国東半島の魅力を伝えてくださるそうで、お勧めです。
猪子:まあ、今回はアートを口実にしてでも、みんなで国東半島にヤラれちゃったらいいと思いますよ(笑)。
- イベント情報
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- 『国東半島芸術祭』
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2014年10月4日(土)~11月30日(日)
会場:大分県 豊後高田市、国東市の各所参加アーティスト:
[サイトスペシフィックプロジェクト]
『香々地プロジェクト』
オノ・ヨーコ
チェ・ジョンファ『並石プロジェクト』
勅使川原三郎『千燈プロジェクト』
アントニー・ゴームリー『真玉プロジェクト』
チームラボ『岐部プロジェクト』
川俣正『成仏プロジェクト』
宮島達男[パフォーマンスプロジェクト]
『Tam Kai <Following the Chicken> 国東半島ヴァージョン』
ピチェ・クランチェン『何処から誰が』
勅使川原三郎『いりくちでくち』
飴屋法水[レジデンスプロジェクト]
展覧会
『希望の原理』
雨宮庸介
梅田哲也
小鹿田焼
ジョアン・マリア・グスマン+ペドロ・パイヴァ
椎名勇仁
鈴木ヒラク
スタジオクラ
曽根裕
千葉正也
NAZE
ノマド村
ヒスロム
日名子実三
船尾修
皆川嘉左ヱ門
和田昌宏写真展『NEW VIEW』
西光祐輔ウェブサイトプロジェクト『国東現像.jp』
雨宮庸介
contact Gonzo
田村友一郎
千葉正也
手島寛子
テニスコーツ
西光祐輔
橋本聡
ほか定休日:水曜
料金:無料(一部有料)
- プロフィール
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- 猪子寿之(いのこ としゆき)
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ウルトラテクノロジスト集団チームラボ代表。1977年生まれ、徳島市出身。2001年東京大学工学部計数工学科卒業と同時にチームラボ創業。大学では確率・統計モデルを、大学院では自然言語処理とアートを研究。チームラボは、プログラマ・エンジニア(UIエンジニア、DBエンジニア、ネットワークエンジニア、ハードウェアエンジニア、コンピュータビジョンエンジニア、ソフトウェアアーキテクト)、数学者、建築家、CGアニメーター、Webデザイナー、グラフィックデザイナー、絵師、編集者など、スペシャリストから構成されているウルトラテクノロジスト集団。サイエンス・テクノロジー・アート・デザインの境界線を曖昧にしながら活動中。
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- 山出淳也(やまいで じゅんや)
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1970年大分生まれ。PS1インターナショナルスタジオプログラム参加(2000~01)。文化庁在外研修員としてパリに滞在(2002~04)。アーティストとして参加した主な展覧会として『台北ビエンナーレ』台北市立美術館(2000~01)、『GIFT OF HOPE』東京都現代美術館(2000~01)、『Exposition collective』Palais de Tokyo、パリ(2002)など多数。帰国後、地域や多様な団体との連携による国際展開催を目指して、2005年にBEPPU PROJECTを立ち上げ現在にいたる。『別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」』総合プロデューサー(2009、2012)、『国東半島芸術祭』総合ディレクター(2014)、『おおいたトイレンナーレ』総合ディレクター(2014)、平成20年度『芸術選奨文部科学大臣新人賞』受賞(芸術振興部門)。
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