能町みね子が『ニンフォマニアック』に見る恋愛に屈しない生き方

見る側の観念や想念を根こそぎ揺さぶりまくる挑発的な作品を発表してきた鬼才ラース・フォン・トリアー監督の新作『ニンフォマニアック』。色情狂(Nymphomaniac)の女の半生を描く新作は、セックスに次ぐセックス、あらゆる性交のぬめりと渇きが常時立ちこめる2部構成・4時間超えの超大作。セックスに溺れ続けたジョー(シャルロット・ゲンズブール)とインテリ紳士のセリグマン(ステラン・スカルスガルド)が語り合う、8章にわたる女の一代記。そこら辺に転がっている男と女のルールなんぞ秒速でぶっ壊す直情的な作品に漲るインパクトを、ブログ『オカマだけどOLやってます。』で頭角を現し、「モテ」とは一線を画す独自の視点を提示し続けるコラムニストの能町みね子さんに聞いた。

※本記事は『ニンフォマニアック』のネタバレを含む内容となっております。あらかじめご了承下さい。

(主人公は)決して男に対して従順にならない。全て主体的に動いていて、本当に爽快な女だな、と思いました。

―映画の推薦コメントとして、能町さんは「どろどろで気持ちいい女の一代記」と寄せられていますが、ジョーに感じた「気持ち良さ」って、具体的にはなにを指しているのでしょう。

能町:ただただ肉体的な快楽を追求していく気持ち良さと、恋愛に囚われていない気持ち良さ、この両方ですね。4時間を超える作品が、「これこそが愛なんです」みたいな結論に落ち着いたら本当に最悪だなって思っていたんですけど、そんなところへ向かっていくこともなかった。彼女は、自分がセックスしたいとき以外は一切ヤっていない。

『ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2』
『ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2』 ©2013 ZENTROPA ENTERTAINMENTS31 APS, ZENTROPA INTERNATIONAL KÖLN, SLOT MACHINE, ZENTROPA INTERNATIONAL FRANCE, CAVIAR, ZENBELGIE, ARTE FRANCE CINÉMA

―確かに。色情狂といっても、相手やタイミングを自ら選んでますよね。

能町:男に媚びた洋服を着ていたとしても、決して男に対して従順にならない。全て主体的に動いていて、本当に爽快な女だな、と思いました。私はこの映画を見て不快感など1つも生じなかったのですが、後々になってチラシにずらりと並んだ推薦コメントを読むと、大抵は不快感を入口にコメントされていたことに驚きました。とりわけ、男の人がことごとく辛そうな反応をしていて。

―トリアー監督のこれまでの作品が「不快」とは切り離せないものだという事実はあるにせよ、今作で多くの男性が「不快だ」と提示するところから語り始めているのは興味深いですね。終盤、セリグマンの「男が君と同じ人生を歩んだら? とてつもなく凡庸だ」というセリフが出てきます。どうでしょう、この映画が男の物語だったら凡庸な仕上がりになったと思いますか?

能町:その凡庸さっていうのは、例えば「結婚しているのにふらふら他の女に手を出して子どもを捨てた男」みたいな話なら凡庸だし、「電車の中でヤレそうな女を探して歩きまわる」とかでも凡庸でしょう。でもこの映画って、男女を反転させただけで凡庸になる話ではない。セリグマンの発言に対して、ジョーは「今までに散々聞き飽きた陳腐な言い方ね」と答えていますよね。あれはとても気持ち良かった。つまり、男女を比較しようとすること自体に、くだらない、って言っているわけ。


『アナと雪の女王』もそうですが、男に助けてもらうんじゃない、という流れが出てきているのかもしれないですね。

―この映画は、自身の半生を回想するジョーとセリグマンの対話によって進んでいきますね。ジョーが苛烈な性体験を回想する度に、セリグマンが「それは『釣り』で言うとだね……」とか「哲学者が言うには……」とインテリジェンスにかぶせていく。最初は「このオジサン、正しいこと言うなぁ」と素直に聞けるのですが、徐々にセリグマンの説明が面倒臭くなってくる。

能町:エンディングを知った上で2回目を見てみたんですけど、やっぱりセリグマンの話がどうにも理屈っぽいんですよ。ただし、ベタな映画だと「セックスで傷ついてきた女」と「助けた男」って、うっかり真実の愛を見つけちゃったりしますよね(笑)。でもトリアー監督は、全編にわたってその筋を叩き壊していく、これが私からすれば爽快だったんです。

能町みね子
能町みね子

―「傷ついた女」というのは、物語の前提やイントロとして頻繁に使われますよね。傷ついた女をヒーローチックな男が回収していく「いい話」。でも、この映画はイントロからアウトロまで徹底的にジョーの物語、女の物語ですね。

能町:『アナと雪の女王』もそうですが、男に助けてもらうんじゃない、という流れが出てきているのかもしれないですね。女の人がずっと主体、という。

―公開前ですから詳細は書かないにしても、あのラストシーンを能町さんはどう見ましたか?

能町:とにかく最後のセリフが痛快でした。「男とはこういうもの」に突き動かされちゃう男を皮肉でぶん殴るような言葉でしたよね。色情狂と言われる過剰な女は、決して男に屈しているわけではない。この主張を最後まで崩さなかった。

とにかく小学校くらいから恋愛モノが大嫌いだったんです。映画や音楽や漫画を通して提供される「恋愛」に屈している感じが気持ち悪かった。

―今回4時間という長篇で、そりゃまあ幕の内弁当のようにあらゆるセックス描写が出てくるわけですが、とりわけ印象に残ったシーンはありますか?

能町:一番印象的だったのはセックスセラピストの「K」。彼の前でジョーはSMのMなわけだけど、ここでも、Mだからなんでも受け入れるっていうスタンスではない。Mでありながらも自主的なんです。

―ジョーを演じたシャルロット・ゲンズブールはインタビューで「彼(トリアー監督)は女性キャラクターに彼自身を投影しているのよ」(『ユリイカ』2014年10月号)と言っています。その点についてはどうですか?

能町:よく男性監督がこれを撮れたなと思いましたね。私には徹底して女目線に見えました。

『ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2』
『ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2』 ©2013 ZENTROPA ENTERTAINMENTS31 APS, ZENTROPA INTERNATIONAL KÖLN, SLOT MACHINE, ZENTROPA INTERNATIONAL FRANCE, CAVIAR, ZENBELGIE, ARTE FRANCE CINÉMA

―ジョーがジェロームに処女を捧げるときに、パンティーを丁寧にたたんでタンスの上に置くシーンがあります。「うわっ、男の頭ん中にある理想や約束事がそのまま描かれる映画なのか?」と思ったけれど、そうじゃなかった。

能町:確かに最初はステレオタイプを誇張しすぎるところもありましたね。若き日のジョーは三つ編みだし、清楚すぎる感じのファッションだったし、なによりそれを語るセリグマンがフィボナッチ数だとか数字の知識を持ち出して男性的な理屈を捏ねたりするし(笑)。

―飲み屋でいきなり「いやそれはゴダールの映画で言うとさ……」とか語り始めるインテリオヤジの煩わしさに似てましたよね(笑)。この作品には、単なる恋愛映画に終わらなかった爽快さがあったとのことですが、能町さん自身は、映画に限らず「単なる恋愛モノ」とどう付き合ってきたんですか?

能町:とにかく小学校くらいから恋愛モノが大嫌いだったんです。流行っている音楽、少女漫画、少年漫画、とにかく恋愛だらけじゃないですか? ヒット曲もラブソングばかり。私は色々あって男性から女性へ性転換したから、今思えば性的な意識の差だったとは思うんだけど、男の子がエロい話をしているのを聞いても私はそれに全く興味を持てなかった。「ヤルなら誰とヤル?」っていうリビドーだらけの会話を心底くだらないと思っていたし、私も将来こうなっちゃうのかな、と漠然とした不安もあった。

『ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2』
『ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2』 ©2013 ZENTROPA ENTERTAINMENTS31 APS, ZENTROPA INTERNATIONAL KÖLN, SLOT MACHINE, ZENTROPA INTERNATIONAL FRANCE, CAVIAR, ZENBELGIE, ARTE FRANCE CINÉMA

―煩悩だらけの男子に対して、能町さんは常に客観的な目線で距離を置いていたんですね。

能町:とにかく映画や音楽や漫画を通して提供される「恋愛」に屈している感じが気持ち悪かった。無理やりにでもその流れに乗ってみたいと思ったときもあって、好きな女の子を強引に作ってみたりもしたんだけど、手を握りたいなんて一切思わなかった。ま、いずれはそういう気持ちになるんだろうし、みんなは今から本能に負けちゃって馬鹿だなぁ、って異様に冷静に見ていました。女の子と付き合った友達が別れて落ち込んでいたときは、一般論で励ましたりもしていましたが、ちっとも気持ちが分からなかった。こんなことが重なって、壁がどんどん分厚くなってしまった。

能町みね子

―そのときの能町さんの中にあった一般論というのは、どこで培われたものだったんですか?

能町:恋愛についてはどこでだか分かりませんが、漠然と見ていたテレビなどじゃないでしょうか。個人的には恋愛の絡まないものがすごく好きで、音楽で言うと当時は「たま」が流行ってたんですよ。小学生のときに聴いた“さよなら人類”の意味はさすがに分からなかったですけど(笑)、以降の曲は比喩的なんだけどセックスに関する曲が結構多かったですね。あとは、初期のスピッツ。死や性を歌う曲が多くて、甘いラブソングじゃなく、「人間どうせ死んでしまうし」って心情を小難しく歌っていた。初期のエレファントカシマシは、基本「色々ぶち壊せ」って感じの曲ばかりで好きでしたね。つまり、恋愛が絡まないピュアなものばかり聴いていたんです。でもなんで現実の性に興味を持てないんだろう? 興奮できないんだろう? という疑問はあったので、図書館に行って性に関する辞典とか読んでました。

「愛とは、嫉妬交じりの性欲にすぎない」というが私の心情にしっくりきました。男の幻想を全部ぶち壊す爽快さに満ちていましたから。

―「こんがらがっていればこんがらがっているだけ面白い」みたいな定義が恋愛モノにはある気がしますけど、『ニンフォマニアック』には、まず欲望があって、ただただそこにストレートに突進していく直接性がありましたね。

能町:そこが気持ちいいんですよね。

―昨日、試写用DVDを1部・2部と続けて見たのですが、2部を見る前に『テラスハウス』の最終回を見ておこうと思って(笑)、1部、テラスハウス、2部っていう順番で見たんです。そうすると間に挟まれている恋愛モノがいかに添加物だらけの物語かが分かりまして……。

能町:素晴らしい見方だと思います(笑)。映画のコピーとしても使われていますけど、「愛とは、嫉妬交じりの性欲にすぎない」という言葉が私の心情にしっくりきました。三浦大輔(劇団ポツドール主宰)さんの『愛の渦』もこのコピーに近い作品でしたよね。男の幻想を全部ぶち壊す爽快さに満ちていましたから。

能町みね子

―誰が浸透させたのか知りませんが、「男の人は女の処女を奪いたい / 女の人は男の最後の人でありたい」という定義がありますけど、この映画に出てくる男の中で「処女を捧げた男=ジェローム」だけ突出した存在感を持ちますね。性に奔放なジョーは、ジェロームにだけ固執し続けます。

能町:確かに不思議な点でした。普通の恋愛をしているような人たちに向けた妥協点という感じもした。「ヤっては去る」を続けるだけではなくて、「しっかりと嫉妬もするんですよ」ということを一応言っておいたというか。ただ私は、あの嫉妬の描写はもったいないな、と思っちゃいましたね。

―父性についても切実に描かれています。ジョーのお父さんが死ぬシーンは象徴的です。父が死を迎えるこのチャプターだけ、モノクロで意図的な作りでしたし。

能町:生育歴が本人と関連付けられちゃうのは邪魔だなぁと思って見ていましたが、関連付けたのか付けていないのかの微妙なライン。お父さんの影は確かに最後まで色濃いですよね。それにしてもセックス描写といい、特殊な環境といい、このジョーを演じられる日本の女優さんが浮かんできませんでした。

『ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2』
『ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2』 ©2013 ZENTROPA ENTERTAINMENTS31 APS, ZENTROPA INTERNATIONAL KÖLN, SLOT MACHINE, ZENTROPA INTERNATIONAL FRANCE, CAVIAR, ZENBELGIE, ARTE FRANCE CINÉMA

―あっ、ちょうど今日ここへ来るまでに編集者に話していたんですよ。「土屋アンナじゃないぞ」って(笑)。

能町:ベタすぎる方向でいくと、絶対に演じられるのは鈴木砂羽さんだと思うんですよ。ただ私が今なぜかパッと思い浮かんだのはキョンキョン(小泉今日子)。恐らく日本では、実現は難しいでしょうけど。

―でも、メンタリティーとしてはやっちゃいそうですよね。園子温監督がインタビューで言っていたのですが、トリアーの映画ってヨーロッパじゃそこら辺の雑貨屋でザルに盛られて売られているそうです。言葉が正しいのか分からないですけど、「文化度」が相当高い。日本で公開されるバージョンだと局部に細かくモザイクがかかってますけれど……あれについてはどうでした?

能町:モザイクはやっぱり気になっちゃいますよね。

―突然、AV感が出ますよね。

能町:いろんな人と寝たっていうシーンで男の人の股間がガンガン続けて映りますよね。全部モザイクだから、なんかイライラしてくるんですよね。この間、アップリンクでホドロフスキーの映画を見たんですけど、全くかかってなかった。でも、このモザイク問題も含めて、この映画がいわゆる普通の媒体でどう言われるのか楽しみですね。「どれだけねじ曲がった女子でも愛情が大事」と解釈しちゃう人がどれだけ出てくるのか、っていう。

―お昼の情報番組でやって欲しいですね。「愛を忘れていませんか?」って(笑)。

私も60、70歳になったら多分寂しくなると思うんですよ。でもそれが恋愛である必要性はないような気がしている。

―この映画を試写で見た男性の感想の中に、「セックスってそういうものでしょ、こういうもの見せとけば楽しいんでしょ、みたいに見せてくるのが嫌だった」というものがあったらしいんですよ。いやはや、すさまじく浅い解釈でゲンナリします。

能町:AVだと思ってるんですかね。これは興奮目当てで見る映画じゃない。男とヤリまくるジョーは寂しさを醸し出している。でも、それは愛情で補う寂しさじゃなくて、ただの孤独からくる寂しさ、とも解釈できます。私も60、70歳になったら多分寂しくなると思うんですよ。そういうときのために一緒にいる人が欲しいなとも思うけど、でもそれが恋愛である必要性はないような気がしている。体の快楽のために生きている人がとても羨ましいと思うし、とにかく最近はなにかと恋愛を絡めてくるのが面倒臭いと思うようになってきていて。

―「孤独で寂しい」と「愛が欲しい」はイコールではなくて、分化しちゃっていいじゃん、という映画ですよね。

能町:そう、ふりまわされないでいたい。「愛とか恋とか凡庸なものにふりまわされないでいたいと改めて思った」と推薦文に書いたんですけど、この「改めて」っていうのは小学生のときくらいからで、わりと長いんですよ(笑)。恋愛が大好きでちゃんと恋愛して結婚して幸せにやっている人を否定するつもりはないですけど、でもそれがすべての正解ってわけではない。世間の波に溺れずにいようと小学生のときに思ったその考えはそれほど間違っていなかったな、と改めて感じさせてくれた映画なんです。

『ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2』
『ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2』 ©2013 ZENTROPA ENTERTAINMENTS31 APS, ZENTROPA INTERNATIONAL KÖLN, SLOT MACHINE, ZENTROPA INTERNATIONAL FRANCE, CAVIAR, ZENBELGIE, ARTE FRANCE CINÉMA

―ジョーが「私はセクシャリティーを排除する」と宣言するシーンがありますよね。「排除する」という言葉を口にすることは、逆に「セクシャリティー」を強烈に意識しているとも言える。この言葉というのは能町さん自身の経験やプロセスを踏まえて、どういう風に受け止められましたか?

能町:「セクシャリティーを排除する」、一度そう思ったことがあります。性転換する前、大学生くらいのときに女の子と付き合ったんです。結果的に、私は女の子と身体的に触れ合うことに一切興奮しない人間だってことが判明したんですが、こういう性質は他人に害を与えてしまうと思っていた。それからしばらく、過剰なくらいに自分に制約をかけていました。

能町みね子

―この映画になぞらえれば「セクシャリティーを排除したい」といった吐露は、受け取る側にとって、「俺に相談してくれた」って喜んじゃうスナックにやって来たオジサン的論理にもなりかねませんよね。

能町:そうですね。「俺に心許してくれたんだぁ」っていう。「排除します」と頑なになればなるほど、逆に男が寄ってきちゃうんじゃないかと思う。だから、映画の登場人物に対して言うのもなんだけど、今まで恋愛に縛られてこなかったからこそ、これから(映画が終わった後)が本当に大変だなぁ、って思いましたね。

―恋愛に縛られるというか、100%恋愛の話だけしている人たちっていますよね。引き算したらなんにも話題が残らないのかな、っていうくらい。

能町:その存在が、私が『くすぶれ!モテない系』を書く動機でもあったんですよ。当時はエビちゃん的な「ずっと恋愛してま~す」って着飾る人たちばかりがメディアでもてはやされていたけれど、当時20代後半だった私の周りには、こんな格好までしてモテたくない、って人ばかりがいた。そういう人たちって、世間のマーケティングからはとことん無視されていたんです。一方、その風潮にとことん乗せられた男の人は、なんにも考えないから「あんな風に同じような格好して、話はつまんないし、女は馬鹿だ」みたいに考えて、今では考えられないほどの典型的な馬鹿な女像が平気で流布してしまった。じゃあ、私と、私のまわりの友達ってなんなんだ? なんで誰も語らないんだ? ってことで書いたんです。

能町みね子

―まずは自分と自分の周りにいる、恋愛に重きを置かない女性の存在を書き留めたかったと。

能町:そうですね。『モテない系』で描いた人は割り切れているわけじゃなく、世間の風潮よりは恋愛依存度が薄いというくらいですが。映画の中で、主人をジョーに寝取られたH婦人にひとしきり癇癪を起こされた後、セリグマンに「君の人生への影響は?」と聞かれたジョーは「なにもない。オムレツを作るには卵を割らなきゃ」って言うんです。あれが私にはすごく良かったです。つまり、恋愛なんてものをとことん醒めた目で見ている。私自身はこのくらい極端かもしれません。

―ヤリチンって武勇伝になりますね。でも、ヤリマンって武勇伝にならずにビッチになります。あれ、なぜなんでしょう。

能町:女の子同士で性について自慢するのも駄目なんですよね。「私、また寝ちゃった」って話はしない。なぜなんでしょう? この映画に出てくるジョーの振る舞いがなぜどこまでも爽快なのかってところになにかヒントがあるかもしれません。ヤリマンになりたいというわけじゃないですが(笑)、私はジョーのようなスタンスであるべきだ、とつくづく思います。

作品情報
『ニンフォマニアック Vol.1』

2014年10月11日(土)から新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

『ニンフォマニアック Vol.2』

2014年11月1日(土)から新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

監督・脚本:ラース・フォン・トリアー
出演:
シャルロット・ゲンズブール
ステラン・スカルスガルド
ステイシー・マーティン
シャイア・ラブーフ
クリスチャン・スレイター
ジェイミー・ベル
ユマ・サーマン
ウィレム・デフォー
ミア・ゴス
ソフィ・ケネディ・クラーク
コニー・ニールセン
ジャン=マルク・バール
ウド・キア
配給:ブロードメディア・スタジオ

プロフィール
能町みね子(のうまち みねこ)

コラムニスト、漫画家。北海道出身、茨城県育ち。著書は『オカマだけどOLやってます。』『くすぶれ! モテない系』、雑誌『装苑』で連載していた『雑誌の人格』など多数。フジテレビ系『久保みねヒャダこじらせナイト』、ニッポン放送『今夜もオトパラ!』に出演するなど活躍の場を広げている。



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